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13ー10話 Who’s the real one?(9)

 野中さんとの会話の翌日から、俺の生活は静かに整っていった。


 劇的に何かが変わったわけじゃない。

 むしろ、余計なものが削ぎ落とされただけだ。


 誰を選ぶか。

 どう生きるか。

 将来、何を背負うのか。


 それらは、すべて「今すぐ答えを出すものじゃない」と、自分の中で線を引いた。


 逃げるためじゃない。

 集中するためだ。


 今の俺がやるべきことは、はっきりしている。

 英語を、積み上げること。

 そして……夏村さんが、合格することを願うこと。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 朝は、リスニングから始めた。

 音声を流し、聞き流しではなく「処理」する。

 意味を取り、不要な選択肢を切り捨て、判断する。


 昼は、単語とフレーズ。

 夜は、公式問題集の復習。


 勉強は、もはや苦痛じゃなかった。

 作業に近い。

 でも、その作業の精度が、確実に上がっているのがわかる。


 考えすぎない。

 悩みすぎない。


 そう決めてから、逆に雑念は減った。

 夏の間、俺の家での勉強会は続いていた。

 顔ぶれは、いつもと同じだ。


 夏村さん。

 井上さん。

 那奈。

 さより。

 多江ちゃん。


 五人とも、相変わらずだった。

 少なくとも、表向きは。


 でも、俺の変化には、すぐに気づいたらしい。


 無駄話をしなくなった。

 スマホを触らない。

 問題を解くスピードが、明らかに違う。


「高松くん、最近、雰囲気おかしくないですか?」


 井上さんが、ある日ぽつりと言った。


「前から真面目でしたけど、今は……なんか怖いです」

「怖いって何ですか」

「余計な感情がない、っていうか」


 那奈が横から割り込む。


「わかる! 無表情で問題解いてる時、ちょっとラスボス感ある!」

「それ褒めてるのか貶してるのか、どっちですか」

「半々!」


 場が少しだけ和む。


 さよりは、何も言わずにノートを進めていた。

 でも、ペンを走らせる速度が、いつもより速い。


 多江ちゃんは、俺と目が合うと、軽くうなずくだけ。

 何も聞かない。

 でも、同じペースで机に向かっている。


 そして、夏村さん。

 一番近くにいるのに、踏み込んでこない。

 以前なら、何かしら声をかけてきたはずだ。

 でも今は、俺の変化を『信じて待つ』距離を取っている。

 それが、ありがたくもあり、少しだけ怖かった。


 (……逃げてないよな、俺)


 自分に問いかける。

 答えは、今のところ「はい」だった。


 

 ◇◇ 九月十三日 ◇◇


 駅で合流した時、夏村さんはいつもより口数が少なかった。


「おはよう」

「おはようございます」


 それだけ。


 以前の初受験のような、不安の共有も、強がりもない。


 電車に乗る。

 向かい合わせに座るが、問題集は開かない。


 俺は、目を閉じて呼吸を整えた。

 夏村さんは、イヤホンを耳に入れたが、途中で外した。


「……大丈夫そう?」

「はい」

「そっか。俺もやるべきことはやったよ。あとは結果がどうかだな……」


 会場前、人混みの中で自然と隣に立つ。

 手は触れない。

 でも、距離は近い。


「会場別だな。終わったら、連絡する」

「はい」


 それだけ言って、別れた。


 試験中、俺は焦らなかった。

 聞き逃しても、引きずらない。

 読解で詰まっても、切り捨てる。

 解けた、解けないよりも、『判断できた』ことの方が多かった。


 終わった瞬間、肩の力が抜けた。


 (……やれることはやった)


 それ以上でも、それ以下でもない。



 ◇◇ 十月三日 ◇◇


 放課後、進路指導室へ向かう廊下は、やけに長く感じた。

 岡田先生は、いつも通りの顔で迎えた。


「来たか」


 俺は、紙のスコアを机の上に置いた。

 岡田先生は、一瞬、言葉を失った。


「……八百二十」


 低く、そう呟く。


「正直、ここまで来るとは思ってなかった」


 それは、率直な言葉だった。


「条件は、クリアだ。ただし、これからも手を抜くな」

「はい」


 別談のように、岡田先生は続けた。


「夏村の点数も聞いている」


 胸が、少しだけ高鳴る。


「八百五十五だ」


 一瞬、言葉が出なかった。

 今まで数回一緒に受験したが、ついに追い抜かれてしまった。


(……さすがだよ)


 ただ、それだけだった。


 進路指導室を出たあと、俺はすぐには誰にも連絡しなかった。

 廊下の窓から、夕焼けを見ていた。


 数字が出た。

 努力が形になった。


 それで、すべてが解決したわけじゃない。

 でも、少なくとも……。

 (考える資格は、持てたかな)


 少し時間を置いてから、夏村さんにだけメッセージを送った。


 『820だった』


 少しして、返事が来る。


『おめでとう』


 続けて。


『俺は855。勝ったな』


 短いやり取り。

 でも、その裏に、これまでの時間が詰まっている。


 俺は、スマホを閉じた。


 まだ、選んでいない。

 でも、逃げてもいない。


 それで、今は十分だと思えた。

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― 新着の感想 ―
『今』自分のすべき事に全うするのは、非常に良い事だと思います♪ 勿論、その「今すべき事」にも、色々とタイミングとかもあるかもしれないですが。 自身が選んで選択したのであれば、それはもぉ「後に後悔しよう…
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