世界地図
私は何者であるか。あるいは何者であるべきか。
問い始めたのは高校1年生の夏頃、世界に取り残され始めた時だ。
それまで世界は私を中心に回っていた。私が物語の主人公だった。だが、どうやら違ったらしい。
私の世界は私でない誰かの世界に征服されてしまった。まるでモブキャラと主人公の出会いのようである。
スピンオフに成り下がった私の世界、そこに存在価値はあるのだろうか。いわゆるアイデンティティの消失を経験した。私という存在は確かに唯一であるが、上位互換も存在する。
アイデンティティの消失、あるいは上位互換の存在の認知を経験する人は以前より多くなったような気がする。その要因は技術発展、特に情報化にあると思う。
情報化に伴って、私達は世界の世界地図を作れるようになった。
そしてそれぞれの世界は相対的に小さくなった。自分の世界の立ち位置を知ったのである。これは物理的にも、精神的にも言えよう。
私達は今もなお世界に対して俯瞰的であろうとする。だが、その態度にみなついていけるわけでもないようだ。幸せになるためには妥協が必要なのかもしれない。盲目的であることが幸せなのかもしれない。