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無限の可能性を秘めた人

作者: 新島 伊万里

 ある日、俺は突然背中を押された。


 背中を押されると言っても色々なシチュエーションが考えられるな。例えば、親友や恋人から頑張れって、困難に立ち向かえと叱咤されるパターンとかさ。


 でも今の状況はそんなにいいもんじゃない。そもそも俺には親友も彼女もいない。物理的に背中を押されたんだ。


「ちょっ……!」


 その不意の力に負けて躍り出たのは車がビュンビュン走る車線だ。小学生の頃から、高校生の今この瞬間に至るまで長い間通学路として通ってきた道だ。車がかなりの速度で走ってるのは今更確認するまでもない。


「何のつもりだ……!」


 生きるか死ぬかはその時の運だが、もし仮に生き延びたとしたら。俺のすべきことは犯人捜しだ。そのためには何が何でも特徴を覚えておかなければならない。


 そう考えて、道路に飛び出しながらも顔だけは何とか振り向かせる。俺を突き飛ばしたであろう人間の顔、性別、身長、体格。とにかく少しでも多く情報を得るために。


 しかしその目に入ったのは――


「おい、嘘だろ……!?」


 ――無人の歩道だった。


 誰もいないのだ。一直線の歩道で突き飛ばした犯人が隠れる場所などあるはずもない。信じられない事だが、俺は見えない何かに突き飛ばされたという訳か?


 探偵のように犯人捜しを行おうと頭を回し始めるが何せ俺には時間が無い。シャーロックホームズでもこの状況では犯人なんて特定できないだろう。


 ププーッと響くトラックのクラクションが犯人の嘲笑のように聞こえたところで俺の意識は消失した。



 *



「……生きてるのか?」


 目を覚ます。死人が目を覚ましたらそれはただのゾンビ映画だ。となると今、目が覚めた俺は生きているということだろうか。


「……でも、普通目が覚めるとしたら病院かどこかのベッドだよな」


 現在俺が寝そべっているのはふかふかのベッドとは正反対のただただ硬いだけの地面だ。緑も水もない。おまけに空は隙間なく敷き詰められた灰色の雲が広がるだけ。怪我人を置いておくような場所とはとても思えなかった。


「まるで地獄みたいなとこだよな……」


「左様。ここは現世ではなく地獄。なかなかどうして察しが良い」


 どこからかそんな声がこだまする。スピーカーも何も無いのに。ドッキリか何かかと思いたくなるが、俺の最期はトラックで轢かれた。


 あの状態で今こうしてるみたいに無傷でいられるとは思えない。いっそ地獄に落ちたと言われる方がまだ信じられるというものだ。


「仮に地獄だとしたら喋ってる人は閻魔大王かその部下的な感じなのか?」


「いかにも。儂は閻魔大王その人であるが」


「閻魔大王……わざわざ俺に話しかけてきたってことは俺の罪でも裁いたりするのか?」


 人を殺したとかものを盗んだ、みたいな犯罪は犯してないはずだが、俺の知らないところで誰かを傷つけていた可能性はある。その償いをしろと言うのならすべて受け入れるつもりではいるが。


「いいや。そのような仕打ちに値する罪は背負っておらぬよ。……しかし、極楽に行くだけの徳も持ち合わせていないとも言えるがな。お主には何も感じぬのだ」


「何も無いと……それには反論の余地がないんだよなあ残念ながら」


 特に何か情熱を燃やせるようなものがあるわけじゃなかった。友人や仲間も作れなかったし輪にも入っていけなかった。おまけに勉強も運動もできた訳じゃなかった。


 こうして振り返ればなんと味気ない人生か。自伝を書くにしても原稿用紙1枚分も書けるかどうか怪しいものだ。


「人間は善人であれ悪人であれ、何か語るべき人生というものがある。何もないと嘆きながら生きている者もいつか、どこかのタイミングで人が変わったように動き出す時が来るのだ。お主にはその時は来なかったようだがな」


「変わる変わるって大人は言うし、閻魔大王様までそう言うみたいだけど本当に人が変われるのかは疑問だよな。まあ死んだ今となってはどうでもいいことだけどさ」


「どうでもいいときたか……。儂は人が変われるということについて、話をしに来たんだがな」


「……?」


「お主の人生は味気ない。そのような心持ちで地獄や極楽で過ごすにしてもこれまでの人生と何も変わらぬだろう?」


「まあ……どっちになってもぼさっと無味乾燥な毎日にするだろうな」


「そこで、人間の可能性を改めて見るべきではないかと儂は考えた。そうしてお主が然るべきものを得た後に死後の処遇を決めよう、ということだ」


 わざわざそんなお節介を焼くために俺みたいなのに話しかけてくるとは閻魔大王は思ってた以上に面倒見がいいのかもしれない。もしかすると厳しいのは罪人に対してだけなのかもな。


「正直、地獄で閻魔大王に逆らえるとも思えないし拒否権とか無いんだろうな……。それで、何をどうすればいいんだ?」


「諦めがいい部分も見直すべきだと思うが、今だけはその性格がプラスになっておるな。……なに、ある人間の生活をひたすら観察する。それだけじゃ。お主に負担らしい負担はかからぬよ」


「観察……? それをいつまで」


 続ければいいんだ? という俺の言葉を遮って閻魔大王の声がする。


「今聞かなくても自ずと分かる。ほうれ、とにかく行ってみよ……!」


「――っ!?」


 頭がかすむ。揺れる。目の前が真っ白になる。そのまま声を上げることもできずにその場に倒れ伏す。


「悪い人間は地獄で苦しむと言うな。では、罪のない人間が地獄に来ればどうなるか、お主は考えたことがあるか……?」


 ――その声に背中を押されて俺は地獄から叩き出されたのだった。



 *



「行ってきます……」


 目を開けると名前も顔も知らない男子学生が自宅を出る瞬間だった。


「うわっ!?」


 その進行方向に引っ張られるように俺の体が勝手に動く。閻魔大王は背後霊になれと言っていた。つまり、一定の距離以上は離れられないということか。


「どうやら声も聞こえてないみたいだし、マジで幽霊になってしまったんだな……」


 ようやく死んだという実感が湧いてくるも、悲しさみたいなものは込み上げてこなかった。親としても手のかかる息子が死んだんだから喜びこそすれ悲しみはしないような気がするし。


 死んだ時に感情をいくらか落としてしまったのか、そもそも持ち合わせていなかったのかそれについてもどちらでもいい、というのが本音だ。


 とにかく今の俺ができることはこの学生の背中を見て過ごす。それだけだ。


「ネトゲの操作キャラかよこいつは……」


 どうせ聞こえないからと毒づき、歩く。


 この学生の歩く姿は、何となく生前と何一つ変わらない暮らしが再開したような気持ちにさせられる。


 そんな憂鬱な心持ちの状態で俺の背後霊生活は幕を開けた。



 *



 そんな背後霊生活をしばらく続けてきて何となく取り憑いた学生の人となりが分かってきた。


 まず、家の近くの高校に通う一年生で、寡黙な性格であるということ。次に部活には入っておらず、これといった趣味もないということ。


 ネットサーフィンなどで面白そうなことを探すも、探すだけ。行動には移さない。幽霊である俺が面と向かって言われたわけではないが、そう考えていることくらいは察しがつく。


 ギター弾けるのはかっこいいが高いし練習はめんどくさい。キャンプとか楽しそうだけど外に出ると苦労がありそう。


 その他いくつも速すぎる挫折を目にしてきた。


 火はひたすらに燻り続け、されども燃え上がることはない。


「俺だってそうだしな。まあそんなもんだよな、人生って」


 だからと言って俺が何かするわけでもない。そもそも幽霊なんだから何かできるはずもない。


 生者か死者かの違いはあれど、俺達は同類だ。そして俺はそんな同類の観察日記をひたすら心の中で書き続ける。それだけだ。



 *



 そう息巻いてはいたのだが1ヶ月以上が過ぎて状況が変わってきた。


 俺は作家ではない。代わり映えのしない挫折続きの毎日でお話が作れるような能力は微塵もない。たまにはドラマチックに行動を起こせと念じるものの、当の本人はどこ吹く風だ。


 悶々とする俺。平然と無味感想な毎日を過ごす学生。その違いは境遇にあった。


 俺は死者で背後霊。行動範囲も何もかも厳しすぎる制限を受けている。体を動かしている実感さえも湧かないのだ。


 対してこいつは何もしていないように見えるが、動くことだけはやっている。


 生きているんだから当たり前だ。足を動かして通学はするし、ご飯は毎日3食食べ、申し訳程度に教科書を読む。


 そんな毎日でも何かをやっているとは言える。何か手を動かしているだけでも存外気を紛らしたり、精神的に安定するのかもしれない。


 そんな考察をする俺はと言うと何もできない。本当に何もできないのだ。


 つまらない、退屈な毎日と一口に言ってもそこには濃度がある。俺の日々はそこの死んだ目の学生の何倍も濃密な退屈さを孕んでいる。


 無が濃いとか薄いとか馬鹿なことを言っているなと思うものの考え直す気力も湧かない恐ろしい日々。これは閻魔大王の仕組んだ俺にとっての地獄なんじゃないかとまで感じてしまう。


 何が人間の可能性だ。この苦行を乗り越えて神か何かになれとでも言ってんのかよ……。



 *



 そうして苦しんで苦しんで誰かの為の償いになるのかと延々と考えて、さらに数ヶ月が経った時だ。


 不意に、脈絡なく、本当に突然にある思いが湧いて出た。


 ――体があれば。こいつよりももっと有意義に人生を歩んでみせるのに。


 ネガティブな感情をこれでもかと絞り出して、その先に、そうした一番奥に潜んでいたものらしい。


 こいつは何をしてるんだ。体があるだけ恵まれていることに何で気づかない。


 やり場のない怒りというよりは八つ当たりに近いその感情人目を憚る必要のない体でぶちまける。意味はないと知りつつもどうか気づけと懇願するように。


 普通に考えろ。動け。体が動くだけであらゆる可能性を掴めるってのに!!


 そこまで考えてハッとする。閻魔大王は地獄で俺に何と言っていた?確かあれは……。


「ようやく気づいたか。ここまで長時間背後霊をやっていた魂は珍しいぞ。まあ、過程がどうあれその考えにたどり着いたのならばそれだけで素晴らしいが」


 その時、人間の可能性を学べと言ってきた張本人の声が頭に響く。ろくに口を開かない宿主だったため、急に誰かの声が聞こえて一瞬緊張が走ってしまう。


「……まんまと乗せられて悔しいけど、何が言いたかったのかは分かった気がする。それで? 背後霊生活はこれで終わりか? 後は地獄で労働なりなんなりに勤しめとでも?」


「罪もないのに無闇に働かせはせぬて……。お主はそのまま背後霊のまま、その者の行く末を見守るのみだ」


「いっそ働かせてくれた方が寛大な措置に見えるぞ。可能性だけ見せつけてはいおしまいとかタチが悪いな」


「ふっ……早まるでない。背後霊は一見、宿主に干渉できないように見えるが、儂はそんなことは一言も言っておらん。つまり……」


「影響を与えることができる……?」


 背後霊の俺が助言をしながら共に人生を素晴らしいものにすればいいというわけか。


 人との接し方なんて生前から全く分からないままだが、だからと言って何もしないわけにはいかない。もしその機会があるのなら俺は――


「そう。その方法はたった一つ。()()()()()()()()()()()。身に覚えがあるだろう?」


 背中を押して干渉。背後霊の特権とくれば……まさか……あれは……!


「まさか俺が死んだのって……!」


「お主の背後霊の仕業じゃな。ちなみにお主の体はトラックにはねられたものの奇跡的に無事だったそうだ。そして様々な活動に精を出しているらしい。人が変わったみたいだと専らの噂だ」


 この意味が分かるか? というように語られる俺の体の物語。中身の俺がいない今、俺の肉体を動かしているのはだれか。


 そんなもの、ここまでヒントをばら撒かれたら誰だって理解できる。


「……なるほど。確かに()()はこいつのためにもなるし、俺のためにもなるわけか」


 それなりに長い間くっついてたんだ。家族関係、交友関係、口調、トレースできないものはない。


 そもそも普通の人間は体を動かしてる人間が変わるなんて思わない。体は乗り物じゃないんだからな。


 そんな決意を固めながら、こいつの通学路に差し掛かる。車道をビュンビュンと車が駆けていく。


 多くの人にとっては何気ない景色だが、俺にとっては既視感のある景色。


 ……これからは俺がこの通学路を歩いていくよ。


 タイミングを見計らい、宿主の背中を突き飛ばす。その瞬間、鬼のような形相で振り向かれるが、一瞬で驚愕と戸惑いの入り混じる表情へと変わっていく。


 そうなるのは分かってはいるが、こうやって睨まれるとやはり心臓に悪い。心臓を手に入れるのはもうほんの少し先の話だが。


 甲高いブレーキの音と共に、見慣れた背中が弾き飛ばされる。俺の体はその背中に引っ張られるように吸い込まれて――



 *



 ――その昔。これといって特徴のなく、さらには何かに打ち込もうともしない誰も、本人でさえ自分がよく分からない男子学生がいた。


 だがそれは過去の話だ。そんな彼は起業を果たし、今や誰もが知る大会社にまで成長させて若くして社長の椅子に座っている。


 学生の頃と現在。パソコンを眺めていること自体は同じなのに、その表情は天と地ほどの差があった。


「いつも思いますけど、一代でここまで大きな会社を築けるなんて素晴らしいですよね!」


 そんな風にパソコンを見つめる男性に秘書が語りかける。


「僕一人の能力じゃない。たくさんの人が支えてくれたから今があるのさ」


「社長はやっぱり謙虚ですよねー。でも皆言ってますよ、高校生くらいの時に急に人が変わったみたいにバリバリ動き出したって。やっぱりその努力の結果ですって!」


「人が変わったみたい……か。確かにそうかもしれないな」


 確かにこんな風に急に勢いづくとそう形容したくなるのも分かる。そんな言葉を思いついた人類は鋭いというべきか。


 いや、もしかすると俺みたいな境遇の奴が初めにこの言葉を作ったのかもしれない。


「ん、この人は……」


 ふとパソコンに表示されたニュースに目を配る。


「あ、その人は最近ぐんぐん成績を伸ばして世界と戦えるって期待されてるアスリートじゃないですか!」


 その記事にはこれまでの実績、次の世界大会に挑戦する強い意志を表明していること、そしてスポンサーの募集をしていることが記されていた。


「勢いのある若者か……。どことなく応援したくなるような雰囲気があるな……。彼に連絡を取ってもらえるかな?」


「お任せください!」


「助かるよ」


 そう言って秘書が出ていくのを確認した後に大きく深呼吸して様々な感情を整理する。


「ふーん……。俺の体でトップアスリートになったのか……。なれるもんなんだな、意外と」


 人の可能性は無限大。分かったつもりではいたのだが、改めてその凄さに舌を巻く。


 そのニュースの見出しにはでかでかと俺の生前の名前が刻まれていた。


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