05 黒魔術師、商人と交渉する
「本当に、ありがとうございました。何とお礼を申し上げればよいものか……」
レルドリア商会エシュナ支店の店内に入った俺とセルミナは、二階の応接室に通された。
しばらくして40代くらいの気前の良さそうな男性が部屋に入ってきて、俺たちに頭を下げた。
そのまま彼は、俺たちが座っている席の対面に腰を下ろす。
「申し遅れました、わたくしがレルドリア商会エシュナ支店長のコレイトでございます」
「俺はオルアスです。ついこの前まで勇者パーティーに所属していました」
「オルアス様のご活躍はわたくしも聞き及んでおります。勇者パーティーとして人類の敵である魔族と戦いを続けているのですよね? ついこの前は、魔将ネルダデルダを討ち取ったのだとか。まさか、このような偉大なお方とお話しできるとは思っておりませんでした」
「買い被りすぎですよ。しかも俺はもう勇者パーティーをやめたから、今はただの一般人です。キラーベアを倒したのだって、偶然俺がその乗合馬車を使っていたからに過ぎません」
「そうでしたか。しかし、偶然とはいえ従業員やお客様方の命を救ったのは紛れもなくあなたでございましょう。それを代表してわたくしが、改めて感謝申し上げます」
もう一度、コレイトが俺に頭を下げる。
俺の横に座っているセルミナが「オルアスって偉くなったんだね」と小声で言っていたので、首を横に振っておいた。
「つきましては、わたくしの方からお礼をさせていただきたいのですが……。ところで、オルアス様のような高名なお方がどのような用件でエシュナにいらしたのでしょうか?」
「ちょっと、勇者パーティーでいろいろありまして。勇者パーティーから脱退して、故郷で料理店でも開こうと思っていたところです」
「それならば、わたくしもお力になれることでしょう!」
嬉しそうに、コレイトは身を乗り出して言う。
商人として興味をそそられるのか、捲し立てるように続けた。
「料理店とはどのようなものなのでしょうか? 世界最強の黒魔術師と名高いオルアス様のことですから、やはり冒険者向けの大衆食堂なのでしょうか? そうなると、酒やパンはこちらで仕入れることが可能です! 今回はわたくしのお礼ということなので――」
「あの、実は、俺の中で料理店の構想はおおよそできているんですけど……」
「おお、これは失礼しました。つい、商売人の血が騒いでしまったもので……」
コレイトは自分自身の言動に苦笑いを浮かべながら、続けた。
「それで、料理店の構想、というのはどのようなものでしょうか?」
「オルアスの作る料理店、私も興味あるなー」
そういえば、セルミナにもまだ俺の計画を伝えていなかったか。
まあ、セルミナのことだから、俺の意見に真っ向から反対することは無いとは思うが……。
「ええと、あまり知られていない料理かもしれませんが……『冷やし中華』っていうのに挑戦したいと思っているんです」
「『冷やし中華』ですか。わたくしには聞き覚えがありませんが、どのような料理なのでしょうか?」
「私も『冷やし中華』は知らないかな……。……ん? ちょっと待って? なんか聞き覚えがある気がする……」
「ちょっと待って」と言うので、言われた通りちょっとだけ待ってみる。
「あ! 思い出した! オルアスが浮気して女冒険者に作ってもらったご飯だ! ……あの時の嬉しそうなオルアスの顔を思い出したら、ちょっと腹が立ってきたかも……」
「いや、ちょ、ちょっと待って?! 浮気は誤解だから! 確かに女冒険者に作ってもらったってところは否定できないけども!」
「冗談だよー。私はオルアスと一緒なら、他に誰がいても構わないから。……それにしても、久しぶりにオルアスの慌てた顔が見れたなー」
なんとなく、言い負かされたような気分を味わっていると、微笑ましげな表情でコレイトが俺とセルミナの様子を見つめているのに気付いた。
「部外者であるわたくしがお二人からあれこれと聞き出すのは、どうやら野暮のようですね。『冷やし中華』がどのようなものかは、料理店が開くまで楽しみに待つことにしましょう。……ところで、わたくしはどのような面で協力させていただけばよいのでしょうか?」
そう言われ、俺は『冷やし中華』に必要な原材料を思い出す。
小麦、水、塩、葉野菜、卵、干し肉、植物油、酢――。
あとは、謎の液体である「カンスイ」。
これは、ルルエリ湖の湖水を使えばいいらしい。
「ではお言葉に甘えて、いろいろと原材料を仕入れさせていただきたいのですが……」
ふと思い当たることがあって、セルミナに尋ねてみる。
「お前の家の畑って、一年中、葉野菜がとれたよな?」
「キャレスは一年中とれるよ。北の方と違って、雪も降らないし」
キャレスと言えば、黄緑色で丸い野菜だっただろうか。
葉が何重にも重なっており、一枚ずつ剥がして食べるものだったはずだ。
「ってことは、葉野菜はセルミナの家から仕入れれば問題なさそうだな」
となると、残りの材料だが。
卵は、グリフォンの卵を冒険者ギルドに依頼すれば良さそうだ。
後輩冒険者に割の良い仕事を与えてあげることができるし、何より、商人から仕入れるよりも冒険者ギルドに直接依頼を出した方が割安だ。
そんなわけで、卵もコレイトに頼む物リストからは除外かな。
「小麦、酢、干し肉、植物油、塩。あとは、ルルエリ湖の湖水ですね。これらについて、定期的に仕入れたいんですけど出来ますか?」
「もちろんです。レルドリア商会の名に懸けて、最高級のものを仕入れさせていただきましょう!」
「いえ、そうしたらお値段がとんでもなくなりそうなので、そこそこの品をお願いしたいのですが……」
「おっと、申し訳ありません。つい気分が高揚してしまい……。そういえば、ルルエリ湖の湖水と仰っておりましたが、何に使うのでしょうか? ルルエリ湖の水は塩の原料として有名ですが、塩は別で仕入れるのでしょう?」
「そうですね。塩とは別の用途で使おうかと考えておりまして――」
その後、価格交渉や品種について話し合い、正式に契約を結ぶことに成功した。
5日後に最初の仕入れが行われるらしいので、それまでに店を決めておきたい。
こうして、原材料の仕入れの問題はあっさりと解決したのであった。
全ての話し合いが終わり、コレイトに見送られて商会の建物を出る。
陽が沈んだ後らしく、空には星が見え始めていた。
「だいぶ暗くなっちゃったね。よかったら、私の家に泊まっていかない?」
「ああ、そうさせてもらうよ。ついでにセルミナの両親にも挨拶をしないとな」
日が暮れて暗くなりつつあるエシュナの街を、俺とセルミナは歩いていく。