20 黒魔術師、開店前夜を過ごす
開店前日。
店内にテーブルや椅子などを並べ終え、冷やし中華の麺の下ごしらえも終わった。
具材やタレの材料も、すべて揃っている。
広告に関しては、仕入れ業者であるレルドリア商会がバックアップしてくれた。
さらに、知り合いの冒険者に口コミで冷やし中華店のオープンを広めてもらった。
開店の準備は万端だ。
「ついに、明日だな」
今日は、店のセッティングを念入りに行った。
会計を担当するセルミナとは、お金の計算について念入りに確認した。
給仕を担当するレミカは、注文を取る練習を何度も繰り返していた。
そうしているうちに、開店前日の昼間が過ぎていった。
そして、今は夜。
私室で寝間着に着替えてから、寝室に向かう。
いつもはセルミナが先に寝ていることが多いが、今日のセルミナはベッドに寝転がったまま天井を見上げていた。
「眠れないのか?」
セルミナの横に寝転がりながら、俺は尋ねる。
彼女は首を左右に振って、いたずらっぽく笑った。
「今日はちょっと、オルアスに甘えてみたいなー、って思って。今夜は寝かせないよ?」
「いや、夜更かしして明日の朝起きられなかったら困るだろ。ほどほどにな」
「はーい。……じゃあ、ぎゅっと抱きしめてくれるだけでいいや」
セルミナは両手を広げて、俺を待ち受ける。
言われるがままに俺は、セルミナをぎゅっと抱きしめた。
セルミナの温かい体温を感じながら、豊満な胸がぶつかる感触を味わう。
「えへへー。オルアス大好きー」
「俺もセルミナのこと、大好きだよ」
幸せそうな表情をして、セルミナは顔を近づけてくる。
「おやすみのキス」ってやつをしてみたくなったのか? と思いながら待っていたが、しかしセルミナはぴたりと動きを止めた。
そして、寝室のドアの方に視線を向けた。
「ん? レミカどうしたの? 覗き見なんてしちゃって」
セルミナの視線の先に目を向けると、寝室のドアが僅かに開いていた。
そして、その隙間からレミカの姿が見えた。
そういえば、明日は朝早くから開店準備をするということで、レミカが泊まっているのだったか。
レミカは、俺たちに気づかれると思っていなかったのか、慌ててドアを開け放ち、深々と頭を下げた。
「す、すみません……。邪魔してしまいました……」
「レミカも参加したいの?」
「え……? あ、その……」
セルミナの言葉に、戸惑うレミカ。
そして「参加」の意味が分かったのか、顔真っ赤にして俯いた。
追い打ちをかけるように、セルミナは笑いながら冗談を言う。
「今ならオルアスがもれなく抱いてくれるからおすすめだよ! 遠慮せずに入ってきていいよ!」
「まるで俺が節操なしみたいじゃないかよ」
「誤解が無いように言っておくと、こう見えて結構ヘタレだからね、オルアス」
「頬にキスするだけで心臓が破裂しちゃいそうになるやつがよく言うよ」
「うぐっ。ええと、それは、その、違くて……」
目線を明後日の方向に向けて言い訳を考えるセルミナに、思わず笑ってしまう。
俺とセルミナのやり取りをじっと見ていたレミカは、肩身を狭そうにして部屋に入ってきた。
「お二人とも、仲が良いんですね。ここに私がいるのが申し訳なくなってくるような……」
「本当にごめんな。セルミナの無茶ぶりで、レミカが部屋に入らなきゃいけない流れになっちゃって」
「いえ、オルアスさんが謝ることでは……。ただ、私もちょっと羨ましいな、って……。
いや、こんなこと言っても迷惑ですよね。すみません」
「そんなに固くなるなって。レミカも、遠慮しなくてもいいんだからな?」
レミカがこくりと頷く。
同時に、セルミナが「そういえば、レミカに聞きたいことがあったんだけど……」と言って首を傾げた。
「……レミカって、どうしてオルアスのことが好きになったの?」
「……え? ちょっと待て?! レミカって俺のこと好きだったのか?!」
いや、本当にちょっと待て。
そんなことがあってたまるものか。
俺とセルミナの関係は、レミカや他の勇者パーティーの面々に伝えていたはずだ。
それに、レミカには異性の幼馴染がいるとか言っていたような……。
「見ればわかるじゃん。オルアスは鈍感なんだから。ってか、本当にオルアスは浮気してるつもりがなかったんだね。ちょっと安心したかも」
「いや、セルミナ以外から好かれるとは思っていなかったから……」
セルミナに鈍感と言われて少し傷つきながらも、言い訳がましく言葉を濁す。
そして、観念したように、レミカは口を開いた。
「……やっぱり、セルミナさんにはバレていましたよね。そうです。私はオルアスさんのことが好きなんです。
いや、好きともちょっと違う気がしますが……。これは何という名前の気持ちなんでしょうか。憧れ、ですかね……?」
「あれ? 私が思ってたのと違う……。憧れって?」
「ええと、私、実は勇者パーティーに入る前に、幼馴染と決別したんです。『あの人』は、私を逃がして一人で魔物に捕まってしまって……。たぶん、もう生きてはいないと思います……。
当時の私は彼のことが好きだったので、かなりふさぎ込んでしまったんですけど……。
そんなときに勇者パーティーの話が来て、もうどうにでもなれって思って、故郷のみんなの制止を振り切って王都に行ったんです。そして、その時に出会ったのがオルアスさんだったんです」
遠い過去を思い出すように、レミカは訥々と語っていく。
「オルアスさんの第一印象は、『あの人と似ている』だったんです。
あまり自己主張できない私に優しかったり、落ち込んでいたらすかさず慰めてくれたり、ちょっと私をからかうようなことも言ってきたり……。
口調も外見も違うけど、なんか、雰囲気が似ていて……。
『好きだったあの人』とオルアスさんを重ねて、勝手に好意を抱いていたんだと思います」
ため息をついて、それからレミカは頭を下げた。
「すみません。言葉にして、ちょっと頭の中が整理できた気がします。
私が好きなのは『あの人』なんだなって……。
……なので、私のことは『叶わぬ恋心を抱いている小間使い』くらいに扱ってもらえればと思います。
セルミナさんは私のことなんか気にせず、オルアスさんと二人で幸せになってもらえればと思います……」
レミカが話を終え、辺りには沈黙が降りる。
勇者パーティーでは、メンバーの過去の詮索はほとんどしなかった。
だからこそ、俺は今までレミカの過去を知らなかったのだが。
レミカは、仲の良かった異性の幼馴染を失くした、と言っていた。
もし仮に、俺がセルミナを失ってしまったら。
その結果、俺に何が残るだろうか……。
しかし、もしレミカが、そんな辛い経験を乗り越えようとするのならば。
そのお手伝いくらいであれば、全くもってやぶさかではない。
数々の修羅場を一緒に潜り抜けてきた仲間に、どうしてぞんざいな扱いをすることができるだろうか。
どうにかして、レミカには幸せになってもらいたいものだ。
「すみません。私の心が弱いばかりに、こんな空気にしてしまって……」
「ううん。ちゃんと話してくれてありがとう。おかげで、これから私がすればいいことが分かった気がする」
「ええと……何をするんでしょうか……?」
「んー? まず、店の商売繁盛を目指すでしょ? そしたら、レミカの出会いも増えるでしょ?」
セルミナが言うほど、簡単な問題ではないかもしれない。
しかし、落ち込んでいても何も始まらないのも確かだ。
できることから着実に取り組んでいけば、いつかきっと報われるはずだ。
というか、そうであってほしい。
「そうだな。レミカの担当は接客だしな。もしかしたら、一目惚れするような相手が出てくるかもしれない」
「お二人とも、お気遣いありがとうございます……。そうですね。新しい恋をすれば、私も楽になれるかも……」
レミカはもう一度「ありがとうございました」と頭を下げて、俺とセルミナの寝室から出ていった。
扉が閉まっていく様子を見ていると、セルミナが俺の手を握った。
「明日から、頑張ろうね」
「ああ。レミカのためにも、店を成功させような」
お互いに頷き合って、そしてベッドに横になり、目を閉じた。
しばらくして、セルミナの寝息が聞こえてきた。
こうして、開店前日の夜は更けていった。