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第3話

 一体どれだけの時間が過ぎたのだろう?

 何日も経ったような気もするし、数秒しか経っていないような気もする。


「っ……。ここは……?」


 気がつくと闇への落下は終わり、僕は奇妙な空間に横たわっていた。

 床は全面が水晶を思わせる素材。

 天井はどこまでも高く闇に閉ざされている。

 周囲には床と同じ水晶の板。四方八方を取り囲み、僕を中心に同心円状に並んでいた。


 体を起こし、正面の水晶板へと歩いていく。

 水晶の表面はなめらかで、近づく僕の姿を鏡のように映した。


「どこか開いたりしないのか?」


 軽く押してみようと手を伸ばす。

 右手の指先が水晶板に触れる。

 その瞬間、腕をグイッと掴まれた。


「なっ!?」


 腕を掴んだのは、水晶板に映った僕の鏡像だった。

 水晶板から腕が飛びだし、僕の手首を掴んでいる。

 幻覚ではない。相手の手は間違いなく実体を持っていた。

 水晶に映る暗黒騎士の顔。兜の面の口元が一瞬ニヤリとゆがんだように見えた。


「ッッ!」


 腕を振りほどき、後方へ跳んで距離をとる。

 水晶板に映った暗黒騎士は、もはや僕の鏡像ではなかった。


「――僕を蔑んだ騎士たちが憎い」


 それは、僕の声であって僕の声ではなかった。


「――僕を避けた住人たちが憎い」


 発したのは水晶板の暗黒騎士。


「――僕を嫌悪した女たちが憎い」


 一歩を踏みだすと、右足のつま先が水晶板の外に現れた。


「――僕を見ただけで泣きわめく子供たちが憎い」


 もう一歩で、体の前半分が現れた。


「――僕を裏切ったガレアたちが憎い」


 ついに全身が水晶版の外に出て完全に実体化する。


「だ、誰だ……? お前はいったい誰なんだっ!?」


 僕は後じさり、ふるえる声で訊ねた。


「わかっているはずだよ、暗黒騎士ルシス。僕は君で、君は僕だ」

「なんだって……?」


 身長も体型も、声も喋り方もまったく同じ。

 全身をつつむ闇の鎧も細部まで完全に一致している。

 だがそんなはずはない。

 闇の鎧は唯一無二。暗黒騎士は一つの時代に一人きりのはずだ。


「そんなはずはない! 正体を現せッ!」


 魔法か特殊能力による虚像なら、攻撃すれば解除できるはず。

 僕は右手に血刀を作りだして斬りかかった。

 ギィンッ! 斬撃は受け止められた。

 同じく相手が右手に作りだした、黒い血の刀によって。


「ブ、ブラックヴェイン……!? 嘘だ、ありえないっ……!」

「嘘じゃない。暗黒騎士なら使えて当然だ」


 僕を押し返すと、相手は血刀を水平に構えた。

 切っ先から闇の波動がほとばしる。


 ――暗黒剣・五式『うつろ


「なっ……ぐゥッ!?」


 驚愕のあまり棒立ちになり、暗黒剣をまともに喰らってしまう。

 直後、猛烈な虚脱感に襲われ僕はその場に膝をついた。

 初めて身を持って体験した暗黒剣の威力。

 認めるしかない。これは幻覚などでは断じてなかった。


「そして夢でもない。君は紛れもない現実の中にいる」

 

 もう一人の暗黒騎士――僕の「影」が言った。


「夢でも幻覚でもないなら……どうして僕が二人いるんだ?」

「もちろんそれは、ここが『そういう場所』だからだよ」

「な、なにが目的なんだ? お前は一体――」

「いま君は、自分こそが本当の自分だと思っているね。けどそれは違う。僕こそが本当の君、暗黒騎士ルシスの本来のあるべき姿なんだ」

「なにを言っている……?」

「君の本音、君の本心、君の本性。君の願望、君の欲望、君の希望。それこそが僕だ」


 瞬間、影の姿が消え失せた。

 と同時に声だけが響いた。

 

 ――憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。

 ――騎士たちが憎い。住人たちが憎い。女たちが憎い。子供たちが憎い。ガレアたちが憎い。


「本当はそう思っていたはずだ」


 右からの声。

 僕の影は右の水晶板の中に移動していた。

 怨嗟の声はなおも積もり重なっていく。


 ――殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。

 ――騎士たちを殺せ。住人たちを殺せ。女たちを殺せ。子供たちを殺せ。ガレアたちを殺せ。


「本当はそう願っていたはずだ」


 左からの声。

 影の姿も左側の水晶板に移っていた。


「違うッ! 僕は、そんなっ……!」

「本当に? 心に闇をいだいたことが、いままで一度もなかったと断言できるのかい?」

「ぼ、僕はっ……」

「認めて、受け入れるんだ、本当の自分を」


 背後からの声。

 しかし、もはや僕は振り返ることすらできなかった。


「やめろッ! もうやめてくれッ!」


 耳を塞いで絶叫する。

 それでも声は鳴り止まない。脳に直接響いて僕を決して逃さない。


「君はなにも悪くない。悪いのはやつらだ。君はやつらを憎しみ、殺し、復讐を果たしていい。むしろ復讐を果たすべきなんだ。そうすることで君は本当の自分になれる。暗黒騎士の真の力を手にすることができる」

「真の……力?」


 擦り切れ、疲れ果て、押しつぶされる寸前の僕の心にとって、その言葉はひどく甘美な果実だった。


「そうとも。自分でも疑問に思っていたはずだよ」


 うずくまる僕のそばに影が現れる。


「暗黒騎士は世界でただ一人。ルブルムの秘宝である闇の鎧に認められし者。人の身にして闇の力を振るう特異な存在」


 影は膝をついてかがみ、僕の耳元でささやいた。


「それなのに弱いだなんて、おかしいと思わないか?」

「それは……」

「君は自分で自分の力を抑えこんでいる。だから弱い。だから暗黒騎士として中途半端なままなんだ」

「どうすれば……僕はどうすればいいんだ?」

「簡単なことだよ」


 影は言った。


「心を闇に染めればいい」


 甘いささやき。悪魔のささやき。

 抗いがたい魅力を持って僕の意識に入りこんでくる。


「思うがまま、望むがまま、人を憎んで人を殺せ。恐怖と死と絶望で愚かな人間どもを支配しろ。そうすれば君は――僕は、真の暗黒騎士になれる」

「そんな、無理だ……。そんなこと、できるわけがない……」

「できるさ。思い出すんだ。もともと僕は独りだった。他人のことなんて心底どうでもよかった。それなのに僕の心に鍵をかけて、本当の僕を封じこめてしまった悪い女がいる。憎い女がいる。殺したい女がいる」

「まさか、それは――」

「そう、ベアトリス・ヴァージニア・ロザリー・ルブルム。あの女がすべての元凶だ」


 あまりのことに絶句するしかない。

 ……僕が、ベアトリス姉さんを憎んでいる? 殺したいと思っているだって?


「馬鹿げてる。そんなはずがあるものか。ベアトリス姉さんは恩人で、僕の一番の理解者だ」

「まだわからないのか? すべては僕を支配し操るための嘘だったんだ。ベアトリスに言われるがまま暗黒騎士になって、それでどうなった? なにか一つでもいいことがあったか? 嫌なことや辛いことばかりだったじゃないか」

「違う……」

「いいや、違わない。僕が暗黒騎士として期待外れだったと知るや、ベアトリスは急に冷たくなってろくに口もきいてくれなくなった。そして、挙句の果てにこの手酷い裏切りだ。ベアトリスは僕の死を望んでいる。だったら僕もベアトリスの死を望んでいけないわけがない」


 影は立ち上がり、熱に浮かされたような口調でつづけた。


「そうだ、手始めにベアトリスを殺すんだ! あの女を殺せば僕の心は解き放たれるッ!」


 ポウゥッ。正面の水晶板から光があふれ、人の姿を形づくった。

 現れたのは一人の女性。

 煌めく桜色の長い髪に、神秘的な金眼銀眼ヘテロクロミアの大きな瞳。

 ほかの誰かならいざ知らず、僕が見間違えるはずもない。


「ベアトリス……姉さん!?」


 本物であるはずはないが、幻と断じるには現実感がありすぎる。

 だが、ここで重要なのは本物かどうかじゃない。

 彼女の役割は明々白々。祭壇に捧げる生贄として現れたのだ。

 

 これよりおこなわれるのは血の儀式。

 僕の心の鍵を開き、暗黒へと染め上げるための。


「さようなら、ベアトリス。お前を殺して僕は真の暗黒騎士になる」


 影が血刀を構え、ベアトリスの心臓に狙いをさだめる。

 それでも彼女はいっさい表情を変えなかった。

 影には一瞥もくれない。

 冷淡な視線がまっすぐに僕を射抜いていた。


「ルシス――」


 そして、一番聞きたかった声で、一番聞きたくない言葉を口にした。


「死ぬがよい。そなたはもう用済みだ」


 心が軋む。世界がひび割れていく音がする。

 ……そうなのか。それがベアトリス姉さんの本心なのか。

 

 だとしたら、僕はもう闇に染まるしかない。

 心を暗黒で塗りつぶさなければ壊れてしまう。

 僕は――


 刹那、まるで走馬灯のごとく過去の記憶がよみがえった。

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