第2話
ルシスを置き去りにしたガレア、シグス、ジャンニの三人は、その日のうちにルブルム王城へ帰還した。
「いや~、思った以上に上手くいったね~」
「裏切られたと知った時の野郎の顔、ありゃ傑作だったな!」
「二人とも声が大きいぞ。『ルシスは我らの制止を振り切って独断先行し、自らを死地に追いこんだ』。報告書にはそう記載されるのだからな」
満足げに語り合う三人。
そこへ女王へ仕える侍女が声をかけた。
「騎士ガレア、騎士シグス、騎士ジャンニ。今回の任務に関して、陛下が直接報告をせよと仰せです」
三人の顔に緊張が走る。
女王への謁見は騎士団長ですら滅多に叶わない。
一介の騎士である三人には初めてのことだった。
侍女に案内され玉座の間へと入る。
片膝をついて頭を垂れる最敬礼の姿勢をとって待つ。
ほどなくして女王は姿を現し、玉座についた。
「面を上げよ」
許しを得て顔を上げるガレアたち。
ルブルム王国現女王・ベアトリス四世の美貌があらわになる。
なによりも目を惹くのは桜色の長い髪。
そして左右で色が異なる金眼銀眼の瞳だ。
人間離れした、この世のものとは思えない美しさ。
見惚れるどころかゾッとするような恐ろしさを感じ、ガレアたちはすぐに目を伏せてしまった。
「報告を聞こう。首尾はどうであったか」
「は、はっ!」
ガレアは慌てて言った。
「陛下に勅命に従い、暗黒騎士ルシスを神殿の深層に残して我らは帰還致しました」
「間違いなくあの者を死地へと追いやったか?」
「はっ。ルシスが生きて戻ってくる可能性は万に一つもないかと」
「そうか」
女王の顔には喜怒哀楽いずれも見られない。
完全なる無表情、まったくの無感情だった。
「大義であった。下がってよいぞ」
――冷厳の女王・ベアトリス四世。
彼女はいついかなる時も感情を表に出すことはない。
あるいは感情そのものを無くしてしまったのではないかと、ひそかにささやかれているほどだった。
「へ、陛下。一つお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「許す。申してみよ」
「なぜ陛下はルシスにこのような仕打ちを?」
少しも表情を変えずに女王は言った。
「あの者は、一度死ななくてはならぬからだ」
◇◇◇
――暗黒剣・五式『虚』
ズォオッ! 水平に構えた血刀の切っ先から闇の波動がほとばしる。
対象のあらゆる能力を大幅に弱体化させる技。
僕が使える最強の暗黒剣、最後の切り札だった。
「ぐぅっ……!」
それだけに消耗も半端ではない。
暗黒剣は自身の体力と精神力を消費して放つ技だ。
ただでさえ長時間にわたる戦いで肉体も精神も限界に近い。
そろそろ決着をつけなくては。
「ぉおおおおおっ!」
残る力を総動員して、僕はレヴナントに最後の攻撃を仕掛けた。
盾を捨て、血刀を両手で握る。なかば捨て身の特攻だ。
ザシュッ、バギンッ! レヴナントの肉を削ぎ骨を削る。
もちろん敵も黙って斬られつづけてはくれない。
ドゴッ! 巨大な腕による反撃をまともに喰らい、僕は壁際までふっ飛ばされた。
「ぐぅっ……! ま、まだだ! 負けてたまるかっ……!」
すぐさま体を起こし、突撃する。
「死んで……たまるかっ!」
二連続の斬撃を浴びせ、レヴナントの肉を深く削ぎ取る。
見えた! その切り口の奥、太い骨のあいだに深紅の宝石を思わせる「核」があった。
核めがけて渾身の突きを撃ちこむ。
ガギンッ! 見た目どおりの硬さ。
表面にわずかな亀裂が入ったのみだ。
――グォオオオオオオンッッ!
レヴナントが怒りに身を震わせた。
僕を叩き潰さんと右腕が振り下ろされる。
あと一撃喰らってしまったら、もう立ち上がることは不可能だ。
だが――
「砕けろッ……!」
――暗黒剣・四式『穢』
血刀の切っ先から闇の波動をそそぎこむ。
この技は対象の魔力を奪い取る。
レヴナントの肉体にはまったく意味のない技だが、魔力の結晶である核だけは別だ。
パキンッ……! 魔力を失った核は、脆いガラスのように粉々に砕け散った。
断末魔の雄叫びをあげ、レヴナントが倒れ伏す。
核を失った肉体は元の形を保てず、急速に崩れて溶け――塵へと還っていく。
アンデッドに限らず、モンスターは絶命した際、塵に還って消滅する。
逆に言えば「死体を残さず消滅する存在」がモンスターの定義だった。
「はぁっ、はぁっ……! や、やった……!」
体力も気力も限界。ギリギリだったがどうにか勝てた。
といっても外傷はない。
全身をつつむ闇の鎧は、どんな攻撃を受けても傷つかない。
そのかわり、受けたダメージに応じて僕自身が削られ消耗していく。
幸いなことに、このフロアにはレヴナント以外のモンスターはいないようだ。
「少し休んだら、出口を探さないとな」
僕が安堵してひと息ついた、その瞬間だっだ。
ヴォンッ! 突如、床の全面が暗黒に染まった。
「なっ!? うぁあああああっ……!」
闇に吸いこまれるように、僕の体は落下を開始した。
落ちる、落ちる、落ちていく。
下も闇なら横も闇。気づけば上も闇に閉ざされていた。
落下は果てしなくつづき、闇は際限なく深まっていく。
視界はゼロ。闇の鎧と周囲の闇の境はまったくわからない。
ついには五感すべてが闇に呑まれ、意識までもが遠のいていった。
『――暗黒騎士。まさに呪われた存在だな』
それは頭の中で回想したことなのか、それとも周囲の闇が映しだした光景なのか。
僕は過去の記憶をかいま見た。
暗黒騎士になってから、周囲の人が僕を見る目は一変した。
それまでは空気のような存在だったのに、急に注目されるようになった。
もちろん悪い意味でだ。
『おいおい、勘弁してくれ。その見た目で大して強くないってどういうことだよ?』
騎士団の同僚からは実力不足を蔑まれ、
『なんて恐ろしい風貌だ……。近くにいたらこっちまで呪われそうだぜ』
街の人からは外見だけで避けられ、
『や、やだっ! こっちに来ないで! 近寄らないでぇっ!』
女性からは例外なく蛇蝎のごとく忌み嫌われた。
そのほか、子供は男女問わず姿を見ただけで泣きだしてしまう始末だ。
それらが辛くなかったと言えば嘘になる。
それでも僕は暗黒騎士になったことを後悔していなかった。
なぜなら――
『おお! よいではないか! よく似合っているぞ、ルシス!』
ベアトリス姉さんだけは、それまでと同じように接してくれたからだ。
その言葉にも笑顔にも嘘はなかった。
……そのはずだった。
いつの頃からかなのか、はっきりとはわからない。
だが、いつの間にか姉さんは変わってしまった。
以前の姉さんは明るく、朗らかで、感情表現が豊かで、いたずら好きで、好奇心が旺盛で、なによりも笑顔が素敵な人だった。
それがいまでは、執務室に独りで籠もっていることがほとんどだ。
たまに玉座に姿を見せても、鉄仮面のような無表情を決して崩さない。
王城の人たちは、女王の責務と一国を背負う覚悟が彼女を変えたのだと言う。
僕が原因でないことは確かだ。
暗黒騎士として期待に応えられなかったから、失意のあまり変わってしまったというのは……ありえない。いくらなんでも自惚れがすぎる。
僕に限らず、姉さんは誰に対しても冷淡に振る舞い、必要最低限のことしか話さなくなった。
僕が直接声をかけてもらったのは、もう一年以上も前になる。
それも、
『以後も暗黒騎士の使命を全うするがよい』
という極めて事務的な言葉だった。
そして、行き着いた果てが今回の件だ。
昔のベアトリス姉さんなら、僕の死を望むなんて絶対にありえない。
だが――
今の冷厳の女王・ベアトリス四世なら……正直言ってわからない。
姉さんを信じたい。
性格は別人のように変わってしまっても、心の奥底は昔のままだと信じたかった。
けれど――嗚呼、昔と今、どちらが本当の姉さんなのか僕にはもうわからない。
そして、姉さんを信じきれない自分自身の心が、なによりも誰よりも許せなかった。
闇に落ちる。堕ちていく。深く暗い無明の底へと。