乾杯はホットミルク
途中で休憩を挟みつつ、フィーと他愛のない話をしながら歩くこと早数時間。空は大分赤味がかっており、周囲は薄い赤に染まっていた。
「あ。」
ぼんやりしていて忘れてた。歩みは止めないまま、俺は手探りでベルトに結んでいた細長い布を取り、頭にぐるぐると巻き付ける。巻き付けるとは言っても、だいぶゆるめだが。ずり落ちないように後ろで軽く結んで、完成。
「…どうして突然布を巻いたの?」
「ほら、俺の髪って夜みたいな色だから、暗くなると景色に混ざるんだよ。フードにしても良かったんだけど、不審者に間違えられても困るからね。」
「まあ、面白い事を言うのね。」
予め用意していた言葉を軽い調子で言うと、フィーは自然に笑ってくれた。
嘘を言った訳ではないが、本当の理由は当然そんなことではなく、『星空』を他人に見せないようにする為だ。
「暗くなってきたな。道すがら松明にできそうな枝を探すか。」
「明かりなら、わたしが灯してあげるから大丈夫よ。」
枝が落ちてないかと道端を映していた視界に、にゅっと細い腕が入る。
くるりと手のひらを空に向けると、彼女の手の中に小さな光が二つ生まれた。
光りは意思を持っているかのようにふわりと浮かぶと、くるりと一周周り、一つは俺の顔の傍、もう一つはフィーの傍に飛んできて浮いたままぴたりと動きを止めた。試しに顔を動かしてみると、光は一定距離を保ったままふわふわと追随してくる。それでいて、眩しすぎず目に優しい光で俺の視界と周囲を照らしている。おお、なんて便利な…。
「すごいな、ありがとう。これは便利だ。」
「これくらいならいつでも言って。」
なんてことないように言ったが、彼女が光属性の魔法を使えている事に内心驚いていた。
この世界の魔法について、『火・土・水・風』の四元素魔法については誰でも等しく扱えるものだが、その四元素以外にも実は属性があり、それが『光・闇』の二極属性。どちらともやや珍しいもので、使える人間は確か千人に一人くらいの割合だったか。
光魔法が使える人間は、どこへ行っても非常に重宝される。広い範囲を照らしたり、火の明かりが使えない場所での明かりだったり、更には照明の形にした魔法具に魔法を定着させれば半永久的に使える貴重な照明器具も作れる。
一方、闇属性の魔法については、使える人間だけを見れば光属性魔法の所持者とほぼ変わらないが、できる事が非常に残念な為にこれを活用している人は長い歴史の間でも見たことがない。何せ、できる事と言えば定めた範囲をもやっと暗くするだけ。魔力を多く込めればほぼ完全な暗闇にする事もできるらしいが、それをしてどうなるわけでもない。
…実は俺も闇属性を持ち合わせているが、幼い頃試しにと一度使ったきり、言い伝え通りの残念加減に大層がっかりして以後一度も使ってない。何なら使える事すら忘れかけていた。
「…ナハト、不思議な顔をしてどうしたの?眩しかった?」
あの時のがっかり感を思い出していたら変顔をしてしまっていたらしい。ストレートに変顔と言われなかったのは、彼女の優しさか。
「いや、なんでもない。明かりは解決したから、そろそろ野営できそうな場所でも探そうか。」
「そうね……それなら、あの辺りなんてどうかしら。」
フィーが指をすっと伸ばすと、指先から細い光が生まれ、ある個所を淡く照らす。え、そんな事もできるのか光魔法は。羨ましい…。
そう思いつつ照らされた場所を見ると、ほどよく木々に囲まれて周囲からは見えづらいであろう小さな空間があった。
「あの辺…ああ、あの木々の隙間か。良いと思う。」
なるほど、あそこならある程度安心して寝られるだろう。
好条件の場所を即座に見つけられるとは、彼女が自らを旅の上級者と称したのは嘘ではなかったようだ。
「ついて行くからにはちゃんと役に立つわ。」
心を読まれたのかと思って、思わずどきりとした。顔に出ていただろうか。
「うん、とても助かっている。じゃ、野営準備をしようか。」
フィーはこくりと頷くと、先程照らした場所へすたすた歩いていく。その足取りに疲れはまったく見えない。嘘だろ、俺は数時間歩いただけなのに足が棒になりそうなのだが。子供の頃は体力自慢だった筈なのに、貴族生活でどれだけ衰えてしまったのだろうか。なんか情けないから少しずつ鍛えよう…。
「ナハト、火を起こした方がいい?」
フィーは俺の心の決意などつゆ知らず、さくさくと準備を進めている。やばい、先程から何かしているのは彼女ばかりで、流石に俺何もしてなさすぎる。
「あ、いや、明かりならさっきフィーがつけてくれた光で十分だし、食事用なら俺の簡易コンロを使うからいいかな。」
「それもそうね。」
「…っていうか今更過ぎて申し訳ないけど、フィーは旅道具は揃ってるのか?どう見ても身一つなんだけど…。」
しまった、付いてくる事が決まった時に聞こうとしてたのにすっかり忘れてた!
俺と会った時から、フィーは手荷物の類を一切持っていなかった。まさか身一つで旅してきたとか言わないだろうな。それは流石に野生児が過ぎる。
「だいたいなんでも持っているわ。わたしはこれに入れているから何も持っていないだけよ。」
フィーはとんとん、と右手の中指に嵌っている銀色の指輪を、左手の人差し指で軽く叩いた。
「これに入れてる……ってまさか、その指輪に収納魔法が?」
「そうよ。」
うわ、持ち物までとんでもないなこのひと。
収納魔法が掛けられる対象は道具であれば制限は基本ないに等しいが、安定して且つ大容量で使いたいのであれば、付与する際のイメージが何より大切になる。
どういうことかというと、例えば小さな革袋に付与したとしよう。袋だから当然用途は収納であり、イメージと使用目的が合致している故に付与は安定して掛かる。
けれど、容量に関しては、何倍何十倍にしようとしても、元の袋が小さいから物理的に収まらない量はイメージがし辛く、それに引っ張られて、小さい袋はせいぜい元の容量の2、3倍程度が限界になる。まあ日常で使うのであればその程度で十分役立つので問題はないが。
元々収納機能も大きさもないたかが装身具に収納魔法がきちんと付与されているだけでもやばい代物だが、一体どれくらい入れられるのだろう。聞いてみたいが、怖いからやめとこう。
「あるならいいんだ。確認不足ですまない。晩飯なんだけど、朝食べた野菜の残りでスープと、パンがあるからそれでいい?」
「ナハトは細いのだから、お肉を食べたほうがいいわ。この干し肉あげるから。」
いつの間に取り出したのか、俺に向かって突き出したフィーの手には少し厚めの干し肉が握られていた。
受け取ると、見た目以上に重みがあり、尚且つしっとりしている。うーん、これは間違いなくお高めのやつだ。
「これでも子供の時に比べれば太ったほうなんだけどなぁ。まあ、くれるならありがたく頂くよ。半分ずつ食べよう。」
「遠慮しなくていいのに。」
「流石にこんないいやつを一人で食う程食い意地張ってないよ…。ところで飲み物なんだけど、俺酒が苦手で基本水なんだよね。朝使った白ワインの残りなら少しあるけど、フィーは何が好きなんだ?」
「好き嫌いはないわ。あ、でも、前に美味しいミルクをいただいたことがあるの。ナハトが嫌いでなければこれを飲みましょう。」
フィーの両手にシュン、とガラス瓶が生まれた。中では白い液体が揺れている。願うだけで取り出せるとかすごいな…。って、"前に"って言った?痛んでないよなそれ。
「わたしの収納空間に入れたものは時間経過なしだから痛んでないわ。安心して。」
「…フィーは人の心が読めるのか?」
「あら、どうしたの突然。流石にそんな事はできないわ。」
「何でもない。そうだ、今日は冷えるしホットミルクにして飲もうか。」
「名案ね!わたしは料理ができないから、これを温めるわね。」
え、料理できない人妻っているんだな…。いやこれは失礼か。得手不得手は誰にでもあるよな。
俺は自身の魔法鞄から取り出したコンロの一つを、小さな鍋と共にフィーに渡した。
使い方は知っているようで、彼女は魔法で火を灯すとミルクを鍋に入れて温め始めた。火魔法使えるのいいなぁ。
っと、見ている場合ではない。さっさと野菜スープを作ってしまおうと、もう一つのコンロを取り出した。
鍋に魔法で水を入れ、朝の残りの野菜くずと追加で玉ねぎやキャベツをナイフで適当に切りながら入れる。そして今世間の平民の奥様に大人気だと言う"顆粒調味料"というのを二つまみ程。
なんでも、野菜や肉等の旨味を凝縮して顆粒状にしたものらしく、少し入れるだけで簡単に味がつけられてしかも美味しいらしい。料理初心者にもたいへん有難いものだ。
さて火をつけようと魔石を取り出すと、見計らったかのようにフィーの指先から火が飛んできて、コンロに火が灯る。
「…ナハトは、火の魔法が使えないのね。」
俺が手に持ったままの魔石を見て、フィーはぽつりと呟いた。
「そう、昔からそうなんだよ。やっぱり火魔法は便利だよな。使えないのが悔しい。」
「……土魔法も使えなかったりするの?」
「あ、うん。あれ、俺言ったっけ?」
「いいえ、言ってないわ。なんとなくだから、気にしないで。」
ちゃんと目を見て話す彼女にしては珍しく、何故かそっぽを向かれてしまった。心なしか声が強張っていたような気がしないでもないが、気のせいだったか。
フィーが無言になったので、俺も特に何も言葉を発さず、スープが煮えるのを待った。
* * * * * *
「フィー、野菜スープはできたけど。ミルクは温まった?」
「ええ。少し温めすぎたかも。熱いくらいよ。」
暫し無言の時が流れ、スープが煮えた頃に話しかけると、すぐに明るい声が返ってきた。
マグカップが一つしかない為、俺はこれでいいかと小さいスープ用の皿とカップをフィーに渡そうとすると、フィーは既に自身で持っていたのであろうマグカップ二つにミルクを注いでいる最中だった。
伸ばした手を戻し、とりあえず彼女用にとスープを盛って渡すと、受け取ると同時に似たようなサイズの皿を渡された。料理はできないのに食器は色々持ってるんだな…。
自分用にスープを盛って傍に置くと、フィーはスプーンと俺が出しておいたパンを差し出してきた。受け取ったパンはほんのり温かい。
「少し固くなっていたから、温めたのよ。パンは温めると多少はふわふわに戻るから。」
「そうなんだ、ありがとう。じゃ、準備もできたし頂こう。っと、その前に……フィー、マグカップを持って。」
フィーはきょとんとしつつ、俺の言うとおりにマグカップを持った。
「遅くなったけど、俺たちの出会いと旅の始まりを祝して、乾杯。」
自身が持っているマグカップを、軽く彼女のものにぶつける。かつん、と軽い音が響く。
「……あ、そういうことね!ホットミルクで乾杯だなんて初めてだわ。ふふ、乾杯。」
俺の行動に合点がいったフィーは、ふわりと微笑むと先程の俺と同じ動作をした。
そうして始まった、二人旅の初めての食事は、とても楽しかった。