チーズフォンデュと朝焼け色の少女
肩と腰に痛みを感じて、目が覚めた。
ぼんやりとした視界に映ったのは、豪奢な照明と大理石の天井──ではなく、色褪せた木の天井。
身体を起こしながら辺りを見て、ああそういえば宿屋に泊まったのだったと思い出す。
昨日の昼食の後、勧められたチーズ屋で色々買い込み、どうせならとついでに道具屋だの武具屋だの薬屋だのと町中をぐるぐる回ってこれからの旅に必要な物をひたすら買い漁ったのだ。流石に疲れて、偶然近くにあった宿屋にふらふらと入って手続きもそこそこに速攻で寝た。
薄い敷布の硬いベッドで寝たのは、何年ぶりだろうか。痛む肩の感覚を懐かしいと思える事にほっとしたが、その後すぐにため息が出た。
寝る前に聞いた話なので朧気だが、部屋に案内してくれた人が言うには、ここは町で一番上等な宿屋だという事だった。平民として暮らしていた頃はこれと比べ物にならないくらいもっと硬いベッドで寝ていたはずなのに、この程度で身体が痛むとは、すっかり貴族感覚が染みついてしまっていたようだ。
ベッドから出て少し身体を動かしてほぐしてから出立の準備をし、忘れ物がない事を確認して宿屋を出た。
見送ってくれた宿屋の主人が、軽い朝食くらいなら用意するよと言ってくれたが、どうしても食べたいものがあった俺は丁重に断った。
町で一番大きい通りに行くと、まだ早朝と言える時間帯にも関わらず、にぎやかな声が響いていた。
「さっき収穫したばかりの新鮮野菜だよ!安くするから見てっておくれ!」
「こっちも今朝捕ったばかりの生きのいい魚がたくさんあるぜ!ほら奥さん、買った買った!」
寝ている人もまだいる時間帯ではあるが、響く声は決して嫌なものではなく、明るい活気に満ち溢れている。そんな光景につい笑みが零れるも、いや俺もこの人混みに入らねば目的のものが買えないのだと気づいてしまい、すぐ真顔に戻った。
買う予定のものは予め決めておいたので、より注目を集めようと声を張る店主達の言葉を頼りに、人混みに酔いつつもなんとか目的は達成できたのだった。……うっ、気持ち悪い。
* * * * * *
「…はあ、空気がうまい。」
買ったものをすべて魔法鞄(貴族時代に唯一ワガママ言って買ってもらった収納用マジックアイテム、容量はほぼほぼ無制限。値段は思い出したくない)に詰め込み、俺は町を出ていた。
これからは地図を見つつ気ままに歩いて行こうと思っているが、その前にようやく食べたかったものを作り始める事にした。あまり開けっ広げな所で飯を作るのは流石に憚られたので、町のすぐ隣にある林の手前で、使う道具と材料を出す。
簡易コンロ(魔法・魔石対応)×2、小鍋×2、皿類、フォーク、チーズ(2種類)、白ワイン、調味料類、バゲット、厚切りベーコン、野菜…etc。
俺が作ろうとしているのは、溶かしたチーズに色々な具材をつけて食べる『チーズフォンデュ』という料理だ。チーズを買った際に、オススメの食べ方だと店主が教えてくれた。……二日連続でチーズ食ってるが、気にしない!美味しいものは連続で食べても美味しいのだから!
簡易コンロに火の魔石をセットすると、少し待てば魔石がぼんやりと光り出し、やがて熱を帯びる。魔力の多い少ないに関わらず誰でも使える便利アイテムだ。──けれど、わざわざ別売りの魔石でこれ使っている人間はほとんどいない。
何故かというと、この世界の人間は普通、『火・土・風・水』の四元素魔法をすべて使えるはずだからである。
勿論、すべて使えるとは言っても、大多数の人間は生活に役立つ程度のちっぽけな魔法程度だ。飲み水位の量を出したり、コンロに火をつけたり、洗濯物を乾かしたり、家庭菜園程度の小さな面積を畑にしたり。
魔力が多ければできる程度も上がるが、そうなるには厳しい修行や勉強が必要だと聞く。ちなみに四元素魔法をすべて人間のできる限界まで極める事ができれば、『賢者』の称号を与えられるらしい。
話が逸れたが、それで何故俺が魔石を必要としているかと言うと、俺には火の魔法が使えないからだ。
もっと細かく言うと、俺は小さな頃から『火・土』の魔法がひとつも使えない。魔力自体はかなりあるほうだと鑑定されたにも関わらず、だ。
よっぽど相性が悪いのか何なのか、理由までは判明しなかったが、使えないものは仕方がない。
代わりにというべきなのか、『水・風』の魔法はこの辺では上回る者を見たことがないくらいには高度な魔法が使える。昔、水魔法でドラゴンを作って見せたら両親が腰を抜かしたっけ。
あともう一つ。これは両親にさえ内緒にしていたのだが、俺は『氷』属性の魔法が使えた。
氷属性の魔法なんて聞いたことがなかったし、周りを見ても使えるどころか魔法の話をしても話題にさえ挙がらなかった事から、これは言ったらマズイのではと思い、黙っていた。
髪といい魔法といい、普通の人とは違う特徴がある自分は一体何者なのだろうか、と時折考えてしまう。
いずれ、旅をしながら俺自身が持っているいくつかの謎についても調べようとは思っている。
「……っと、また思考にふけってしまった。作ろう。」
いつの間にか早朝の爽やかな時間帯は去り、明るい陽射しが降り注いでいた。
慌ててチーズの塊を手に取り、切るのが面倒だったので指でもそもそと千切ってやや深めの皿に入れ、小麦粉を入れて混ぜる。
「えーと、まずワインを温めつつ細かくしたチーズと小麦粉を混ぜて……ワインがふつふつしてきたらチーズを入れて、とろみが出るまで混ぜる。」
教えてもらった調理法を思い出しながら、その通りに手を動かした。
正直料理らしい料理はしたことがないため、こんな簡単な作業でも緊張している俺がいる。
チーズの鍋が焦げないように気をつけつつ、一口サイズに切ったジャガイモとブロッコリー、ニンジンを面倒なのでまとめて茹でる。ミニトマトはそのまま。バゲットも小さく切り、ベーコンは切ってから火の魔石の上で軽く炙った。……うわあ良い匂い。早く食べたい。
「準備できた具材を全部ひとまとめにして…よっし、完成!」
特に失敗もせず(失敗のしようがないとも言う)、上出来だ。さて存分に食うぞ!
「まずはバゲットから、っと。」
フォークに刺したバゲットで、とろりとしたチーズを絡めてすくう。この光景だけでもうご馳走様ですって感じがする。いや食べるけど。
チーズが垂れないように気を付けつつ、少し冷ましてから口に入れる。入れた途端に広がる香りと美味さに、思わず小さくガッツポーズをした。これは美味い。教えてくれてありがとうチーズ屋の店主!
一度食べたら止まらなくなり、無心で色々つけては食べつけては食べ、を繰り返した。
そうして少し経った時、ある違和感を覚える。
視界の端に、今までなかった何かがいた。
え、もしかして匂いで熊でもおびき寄せてしまっただろうかと恐る恐る首を動かすと、ぱちりと目があった。それは俺を見てこてりと首を傾げてから、にこっと可愛らしく笑った。
「ねえ、とても良い匂いね。わたしにも少しだけ頂戴。」
隣でしゃがんだまま俺を見上げていたのは、一人の少女だった。どこから来たのだろうか。いくら食べるのに夢中だったとはいえ、人が歩いてきたなら音や気配でわかるはずなのに、一切気付かなかった。
少しの警戒心を抱きつつ、少女を観察する。
背中まである長い髪は白に近い淡い水色で、毛先が薄い橙に染まっている。なんというか、朝焼けの空みたいな色だ。大きな瞳は眩い金色。鋭くはなく、はちみつのような柔らかい光を放っていた。
着ているのは白が基調のワンピースっぽい服だけで、武器を持っているようには見えない。稀に現れるという"人外"かと疑ったが、顔も瞳も耳も身体も、全部人間と同じだ。
「……いっこでいいのよ。だめ?」
答えない俺にしびれを切らしたのか、眉を下げて少女はぽつりと呟いた。顔立ちは幼く見えるが、話し方はどこか大人びている、不思議な子だ。
「……いえ、失礼しました。俺は大分食べたので、残りは好きに食べていただいて構いませんよ。」
なんとか答えると、手に持っていたフォークを渡す。本当は別のフォークを渡したほうが良いと思うのだが、生憎一人旅である。一本しか持っていない。彼女が気にしない性格だと良いが…。
そんな心配をよそに、少女は手に持ったフォークを見てぱっと目を輝かせ、さっそく具材を選び始めた。
「美味しい!チーズにはこんな食べ方もあるのね。初めて知ったわ!」
気に入ったのだろう。少女はぱくぱくと嬉しそうに食べ、やがて残りを全部食べつくした。
ワンピースの裾で口を拭こうとしていたので、慌てて止め、ハンカチを差し出す。俺のハンカチで口を拭いてから、少女は身体ごと俺に向き直った。
「ごちそうさま!とても美味しかったわ!ありがとう!」
「どういたしまして。……で、そろそろあなたが誰か伺っても?」
「そんな畏まった話し方をしなくてもいいのよ。」
少女は楽しそうに笑う。見た目なら俺より3つか4つ程下に見えるのだが、雰囲気が全然違う。つい、大人向け対応な口調になってしまう。
「えーと、じゃあ……君の名前は?」
「──アルバフィーリア。長いから、フィーと呼んで。」
「わかった。俺はナハト。ただの旅人だけど……フィーはどうしてここに?」
少女改めフィーは、先ほどの楽しそうな笑顔から一転、寂しそうな…けれど愛おしい者を見つめるような、複雑な表情をした。
「わたしね、ずっと探しているの。……とても大切な、世界で一番愛おしいひとを。」
探し人に宛てた表情だと理解しているのに、それは俺に向けられたようにも思えて、つきりと胸が痛んだ。
陽の光を受けて輝く彼女の瞳から、暫くの間、目を離す事ができなかった。