35 邪魔者は蹴られろ
甘
「……ヒース、何か魔法でも使っている?」
「もちろん。カティアが俺のことを一人の男として好きになるように……って魔法を掛けているよ」
――ただし、ずっとずっと、ね。
ふうっと耳元で囁かれ、ついつい甲高い声を上げてしまう。あ、私すごい。こんなに女らしい悲鳴を上げることができたんだな。
「ちょっと、ヒース……!」
「カティア。俺には何もないんだ。帰る場所も、家族も、何もない。君に捧げられるのも、この身一つしかない」
私の手を握る彼の手が少しずれ、指と指が絡み合うように握り合わされた。
「それでも、俺は世界の誰よりも君のことが大切だ。俺にできることならなんでもしたいし、強がりな君をたくさん甘やかしたい。そして同時に――何もない俺の心を支える存在になってほしい」
祈るような静かな声で、ヒースは思いを告げてくる。
私にしてくれること、私にしてほしいことを赤裸々に明かしてくれる。
……故郷や家族を失い、絶望に暮れていたヒース。そんなヒースは私が子どもの頃から見守り、私が身を滅ぼさないように尽くし、そして今は私が不自由なく過ごせるよう心を砕いてくれている。
『カティアはヒースさんのことをどう思っているんですか?』
……今なら、あのときのエイリーの質問にちゃんと答えられそうだ。
「……私のことを、大切に思ってくれるの?」
言葉を選びながらゆっくり尋ねると、ヒースは笑顔で「もちろん」と答える。
「私、どう足掻いても脳筋だよ」
「元気なのはいいことだよ。君の剣技もほれぼれするくらい美しいし」
「私、ゴリゴリマッチョとまではいかずともあんまり女らしくないよ」
「そう? 脚はすらっとしているしいつも背筋が伸びていて、とても魅力的だよ」
「私、これからもヒースをこき使うよ」
「うん、どんどん使って」
「……私、ヒースのことが手放せなくなって、ずるずる甘えちゃうよ」
ほんの少し、胸の奥で甘くときめく感情。
それにぐるぐると布を巻いて遠回しにヒースに差し出すと、彼は全てを理解しているような淡い笑みを浮かべて小首を傾げた。
「大歓迎だ。俺も、いつも頑張る君をたくさん甘やかしたいんだ。それは俺だけの特権にしたいし、君が幸せになれるようたくさん尽くしたい」
「……馬鹿」
「そうだね、君のことになると俺は馬鹿になってしまうよ」
「本当に……馬鹿。でも、好き」
最後の一言は、まあ聞こえなくてもいいか、ってくらいの声音で付け加え、ごすっとヒースの胸に頭突きを食らわせた。ヒースは「うっ」と小さくうめいたけれどすぐに私の手を離し、私の腰を支えてすっと立ち上がった。
「……本当? 俺のこと、好きになってくれる?」
「っ……なってくれるんじゃなくて、もう既に十分好きだっての! 何度も言わせるなっ!」
「ああ、カティア!」
とたん、ヒースは私の腰を支えてぐるんと回転した。あ、これってまさか――
「君は最高だ、カティア! 俺も君のこと、大好きだよ!」
「ひっ……ひえぇぇぇ!?」
キラキラと眩しい笑顔を振りまきながら、ヒースは私を抱えてぐるんぐるん回り始めた。
こ、これは子どもの頃に読んだ絵本に出てきたシチュエーションでは……!?
「カティア、カティア。俺のことを好きになってくれて、ありがとう!」
「わ、分かった分かった! もう十分分かったから。下ろして!」
「そう?」
回っている本人は楽しいんだろうけれど、回されている方は焦る一方だ。でもヒースは私のお願いをすぐに聞き入れ、床に下ろしてくれた。いきなり回転を止めずにゆっくり速度を落とし、そっと下ろしてくれたヒースはやっぱり気遣い上手だ。……今はちょっと、羽目を外してしまったみたいだけど。
「ヒースがこんなにはしゃぐとは思っていなかった……」
「ごめん、すっごく嬉しくて。……ねえ、カティア」
まだちょっとだけくらくらする頭を抱えていると、ヒースの右手がそっと頬に触れてきた。絹の手袋越しに、彼の体温を感じる。
「俺に、拠り所を与えてくれてありがとう。……迷ったこともあったけれど、この世界の人間として生まれ変わることができて、よかった」
「ヒース……」
「好きだ……ううん、愛している」
ヒースの灰色の目が、情熱を孕んでいる。いつもよりちょっとだけ危険な光を放っているように見えるのは……気のせいかな。
でも私は彼の瞳の誘惑にあらがうことなく、そっと身を寄せた。ヒースの左手が私の腰を抱き寄せ、右手が私の頬を滑って下唇にそっと触れてくる。
「愛している」……それは、諦めながらも心の奥底では欲していた言葉。
勇者だから、脳筋だから、女らしくないから、と自分に言い聞かせながらも憧れていた言葉。
私が望むものを惜しみなく与えてくれるヒース。
私を思い、肯定してくれるヒース。
ずっとずっと私を見守り、支え、守ってくれたヒース。
「カティア……目を閉じて」
「……ん」
低く掠れた声に命じられるまま、私はまぶたを閉ざした。これまでのどの戦いでも感じたことがないほど胸は激しく高鳴っていて、耳の奥で流れる激しい血潮の流れをはっきり感じる。
唇に、吐息が掛かった。
間近でヒースが私の名を囁き、充足感と幸福感で胸がいっぱいになって――
「……ケイトリン! ここか!」
バァン、と叩き開けられるドア。二度と聞きたくないと思っていた声。本当に貴様は、ドアをノックする、ということを勉強するべきだ。
嫌な予感しかしなくて私は目を開いたけれどあいにく、ヒースがドアに背を向けるように立っているので私の位置からだとその向こうの様子が見えない。でも、だいたいの予想は付いていた。
「おい、魔王。ケイトリンに何をしている!?」
「……うるさいのが来たなぁ」
はぁ、と嘆息するヒース。さっきまではとろとろに甘い眼差しで私を見ていたその目が、今はなんというか、とろとろからギラギラに変わって横目でドアの方を見やっている。どれどれ、と思って首を伸ばそうとしたけれど、「見なくていいよ」と優しく肩を押さえられた。わあ、ヒース紳士。
「何をしに来たんだ。俺たちは見てのとおり、取り込み中だ」
ヒースは不機嫌丸出しの声で言っているけれど……取り込み中……うん、そうだね……間違っていないよね。なんだろう、さっきまでは雰囲気に飲まれていたけれど、今になって妙に恥ずかしくなってくる。
「取り込み中? そこにいるのは私の婚約者だ」
「俺の聞いた情報によると、一年以上前にフラれたんじゃないのか」
「い、一度は双方の合意があって解消したが、私は十年間ケイトリンのことを想っている! ぽっと出の魔王にくれてやる筋合いはない!」
「でもさっき、カティアを今度こそ始末しろとか俺に命じなかった?」
「き、気のせいだ!」
照れるやら焦るやらで忙しい私をよそに、男たちは不毛な会話を交わしていた。というかクソ野郎、陛下に叱られたんじゃないの? 身分剥奪じゃないの? んん?
「ケイトリン! 今からでも遅くないから、私のところに戻ってくるんだ!」
「ないわぁ」
「なっ! お、おまえは分かっているのか!? そこにいる魔王はおまえを殺そうとしていたのだし、そもそもおまえは『破壊の――』」
「カティア、もう一回ぐるぐる回ってもいい?」
キャンキャン吠えるクソ野郎の言葉を完全にスルーし、ヒースはふわっと微笑んで私を見つめてきた。ぐるぐる回るってさっきの――あっ。
「……もしかして、そういうこと?」
「そういうこと」
ヒースの意図を察してにやりと笑うと、ヒースもにやっと笑い返した。うわー、ヒースのこんな笑顔、初めて見たかも。新鮮で素敵だ。
ヒースが私の腰を支え、くるんと回転する。私も今回は抵抗したり叫んだりせず、ヒースの力に身を預け体をしならせた。
「お、おい! 何をしている、おまえた――」
「行くよ、カティア!」
「うん、ばしっとやっちゃって!」
私は満面の笑みで頷き、ヒースは勢いをつけて私の体を振り回し――ぱっと、手を離した。
ヒースの手を離れ、私の体が吹っ飛んでいく。さすがヒース、器用でコントロール抜群の彼が私を放り投げた先にいるのは――
「――はっ!?」
「吹っ飛べ、このクソ野郎ーーーーーーー!」
きっとこのときの私の顔は、人生最大級に輝いていたことだろう。
ヒースが投げた私の蹴りは見事、ドアの前に棒立ちになっていたクソ野郎の顔面に命中した。「急所回避」魔法を掛けてやったことには、感謝するといい。
それでも、魔王と勇者のタッグを食らったクソ野郎は怪鳥じみた悲鳴を上げて吹っ飛び、ごすん、と廊下の反対側の壁にめり込んだ。す、すごい。人間ってその気になれば本当に、頭から壁にめり込むんだ! きっとヒースが壁に細工してくれたんだね、いい感じのめりこみ具合だ。
私はすたっと床に着地し、仰向けに頭から壁に突っ込んだままぴくりともしないクソ野郎を見てふふん、と笑ってやった。
「……なかなかいい眺めね。このまま刺さった状態にしていたらオブジェにもなるんじゃない?」
「城の品格が下がりそうなオブジェだけどね。……念のために聞くけれど、死んでないよね?」
「死んでない。『急所回避』魔法を掛けたら絶対に命は奪えないんだ」
峰打ちなどを必要とする際には絶対に使っている「急所回避」魔法。その効果はお墨付きだ。……まあ、ちょっと顔の形が変わってしまったと思うけれど、私の方から重罰化のお願いをしてもいいって言われていたし、大丈夫だよね?
さすがに騒ぎを聞きつけたらしい兵士たちがバタバタと集まってきたけれど、肩を寄せ合って並ぶ私たちを見、壁に突き刺さって手足をぶらぶらさせているクソ野郎を見、全てを察したように肩を落としていた。
「カティア様。その……陛下がお呼びです。ヒース様もご一緒に」
「あ、分かった。じゃあ、行こうかヒース」
「そうだね」
歩きだそうとすると、ごく自然にヒースの手が私の手を握ってきた。
……躊躇うことはない。
私も彼の手を握り返し、二人並んで歩き出したのだった。
ダイナミックざまぁ




