31 クソはどこまでもクソ
――がんばって、つよくなるね。
――つよくなったら、みんなわたしをみとめてくれるかな。
――私は、期待されているんだ。
――私が頑張れば、皆が喜ぶ。私もきっと、幸せになれる。
そう信じていた。
だって、私は勇者だから。
魔王を倒す力を生まれながらに持っている人間なのだから。
「……わたし、が?」
声が、出ない。
やけにクソ野郎の顔ばかりがデカデカと目に映っていて、耳の奥でわんわんと不快な音がこだましている。
「そう。魔王の正体は、おまえの暴走を止めるべく神より遣わされた英雄――言うなら、魔王こそ我々の救世主、勇者なのだ」
「……そんなの、一度も聞いたことがない!」
「私だって苦労してこの情報を得たのだ。誰も知らなくて当然だろう」
苦労したのは貴様じゃなくてそこでにやにや笑っている腐れ坊主だろう、という皮肉を言う気力もない。
「放っておけば、おまえは常人離れした魔力を爆発させてこの世界を滅ぼしてしまう――歴代の『勇者と呼ばれた者たち』も同じだ。約百年に一度、この世界の膨大な魔力を有して生まれてしまう『破壊の子』。それを止めるために神が異世界より招いたのが、『魔王と呼ばれた者たち』なのだ」
「嘘だ!」
「嘘ではない! 『勇者の歩んだ奇跡と、神の御言葉・神託』は嘘をつかん! 異世界の使者は神の指示を受けて、おまえたちのおぞましい魔力に耐えうるだけの魔力を授かる。そうして準備が整い次第おまえたちを魔王の城に向かわせ、死闘を繰り広げさせる。使者との戦いで勇者は力を消耗させ、暴発を防ぐことができるのだ」
なんだ、その話は。
笑い飛ばしてやりたい。「ふざけんなこのクソ王子」と顔面を殴り飛ばして骨まで砕いてやりたい。
でも、それができないのは――クソ野郎の言葉の一つ一つに納得がいってしまうからだった。
魔王だったヒース。
魔王時代の彼は、これでもかというほどおぞましい見た目をしていた。おかげで私は思う存分戦うことができた。
人間に「なった」ヒースは、やけに理性的で家事も万能だった。「神官に教わった」と言っていたけれど、それにしては慣れていた。
ヒースの髪は、この国では珍しいきれいな金色だった。そういうもんかとも思っていたけれど、ひょっとしたら彼はもともとあの髪の色だったんじゃないか。
ヒースは、文字の読み書きはできないけれど、計算はほぼ完璧だった。「数字の方が簡単」と言っていたけれど、一年間訓練した程度で学習できる内容じゃなかった。
あの夜、ヒースは「カティアが人間に殺される夢を見た」と言っていた。ヒースは――全てを、知っていたんじゃないのか?
彼と一緒に暮らした二ヶ月。その途中で「変だな」と思っていたことのほぼ全てが、クソ野郎の説明で納得がいってしまう。
とどめは、喧嘩してしまったときの彼の台詞。
『君は、勇者じゃないんだ!』
……ヒースは、私の暴走を止めるために神に遣わされた異世界の住人。
彼は人間に「なった」のではなく、元から異世界の人間「だった」。
そしてこの世界を滅ぼす運命だった「破壊の子」とやらはヒースではなく――
言葉を失った私を満足そうに見つめ、クソ野郎は歌うように言う。
「いや、しかし有益な話が聞けたものだ。神はおそらくおまえを救うために真実のみ高位神官に伝え、それをねじ曲げた『勇者伝説』として世に広めるよう指示したのだろうが……自分がこの世界でもっとも憎まれるべき存在だと知って、どうだ?」
「っ……このクソ野郎――!」
「……は、はは。偉そうな口を叩けるのもここまでだ。よいのか? 私が真実を国民に広めることもできるのだぞ?」
勇者伝説は、嘘でした。
ここにいるケイトリンは勇者ではなく、世界を破壊させる魔王でした。
「……そんなの、信じる方が阿呆だと言われるに決まっている。実際魔王は滅んでいるのだし、愚か者の戯れ言だと思われるに決まっている!」
「そうか? だが人の心とは操りやすいもの。疑う者が大半だとしても、信じる者も必ずいる。……この一年間どこでどうやって暮らしてきたのかは知らないが、おまえの馬鹿力の理由が分かってもなお、これまでどおり接してくれる人がどれほどいるだろうかな?」
「あ……」
その時、脳裏を過ぎったのはファブルの町の皆の顔。
ギルドの皆、町の皆、エイリーたちの顔。
私の正体が勇者だと知れば、それはそれは驚くだろう。
でも、この人間離れした魔力が本来、この世界を滅ぼすための力だったのだと知ると――皆は、私を「カティア」として見てくれるのか?
他の国民は、世の人は、私をただの女だと思ってくれるのか?
――化け物。
そんな言葉には慣れているはずだった。でも、脳筋と言われようとゴリラ女だと言われようと鼻で笑い飛ばせていたのは、それが真実でないと思っていたから。
私は勇者。私はちょっと特殊な使命を授かっただけの女。そう思っていたから、強くいられた。
でも、真実はそうじゃない。
私は――ヒースが現れなかったら、この世界を滅ぼしていたかもしれない――
「……辛いだろう? 親しくしていた者に避けられるのは怖いだろう?」
顔を覗き込んでクソ野郎が囁いてくる。すごく、ぶっ飛ばしたい顔だ。
「だが、私の妃になるならおまえの名誉を守ってやろう。……なに、子さえ産めば父上も疑わないだろう。おまえ、結婚して子どもを産むことに憧れていただろう? 真実を知られれば、その夢もきっと叶わなくなるが、いいのか?」
……この男は、本当に、どこまで、私のことを馬鹿にしているんだ……!
確かに、そんなことを語ったこともある。クソ野郎と婚約して、いつかこいつの妃になるのだと夢見ていた頃は、「魔王を倒したら結婚してください。私、ラルフ様の子どもをたくさん産みたいんです」って言ったこともあったっけ。……くそっ、黒歴史だ!
そしてそんな黒歴史をわざわざ引っ張り出して、私を脅す材料にするためにぺらぺらと話すこいつは、本当に救いようのないクズだ、間違いなくクズだ!
「っ……ふざけんな! そんなのに私は踊らされない!」
「はぁ……本当におまえはいつまで経っても脳筋だな。……そら」
面倒くさそうな顔で、クソ野郎が腐れ坊主にあごをしゃくってみせた。すると神官は頷いて、私に手のひらを向ける。
……まずい、これ、魔法だ――!
「おやめなさい、勇者ケイトリン様。あなたは魔法への抵抗力が弱いのでしょう?」
言うが早いか、私の体が見えない縄で締め付けられたかのように拘束され、立ち上がろうとしていた私は不格好な姿勢のままソファに尻餅をついてしまう。こいつ、神殿を蔑ろにしているから洗礼時の誓いもお構いなしってことか――!
「くっ……この、外道……!」
「私の妃になるのなら、もう少し言葉を選んだ方がよいぞ?」
「黙れっ!」
私の叫びに動じた様子もなく、クソ野郎の手が私の方に伸びて魔物の爪のような指先であごを掬われた。……ぞっとする。触れるな!
「観念しろ。おまえを愛するつもりは一切ないが、王族のつとめとして抱いてはやるから、感謝するんだな」
「おまえに抱かれるくらいなら城をぶっ壊して舌を噛んで死んだ方がましだ、くそったれ」
「っ……所詮は獣か。一度、痛い目に遭わないと理解できないようだな」




