30 勝機
待つこと、しばらく。
「……ああ、ケイトリン! 会いたかったぞ、私の愛しい人!」
ノックも入室の挨拶もなくばーんとドアが開く。そこに立っているのは、ああ、オヒサシブリデスーな野郎だった。
鳶色の髪に青の目。黙っていれば美青年、口を開けばクソ野郎。その名もラルフ。
私が三白眼でぼりぼりと脹ら脛を掻いていると、クソ野郎はきらっと歯を輝かせて笑うとこっちにやってきた。
「元気そうで何よりだよ、ケイトリン。しばらく見ないうちにますます美しくなったね」
「ア、ソリャドウモー」
「一年間、私が守ってやれなくてすまなかった。これからはずっと一緒だ」
守るも何もあんたは胸の大きな公爵令嬢とイチャイチャやってたんでしょ。
と言いたいけれど、今すぐ喧嘩を売るのは得策ではないと思ってぐっと言葉を飲み込む。
「君と一緒」……ヒースに言われたこともあるけれど、言う人が違えばこれほどまで印象が変わるんだなぁ。
私の反応が薄いのをどう思っているのかは分からないけれど、クソ野郎は私の向かいのソファに座って微笑んだ。あー、同じ微笑みでも私はヒースの笑顔の方が好きだわ。この人の笑顔はなんか、こう、やばそう。というかもう生理的に無理だわ。
「一年前は、君も魔王討伐直後で焦っていたんだろう。でも、これから時間は無限にある。また、婚約者として頑張っていこう。私も君にふさわしいような王子、そして――王太子となるから、いずれ共にクレイ王国を治めてゆこうではないか」
クソ野郎はきらきらの笑顔で迫ってくるけど、顔を寄せるな。可愛くないから首を傾げるな。
反射的に顔をしかめて彼と距離を取り、私は息を吸った。
「お言葉ですが。私はあなたの婚約者の立場に戻るためではなく、きっぱりお断りするために来たのです」
「断る? どうして君が私との婚姻を断るというのだ?」
本当に分からないらしく、きょとんと目を瞬かせている。
……ああ、これはもう嘘をつく必要もないな。
「私、知ってます。ラルフ様は私のことを不細工な脳筋だとお思いで、麗しい公爵令嬢と既に枕を交わされているのでしょう?」
ふん、と鼻を鳴らせて暴露してやると、部屋の隅に控えていた侍女と騎士がさすがにぎょっとしたようにこっちを見てきていた。これは、「それを言うな!」という意味なのか、「そんなの初耳だ!」の意味なのか……。
クソ野郎も私の言葉に衝撃を受けたようで、しばし「あ」とか「え」とか意味をなさない言葉を連発していた。おお、おお、いい気味だ!
「もともとこの婚姻は私の我が儘によって成立しました。長い間、ラルフ様に望まぬ婚約関係を結ばせていたこと、心よりお詫びします。ということで、私のことはすっぱり忘れてどうぞ美しい恋人と結ばれてくださいな」
「……。……き、君は何か勘違いしているようだね。私は君以外の女性と寝たことなんて一度もない」
「いや、一年前の夜会でご友人の前でそう言ってませんでした?」
「……お、おまえ、盗み聞きしていたんだな!」
「しました。ということは、認めるんですね」
ついついカッとなって口を滑らせてしまったようだ。クソ野郎ははっとして後ろを振り返るけれど――あっ、騎士と侍女に目を逸らされた。
クソ野郎は悔しそうに唇を噛み、どかっとソファに座り直す。おや、だいぶ素の姿になっているみたいだな。
「……それは、昔のことだ。今は君のことだけを愛している」
「あ、さては胸の大きなご令嬢に逃げられましたか? 王太子になれないなら必要ない、とか言われて」
「なぜそれを!?」
「あ、すみません。当てずっぽうです」
殺人的な眼差しを向けられるけれど、けろっとしてやる。脳筋だってたまには相手を言いくるめられるんだ!
「私に逃げられたとなると王太子位をライアン様に奪われてしまいますもんね、そりゃあ焦りますわ」
「だ、誰からそれを聞いた!?」
「あ、すみません、当てずっぽうです」
……この人、昔は格好良くて頭のいい人だと思っていたけれど、私ごときにこうもたやすく言いくるめられるようじゃ、まずいんじゃないの? 陛下がこの人に王位継承したがらないのも当然だ。昔はここまでうっかりじゃなかったと思うんだけどなぁ。
けろっとした私の態度が腹に据えかねたのか、クソ野郎は唇の端を曲げて私を睨み付けてきた。ああ、被っていた猫ちゃん、さようなら。
「ライアン様に王太子位を譲りたくない。でも、このままだと廃嫡されるかもしれない。だから箔を付けるために、勇者ケイトリンを娶ってやろう。でもおおっぴらに事を進めると陛下に見限られるから、ギルドにだけ私の指名手配書を配らせよう――こんなところですか?」
「……」
「申し訳ありませんが、私は今、一般市民として幸せに暮らしております。あなたの花嫁に憧れていたのは遠い昔の話。……お分かりいただけましたか?」
クソ野郎は何も言わない。
これはもう一押しかな、と思っていたら――
「……ふ、ふふ。私が何の作戦もなく、おまえを呼び出すとでも思ったか?」
「今の今までやられっぱなしだったくせに?」
「黙れ! ……おい、おまえ。あいつを連れてこい!」
振り返ったクソ野郎に命じられ、騎士が一礼して部屋を出て行った。この様子からして……騎士はクソ野郎の正体を知っていた、青い顔の侍女長は知らなかったから当惑している、ってところかな。
騎士はすぐに戻ってきた。彼に伴われてきたのは、私をここまで連行してきたあの青年神官だった。ようお久しぶり生臭坊主。
「お連れしました」
「ご苦労。……この男は私の忠実なる部下だ。閉鎖的な神殿の在り方に常々疑問を抱いており、私に協力してくれることになった」
「はぁ」
「それで、だ。……神殿関係者である彼はある日、大変興味深い書物の写しを私に見せてくれたのだ」
興味深い書物って……それ、持ち出し厳禁の禁書じゃないの? この腐れ坊主、神殿の決まりをどこまで破るつもりなんだ!
でも、私の驚きはそこでは留まらなかった。神官は進み出ると、笑顔で会釈した。
「どうもこんにちは、ケイトリン様。わたくしはですね、ラルフ殿下のお力になるべく神殿の知識を殿下にお伝えしているのでございます。先日わたくしは、『勇者の歩んだ奇跡と、神の御言葉・神託』という書物を読む機会に恵まれまして」
「はっ……?」
絶句した。
「勇者の歩んだ奇跡と、神の御言葉」とは、勇者関連の神の言葉を一般向けに記したメジャーな書物だ。王都に住む者なら子どもでも一度は読んだことのある本で、私が初めて一人で読破できた本でもある。
でも、「勇者の歩んだ奇跡と、神の御言葉・神託」は違う。これは、神の言葉を聞くことができるという最高位の神官の直筆、まさに「神の言葉をそのまま記した書物」なんだ。
神殿の神官でも一握りの者しか閲覧を許されないという書物を、この冴えない神官が読んだということは――
「……禁書部屋に侵入したのか」
「いえいえ、わたくしめは崇高なる使命に則り、この命を懸けて書物を閲覧したのみでございます」
命を懸けたにしろ犯罪じゃないか! この腐れ坊主、手遅れだ!
腐れ神官は笑顔を絶やすことなく言葉を続ける。
「それでですね、わたくしはその書物から非常に興味深い内容を読み取ったのです。それは、勇者と魔王の真実に関する記述でございます」
「私たちの真実?」
真実も何も、伝承が全てだ。
――百年に一度ほどの割合で、この世界のひずみより魔王が誕生する。魔王はいずれ、この世界を破壊し尽くすだろう。
神は魔王を倒すため、勇者を選び出す。勇者の使命を受けた子は高い魔力を要しているため、神殿は勇者を捜し出し、教育する。そうして心身とも成長したならば、魔王討伐の旅に出るのである。
子どもでも知っている、勇者伝説。私の前の勇者も、もう一つ前の勇者も、さらにその前の代の勇者も、同じようにして魔王を倒してきた。
それが真実じゃないの?
それまでは神官がしゃべっていたけれど、そわそわしていた様子のクソ野郎が「続きは私が話す」と口を挟んできた。こいつ、ただ単に自分がしゃべりたいだけだろう。
「……私は知ったのだよ。世に伝えられている勇者伝説は、真実ではない。これは神によってねじ曲げられており――真実は、真逆なのだ」
「まぎゃく?」
真実は、逆。
それは、つまり?
私は、ヒースは――
にやり、とクソ野郎の唇が弧を描く。
「……この世界を滅ぼす力を持って生まれたのは、魔王ではない。おまえなのだよ、『勇者ケイトリン』」
それは、勝利を確信した者の笑みだった。




