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3  一撃では無理です、四撃必要です

 ――ぴちょん、と滴がどこからか降ってきたため、私は顔を上げる。


 昨日雨が降ったばかりだからか、辺りの空気はしっとりしていて、泥と草木の香りがはっきりしている。顔を上げると、すっきりと晴れた初秋の空が広がっていた。視界の端っこに、先端に雨の滴を含んだ木の枝が映っている。さっき私のつむじに滴を落としてきた犯人は、こいつのようだ。


 指先で木の枝の滴を弾き、少しぬかるんだ道を歩く。もう二ヵ月もすれば秋も深まり、今は青々としている木々も紅葉してくる。私はまだこの地域の秋を過ごしたことがないけれど、足元が赤や黄色、オレンジ色の落ち葉で埋まってパッチワークのような光景になってさぞ美しいそうだ。ただ、乾燥した落ち葉を踏むとどうしても音を立ててしまうので――


 さくっ、と私のブーツが地面を踏みしめると同時に、どこからともなく低いうなり声が響いてきた。

 足元を見ていた私は顔を上げ、腰から下げた剣を鞘から抜く。男性用より若干刃渡りが短くて軽量に加工されているそれとは一年程度の付き合いだけれど、私にとってかけがえのない相棒だ。グリップ部分は布を巻いて形を調節していて、血や汗、油を吸ってほどよくしんなりしているから握りやすい。


 それを構え、私は「聴力強化」「視力強化」の魔法を同時に使う。魔法といっても、多くの人のように文言を詠唱する必要はない。身体強化魔法に特化している私は、たいていの魔法を詠唱なしで発動させられるんだ。


 とたん、それまでは微かに聞こえるだけだった葉のこすれる音や獣のうなり声がはっきり耳に届き、うっそうとした木立の奥まで見通すことができた。敵は――四体。前方に一一匹と後方に三匹――なるほど。前方を囮にして、背後から三匹掛かりで襲おうという魂胆か。


 多くの戦術師や魔法使い、軍師ならこの状況をどうやって打破するのか策略を巡らせ、最善の策を見出してから行動するだろう。でも――


「……まとめて掛かってこい!」


 ごめん、私、考えるの面倒だから!

「脚力強化」「武器強化」を一度に発動し、白い光を放ち始めた剣を手にだっと駆け出す。まずは、後方にいる三匹。


 まさか真っ直ぐこちらに掛かってくるとは思っていなかったのか、悲鳴を上げて逃げる気配がするけれど――仕掛けたのはそっちだろう。逃がすものか。


 くねくねうねりながら生えている木が視界を遮るけれど、木の根っこを蹴りながら半ば宙を飛ぶように走り、障害物を回避する。私の手に掛かれば木の百本程度一瞬ですぱんっと切り捨てられるんだけど、それを毎回するとこの辺り一面が砂漠化してしまうから、極力自然は破壊しないようにしている私は我ながら偉いと思う。


 逃げまどっていた連中との距離は一気に詰められた。わたわたしながら森の中を逃げているのは――人間のように見えるけれど全身真っ黒で、手が十本くらい生えているカニのような生物。見たところ、中級魔物だ。


 この世界には魔物がいる。魔王と魔物は無関係みたいで魔王が消えた今も魔物は健在だけれど、どいつもこいつもどす黒い色をしていて、見た目がえぐい。そいつらは毒気をまき散らしながら人を襲ったり妙な魔法を使って家屋を破壊したり大地を腐らせたりするので、太古から人間はもちろん、あらゆる動植物の敵だった。魔物に襲われて故郷を失った、家族を殺された――そんな話が後を絶たない。


 そんな危険な魔物だけど、こっちにも力があれば十分対抗できる。今回私を襲おうとしたこいつらはそこそこ知恵が回るようだけど、半端に知恵があるからこそ「逃げる」という選択肢を選んでしまったみたいだ。下級魔物だったらひたすら攻撃してくるものがほとんどだからね。


「……失せろ!」


 たんっと太い根っこを蹴り、剣を突き出す。視界の狭い森での戦いではどうしても剣を派手に振り回すことができないから一匹一匹仕留めることになるから面倒だ。でも、私だってたまには脳みそを使う。

 森の中で逃げ回るうちに魔物は一列になって逃げていた。私の剣は、そんな連中を背後から串刺しにしていた。


 魔物は動物と違って、斬っても血を流したりしない。ぶわっと黒い霧が溢れ、生命を維持できなくなると消滅する。私の剣で貫かれた三匹は一瞬で消滅し、振り向きざまに突き出した一閃によって、背後から追ってきた一匹も難なく仕留めた。

 カニもどきがしゅわしゅわ音を立てながら消滅するのを見届けると、私は剣を収め、その場にしゃがんだ。


「……あった。ちっ、しけてんなぁ」


 黒っぽい土の上に、ころんと転がっていた四つの石ころ――のようなもの。これは魔物たちの心臓に当たる核で、加工して便利な道具を作ったり魔力を高めたり武器を強化したりできるそうだ。当然、これを持って帰ることで魔物を討伐したという証にもなる。


 今回の収穫は、緑色の核が四つ。どれも親指の爪ほどのサイズだから、それほどの価値にはならない。でも、おいしいものを食べるくらいの余裕はあるかもね。おいしいもの……給料が入った日は、思いきってステーキにするかな。


「ステーキステーキ……んふふ。トマトソースたっぷりのステーキ……」


 拾った核をポーチに入れ、私は歩き出した。










 クレイ王国の隅っこ、王都の噂すらろくに届かない地方都市ファブル。

 元勇者である私は今、ファブルの町のギルドに女性冒険者として名前を登録していた。


 一年前、名前を言いたくないあの人に婚約破棄を申し出たときにはちょっとした騒ぎになった。まあ、「うん、いいよ」で終わるはずはないと思っていたけれどね。


 あの人からすれば、私と結婚することで弟王子を押しのけて自分が王太子になれるチャンスだった。だから我慢して私と結婚し、王子さえ産ませたらさっさと愛人を迎えるつもりだった。そんな目論見を抱えていた彼の立場だと、いくら私に愛情がなくても私を手放すことはできないんだろう。


 あの人はあれこれうわべだけの言葉を並べ、「私が一生の愛を捧げる」と私の手を取って情熱的に囁いてきたけれど、つい十数分前の悪口を忘れていない私からするとアーハイハイって感じだ。そりゃあ、私に逃げられたら王位が危ういんですもんねぇ。必死で繋ぎ止めようとしますよねぇ。


 場を鎮めたのは、国王陛下だった。陛下は、「勇者として戦ううちに、私は王妃の器ではないと悟りました。どうか、勇者の名を捨てて一人の女として生きることをお許しください」という私の訴えを受け入れてくださった。名前を言いたくないあの人は真っ青になっていろいろ言っていたけれど、私の決意も陛下の判断もくつがえされることはなかった。


 私は荷物をまとめ、高位神官から賜っていた聖剣を神殿に返上し、「勇者ケイトリン」の名を捨てて旅に出た。少しでも女らしくあろうと、「ケイトリンの髪はきれいだね」と褒めてくれたあの人の思いに報いようと、伸ばしていた髪をばっさり肩先で切り落とし、八年間暮らした王都リンステッドに別れを告げる。


 そうして数ヶ月ほど放浪した末にたどり着いたのが、このファブルの町だった。馬車を使っても王都からファブルに行くまで数十日掛かる。そういうことでここらは「勇者ケイトリン」の噂にも疎く――というかよく分からないデマばかりが流れているので、身を隠すのにはちょうどよかった。


 私がゴリマッチョだとかいう噂はリンステッドでも流れていたっぽいけど、この辺ではさらにひどい尾ひれが付いて、「目から光線を放つ」とか「見上げるほどの巨躯を持つ」とか「素手一撃で岩山を叩き割る」とか言われていた。失礼な。魔王との戦いでかなり魔力を消耗したから一撃で岩山を叩き割れたのは一年前の話で、今は四撃ぐらい必要だ。

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