27 後悔
――頭が痛い。
あの後私は自室のベッドに潜り込み、そのまま爆睡していた。あんな状況ではあったけれど、体も頭も相当疲れていたみたい。着の身着のままこんこんと眠って起きたときには、辺りは真っ暗になっていた。
ギルドから帰宅したのが夕方頃だから、今は――夜中だろうか。
脳みそをぎゅぎゅっと絞られているかのように痛む頭を抑えながら、私はベッドから降りる。空腹ではないけれど、水は飲みたい。
ふらふらしつつ部屋を出て――隣の部屋のドアを目にし、動きを止めた。
夕方にあんな一方的に言いつのって、さすがにヒースも怒っただろう。もしもう眠っているのなら、邪魔はしたくない。
そう思ってそろそろとキッチンに降りた私は――布を掛けられたパンケーキらしきものとその隣に置かれた紙を目にして、どくっと胸を高鳴らせた。暗がりの中ではよく分からないけれど――これは、メモ書き?
急いでそれを摘み、星灯りの差す窓辺に移動する。紙は包装紙の切れ端みたいで、あちこちにじんだインクで何かが書かれていた。
『カティアへ
きみをこまらせて、ごめん。
おれ、いなくなる。
からだに、きをつけて。
ヒースより』
インクがにじんでいるだけじゃなくて、文字を覚えたばかりの子どものようにガタガタの字だし、スペルもあちこち間違っている。
数字以外まともに書けないと言っていたヒースが残した伝言。
「……ヒース?」
はっとして振り返る。そしてメモを持ったまま階段を駆け上がり、ヒースの部屋のドアを叩き開けるけれど――
「……」
そこは、がらんとしていた。
ベッドとかの家具はそのままだけれど、ほんのわずか存在していたヒースの私物が一切なくなっている。……いや、ベッドのヘッドボードに何かがある。
新しいメモかと思って駆け寄ってみてみたら――
「っ……ばっかじゃないの――!」
思わず叫んでしまった。
それは、きれいに畳まれた何枚かの紙幣だった。その数からして――私がこれまでヒースに払っていた給与のほとんどだろう。
その隣には、私が彼に預けていた生活費の財布も置かれている。中身がそのままであることは、持ち上げたときの重量だけで分かった。
「……これくらい、持っていけばよかったのに。世間知らずのくせに……」
ふふっと引きつった笑みを浮かべるけれど、うまくいかなかった。
主のいなくなった部屋は、ひどく寒々しくて物寂しい。彼が来る前は当たり前だった静寂が、今は怖いほど感じられる。
ヒースは、出て行ってしまった。
私は、ひとりぼっち。
『からだに、きをつけて』
彼が残したのは、優しく私を労る言葉と冷めたパンケーキだけだった。
一人きりの朝は、少しだけ静かだ。
昨日変な時間に寝て変な時間に起きてしまった私は結局そのまま二度寝せず、瞑想して過ごした。私だってたまには悟りを開いたりするぞ。
そうして朝日が昇って手元が明るくなってきたらすぐ、手紙を書き始める。宛先は町長とエイリーの連名。内容は、「しばらく町を離れるから、ギルドの仕事を休ませてほしい。家の管理を頼む」というものだった。
ヒースにあれこれ言ってしまったことについていろいろ考えたけれど、私は結局王都に行くことにした。ただし一番に向かう先は王城ではなく、王都に存在する神殿だ。
名前を言いたくないあの人よりも、神官長様たちの方がずっと信頼できる。まずは神官長様に相談して、どのようにあいつの申し出を蹴るかを考えたい。場合によってはアーチボルドたちに同行を頼んだりできるはずだ。単身でのこのこ敵陣に突っ込むほど私は馬鹿じゃない……と思う……うん。
手紙をしたためると、それを早朝のギルドの郵便受けに入れておいた。早番の冒険者たちの姿がちらっと見えたので、隠れながらの移動になった。
家に戻ると、皆が活発に動き始める時間になる前に準備を整える。運のいいことに食料庫は空に近かったから、残っていたものを荷物に詰め込む。そうして剣と胸当てを身につけ、旅に必要そうなものを鞄に入れた。
ふと――クローゼットを開けたとき、青と黒のワンピースの裾が覗いていて、ちくっと胸が痛んだ。さすがにこれを持っていくわけにはいかない。
防虫対策の薬をクローゼットの中に入れておいて、そっと扉を閉める。カティアとして、ヒースと一緒に過ごした思い出全部を、今はこのクローゼットに閉じこめておいた。
最後に、もしヒースが戻ってきた時用に書き置きでも残しておこうかと思ったけれど――やめておいた。
「……さすがに私にうんざりしているよね」
メモでは優しい言葉を残してくれたが、私は彼を傷つけた。ヒースだって、私の顔を見たくないだろう。彼が戻ってこない可能性だって十分にあるんだ。それに、メモを残してもうまく読めない可能性もあるし。
……ヒース、どこにいるんだろう。ちゃんとご飯を食べているのかな、変な人に騙されていないかな、路銀は足りているのかな。
ウダウダ考えてしまうけれど、全て悪いのは私だ。ヒースだって好きで魔王になったわけではないだろうし、昨日の私は完全に八つ当たりだった。
ごめん、と一言言えたら違ったかもしれない。でも、それを告げる相手は今どこにいるのか分からない。二度と会えないのかもしれない。
でも、できるなら――家政夫としてこき使い、可愛くない台詞しか言えず、最後には彼を傷つける言葉を吐くような女の元で過ごすより、自由に生きていた方が彼のためになるのかもしれない。ヒースは顔もいいし優しいし、この二ヶ月ほどで社会勉強もしっかりできたはずだ。万能型魔法使いとして十分生きていけるだろう。もう、私が彼を縛るべきじゃない。
謝りたかった。
その気持ちは本当だけれど、愚かな私にその術はない。
「……行ってきます」
昨日までは「いってらっしゃい、気を付けて」と送り出してくれた人は、もういなかった。




