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24 慣れないことはするもんじゃない

 ヒースが悪夢にうなされた翌朝――いや、その日の朝か? 水を飲みに降りたときに時計を見忘れたから翌朝なのかその日の朝なのか分からないけれど、まあ、いいや。


 私は珍しく早起きしてちゃっちゃと身支度を調えた。夜の変な時間に起きたから寝坊してしまうかと思ったけれど、思ったより頭がすっきりしていた。私、変に長時間寝ない方が寝起きがよくなるのかもしれない。


 一階に下りる前に、ヒースの部屋のドアを少しだけ開けて中を確認。静かな寝息が聞こえているし、布団がこんもりしているのが見えた。まだよく眠っているみたいで、好都合。


 夜、ヒースをたたき起こした後、私は夢を見た。夢の中で私はフリフリのエプロンを身につけ、フライ返しを片手にホットケーキを焼いていた。名前を呼ばれたので振り返ると、そこにはヒースの姿が。

 私は笑顔になり、ヒースに手を振った。


『おはよう、ダーリン!』


 ――起きた瞬間、「これだ!」と思った。いや、新婚さんのシチュエーションなのは置いておいて、重要なのは私が朝食を作るという流れの方だ。


 いつも私よりヒースが早く起きて、朝食の準備をしてくれる。それは家政夫として当然のことなのかもしれないけれど、たまには雇用者たる私がヒースを労ってもいいはずだ。この前はヒースが内緒で貯めたお金で私を半日限りのお姫様にしてくれたんだし、今度は私がヒースを気遣うんだ!


 足音を忍ばせながら降りたキッチンは薄暗くて、ひんやりしている。ヒースがやってきてからは朝起きたとき、キッチンの中が明るく暖かく、おいしそうなご飯の匂いでいっぱいであることが当たり前になっていた。

 でも思い返すと、このしんと静まった寂しいキッチンが二ヵ月ほど前までの私の「当たり前」だったんだな。


 顔を洗い、髪を結ぶ。私の髪は肩先に触れるくらいのボブだけど、食事を作るならまとめておいた方がいいだろう。


 フリフリのエプロンはないので、普段ヒースが使っているショート丈のエプロンを拝借する。彼が小遣いで買ったものだそうだけど……あ、結構長いな。紐もかなり余るし、細く見えてもヒースも男の人なんだな。ヒースが身につけているときは膝上丈だったエプロンは、私が着ると膝下丈になる。ちょっと動きにくいけれど他にエプロンなるものがないから仕方ない。後で洗って返そう。


 まずはキッチンの脇にある階段を下り、食糧貯蔵部屋を覗き込む。ヒースがまめに買い出しに行っているから、卵や肉、野菜などが十分揃っていた。この貯蔵庫はもともと氷属性魔法による保冷機能があったんだけど、ご存じのとおり私にそんな芸当はできないしそもそも自炊しなかったから、ただの物置になっていた。今はヒースの魔力のおかげでひんやりと快適なスペースになっている。元魔王の魔法ありがたや。


 いつも、ヒースは朝食に何を作ってくれるだろうか。ひとまずスクランブルエッグを作って、ベーコンを炒めて、パンを焼くくらいならできそうだ。


 それぞれの材料を取ってまな板に並べる。卵よし、ブロックベーコンよし、あとは焼くだけなパンの生地よし、ミルクよし、砂糖よし――あ、これ塩だ。危ない危ない。


 袖をまくり、私は気合いの息をついた。

 おいしい朝食を作って、ヒースを労ってあげるんだ!









 ――約一時間後。


「カティア? 何か匂いがするけれど……」


 かちゃり、とキッチンのドアが開く音に続き、ヒースの不審そうな声。まずい。


「お、おはようヒース!」

「おはよう。……何やってるの?」


 目元を擦って眠そうな顔のヒース、結構珍しいかも。まだ寝間着でふわふわの髪が寝癖でいつも以上にくるくるになっている姿は、ちょっとだけ可愛いとさえ思われる。


 ……寝起きのヒースは可愛いけれど、私の方はちっとも可愛くなかった。

 ベーコンを焼いていたはずのフライパンからはぶすぶすと黒煙が立ち上っていて、その隣のフライパンには黄色いどろっとしたものが伸びている。傍らの竈から取り出したばかりのものは、外は真っ黒、中はしっとりを越えてデロデロのパンもどき。


 ……簡単に言おう。

 私は、朝食作りに、失敗した。


 怪奇生物たちの前で硬直していた私を、ヒースはどんな思いで見ていたのだろうか。

 彼はしばらくの間眼球だけ動かしてキッチンの様子を見ていたけれど、やがて何度か瞬きした。


「えーっと……カティア、朝食を作ってくれたのかな?」

「作ろうとしたけれど、失敗した」

「そう? 香ばしい匂いがしているけれど」

「香ばしいを超越した炭の臭いかと」

「それ、ちょっと分厚いけれどベーコンだよね。しっかり火を通したんだね」

「通しすぎて縮れてますが」

「そっちのフライパンにあるのは作りかけのスクランブルエッグだね」

「こ、これでも完成したつもりで……」

「パンも、外を削ってもう一度焼けば食べられるよ」

「……なんかもう、ごめん。慣れないことはするもんじゃないよね」


 一つ一つ優しく丁寧に返してくれるヒースの思いやりが、今は辛い、辛すぎる。

 シンクの縁に手を掛けてがっくり項垂れた私の頭上が、ふっと暗くなる。俯く私の視界に、男物の靴のつま先が入ってくる。


「そんなことないよ。……カティア、早起きして作ってくれたんだよね?」

「……いや、本当に、失敗作だから。ヒースに任せておけばよかったのに、余計なことをして……その、ごめん。食材もごめんなさい」

「君が謝る必要はない。君が料理が苦手だってのは分かっているし、それに……」


 そこでヒースが言葉を切るから、どうしたのかと思って顔を上げた。

 ヒースは照れたように笑い、私の肩にそっと手のひらを載せてきた。


「うぬぼれでなければ……これ、俺のために作ってくれたんだよね?」

「…………そ、そうです。あの、昨晩うなされていたみたいだし……何か、私にできることがあればと思って」

「そっか、よかった。……あのさ、カティア。俺は君がこうして早起きして、慣れないことだけれど一生懸命やってくれたってことがすっごく嬉しいんだ」


 そうして彼の手が私の腕を伝い、そっと手のひらを持ち上げられた。さっき黒こげパンの焦げを削ぎ落とそうとしたから、爪の間に炭が入ってしまっている。もともと剣を握るために爪を短く切っている、女らしさの欠片もない指先。


「……ありがとう、カティア。昨晩も今も……君のおかげで、俺は幸福な気持ちでいられるよ」

「そ、そんなの買いかぶりすぎだって!」


 照れもあって彼の手の中から自分の手を引っこ抜こうとするけれど……あれ、抜けない?

 ちょっと身体能力強化魔法を使って引っ張ったけれど、ヒースも同じように魔法を使っているらしくびくともしなかった。

 ……なんだこれ?


「……あの、私の指ってきれいじゃないんだけど。手もごついし」

「そうかな? 俺にとってはとても愛おしくてきれいな指だし、女の子らしい手だと思うよ」


 優しい声と、労るような手つき。

 さっきから私の胸はドキドキ高鳴っていたんだけど、とうとう口から心臓を吐き出しそうになった。まずい、今吐き出したらヒースの整った顔面に内臓をぶちまけることになってしまう。耐えろ、私、心臓を飲み込むんだ!


 言うべき言葉が分からず、心臓を吐き出さないためにもきゅっと口を引き結んでいると、ヒースは柔らかく笑って私の腰に手を伸ばした。えっ、何?


「……お疲れ様。仕度してから、続きは俺がするよ。カティアは向こうで休んでいて」

「えっ」


 しゅるり、とヒースの指先がエプロンの紐を解き、私の腰から取り除かれる。そうしてヒースはエプロン片手に、キッチンを出て行ってしまった。


 ……せっかく朝食を作ろうとしたのに、台無しだ。

 私、格好悪い。


 洗面所でヒースが顔を洗っている音を遠くに聞きながら、私はとぼとぼとリビングに向かった。ヒースはいつも優しいけれど、今はその優しさがグサグサと私の身を貫いてくる。いっそ、「朝食も作れないのかこの脳筋」って罵倒された方が気が楽だった――いや、そんなこと言われたら二度と立ち直れない気がするから、優しくしてくれて正解だったかも。


 どかっとソファに腰を下ろし、天井を見上げる。

 ……ヒースは天井まで拭いてくれているのか、かつてはちょっと煤けていた天井まできれいになっていた。うちの家政夫、万能すぎるだろう。給与を上げるべきだろうな。


 ふと、窓辺に飾っている薔薇の花を見やる。数日前にヒースにもらった薔薇は、まだみずみずしかった。ヒースの生け方がよかったのかもしれない。


『ピンクの薔薇が九本、が表すのは――可愛いあなたをいつも想っています、ですよ』


 エイリーの言葉が頭の中によみがえったとたん、かあっと頬が熱くなり、可憐に咲く薔薇の花を直視できなくなってしまう。


 ヒースは……花言葉を理解した上で私に薔薇を贈ったのか? さすがに神官が花言葉なんてものを知っているとは思えないんだけど……。

 いや、あれだけきれいにラッピングされていたんだからきっと、町の花屋で買ったんだ。花屋の店員なら花言葉にも詳しいだろうし、ヒースが私のことをどう思っているか聞いた上でピンクの薔薇九本を薦めたんじゃ……。


『とても美しいよ、カティア』


 美しい。私は……美しい?


「……ばーかっ」


 体を捻ってソファの背もたれに寄り掛かり、可愛くない台詞をひとつ。


 頬の熱は、なかなか収まってくれそうになかった。

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