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23 脳筋の安眠テクニック

 ……変な夢を見た。

 右足をえいやっと天井に向けて突っ張り、毛布を押し上げる。テントのような形になったらそのまま体を左に捻って倒し、毛布を体から引っぺがした。


 私は朝の寝起きは悪い方だけれど、夜中にふと目覚めたときは案外頭の中がしゃっきりしていたりする。たいてい変な夢や怖い夢を見たときで、こういうときばかりは頭の中がクリアなのを悔やまれる。


 肘を使って上半身を起こして、カーテンの向こうがまだ真っ暗なのを確認する。今、どれくらいの時間だろう。この家の時計はリビングにあるもの一つだけなので、正確な時間は分からない。


 なんとなくまたすぐに横になれなくて、水でも飲むことにした。靴を履き、隣の部屋のヒースを起こさないように足音を忍ばせて階段を下りる。一番下から二つ目の階段の床板は少し歪んでいるから、軋まないようそこだけ一段飛ばした。


 コップに水を汲んでぶらぶら歩いていると、リビングに飾られた薔薇の花が目に入った。この前ヒースに贈られた薔薇はピンク色だけれど、今は夜の闇の中でほんのりと白色っぽく浮き出て見えた。

 コップ片手に花瓶に近づき、花弁の一つにちょんっと触れてみる。そうしているとちょうど今日の夕方、エイリーと交わした会話が思い出された。






 魔物の討伐を終え、ギルドのカウンターでジュースを飲んでいた私はエイリーにだけ、先日ヒースと出かけたことを教えることにした。


『まあ……! ヒースさんのおごりで服を買って、ご飯を食べて、お花までもらったのですか……!?』

『う、うん。他の連中に知られたら絶対に冷やかされるから、内緒ね!』

『もちろんです! ……ああ、花を贈るなんて、ヒースさんはロマンチストなんですね!』


 羨ましいです……と頬を赤らめるエイリーは可愛らしい。エイリーにもいつか素敵な恋人ができるといいな。……まあ、エイリーを溺愛する町長の許しを得るのが大変そうだけどね。


『ちなみに、どんな花をどれくらいもらったのですか?』

『えっと、ピンク色の薔薇が九本だったかな』

『なるほど……』


 そう言うとエイリーはいったん裏に引っ込んで、表紙に花のイラストが描かれたハンドブックを持って戻ってきた。


『それは?』

『花言葉辞典です。せっかくですし、ヒースさんがどんな思いを込めてカティアに薔薇を贈ったのか、調べてみません?』


 私は十八年生きてきてその時初めて、世の中に「花言葉」なるものがあると知った。さすが私、脳筋ゴリラ!

 そうしてエイリーが本をめくることしばらく。


『……なるほど』

『分かった?』

『はい。ピンクの薔薇が九本、が表すのは――』









 水を飲んだ私はカップを洗い、降りたときと同じようにそっと階段を上がった。


「……ん?」


 ふと、うめき声のような音が聞こえ、自分の部屋のドアに手を掛けていた私は足を止める。この家の中で、うめき声を上げられるのは私以外だとあと一人しかいない。それ以上いれば不法侵入者だ。


「……ヒース?」


 彼用に貸した部屋の前で遠慮がちに尋ねるけれど、返事はさっきより大きなうめき声、それからゴトン、と何かが落ちる音だった。音の大きさからして本人がベッドから転げ落ちたわけじゃなさそうだけど……。


「……ごめん、入るよ」


 様子を見るだけ、様子を見るだけ。私は男の寝込みを襲う痴女ではなく、家政夫の心配をする思いやり溢れる雇い人なんだ。


 ヒースの使っている部屋はもともと物置だったので、それほど家具はない。ベッドとクローゼットがあるだけだ。この部屋の掃除は彼に任せているので、貸すようになってから足を踏み入れたことはなかった。


 うめき声の発信地は予想通り、ベッドで丸くなっている人だった。フローリングに木彫りの置物が転がっている。さっきの音の正体はこれだろう。

 私は置物をヘッドボードに置き、こちらに背を向けるようにして丸くなっているヒースの後頭部を見やった。これから寒くなる時期だというのにヒースは上掛けを蹴飛ばして、くしゃくしゃになった薄いタオルケットを抱きしめるような形で横になっている。見ている間にもうめき声は収まるどころか、どんどんひどくなっているように感じられた。


「……ヒース、大丈夫?」


 最初は遠慮しながら声を掛けた。でも彼は目覚めることなく、タオルケットを握る手の甲に血管が浮かび、いよいよ苦しそうな吐息が漏れてきていた。


 ……これ、まずいんじゃない?


「ヒース……ヒース!」

「うっ……?」

「目が覚めた? かなりうなされていたみたいだけど……」


 うめき声が収まり、ころんと体をこちらに倒してきた彼と視線がぶつかる。夜の闇の中で、いつもは透き通っている彼の灰色の目が、漆黒に沈んでいるように感じられた。

 しばらくの間は目の焦点も合っていなかったけれど、数度瞬きして彼はひゅうっと深呼吸する。長時間うめいていたからか、呼吸する音も少しひび割れている。


「カティ……ア?」

「うん。……うめき声が廊下まで聞こえたから。すぐ出るね、ごめん」

「いや……待って」


 男の部屋に長居するべきじゃない。そう思って撤退しようとした私だけれど、ヒースの声に呼び止められた。

 ……そのまま聞こえないふりをして出て行くこともできたんだけど、彼の声があまりに弱々しくて、このまま放置するとそのまま消えてしまうんじゃないかってすら思われて……私は結局、動きを止めて振り返った。


 ヒースは最初、自分で呼び止めたくせに焦ったように視線をさまよわせていた。でもやがて、「……怖い夢を見た」と微かな声で言った。


「怖い夢? ……だからうなされていたんだね」

「うん。……君が、人間に殺される夢だった」


 それはそれはまあ……なんというか。

「人間に」とわざわざ付けるところが元魔王の彼らしい。私は苦笑し、タオルケットを握りしめたままのヒースの手の甲をポンポンと軽く叩いた。もちろん、勢い余って彼の骨を粉砕したりしないよう、優しく。


「それはないない。私は強いんだ。悪漢だろうとぶっ飛ばしてやる!」


 ほら! と寝間着の袖を捲って、力こぶを作ってみせる。身体強化魔法を使わなくてもこれくらいお手の物だ。

 ヒースはしばらくの間目を細めて私をじっと見上げていたけれど、おもむろに目を伏せてふっと唇を緩める。あ、笑った?


「……そう、だね。おかしいね、俺。君が強いのは身をもって知っているのに、こんな馬鹿げた夢を見るなんて」

「少しはすっきりした?」

「……たぶん。あの、カティア。頼みたいことがある」

「何? ホットミルクくらいなら作れるよ?」

「いや……。……もうちょっと、ここにいてほしい」


 言いながらホットミルク製作の手順を考えていた私は、いつものような覇気のないヒースの言葉にしばし脳みその活動を停止させた。


 ここにいてほしい。

 それって、眠るヒースの隣に棒立ちになっていろってことじゃないよね? つまり――


「……まさかのまさかの、添い寝ってやつ?」

「っ……ご、ごめん! そういうつもりじゃ……いや、そういうつもりだったけれど、そこまであけすけに言わなくても……」


 あ、そういうつもりだったんだ。というか、どうして私が悪いみたいな流れになってんの? 少しは慎みというものを知れってこと? ん?


 薄暗い中でも、ヒースの頬が赤くなったのが分かる。さっきは血の気がなくて青白く見えたから、少しだけ健康的な色合いになった――と考えると、いいことなのかな?

 でも、ヒースは私が殺される夢を見てちょっと不安定になっているみたいだから、このまますとんと眠るのは難しそうだ。


「ヒース」

「うん」

「うまくやれば手刀で人を気絶させられるかもしれないって聞いたことがあるんだけど、試してみる?」

「あっ、いいです、一人で寝ます」


 すっと右手を持ち上げて尋ねると、とたんに大人しくなるヒース君。いや、そこまで態度を急変させなくてもいいじゃないか。


「何度も言うけれど、私たちはビジネスの関係! オプションに添い寝は含まれません!」

「その……ごめん。さっきの俺の発言は忘れてほしい」

「忘れる代わりに、一人で寝てくれるね?」

「もちろん。……こうやってカティアと話をしていたら、なんだかいい夢が見られそうな気がしてきたよ」


 そう言ってヒースは照れたように笑った。からかっているのだろうか、彼の瞳はいつものような輝きを取り戻している。何はともあれ、気分が戻ったならよかった。


「了解。それじゃ、私は戻るね」

「うん。……カティア、ありがとう」

「どういたしまして。……でもまあ、また悪夢にうなされるようなら私が助けに行くからね。こう、悪夢でも物理でやっつけてあげるから!」


 せいっ、と突きを繰り出してみせると、ヒースは楽しそうに笑った。よし、これならもう大丈夫だね。

 また朝にね、と挨拶を交わし、私はヒースの部屋を出た。


 夜中に男の部屋に行くなんて……と、神官たちに知られたら怒られそうな案件だ。ヒースもとんでもないことを口にしていたけれど、混乱していたし心細くなっていたんだろう。人間になって間もないから情緒が安定しないこともあるだろうから、そういうこともあるある、うん。


「……おやすみ、いい夢を」


 ドアに向かって囁き、私は自分の部屋に滑り込んだ。

 私も、いい夢が見られたらいいな。









 おやすみ、いい夢を。


 微かな声を耳にし、ヒースは暗闇の中で目を細めた。

 さっきは動揺と不安のあまり、がらにもなく情けない姿を見せてしまった。さしものカティアも自分に幻滅するだろうと思ったが、彼女は最終的に笑ってくれた。

 そう、彼女には笑顔が似合う。


「……君は、何も知らなくていいんだよ。ずっとずっと、笑っていて」


 呟いた後、ヒースはまぶたを下ろした。

 もう、悪夢は見なかった。

皆さんはまねしないでください(手刀)

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