19 人前ではやめましょう
私と女の子たちがはっと息を呑んだのはほぼ同時だった。
「カティアは俺がこれまで出会ったどの女の子より可愛らしいし、強くて勇敢な素敵な女性だと思っている。俺の好きな人を侮辱しないでもらえるか?」
ヒース……?
「な、何言ってるんですか?」
「お兄さん、あの女にこき使われているんでしょう? だったら――」
「こき使われているんじゃなくて、むしろ俺の方から頼んでいるんだ。それに、別にカティアが俺のことを使用人扱いしたって構わない。俺はそれで十分なんだ」
いつもより低い声音で、淡々と告げるヒース。私はずるりとその場にへたりこみそうになり、慌てて近くにあった手すりに掴まった。
……彼は、こんなに私のことを思ってくれていたのか。
「好きになっていた」と最初に言われたときは正直……まあ、引いてしまったけれど、彼と過ごすうちに、そして今素直な言葉を聞くことで、「好きになっていた」の気持ちがじわじわと伝わってきていた。
私は、ヒースを振り回しているのに。
さんざんこき使っているのに。
それでもいい、そんな私でもいいと思ってくれていたんだ……。
「……はぁ、何それ? 引くわぁ」
「イケメンでも、それはさすがにキモいわ」
ぽかぽかと熱を放つ顔を両手で覆っていた私は、耳に飛び込んできた女の子たちの言葉に思わず目を見開いた。
……今、二人はなんて言った?
自分から声を掛けて、自分からヒースの逆鱗に触れたくせに、最後に抜かしたのは「キモい」だって……?
「ないわぁ」「もう行こう」と落胆したような声がだんだん遠のいていく。こいつら、言うだけ言ってとんずらするつもりか……!
「ちょっ……! 待て、この――」
「カティア、待って」
「聴力強化」を解除すると同時に「脚力強化」を掛け、失礼な女どもを追いかけようとした私だけれど、やんわりした声に止められた。
強化した脚力を駆使してひとっ飛びで大通りに飛んでいった私の隣には、ヒースがいた。彼は私の胸の前に腕を差し出し、「止まれ」の合図をしている。
「……ヒース、私がいるの気づいていた?」
「カティアの魔法の気配がしたからね。……それより、そんな怒らなくていいから」
「怒るに決まってるじゃん! あいつら、逆ナンしたくせにヒースのことを馬鹿にしたんだよ!?」
びしっと大通りの奥を指さすと、騒ぎが聞こえていたらしい女の子二人の驚いたような顔と視線がぶつかった。ヒースと違って私が盗み聞きしていたことに気づいていなかったらしい二人は私を見ると、逃げるように去っていった。
「くそっ……追いかける!」
「追いかけてどうするんだ?」
「殴……るのはさすがにだめだけど、言いたいことは言わせてもらう!」
「そこまでしなくていいよ。ほら、落ち着いて」
私の前で突っ張っていた腕がそっと胸の下に回り、背後から抱き留められた。……ええっと、今、大通りにいるんだけど!?
「ちょっ、ヒース!」
「うんうん、いい子だから落ち着いてね」
「私は悪い子だから落ち着かない!」
「屁理屈をこねるなぁ。……ほら、みんな見ているよ?」
ヒースの言うとおり、通りすがる町の人たちは興味津々の眼差しでこっちを見ていた。でもこれって、私たちが大騒ぎしているからというより人前でヒースが抱きついているからじゃないか……と思うけれど、見られているのは確かだ。
私が観念して大人しくなると、ヒースのほっとしたような息がつむじに降ってくる。
「……カティアはさっきのやり取り、最初から聞いていたんだよね」
「……うん。その、ヒースが声を掛けられた後から」
「だろうね。ということは、俺の言葉も全部聞いていたんだよね?」
「……私が聞いていると知っていて言ったんじゃないの?」
「そうかもね」
ふっと笑うと同時に腕の力を弱められたから、その隙に彼と少しだけ距離を取る。向き合うと、微かに細められた彼の眼差しと視線が重なる。
「俺はね、カティアがこうして怒ってくれるだけで十分なんだ。さっきの子たちに報復なんてしなくていいんだよ」
「でも、あの言い分はないじゃない。ヒースにフラれたからって八つ当たりしてたんだよ!?」
「確かによくないだろうけれど、これ以上騒ぎを大きくするのは俺たちにとっていいことにはならないだろう。……ねえ、カティア。君は、自分が悪し様に言われているときはじっとしていた。それなのに、俺の悪口を言われたら我慢ならなくなったんだよね?」
……盗聴しているのを感づかれていたというのは、なかなか気まずいものがある。
私が無言で頷くと、ヒースの大きな手のひらが私の左肩に載り、胸当てを支えるベルトの辺りをそっと撫でられた。
「俺は、君のことを悪く言われると腹が立った。そして君は、俺のことを悪く言われて怒った。……俺たち、同じだね」
「同じかなぁ」
「同じだよ。自分のことはまあいいにしても、相手のことを貶されたら腹が立った。……一緒だね」
柔らかい声に、私は顔を上げる。
太陽は私の背後の位置にあるから、日光を浴びてヒースの髪がきらきら輝いている。彼の整った容姿も髪に負けないくらい輝いていて、心底嬉しそうに細められた灰色の目に見つめられると――また、私の胸が高鳴ってくる。
こわごわと微笑むと、ヒースはとろけそうなほど甘い笑みを返してくれた。……ヒース、こんな表情もできたんだな。
「うん、やっぱり君は笑っている顔が一番素敵だな」
「そ、そう?」
「そうだよ。まあ、怒っている顔も魅力的と言えばそうなんだけど、俺は君の笑顔が一番好きだよ」
好き。
私の笑顔が、好き。
彼の言葉が脳みそを駆けめぐり、沸騰させたヤカンみたいに顔が熱くなる。……どうしよう。今の私、きっとトマトみたいに真っ赤だ。
顔を見られたくなくて俯くと、頭上からくすっと笑う声がした。
「……どうしたの、カティア?」
「……なんでもない。ちょっと……そう、地面の模様が気になっただけ」
「そっか。それじゃあそのままでもいいから、そろそろ家に帰らない? 今日はカティアのために、消化にいいご飯を考えていたんだよ」
「私、病人じゃないんだけど……」
「そっか? 顔を真っ赤にしているから、熱があるのかと思ったんだけど?」
「っ……この意地悪男!」
照れ隠しと八つ当たりでばしっと背中を叩いてやる。身体強化魔法は使っていないけれど、元勇者の打撃を甘く見ることなかれ。
さすがにヒースも元魔王だから体が丈夫らしく、「うっ」と小さくうめいて少し体をぐらつかせるだけだった。彼は俯いたまま歩きだした私に歩調を合わせるように、大股でゆっくり追いかけてくる。
「ごめんごめん。……それじゃ、帰ろうか」
「……うん」
最初は私が少し先を歩いて、ヒースが追いかけていた。
でも家に着く頃には私たちの歩調は揃い、昼過ぎの太陽の光を浴びて黒い影がしっかりと重なり合っていた。




