16 脳筋は大人しくすることにした
魔物を討伐した日は村の宿で休むことになったけれど、魔物討伐のお礼ということでおいしい料理を提供してもらい、魔物に蹴られた腹も村の医者に診てもらった。
「あの魔物相手に打撲で済んだのが信じられないくらいですが……数日もすれば痣も引くでしょう」
中年男性の医者に言われたとおり、私の腹部にはかなり大きな青あざができていた。仲間の守護魔法があったのに加え、私自身も身体強化魔法で体を丈夫にしていたからこれくらいで助かった。医者曰く、何の防御もなしに攻撃を食らうと骨はもちろん内臓も粉砕されるくらいらしい……魔法を掛けておいてよかった!
「それなら安心ですね。ありがとうございます」
「いえいえ。……しかしお嬢さんは冒険者だけあって頑丈なようだが、まだ若い娘さんです。将来のことを考えると、急所だけでなく腹部への攻撃には気を付けた方がいいですよ」
いくつかの薬を練り合わせて軟膏を作っていた医者の言葉に、私は一瞬言葉に詰まってしまった。
……つまり、あまりにも体がぼろぼろになったら子どもが産めなくなるかもしれない心配をしてくれているんだろう。
確かに町のギルドに登録している数少ない先輩女性冒険家から、若い頃に無茶をしすぎたからかなかなか子どもに恵まれなかったり月のものの痛みがひどかったりするという話を聞いている。戦闘に明け暮れたからが全ての原因ではなく、もともとの体質とか食生活とかも要因の一つだろうけど……。
「……大丈夫です。私、そういう予定はありませんから」
できたての軟膏を受け取って自分にできる限りの笑顔で答えると、医者は「そうですか」と呟いた後、鞄を閉じた。
「あなたの人生なので部外者があれこれ口を出すのはお門違いでしょうが……後悔することだけはなさらないようにしてくださいね」
やけに粘ってくるな。
……いや、ひょっとしたらこの医者は今までに、私のような女冒険者の手当をしたことがあるのかもしれない。そして……もしかすると、冒険者になったことを後悔した女性もいたのかもしれない。
「……肝に銘じておきます」
「ええ、そうしてください。……では、失礼します」
医者が帽子を被って部屋を出て行ってから、私はぽすんとベッドに寝転がって煤けた天井を見上げた。
名前を言いたくないあの人と婚約していた頃は、いつかあいつの妃になって子どもをたくさん産むんだ……なーんてことを夢見ていたりした。神殿で世話になった神官たちにもその話をしたっけ。
でも一年前に婚約破棄をたたきつけ、ファブルの町に流れ着いてからはそんなのを考えることもしなかった。だいたい相手がいなかったし。いつぞや私たちにお色気テクニックを伝授してくれた娼館のお姉さんにも申し訳ないと思いつつ、「教わっても使う機会ないよなぁ」と思っていた。
……いや、まてよ。
私の家には今、家政夫がいる。そいつはどうやら私のことが好きらしく、しかも生物学上男であることが判明した。
……。
……ない、よね?
「カティアの嫌がることはしないって誓いを立てている」ってからには……ないよね? そうだよね? あれ、ということは私が嫌がらなければオールオッケーってこと?
……。
……うん、どうやら怪我をしてからちょっと頭が煮えたぎっているようだ。
仲間には夜まで休むって言っているし、考えるのはやめ! おやすみ!!
夜のうちに、仲間の一人がファブルの町宛てに速達を送ってくれていた。まあ、内容は簡単で「魔物を倒した。全員生存だがカティアがちょっと怪我をした」っていうよくある報告だ。ちょっと手こずる魔物とかが相手の場合、可能ならば結果報告をまめに送ることが推奨されているんだ。速達料金はギルド持ちだから、私たちは積極的に報告を送るようにしている。
朝食を食べて、私たちは村を出発した。
きっと速達はもう届いているはず。このまま順調に帰路につけたら昼ぐらいには戻れるはずだから、怪我のことがヒースにばれないようギルドの皆に口止めをしておけばいいだろう。
……そう思っていたんだけど。
「おかえり、カティア」
ギルド本部に戻るなり、金髪の美青年が憮然とした顔で私たちをお迎えした。
……えっ、なんで君がここにいるの?
「なにしてんの」
「君の帰りを待っていた」
「あ、そ、そう。うん、ただいま」
私はとりあえず帰宅の挨拶をしたけれど、ヒースの無表情が怖かった。
……これ、もしかしなくてもまずいんじゃない?
ギルドの入り口で対峙する私たち。仲間たちはそそっと私たちを回避し、無言でカウンターに向かっている。そこにいたエイリーは昨晩私たちが送った速達の手紙を手に、「ごめん」と口パクで言ってくる。
……ああ……つまり、ヒースも見ちゃったんだね、速達。
「あの、ヒ」
「君のことが心配だから、朝一番でギルドにお邪魔した」
「お、おう」
「そうするとちょうど速達が届いて……見せてもらったんだ」
「あー……それはそれは」
「すぐ帰ろう。……すまない、カティアを連れて帰ってもいいか」
くるりと振り返ったヒースが抑揚のない声で問うと、カウンター席に座って仕事の後の一杯を注文していた仲間たちは「おー、どうぞどうぞ」「あとは俺たちがやっておくから」と二つ返事で答えた。
……えっ、そこはちょっと躊躇ってほしかったんだけど……?
こちらに向き直ったとき、ヒースは笑顔になっていた。ただ……いつものふわっとした柔らかい笑みじゃない。口元は弧を描いているのに、目に光がない。
「許可ももらったことだし……帰ろう、カティア」
「ア、ハイ」
だだをこねても事態が悪化する一方だろうと判断した賢明な私は、大人しくヒースに従うことにした。
……ただし。
「え、いや! これくらいの怪我程度だし、歩いて帰れるから!」
「だめだよ。……君は怪我人だろう? 俺が連れて帰ってあげるから、ほら、体を預けて?」
「いやいやいや! 村からここまで問題なく帰ってこられたんだから、家まで普通に歩けるよ!?」
「俺が心配なんだ。ちょっとくらい俺に世話を焼かせてほしい」
「十分焼かれているから!」
「カティア、静かに」
「ア、ハイ」
結局私は折れ、ヒースに抱えられて帰宅することになった。ヒースにも最低限の常識はあったのか、ギルドを出て人気の少ないところに来てからこの悶着をしてくれたのでまだ助かった。ギルドの中でやられたら、間違いなく私は離職届を出していた。
とはいえ、私はまだ鎧姿だし剣も持っているし、細っこいヒースに抱えられるんだろうか……と思った。でも、それは杞憂だった。
ヒースは私の膝裏と背中に手を回すと、いとも簡単に抱え上げてしまった。無理だろうなぁ、と失礼なことを考えていた私はいきなり足が宙に浮いたため、悲鳴を上げて彼の首に掴まってしまう。あっ、結構首周りががっしりしている。
「あ、あの、ヒース!」
「じっとしていて。……負傷したのはお腹だったかな? 体は辛くない? 痛いところは?」
「な、ないよ。……その、重いでしょ?」
「うん……まあ、鎧と剣が重いね。でも、ちょっと魔法に頼っているから大丈夫だよ」
ああ、そうだ、この人は万能型魔法使いなんだ。身体強化魔法も、私ほど特化していないけれどある程度使いこなせるみたいだし。
「……なんか、ごめん」
「君が謝ることはないよ。ただ、今日くらいは大人しくしていて。それで、俺に世話を焼かせて」
「……分かりました」
素直に答えると、ヒースは「分かればいいんだよ」と私の体を優しく抱きしめてくれた。
ヒースの匂いや温もりに包まれ、不覚にも……私の胸はとくとくと、通常より早く脈打ってしまっていた。
「……そうか。魔物の蹴りを腹に――」
家に着き、シャワーを浴びて体を清めた後、私はヒース特製蜂蜜入りホットミルクを手に事情を説明することになった。ちなみにシャワーを一人で浴びるか介助が必要かでかなりもめたけれど、最終的にヒースは折れてくれたので助かった。
私の向かいの席でホットミルク|(蜂蜜は入っていないらしい)を啜っていたヒースは私の説明を聞き、険しい顔で唸っている。
「速達を読ませてもらったときは、体の芯から冷えるような感覚になった。……あれには君が怪我をした、としか書かれていなかったから、血が出ているのか、骨が折れていないか、君の顔に傷が付いていないか、心配で心配で――それで俺は午前中、ギルドに居座らせてもらったんだ」
「そ、そうなんだね」
「腹を蹴られたということだけど、内臓まで行っていないならひとまずよかった。でも、頼むから体は大事にしてよ」
そう言うとヒースはカップを置くと私の手からもホットミルクを奪い、そっと両手で私の手を包み込んできた。ついさっきまで温かいカップを持っていたからか、どちらの手もほかほかと温かく、今みたいにぎゅっと握られるとむしろ汗ばんでくる。
「君が自分の仕事を大切にしているという気持ちは、よく分かる。それに君の能力を鑑みると、冒険者という仕事が天職であるのも分かるよ」
「まあ、脳筋ですから」
「でもね、体を壊したら元も子もないんだ。……かつて君と鎬を削る関係だった俺が言うのはおかしいのかもしれないけれど、できるなら君には傷ついてほしくない。今回だって……運良く打撲で済んだみたいだけれど、もし後遺症が残るような怪我だったら……もし死んでしまったら……俺は、何のためにここに来たのか分からなくなるよ……」
「そ、そんな――」
大げさな、と言おうとして私はぐっと言葉を飲み込んだ。
大げさでも何でもない。冒険者という仕事が死と隣り合わせなのは当然なんだ。たまたま私は常人より高い能力を持っているし、今回の場合はパーティーを組んでいたから魔法の得意な仲間に補助をお願いできたけれど、いつ任務中に死ぬか分からない。元勇者の私でも昔よりは魔力が落ちたから、昨日遭遇したような上級魔物数匹と一人で戦うのはかなり危ない。
「魔物と戦うな、冒険者を止めろ、とは言わないよ。でも……もうちょっとでいいから、自分の体を大切にしてほしい。だから、『これくらいの怪我』なんて言わないで」
……ああ、そうか。
ヒースは私が怪我をして帰ったことよりも、自分の怪我を「これくらい」で済ませたことに納得がいかなかったんだ。
彼は私の力をよく知っているし、冒険者という仕事をすることを尊重してくれる。ただ、自分の体を大切にし、「これくらい」で怪我を軽んじないでほしかったんだろう。
それまでは、「どうしてヒースはこんなにくどくど言ってくるんだろう」と思っていたけれど、すとんと納得できた。私は片方の手を引き抜くと、そっとヒースの手の甲に触れた。ちょうど、私とヒースで交互に手を挟む形になっている。
「心配してくれてありがとう、ヒース。……あなたの言うとおり、私は自分の怪我を軽んじていたよ。これから気を付ける」
「……その、ごめん」
「何が?」
「……いや、何でもない。……今日はもう外出する予定はないよね? 夕食までゆっくり休んでいてよ」
「……あ、うん。ありがとう。今日のご飯、何かな?」
「肉の予定」
「いいねぇ」




