14 生物学上の問題である
その後、私たちは無事に町長に会って簡単にヒースの説明をすることができた。
町長は既にエイリーからヒースのことを聞いていたらしく、「仲良く協力し合って暮らしなさい」と助言をくれた。冒険者や町の人みたいに「婿」「旦那」と言ってこないのは本当にありがたかった。
「そろそろ夕食の買い出しに行く時間だね」
町長の家でお茶をもらってお暇したときには、既に太陽は西の空に沈みかけていた。大通りでは夕食の買い出しをする人や仕事を終えて帰路に就く人などで結構にぎわっている。夕食の仕度をしている家も多いようで、住宅街エリアの方からはなにやらいい匂いが漂ってきていた。
「そうだね。今日の晩ご飯は何?」
「特に考えていなかったから、店を見ながら考えてもいいかな?」
「……そんなのできるの?」
私にとって「食料の買い出し」とは、あらかじめ作るものを決めておいてそれに必要な食材を選んで買うってものだった。いや、料理できない人間が偉そうなことを言えないんだけどね!
私がじっと見つめると、ヒースは朗らかに笑って頷いた。
「もちろん。……ああ、こういうのも神殿で教わったんだ」
「そんなことまで教えるほど神官も暇じゃないと思うんだけど……」
「まあ、いいじゃないか。……生活費の財布は持っているよね? もしカティアがよければ、一緒に買って帰らないかな?」
「いいよ。いったん帰ると手間になるものね」
それに二人で買い物に行けば、腕が四本あるからたくさんの買い物袋を抱えることができる。買い物で暗算したり値切り交渉したりするのは正直苦手だけど、荷物持ちならどんとこい! 木箱の三つや四つ、ひょいっと持ち上げてみせるからね!
……と意気込んだのだけれど。
「……あのさぁ、ちょっとは持つよ?」
「大丈夫だよ。カティアは財布だけちゃんと持っていてくれればいいからね」
そう笑顔で返すヒースは、既に両腕に麻の袋を二つずつ、両手で木箱を二つ抱えて、その上にさらに穀物入りの袋を乗せている。
二人で買い出しに行けるのだから保存食とかも買っておこう、ってヒースの提案に乗ったのだけれど、私が持っているのはパンの入った袋と財布だけ。
「……さすがに荷物の量が違いすぎるでしょ? ほら、その袋のどれか貸してよ。持つから」
「気にしないで。これも鍛錬の一つだし、女の子に重い荷物を持たせるつもりはないから」
ヒースの言葉に、荷物を受け取ろうと右手を差し出していた私はその格好のまま固まってしまう。
「……お金を受け取っているから、じゃなくて?」
「お金? ……ああ、給金のこと? それとこれとは別じゃないかな? 別にお金をもらっていなくても、俺は荷物を持ったと思うし」
あっさり言われて、私は言葉を失った。
てっきり、「給金をもらっているから」荷物持ちをしてくれているんだと思った。お金を受け取るのを渋っていたから、それに見合うだけの働きをしてくれているのかな、くらいに思っていたのに。
ヒースが荷物を持ってくれるのは、私が女だから。ビジネスだからじゃなくて、ただ彼がそうしたいと思ったから。
……女扱いされるなんて、いったい何年ぶりだろう。
魔王討伐の旅の途中、護衛たちに「勇者様は女性ですので」ということで別室を用意されたりはしたけれど、今のような扱いを受けたことはなかった。
ヒースは何も言えなくなった私を不審に思ったのか、微かに眉根を寄せた。木箱の一番上に載せていた袋がずずっと滑りそうになったけれど、あごを使って元の位置に戻していた。器用だな。
「……ひょっとして、女性扱いされるのは嫌だった?」
「嫌じゃないよ。ただ……慣れていなくて。ほら、私ってそこらの男より怪力だし、女らしくないじゃん? だからびっくりしちゃって」
あはは、と笑い飛ばしてから、私はいつの間にか止めていた歩みを再開させた。私に倣って立ち止まってくれていたヒースも慌ててついてくる。
「そういうことなら、遠慮なく荷物持ちしてもらうからね。……あと、何を買う予定だっけ?」
「……肉だね。それを買ったら家に戻ろうか」
「そうだね。今日もおいしい料理、期待しているよ」
活を入れるためにヒースの背中を叩こうとして――荷物持ちをしてもらっていることを思い出し、すっと手を下ろす。
本当は。
「女の子」扱いされて、結構嬉しかった。
でも私はヒースを喜ばせるような返事を知らないし、「嬉しい」と告げられるほど素直でもなかった。
ヒースが魔王から人間になったということで、地味に気になっていたことがある。
「あー、さっぱりさっぱり」
肩からタオルを引っさげ、下着の上にハーフパンツと薄手の半袖シャツ一枚という格好。でも体中ほかほかしていて、まだ上着を着る気になれない。
そのままの格好で室内靴を履き、ぶらぶらしながらリビングに行く。ソファでごろごろしながら髪が乾くのを待とうと思ったんだけど。
シャワーを浴びたことで汗以外にも大切なことが流れ出ていってしまったのかもしれない。まあ簡単に言うと、この家にもう一人人間がいることを失念していた。
「あっ、カティア。湯の温度は――なんて格好しているんだ!?」
ソファにゆったり腰掛けていたヒースが振り返るなり、ブッと変な音を立てて叫んできた。ああ、そうだ。私は自力でシャワーの温水を調節できないのにどうして体がほかほかしているのかというと、とてもよく働く家政夫がいるからだった。
茶を飲んでいたらしいヒースは跳ねるように立ち上がると、ドアの前でぼーっと立ったままだった私に向かって怒り顔を向けてきた。あ、彼のこんな顔初めて見たかも。
「朝もよく着崩しているけれど……俺だって男なんだから、ちょっとは警戒してくれるかな!?」
「あっ、ヒースってやっぱり男だったんだ」
「そこなの!?」
「あ、いや……たぶん男だろうなぁ、とは思っていたけれど……なんかごめん」
いや、そりゃあ見た目はちょっと中性的だけど骨格とかは男のそれだし、声も柔らかいけれど男の人の声域だけど……ごめん、なんとなく「性別不明」のように考えていた。
そんな扱いをしてしまっていたことはさすがに申し訳なくて失言を謝ると、ヒースは大きなため息をついた後、ソファの背もたれに引っかけていた自分の上着を手にとって、私の肩からふわっと掛けてくれた。
「……まあ、君も不審に思って仕方ないよね。俺は神殿で洗礼を受けたとき、人間の男の体を形成してもらったんだ」
「……えーっと……えっと、質問いい?」
「どうぞ」
「なんというか……お願いすれば女にもなれたのかなぁって思っちゃって……その辺、どうなのかな?」
おずおずと質問すると、ヒースは腕を組んで考え込むように眉根を寄せた。質問しておいて何だけど、それほど気分を害してはいないようで安心する。
「どうなんだろうね。俺の場合は力がほしいし、カティアに異性としてちょっとでも意識してもらいたいから男の体を所望したんだけど……ああ、誓いは立てているから安心してね」
「う、うん」
分かってはいるけれど、「異性として意識してもらいたいから男になった」って、結構な殺し文句だよなぁ。というか、ヒースが私のことを意識していると分かっているはずなのにこんな格好で彼の前に出てきた私って……もしかして、痴女?
「その、ごめん。ヒースがいることをすっかり忘れていた私がいけなかった」
「気にしないで。……まあ、君の嫌がることはしないという誓いは立てているけれど、それでも俺の理性を揺さぶるようなことはあまりしてほしくないな。その点は……いいかな?」
「わ、分かった。気を付ける」
目を細めて「いいかな?」と柔らかい口調で囁かれると、不覚にも胸がどきっとしてしまった。私は「服を取ってくるから!」と早口で言い訳し、リビングから飛び出した。
……そう、か。ヒースも男の人なんだな。
あのゲロゲロキモイ魔王が洗礼を受けて人間になれるもんなのかって疑問ではあるけれど、神殿はもともと謎の多い場所だ。私のように神官でもない人間が知っているのはほんの一部分。クロムウェル神官長様でさえ、「神殿には私の知らないこともある」っておっしゃっていたくらいだ。人外が人間になる秘術もあるんだろう……たぶん……知らないけど……。
……そうか。つまり私は今、男の人と同居しているのか。これまでは「よく分からないけれどたぶん男」みたいな認識だったし元魔王という印象が強すぎたんだけど、彼の口からはっきりと性別を聞いたとなると……。
いやいや、私たちは雇い主と雇われる側! それ以外の何でもない! 以上!
慌ててカティアが上着を取りに行くのを、ヒースは微笑みを浮かべて見守っていた。
だが彼女の足音が遠ざかると、彼はふと表情を消して遠くを見つめるような眼差しになった。
「……君は昔から、ちょっと抜けていたね。正義感は強いのに空回りして、大事なこともすっかり忘れていたりして……でも、そういうところが君らしいし、そんな君が好きなんだよ」
ヒースの呟きがカティアに届くことはなかった。




