1 女勇者、立ち聞きをする
その日、クレイ王国王都リンステッドは、お祭り騒ぎだった。
人々は年代物のワインの樽を開け、料理を振る舞うことで呑んで食べており、夜になっても城下町は光と音楽に満ちあふれている。
街角からは色とりどりの花火が打ち上がっているが、きっと手製なのだろう。いくつかの花火は火薬の分量を間違えたようでときおり小さな爆発を起こして悲鳴が上がっているが、それもまたにぎわいに彩りを加えているにすぎなかった。
人々の話題は専ら、魔王討伐を終えて本日リンステッドに凱旋した勇者のこと。
曰く、勇者は十七歳である。
曰く、勇者は女性である。
曰く、勇者は常に甲冑姿で、その容姿は謎に包まれている。
曰く、勇者は身体能力強化の魔法に優れており、一騎打ちの末に魔王を討ち取った。
曰く、勇者は女でありながらゴリッゴリの筋肉を持っており、片手で巌を破壊できる。
そんな女勇者は今、王城の凱旋記念式典に参加している。
魔王がこの世界に現れ勇者が選定されて、十七年。魔王を倒すための希望の星として神の選定を受けた女勇者は天命に従って魔王を討伐し、今後第一王子の妃に迎えられることになっている。
「勇者ケイトリン様が魔王を討ち取ってくださったのはありがたいことだが……王子の花嫁とはねぇ」
「殿下、おかわいそうに……」
「だよなぁ。だってケイトリン様は英雄だけど、男顔負けのゴリゴリ筋肉なんだろう? いくら魔王討伐の褒美だからって、ラルフ王子が哀れだ」
そんな噂も聞こえていたが、どれもにぎやかな喧噪に紛れ、かき消えていった。
夜になっても、城下町は活気に満ちている。
町の灯りは、命の灯火。
私は廊下の欄干に両手を乗せ、平和の証である町の灯火を飽きることなく眺めていた。
「……守れたんだな」
ぽつんと呟き、すっかりぬるくなってしまったワインを口に含む。高級品のワインは甘さよりも酸っぱさの方が勝っていて正直私の好みじゃないけど、ふわふわしそうになる頭をしゃっきりさせてくれるようで、今はちょうどよかった。
初夏の夜風が私の髪を乱していく。明るい日差しの下では茶色っぽく見える私の髪は今、夜の色に染まっているはずだ。着ているドレスも目の色に合わせた濃紺なので、星灯りにぼんやりと照らされた私の姿は全体的に暗い色合いに見えるだろう。
魔王を討ち取った勇者ケイトリン――それは私のことだ。
なぜか巷ではムキムキマッチョ女だと思われているけれど、決してそんなことはない。私は生まれながらに身体能力強化の魔法に優れていて、戦闘中に一時的に腕力や脚力を強化させることで魔物を倒し、魔王との一騎打ちを制すことができただけだ。そりゃあ、剣を振るうし長旅もするから最低限体は鍛えているけれど、ゴリマッチョは誤解だ。
私は魔王を討伐し、今日の昼にリンステッドに帰還した。国王陛下にご挨拶をするとすぐに身なりを整え、凱旋記念式典に参加した。偉い人や世話になった神官たちと挨拶したりおいしいご馳走を食べたりしたら、あっという間にこんな時間。
私は勇者にごまをすろうとする輩を撒き、この人気のない廊下まで逃げてきた。ドレスは薄手だからちょっとだけ肌寒いけれど、ここからは城下町の風景を一望できる。
町が活気に満ちている光景を見ていると――ああ、私、頑張ったんだな。ちゃんとできたんだな、って実感できるんだ。
空になったワイングラスを手すりに置き、うーん、と伸びをする。こうやって一人で気楽に行動できるのも、もう後わずか。
なぜなら……私はもうじき、この国の第一王子であるラルフ様と結婚するからだ。
「……結婚、かぁ」
……う、うーん……自分で言っておきながら、なんだか恥ずかしくなってきた。
ラルフ様は私の初恋の人で、いつも物腰が丁寧な素敵な貴公子だ。八歳で勇者の選定を受けて故郷を離れて王都にやって来た私は、「絶対に魔王を討伐するので、結婚してください」とラルフ様に告白した。今思えば、なんともマセた八歳児だと思う。
そんな私に対して、ラルフ様は満面の笑みで「もちろん!」と応えてくださった。そうして手を繋いで一緒に国王陛下にお願いしに行ったのが、九年前のこと。
女である私に魔王討伐という重責を負わせることに同情してくださっていた国王陛下は少々悩んだものの、私のお願いを受け入れてくれた。ラルフ様とは、「私たち、将来は国王夫妻だね」と笑い合っていたっけ。
だから、私は頑張った。
本当は痛いのも疲れるのも嫌だけど、必死で特訓した。魔物討伐だって、人間とも動物とも違う化け物相手とはいえ剣を振るうなんて嫌だったけど、一匹残さず斬り捨てた。人助けなんてがらじゃないんだけど、「これも勇者のつとめだ」と護衛たちに言われたから、なんでも手を貸した。
頑張れば、ちゃんと見返りがあるから。
魔王降臨によって意気消沈していた世界に活気が戻り、私は大好きな人と結婚できるんだから。
ラルフ様には、さっき挨拶してきたところだ。ラルフ様は私とダンスを踊り、「君を花嫁に迎えられるなんて、私は幸せ者だな」と満面の笑みで言ってくださった。……幸せ者は、私の方です。
これから私は剣を捨て、王子の花嫁――そしていずれ王妃となるための訓練を受ける。勉強はそこまで苦手じゃないし、体力には自信がある。魔王討伐の戦いでかなりの魔力を消耗してしまったけれど、それでも抜群の身体強化魔法は健在だ。これからはこの力を、ラルフ様のために捧げるんだ。
……ああ、顔が熱い。きっとワインをたくさん飲んだせいだね。うん、きっとそうだ。
私はグラスを手に取り、きびすを返した。会場を抜けてかなり時間が経つ。部屋に戻るにしてもいったん陛下のところに挨拶に伺うべきだろう。
そう思っていた私は――ふと、風に乗って届いてくる男性の声を耳にし、足を止めた。
この、男らしくて色気のある声は――ラルフ様?
きょろきょろと辺りを見回したけれど、それらしい姿は見えない。試しに身体能力強化魔法を使い、一時的に聴力を強化してみた。
個人差はあるけれど、世の人の大半は何らかの魔法を使うことができる。炎を起こしたり、傷を癒したり、空を飛んだり。そんな中、私は「視力強化」「筋力強化」「俊敏性強化」といった物理特化の魔法しか使えない分、そのバリエーションは豊かだった。
「聴力強化」は、普通の人間の耳では聞き取れない高い音や微かな音も把握ことができる。気を付けて使わないと大音量になった爆音とかで耳が壊れてしまいそうになるけれど、隠密行動や魔物との戦いでは非常に重宝していたし、私も子どもの頃から神殿で能力を操る訓練を受けてきたから、コントロールすれば大丈夫。
「聴力強化」によって、私の耳はどこからか聞こえてくるラルフ様の声をしっかり拾うことができた。これは……どうやら、お友だちとおしゃべりをなさっているみたいだね。
『……だな。ケイトリンが――』
あっ、私の話題?
ついつい私は興味を惹かれ、魔力を込めてさらに聞き耳を立てた。
ひょっとすると、ラルフ様が私のノロケを話しているのかもしれない。私のことを褒めているのかもしれない。あっ、今胸がドキドキしている。
……そんな淡い期待をしていたのが、間違いだった。
『……ですね。殿下もお人好しで』
『本当に。いくら陛下のご命令だからって、断ることもできたのでは?』
『陛下も陛下です。いくら魔王討伐を果たした英雄だからって、あんな粗野な女を次期王妃にするなんて……酔狂ですよ』
……何?