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二 砂を噛む日々

「瑠海男、可愛がりに来てやったぜ。」

 授業が始まった週のある日の昇降口。靴を履き替えて帰ろうとする瑠海男の襟首に、大きな手が伸びた。待っていたのは、教師よりもはるかに大きい男達。一年上の新三年生、平岩慎吾と田丸二郎だった。

 睨みをきかず札つきの不良たち。目を伏せて帰っていくクラスメイトたち。瑠海男はか細い首筋を掴まれて校舎裏へ。二郎たちは半分近く使った消しゴムを見せて、凄みながらいった。


「これ買ってくれよ。」

「お金は持ってないです。」

「じゃあ、交換してやるから、お前のを出せよ。」

「僕ので良いの?。」

 瑠海男はギリギリまで使い切る直前の消しゴムを見せようとした。

「誰が使い古しを欲しがるかよ。そんなこともわからねえなんて、相変わらず、空気が読めねえやつだな。俺が使った消しゴムだからよ、特別な価値があるんだぜ。当然新品を用意しろよ。」

「そんなもの無いよ。」

「じゃあ、代金を用意しろよ。」

「金をなんで払わなきゃならないの?。」

「このやろう、金を出せば良いんだよ。」

 砂をかまされた瑠海男。まだ子供程度の背丈しかない瑠海男には、逃げ場はなかった。


 瑠海男は教師達に訴えたこともあった。新設の学園であることもあり、教師たちは一生懸命であった。しかし、先生達は、厳しい境遇の彼等に同情的だった。それほど葛飾の住民は、皆貧しかった。

 子供を生んでは余裕なく働く親たち。目敏く出し抜きその日を暮らす少年たち。力のない瑠海男は格好の餌食だった。

「先生、また奴等が僕をモップで殴って……。」

「そうか、何があったんだ。」

「重太らが掃除をしないから、指摘したら、四人がかりで殴ってきたんです。」

「あいつら、かわいそうなやつなんだよ。重太なんか母親がいなくなっちまって、本人は毎日食うのに困っているんだぜ。だから仕方ねえよな。まあ、俺の方からも注意しておくよ。」

「でも、前も注意してもらいましたが、またやるんですよ。」

「うーん。わかった。また注意しておく。でも、お前も、いじめられないようにしろよ。なんでそんなに空気が読めないのかなあ。」

「空気?。雰囲気のことですか。調和のことですか。ナンセンスです。他者の権利を侵害している事が調和であるという前に、救いはどこにあるか、正義が何処にあるかを考えるのが、一番初めだと思いますが……。」

 先生は、もうたくさんだ、あっちへ行けと言うように手を振る。この時の瑠海男は途方にくれた……。


 瑠海男は信念と意地で対抗した。双葉学園の剣道部にいた時、その女剣士、いや顧問の杉浦と言う女教師は、人間のあるべき姿を強く教えた。虐められる側に落ち度は一切無い……。そんな意識の高い大人は青葉学園ににも、自宅にもいなかった。義父には、いじめられるやつに原因があるんだぜと言われるのが関の山だったし、義父に対してあまり立場の強くない母親を悲しませたくなかった……。


 瑠海男は、地面に押し付けられて砂をかまされるままに、心を閉じようとした。

「・・・誰も助けてくれない。僕は何にも持ってないからかな、つまらない人間だからかな。こんなに正義は曲げられているはずなのに。こんなに辛いことでも、ほんの小さなことにすぎないんだろうな。」

「何をブツブツ言っているんだよ。」

 慎吾は、畳み掛けていた。それに合わせて、二郎も瑠海男に絡み始めていた。

「そうだ、お前はつまらない奴なんだぜ。そうだ、ズボンを脱がしてやれ。面白くなるぜ。」

 深い草むらに押し込まれると、まだ非力な瑠海男には争う術はなかった。

「お、こいつはもう毛が生えているぜ。」

 両手を押さえられ、ズボンや下着を取られた瑠海男は、靴で股間を何度も叩かれて、動けなくなった。

「コラァ、そこで何をしているか。」

 校舎裏に来た教師だろうか、遠くから掛け声が掛かった。慎吾と二郎は、動けなくなった瑠海男を放り出して逃げていった。校舎裏の深い草むら。隠されて横たわる瑠海男。声も身じろぎもない瑠海男。立ち上がる力もなく、また助け起こす者もいなかった。深い草の匂いと温もりだけが、黙って瑠海男を受け入れていた。


 瑠海男は、小さく念じていた。

「僕は、なぜかはわからないけど悪いことをして正義に外れたことをしたから、苦しい目に遭うんだろうか。この泥塵にまみれた塵そのもの。何もできない塵。つまらない男だなあ…。苦しい、助けて欲しい。」

 しかし、いずれからからの答えがすぐにある筈もなく、虚しい彼の手には惨めな涙しか無かった。

  風は吹いてなかった。


 その後しばらくの間、瑠海男なりに教室では目立たないようにいた。帰宅を早めて自らを守る工夫をしたつもりだった。


 二週間後の放課後、教室を出ようとした瑠海男の行く手を、大きく広げた掌が塞いだ。同じクラスの重太と秀夫。餌食を見いだしてニヤつくハイエナたち。塞がれた出口。逃げ場のない教室の隅。重太たちを前にして、ほとんどの生徒は餌食にならぬよう教室を逃げ出してしまった。


「瑠海男、どこへ行くんだよ。」

「え、えーと、帰るとこだよ。」

 瑠海男は直立不動になって答えた。

「帰る?。まだ早いぜ。俺たちの仕事に付き合えよ。」

「やだよぉ。」

「なんだトォ。俺たちはな、食えないと生きられない、食う金は親にも無いんだぜ。お前も、俺たちがかわいそうだろ。だから、俺たちの代わりに、あのスーパーの食べ物を持ってこいよ。」

 重太が理屈にならない御託を並べていた。重太は、暗く鈍く淀む空気を漂わせ、目は鉛のような鱗をまとっていた。瑠海男は理屈を考えて、矛盾を指摘すれば逃げられると考えていた。

「盗みは悪い事だから、やらない。脅迫も悪い事だよ。」

「答え方がまるでガキだな。俺たちは、かわいそうな人達なんだぜ。なんで人助けが出来ないんだよ。」

「それは、悪い事だからだよ。かわいそうな人たちは、それでも悪いことはしないよ。仏様の戒律に盗んではならない、と書いてあるし。だからダメなんだし、あなた達は間違っている。今こそ、正しい道へ立ち返るべきだよ。苦しいならそこからの救いの道を求めるべきだよ。」

 瑠海男は歯を食いしばって反論し続けた。

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