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芽生え

「あっそうだ、今迄のお礼に背中を流してあげようか?。」

「誰からそんなことを教わったの?。」

「お姉ちゃんから。高校の先輩から教えてもらったんだって。」

「ふーん。」

朱璃が姿勢を変えようとした時、朱璃の太ももに今までにない激痛が走った。

「い、痛い。」

「どうしたんだよ。」

瑠海男は思わず振り返った。朱璃は腫れた左脚をかばうように片脚立ちをして、顔を痛みでゆがめていた。瑠海男は朱璃を椅子に座らせ、左足の大腿部をみた。朱璃は必死に痛みに耐えていたが、二人とも、朱璃が自力では山荘まで帰れないことはわかった。

「瑠海男ちゃん、歩いて帰る自信がないの。どうしよう。」

瑠海男も、朱璃と自分の石鹸の泡を落としながら逡巡していた。朱璃に肩を貸して歩いて行くか、朱璃を預けて助力を仰ぐか、彼女を抱えて帰るか、それともおんぶか。

「寄りかかっていいから。歩けるかな。」

瑠海男は朱璃を歩かせようとした。

「痛い。」

彼は脱衣室まで彼女を抱えることにした。力んで持ち上げてみると、朱璃の体はそれほど重くなかった。

「これなら運んでいけるな。」

「えっ、何?。どうするの?。」

瑠海男の硬い筋肉質の腕で仰向けに抱き上げられた朱璃は慌てて身動ぎし、瑠海男は彼女を落とすところであった。

「暴れないで。運んであげるから。」

山荘までは遠かった。着替えと身支度をととのえたのち、瑠海男は朱璃を負ぶうことにした。

「はい、おんぶ!」

「えっ。う、うん。」

朱璃は、困ってしまった。山荘に帰り着いてから、姉の由美子に何と言われて揶揄われるか?。母からどんな小言を言われるか?。なにより、勝気な朱璃には自分より少し背たけの低い男の子に、おぶってもらうことが悔しかった。しかも、彼女が体重を預けた瑠海男の腕は太く硬い筋肉質であったためか、微妙なくすぐったさがあって慣れることができなかった。

初めは朱璃も我慢していた。しかし、瑠海男の角張った腕が当たる臀部のくすぐったさに耐えることができず、朱璃はもぞもぞ動き始めてしまった。

「さっきも言ったけど、暴れないでよ。落ちちゃうよ。」

「だって…。」

「何を慌てているの?。」

「慌ててないよ。」

「どうしたの?。」

「もう下ろして。」

「でも…。わかったから、暴れないで。」

朱璃は、突然に火照った顔を持て余した。瑠海男はそれに気づいたのか、そうでないのか、そんな朱璃を抱えて帰った。朱璃の顔はさらに赤くなっていた。


由美子は、笑いながら朱璃の顔を覗き込んでいた。

「軽々と持ち上げられたから、びっくりしたでしょ?。瑠海男ちゃんは力持ちだったでしょ?。」

「うん…。」

朱璃は、赤い顔をさらに真赤にしていた。

「でも、足の痛みのことがあるから、二人だけで出掛けないことね。」

瑠海男は、無意識に会話を避けるように黙っていた。女の子同士の話には、もともと苦手意識があった。さらに、姉妹同士の話には入って行けなかった。


雄二が真面目な顔をして、瑠海男に話しかけてきた。

「なぜ、彼女が片膝をつく姿勢を取らせたんだ?。」

瑠海男は受け身だった。

「背中を流してくれるっていうから……。」

「朱璃ちゃんの足に、時々痛みが来るのは知っていたよな。」

「ごめん。」

朱璃は、横から瑠海男を庇った。

「雄二さん、私が自分からやったの。瑠海男ちゃんのせいじゃないの。」

「それでも年長者として、しかも家庭教師までしている立場なら、わきまえるべきだよ。」

「本当にごめんなさい。」

瑠海男は、朱璃に庇ってもらっては、もう何も反論できなかった。それでも、雄二は続けた。

「それに、だ。朱璃ちゃんとなんで一緒に風呂へ行くんだよ。」

完全に受け身になっていた瑠海男は黙っていた。しかし、横から朱璃が答えていた。

「雄二さん。それは、私がお願いしたの。」

「えっ。それって…。」

いいよどむ雄二に、ミサヲがまた答えた。

「雄二さん、私も瑠海男ちゃんに頼んだのよ。」

雄二は黙ってミサヲを見、瑠海男を一瞥し、朱璃を見つめた。

「だって、私はまだ小学四年生だし…。それに、私が足を引きずりながら大浴場へ入って行ったら、知らないおばさん達が、興味本位で足のことをあれこれ聞くだろうし…。次の日にどこかで会えばうるさいだろうし….。」

「まあ、そうだな。」

「だから、瑠海男ちゃんや、オジさん達はおせっかいでないと思ったから、男湯を選んだの!。」

「わかったよ。」

しかし、雄二は怪訝そうだった。


日光からの帰路は、秋霖、雨だった。すでに太平洋高気圧は南へ去る季節であり、秋雨と台風の季節だった。そんな季節のためか、瑠海男は、日光で吸い込んだ花火の煙をきっかけに咳き込み、持病の喘息が出ていた。鼻づまりも伴い、瑠海男の鼻は鼻のかみすぎで赤く腫れていた。瑠海男は、北千住で一行と別れを告げて帰宅した。咳を心配した母は、東堀切の黒田医院へ連れて行った。黒田先生は、花火の煙や温泉のガスによる肺機能の低下を心配した。

「一度、肺機能などの精密検査をしてもらいなさいね。えーと、東大病院に行ったことはあるかい?。私の母校だし、知り合いがいるから。」

「いいえ。存じませんでした。」

「逓信病院は?。御茶ノ水の三楽病院は?。」

「いえ。病院は、近くの民衆病院しか知らないです。」

「あそこは、小さいからな。では、錦糸町の墨東病院でいいかな。」

そう言って、紹介状を書いてくれた。


「咳なんて、弱虫だから出るんだよ。いつも疫病神ぢゃねえか。めんどうくせえなあ。

しかたねえ、納品ついでに、俺が連れていっとくよ。」

土砂降りの雨の中、義父は、めんどくさそうに草履の仕上がりを持ち込むオート三輪に瑠海男も乗せて、病院へ向かった。オート三輪は、二サイクルエンジンの高い音を上げながら、四ツ木橋を駆け上がり、玉の井を抜けて押上駅前の交差点の手前にきた。

「おめえはここで降りろ。ここから錦糸町までは歩いて行け。」

瑠海男は一本の傘を渡され、降ろされてしまった。瑠海男は途方にくれた顔をしたが、義父は構わず行ってしまった。瑠海男は、雨の中の交差点で立ち尽くしてしまった。それでも、真っ直ぐ行くと錦糸町なのだろうと、当たりをつけて歩き始めた。

しばらく行くと、強い雨脚にけぶる行先に曲がっていく都電が見えた。そのさらに先には、道の真っ先を横切って走る総武線が見えた。瑠海男は、都電が蔵前橋通りから南に曲がる四つ目通り沿いに歩いてきていた。瑠海男は、雨に烟る錦糸公園の広がりを左に見つつ、傘に当たる雨脚のザザッという音を聞きながら、京葉道路を越えるまでトボトボ歩き続けた。


瑠海男の病室は、六人部屋の中頃だった。三日程度の入院と言われて居た。それでも、手持ち無沙汰の瑠海男は、入院前に全ての宿題を終わらせて来たことを後悔して居た。何をすることもなく、ぼんやりと窓の外をみると、走り出した焦げ茶色の国電が、雨に霞んでみえた。

「確か、朱璃ちゃんも、何処かへ入院すると言ってたな。」

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