ラッキーメイカー
私にはその時の記憶がないけれど、幼少期のある時、幸せの残量が見えるようになった。最初から気付いていて物心ついたときに気付いただけかもしれないし、何かの偶然で神様に出会ったのかもしれない。出会ったのは神様じゃなくて悪魔かもしれない。とにかく私は幼い頃から幸せの残量を見ることができた。
幸せメーター。
私が名付けたそれの名だ。私の目の端っこに、さながらバトルゲームのHP/MPのようにまとわりついている。普段は見えないので気にならないが、右目を瞑ると人生の残りの幸せが。左目を瞑ると残りの不幸が見える。増えることなく減少する一方なメーターを見るたびに人生は減点方式なのだと少なくとも私は思っている。
左目が幸せ。右目が不幸せ。説明書はないから実は逆かもしれない。ただ、私にはわかっていた。それは経験則でしかないけれど、私にはそれは疑いようのない事実だ。美味しいものを食べた時、初めての恋人ができた時、左目の幸せメーターは減少したし、大好きだったおばあちゃんが死んだ時、大学に落ちたとき、そして留年した時、右目の不幸メーターが減少した。
別にこれが幸せを可視化するものじゃなくても別段構わないと私は思っている。
//私が幸せだと思ったらメーターが減少する。
実は私の勘違いで右目こそが幸せメーターで、本当は嫌いだったおばあちゃんが死んでくれて清々したからメーターが減少した。なんてオチだったらお笑い種だ。それはそれで面白いと思える感性を私は持っている。そんなに面白いことがあったら幸せメーターはぐんと減少することだろう。
私は私立大学に通う3年生である。文系。4年生に上がれず留年したクズでどうしようもない人間。第1志望の国立大学に落ちて以降、私は1年間の浪人ののち再び受験に臨んだが、しかし、その1年の努力が実ることはなかった。2年浪人するわけにもいかず、1年目にすでに受かっていた滑り止めの私立大学に入学したのだった。あの頃は不幸メーターが左目をつむるたびに減少していた。
それで今回の留年は2度目の不幸真っ盛りというわけだ。原因は自分でよく分かっている。ただの怠惰だ。勉強するよりも友人と呑んだり、旅行したりと騒いでいる方が楽しいからだ。将来の稼ぎより今の稼ぎが大事でバイトに明け暮れているからだ。こんなにも原因を自覚しているのに今年も4年生にはなれそうにもない。クズであると自覚しつつもだらだらと日々を何の目的もなく漂っている。
私が幸せメーターを使うことができると知ったのはそんな不幸真っ盛りの時期だった。左目を瞑れば幸せメーターが「表示される」が、そのまま瞑り続ければ「使える」のだ。幸せメーターを使うと幸せなことしか起きない。逆に言えば不幸メーターを使えば不幸しか起きない。このことに今更気づいたのは、片目をつむり続けるなど奇妙なことをする機会がなかったからだ。そのきっかけはしかし逆だ。懲りもせず友人達と呑み会をしていた時のことだ。仲間の1人がふざけた拍子に私は左目を切ってしまった。幸い瞼を切っただけで大事には至らなかったが、3日間目を開けれず、ずっと眼帯をしていた。
その3日間は地獄だった。病院で予約をしているにも関わらず何時間も待たされる。心配して部屋に来た母に留年が見つかり(言っていなかった。心配かけたくないとかじゃなくて怒られたくなかったから)、彼女に振られ、謝りにきた友人とひどい喧嘩をしてしまった。くだらないことを言えば自販機にお金を飲み込まれたり、バイトに遅刻して必要以上に怒られたり、部屋の水道が壊れたり。私が歩けば不幸も一緒についてくる。犬も歩けば棒に当たるというが棒に当たるだけならまだいい方だ。いいことなど1つもない3日間だった。その間不幸メーターは減少していった。 だが、この3日間があったからこそ幸せメーターの使い方を知れたのだ。
平和的なみなさんがまず考えるのは不幸メーターを使い切って人生の後半に幸せを使うということだろう。好きなおかずは最後に残しておく作戦だ。しかし、私はそうは思わない。年寄りになってからの幸せなんてたかが知れているじゃないか。盆栽をうまく切れたとか、今日はいつもより調子がいいとか、…。そんなものに幸せメーターを使いたくない。空腹時が1番美味しく感じるのに、好きなものを1番美味しく食べられるチャンスを逃すなんて損だ。そして、料理は出来立てが美味しいというのに、冷めてしまってはせっかくの好きなものなのに台無しだろう。この作戦はつまらない。
そこで私は幸せを青春に持ってくることにした。
かの有名な偉人も「私が神なら人生の最後に青春をもってくる」という言葉を残したらしい。全くその通りだ。年寄りの偉人がそういっているのだから青春は年を取ってからでは取り戻せないほど楽しいのだろう。若さは取り戻せない幸せなのだ。私は人生の最後に青春を持ってくることにした。つまり、幸せメーターを使い切ったら自殺する。
思い立ったら吉日とはまさにこのことで、私は一応一晩だけ考えて次の日には左目だけで世界を見ることにした。右目には眼帯をかけて嫌でも右目で物を見ることがないよう工夫した。左目に映る世界は幸せだった。私はどうせ自殺するのだからと散財した。お金がなくなったので借金をしたり(どうせ返さない)、内臓を売った(どうせすぐ死ぬ)。内臓は相場よりも高い値段で売れた。これも幸せメーターの恩恵かもしれない。
こんな風にして金を工面したから私は弱冠20歳とは思えないほど金を持っていた。こんなトントン拍子にお金が手に入るとは。働かなくても案外幸運だけで金は手に入るもんだ。死んでもいいと思っているからだろうか。金は使っても、使ってもなくなることはないのだった。
欲しかった車を買った。外車で中古だがたまたまネットオークションで状態がよく安いやつが手に入った。私は学校にもいかず、日本中をドライブした。無茶な運転をしても事故らない。捕まらない。酒を飲みながらでも。ただ日本の警察が無能なのかも知れないけれど。私は左目を瞑っているから、右が死角になるのだけれど車はかすりもしないのだった。
日本を見終えると次は世界を見たくなった。パスポートをとって世界中を旅した。危険と言われる地域にも忍び込んだ。流れ弾なんて幸運な私には当たる事などない。ヒッチハイクすれば親切な人がすぐに拾ってくれる。しかも出会った人全員、たまたま日本語が話せるから外国語を喋れない私でも全く不便がない。当然ながら目的地も一緒だ。 この頃、私は自分の左目の力を信じてやまなかった。綺麗な景色を見たり、現地の人とお祭り騒ぎをしたり、美味しいものをたべたり。幸せメーターは覚悟していたよりも減らなかった。
これだけ派手に遊びまわっていれば、女が勝手に寄ってくる。女が寄ってくればもっと女が寄ってくる。私は新しい恋人は作らず、いろんな女と相手した。幸運だからか後腐れのない関係しかなかったし、どんなに強引に別れても揉めるなんてことは一切ない。コンドームもつけない。私は幸運だし、もし妊娠しても責任を取る頃には私は死んでいるのだから。
私に抱けない女はいなかった。どんな高嶺の花だろうとすきだと伝えるだけでセックスできた。今まで手に届かなかった女が私に愛を囁やいてくれる。こんな幸せなことはなかった。セックスすると分かりやすく幸せメーターは減った。男は単純だ。
そういえば、世界を巡っている時、幸運メーターをもっているという女に出会った。随分と田舎の宿で泊まった時だった。今日は相手する女がいないなぁなんて思っているとき、出会ったのがその女だ。幸せメーターのおかげで夜の相手がいない時の方が珍しい。セックスした後、調子に乗って女に幸せメーターのことをうっかり漏らしたのだ。私は迂闊にもこの話題が好きであったし、大抵みんな本気にしない。別に信じて欲しいとも思わないのだが。
女は私の話を聞いたとき興奮気味に私も持っていると主張した。女はメーターについて、あまり知らないようだった。幸せメーターの「使い方」も知らなかった。私が親切にも教えてあげるなんてこともない。このとき女が別れ際に口にした言葉が私は何となく忘れられない。
「幸せメーターか不幸メーターどちらかがなくなったら私たちは死ぬのかもね。それなら不幸メーターより幸せメーターを使い切る人生がいいな」
私にはそんなことどうでもよかった。幸せを使い切った時点で死ねるのならそんな楽なことはないからだ。
それからも、しばらく暴虐の限りをつくして遊びまわった私だがそろそろ死に方を考えなければならない時が来ていた。メーターののこりはわずかだった。もう何年も右目を開けていない。それは不幸などない幸せな日々だった。 親にはしばらくあっていないし、そういえば、大学なんて忘れていた。バイト先には連絡も入れずに遊びまわっていたから私の後釜探しで苦労しただろう。
こんな風に昔を懐かしむ余裕ができたのは、いろいろな経験を経て「死ぬのは怖いけど思い残すことはない」と思えるようになったからだ。首吊りは楽だけど死体が汚くなるらしい。どこかにいい自殺の方法はないだろうか。
死に方が決定した。焼身自殺だ。この人生を派手に終わらせたい。火山の火口に飛び込むなんて自殺も考えてみたけど、遺体が回収されないから断念した。死んでからひとりぼっちはさみしい。ガソリンを全身に浴びてみんなが注目しているところで焼け死のう。私はこんな遊びすきだった。かつて青春を過ごした大学で焼け死のう。そう決めた。
メーターが残り僅かになった。あと1回も女を抱けば0になるだろう。楽しかった人生もこれまでだ。人生最後の女を見つけるべく、大学周辺の街をうろうろする。ガソリンも手に入れた。2Lペットボトルにガソリンを入れている。女を抱いて、飯を食べて、それから死ぬ予定だ。
しかし、なかなか目当ての女がいない。幸運な私のことだからすぐに見つかると思ったのだけど…。人生最後の女と思うとこんな女でいいのかと、決断できない。それでもなんとか妥協し美人でタイプの女を見つけた。最後の幸運を振り絞ってホテルに連れ込む。部屋に入りやや強引にキスをした時点で不思議なことが起こった。女が返してくれと騒ぎ始めたのだ。幸運メーターを使うようになってからこんなことはなかった。なんなんだこの女。無理やりされたい変態かと思ったがどうやらそういうわけではなさそうだった。そこで私はやっと気づいた。幸せメーターが0になったのだ。そこでこの女は本気で嫌がっているということに私はやっと気がついた。もう後には引けない。眼帯を外して久しぶりの両目で女の裸を堪能する。無理やりにスッキリする。泣き叫ぶ女をよそに私は服にガソリンをかぶった。女は異様なものを見る目で私を見ていたがそんなことを気にしている時間もない。この後は大学生のときすきだったラーメン屋で最後の晩餐を済まし、大学で焼け死ぬ。ホテルを出る。ラーメン屋に入る。奥の席に通される。
店主は私の注文を聞いてすぐフライパンに火をつけた。
その炎は一瞬で私にもえうつった。ガソリンは気化して私は爆発する。その後の記憶はない。少なくとも私は大学で焼け死ぬという最後の夢を叶えることは出来なかった。
病院だった。私はどうやら死ななかったようだ。最後の最後で幸運メーターが発動したのだろうか。そこは病院の真っ白い天井だった。いつものように、右目を閉じれば世界が真っ暗になった。どうやら左目を失ったようだ。
メーターが0になったら目を失うのか。それとも単に火事による怪我なのか。本当のことは分からなかったけど今はこの忌々しい右目でしか世界を見られないらしい。この4年間右目でものを見たことはない。不幸メーターは4年前のまま微動だにしていない。やや増えた気さえする。
幸運なまま死ぬことは出来なかったけど、不幸な目にあうより先に死んでやるさ。久しぶりに右目で見る世界は病院のくせに黒く淀んでいた。幸いにも不幸メーターなら自殺しなくても勝手に死ぬことさえある気がした。
私は自殺するため、病室をでる。火傷で身体中がヒリヒリする。包帯の上からだとわからないが、皮膚はただでは済んでないだろう。私はこの病院を知らないがエレベーターを見る限り4階まであるようだ。それほどの高さがあれば飛び降りたら死ねるだろう。
残念ながらエレベーターは故障中だった。不幸だ。痛む全身を引きずり階段で登る。そこに立つだけでまだ燃えているかのようだ。屋上まで登るとフェンスがそびえ立っていた。田舎のさびれた病院だから都会にあるような安全柵ではないがフェンスはとても高く感じた。鉄線まである。私を苦しめるには十分な柵だ。痛む全身に喝をいれ鉄線に刺さりながらフェンスを乗り越えた。
私はそのまま飛び降りた。
束の間の浮遊感。しばらくしてから全身がバラバラになるような衝撃。地獄のような苦しみでも意識は保ったままだった。発見されるまで私はそのまま意識を失うことはなかった。
また死ねなかった。打ち所が良かったようだ。4階程度だと確実には死ねないのだと。
せっかく助かった命なのにそんな粗末なことをするものじゃないよ。と説教された。余計なお世話だ。早く死なせてくれ。このまま生きていてもいいことなんて一つもないのだから。
果たしてこんなにひどい事故から、2回も生還するだろうか。その上2回目の自殺は不幸メーター全開で挑んだはずなのに。私は恐ろしい想像をしていた。ひょっとして不幸メーターを使いきるまで死ねないのではないか。あれは寿命メーターでもあり、どちらとも0にならなければ死なないのではないか。いつかの女が言っていた。どちらかのメーターがなくなったとき私たちは死ぬのではないかと。 どうして、どちらもなくならないと死ねないとおもわなかったのだろう。
その後のまた2回自殺して、死ねなかったのでそれは疑惑から確信に変わった。私は不幸メーターを使い切るまで死ぬことは出来ない。
それからの人生は地獄だった。火傷の後遺症で全身はただれバケモノのようになった。障害者として生きていこうにもその程度では生活に支障はないだろうと門前払いだった。見た目がひどいだけで普通に生活はできるだけに保護もされず、余計に不幸だった。
取り立てて借金が億劫だった。元々の借金はもちろんのこと、火事による賠償、治療費(結構な大手術で、しかもその後3回も自殺している)。大学を中退して世界を遊び歩いていた私に仕事できるはずもなかった。また、こんな見た目になので仕事も見つからず、結局給料の安いお菓子工場に勤めることになった。劣悪な職場だったが生活のために働かないわけにはいかなかった。職場では当然のようにいじめられた。職場の劣悪な環境による鬱憤を私にぶつけるように新人の私はこき使われた。こんな見た目だから特に女にいじめられた。女にいじめられるというのは私のプライドがひどく傷ついた。世界中で旅をしていた頃、女をいいように弄んだ罰なのかもしれない。男のいじめはたかが暴力を受けるだけなのだが。女のいじめは陰湿でいちいち私の心を傷つけた。幸せの反動なのか自分が不幸になったとより落ち込んだ。また、私は性病にかかっていた。最後に抱いたあの女は性病持ちだったのだ。性病持ちだったのに私はセックスしてしまった。ほぼ無理やりだったので悪いのは100%私に違いはないのだが。なぜそのことを知ったのかというと、その女が職場の工場に勤務していたからだった。その女を噂の発端に、噂は噂を呼び私はレイプ魔のレッテルまで貼られてしまった。そのことでまたいじめられ落ち込んだ。あの地獄のような三日間が永遠に続いた。
大学の仲間たちに助けを求めようと思った。私が羽振りの良い頃、彼らには随分とよくしたものだった。彼らなら私をなんとか助けてくれるのではないか。少なくとも金の工面くらいはしてくれるのでは。しかし、それはまた不幸にも最悪の結果になってしまった。なぜこんな不幸なのに私に助けてくれる友達がいると思ったのだろう。それは私を惨めにさせるだけだった。
彼らは大学を卒業し安定した職についていた。結婚して子供までいる友人もいた。私はこんなに不幸なのに彼らは順風満帆だった。私は小さなプライドが傷つき惨めな気持ちしか残らなかった。金をくれると言ってくれた友人もいたが受け取れなかった。それは彼に負けたことを認めてしまうことになるからだ。それを覚悟して訪ねたはずなのにいざ金を前にすると「やっぱり大丈夫。ごめんな。」と尻尾を巻いてしまうのだ。
不幸に次ぐ不幸。清算したと思っても次から次へと大きな小さな不幸が襲いかかってくる。そして死ねない。ひょっとして私はあのとき死んでいてここは地獄で私は罰を受けている最中なのではないか。死ねない理由もそれで納得いく。
もちろん何度も自殺した。死ねないと分かっていても期待してしまう。そして、怪我をすればあの劣悪な職場に行かなくて済む。しかし、自殺しても不幸メーターはそんなに減らない。その度に苦痛を伴う。そして、治療費もかさみ余計に借金が返せなくなるのだ。そうして私はしばらくして死ぬのをやめた。
それでも、私の中であの輝かしい日々は記憶の中に残っていて、不幸な目にあうたびそのギャップに押しつぶされ落ち込むのだ。幸せのプライド。そんなものが無ければ私は今のこの状況も少しはマシだったかもしれないのに。
女を征服していたあの日々があったから、今女にいじめられるとより辛く感じる。そして、辛く感じても不幸メーターは淡々と事実だけを刻む。わたしの辛さなんて関係ないと言った風に。
昔、「最後に好物を食べるのは損だ。好物は一番美味しく感じる空腹時に食べるべきだし、出来立てじゃないと美味しくないだろう」なんて馬鹿なことを考えた。料理を残せないこともある。好きなものを先に食べてしまえば、そのあとの楽しみがない。美味しいものを最初に食べたからこそ嫌いなものが際立つのだ。最後に幸せを取っておく理由は、幸せが残っていると思えば辛いことも乗り越えることができるからだ。不幸になることで私はやっとそれを理解した。
そして、不幸メーターの残量をみて私はやっと死ねるとそう思ったのだった。
不幸メーターが0になったのは職場にいるときだった。 女から暴力を受けていたとき鼻の骨が折れた。その時不幸メーターは閾値を超えそれ以降見えなくなった。当然、主犯格の女が何人か辞めさせられ、それ以降いじめはなくなった。死ぬのかなと勝手に思っていたがどうやら思い違いだったようだ。幸せでも不幸でもない平凡な人生をこれから歩むようだ。
入院中不幸せでないことも起きた。閉じた左目のことだった。どうやら瞼の皮だけが溶けてくっついているだけで眼球にはなんの影響もないらしい。病院の見落としだろうという話だった。不幸メーターのせいだ。そんな見落としくらいあるだろう。かくわけで久しぶりに私は左目を開けれた。果たしてそこには今にも尽きそうな幸せメーターが表示されていた。
不幸メーターは閾値を超えるとそれ以降見えなくなった。私は幸せメーターが消えたところを見ていない。勝手になくなったと勘違いしていた。私の幸せは0に重なるほどわずかだがまだ残っていた。
考えれば、自殺の前に抱いたあの女は性病をうつさないために抵抗したのだとわかった。あの時、幸せメーターが尽きたのではなく、私に性病を移したくなくて抵抗したのだ。だから幸せメーターはその分だけ残っている。
治療を終えると私は今までで1番晴れやかな気持ちで歩いた。例によって眼帯を右目につけて歩いていると職場の女に出会った。私が今一番会いたい相手だからだ。久しく幸運な私は、いじめられているにもかかわらず話しかけた。彼女はこんな見た目の私を笑顔で迎えくれた。
怪我大丈夫なの?
うん、大丈夫。
そんな他愛もない話をする。幸運メーターのおかげか彼女は私が好きだった。あれから随分と月日が経った。出会った時の可憐さはもはや彼女には残っていなかった。強引に彼女の肩を引き寄せる。彼女は一瞬戸惑ったが覚悟を決めたように目を瞑り、私たちは口づけした。その瞬間幸せメーターは0になり私はようやく死んだ。