1.とある羊飼いの夢
一、
春が来ない。
季節廻る国にとっては一大事。
羊飼いにも一大事。
なだらかな山脈のふもと、羊飼いの村にも、春はやって来ない訳で、冬を越すための食糧も薪もなくなってしまった。人の食べるものもないのだから、羊の食べ物だってない。だから、羊たちはお乳が出なくなった。
そして、羊飼いの村人たちは、ある決断をした。
飼っている羊を食べること。
隣の家もそのまた隣も、飼っている羊はいつの間にか居なくなっていた。村から、どんどん羊がいなくなってしまった。
僕は、まだちらほらと雪が降る夜空を、毛布に包まりながら窓越しに見上げた。脇には、僕の羊が丸まって眠っている。消えかけの暖炉の火が、ぱちぱちと音を鳴らした。
「リオネル、リオネル」
どんどんっ、と乱暴にドアをノックする。おそらく、斜向かいのオデットおばさんだ。僕は、毛布から飛び出して、ドアを開けた。
「こ、こんばんは、オデットさん」
「はいはい、こんばんは。お邪魔するよ」
ずかずかと家に乗り込み、家を見回す。何にもない家だね、とでも思っているのだろう。僕は、我が家に一つしかないおんぼろ椅子を暖炉の前に置き、オデットさんに勧めた。
「あら、ありがとう」
どっこいしょ、と彼女が腰を下ろすと、ミシィと嫌な音が鳴った。あぁ、壊れないでくれ、と心の奥で願いながら、オデットさんの横に立ち、寒いですねぇ、と話しかけた。すると、僕の羊もトコトコと近づいてきて、僕の足元に丸まって、また眠り始めた。
「まったくさ、冬の女王だかなんだかが塔から出ないから、こんなことになるのさ」
あぁ、嫌だ!と大きなため息を吐いて、背もたれに体重をかける。ミシィィ、と軋む椅子。
「…今日はなんの用ですか?」
「ああ、今日はあんたの羊のことでね…」
すぅ…と体温が引いていくのが分かった。僕は、オデットさんから視線を外し、暖炉の火を見た。横からの、オデットさんの視線を感じながら、あぁはい、と上辺だけの返事をする。
「あんたの羊もそろそろ潮時じゃないのかい?あんたのも、羊のも食糧はないんだろう。共倒れする前に手を打たなければならないよ。せめて、楽に逝けるように良い腕のやつを紹介して…」
「すみません、時間を下さい」
僕は、オデットさんの話を断ち切った。オデットさんは、少し驚いて、そうかい、と言って家から出て行った。
オデットさんは両親を早くに亡くした僕を育ててくれた人達の一人だ。あまり好きではないけれど、命の恩人。口では、僕の羊のことを思ったようなことを言ってるけれど、その裏には、食糧を分けて貰おうという下心があるのだ、おそらく。オデットさんは村で一番最初に羊を殺した人だ。だからもう、彼女の羊は欠片も残っていない。そういう人だから、僕の気持ちなんてわからないんだ。
僕は足元に丸まる羊の腹に頬擦りした。どく、どく、と少し遅い心音がする。鼻の奥がツンとして、閉じた瞼の隙間から涙が溢れた。
メェ、と僕の羊がひと鳴きした。
「ごめんなぁ」
ぼろぼろと落ちる涙は、僕の羊の薄汚れた毛に吸い込まれて消えていった。