幻の村①
「びっくりした…」
オレンジ色のランプの明かりの下、アンリが取り分けたポトフを一口食べると、リンはため息混じりに言った。
町の食堂は酒場も兼ねており、周りは仕事の鬱憤を晴らすかの如くに酒を飲む男達の賑やかな声が至るところで聞こえている。
そんな食堂の隅の席で、リンとアンリは遅い夕食を取っていた。
「まぁ、女神の翼のことは、使い手の間では一般的な伝説ですけど、一般的には知られていない話ですしね。でも、神様を殺すなんて、あんまり穏やかな話ではないですね。」
「でしょ!?私、あの人が危ない人かと思っちゃった。だって、神様を殺すって…急に言われてもね。」
「ふふ、きっと神を殺したいほどの不運が彼にあったのではないですか?」
「うーん、そうかな。まぁ確かにちょっと世間知らずな感じがあって、色々騙されそうな人だったけど。」
昼に会った青年のことを思い出し、リンはちょっと納得がいった。
「今日はつくづく変な人に会う日ですね。」
「そうね。アンリ、お替り頂戴!!」
「はいはい、どうぞ」
「ありがと。『森より悪魔がやってきて、子供を攫う』か……。結局収穫はなかったわね。」
リンはパンを小さくちぎりながら口へと運んだ。
結局、あの騒動の為に他の被害者の聞き込みは出来なかった。
仕方なく村の食堂で夕飯を食べ、本日の宿となる領主の屋敷へと戻ろうということになった。
その時、食堂のおかみさんが注文していたサラダを持ってきた。
「嬢ちゃん、いい食いっぷりだね!見ない顔だけど、遠方から来たのかい?」
「えぇ、そうだけど。」
「やっぱりね。おや、そういや嬢ちゃん、昼に武器やの親父と喧嘩してなかったかい?」
「う……。」
自分としては目立つ前にその場を離れたつもりだったけど、案外顔が知られてしまっているようだ。
そう思うと途端に恥ずかしくなり、リンは言葉に詰まった。
「いやーあの親父、よくぼったくっていたからね、スカッとしたよ。」
おごりだよといいつつ、食堂のおかみはワインをリンとアンリに振舞った。
体格も性格も太っ腹なようである。
「そういえば、おかみさんは領主の子供が誘拐された事件とか知ってる?」
酒場では人も情報も集まる。
特に小さな村では一種の社交場ともなり、それを切り盛りするおかみであるならば事件に関する情報も知っているのではないかと思ったのだ。
リンの読みは正しかったようで、おかみはうんうんと深く頷きながら話始めた。
「あぁ、知っているよ。すっごい捜索隊が結成されてね、騎士団やら使い手やらが森に入っていったっけ。でも全滅だったって話しだよ。」
「そうなんだ。この村では人攫いとかってよくあることなの?」
「そうだね……。ウチの村では『森から悪魔がやってきて、子供を攫う』っていう伝承があるくらいだからね。昔からよく子供が攫われていたっけねぇ。だから、この時期には子供は絶対に外に出さないんだよ。」
「そんな昔からある伝承なの?」
「あぁ、私が子供のときおばあちゃんから聞いた話だから、そのずっと前からあるんじゃないかね。あ、そういえば……十五年前は何にも起こらなかったから、てっきりもうないと皆で話してたんだった……。」
「言い伝えの『悪魔』って、やっぱりイシューのことよね?」
「さぁ、どうかね。実際にイシューが人を攫っているところをみた人はいないし……。ただ、黒い塊が襲ってきたって話だから、やっぱりイシューなんじゃないかね」
「そうよね……人が森に住めるわけないしね。」
「そうすると、犯人はやはりイシューということになりますよ」
「あ……そうなっちゃうね。はぁ~」
アンリの指摘にリンははたと気づいて溜息をついた。
犯人はイシューではなく、イシューの仕業にしたい人間の犯行と思っていたのに、これではやはりイシューの犯行となってしまう。
分けが分からなくなり、リンは頭を抱えた。
そんな時だった。
酔っ払いの老人がリン達の話しに割って入ってきた。
「いや、この森には人が住む村があるぞ!」
「じいさん、またそんな法螺吹いて……。ごめんよ、このじいさん酔っ払うといつもこうなんだよ」
「何!!わしの話は法螺なんかじゃない!!わしの爺さんが見たって言うんだから本当の話だよ!!」
「じいさんのじいさんなんて、いつの話だよ。」
「おじいさん、その話、詳しく聞いてもいい?」
リンの申し出に、おかみは話が長いから止めろと言ったが、反して老人は嬉しそうに目を輝かせて語り始めた。
「あぁ、いいとも!わしのじいさんが若い頃、森で迷ったとき、偶然小さな湖を見つけたそうだ。その湖の脇には白い花のなる大きな木があって、それは見事に咲いていたというよ。しばらくその湖の傍で休んでいると、人が現れて帰り道を教えてくれたそうなんだよ。」
「帰り道?村に一緒に帰ったの?」
「いいや。わしのじいさんも一緒に村に戻ろうといったら、自分はこの先にある村に住んでいるから人里には行けないと言ったそうじゃ。案内してくれた人がイシューが人間に化けて騙したのではないかと思ったじいさんは、その人の後を着いて行ったそうだ。そうしたら、その先には岩場に囲まれた村があったんじゃと。」
「森にはイシューがいるんだ。人なんて住めるわけないだろ?」
おかみが呆れるように言った。
「どうして……どうしてその村人は森に住もうと思ったのかしら?森に住んで何をしているのかしら?」
「じいさんが言っていたのは、『彼らは湖にある神木を守っている』と言っていたよ。じいさんが案内をしてくれた村人に会えたのは、神木の傍にいたからじゃて。」
「神木って、さっき話していた白い花をつけた大きな木のこと?」
「そうじゃ。」
「おじいさん、ちなみにその村にはどう行けばたどり着くの?」
「さぁて……。じいさんももう一度行こうと思ったんだが、もう二度と辿りつけなかったらしい……。」
「じいさん、いい加減よしなよ。嬢ちゃんがつまらなそうだよ。」
リンはちょっと考え事をしていたのだが、それがつまらなそうな態度に見えたのだろう。
おかみが老人をたしなめた。
「はいはい、昔話はおしまい。じいさんも、ちょっと酔いを醒ましてきたら?」
「わしは酔っとらんぞ!!じゃが、話も終わったことだし、これはお代でいただいとくよ!」
そう言うと老人はリンとアンリが飲んでいたワインボトルをひょいと抱えると、別のテーブルへといってしまった。
「あ、この酔っ払い!!……すまなかったね。なんならもう一本持って来ようかい?」
「大丈夫!貴重な話も聞けたし。お気持ちだけいただいておきますね。」
「そうかい、んじゃ、私は仕事があるから」
おかみが立ち去るのを見送って、アンリが口を開いた。
「神木を守る、ですか……。なかなか興味深い話でしたね。」
「そうね。この話が本当ならば、犯人についての目星も立ちそうね。」
「やっぱり、行かれるのですか?」
「当たり前でしょ。とりあえず、様子見程度だけど、森に入ってみるわ。」
「では、今日のところは帰りましょうか?色々と準備もありますし。」
「そうね……でもアンリ、ちょっと待って!!」
立ち上がろうとしたアンリにリンは待ったを掛けた。
「な、なんですか?」
「サラダ、食べてからでイイ?」
「……。」
これが史上最年少聖騎士の実態だとは…聖騎士を夢見る騎士の男には見せれない姿だと、アンリは屋敷であった男を思いながら溜息をついた。
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