贖罪③
※ ※ ※ ※
コツコツという乾いた足音が廊下に響く音を聞き、リン達は背を壁につけ、じっと気配を殺した。
足音の主である使用人の女は、一瞬気配を感じて足を止めた。
が、リンたちには気づかず、再び歩き出し、そしてどこかの部屋に入ったようだ。
ミランダは廊下の左右を見て、誰もいないことを確認する。
「リンおねーちゃん、こっち!」
ミランダの導きによってリン達はようやく地下牢から抜け出て、屋敷の廊下へと出た。
「とりあえず、あとはこの屋敷から出ることですね」
「うん……そうなんだけど……。」
何か気がかりな口ぶりのリンの様子に気づき、アンリは先を促した。
「どうしたのですか?」
「……ちょっと、気になって……。」
暫く思案顔のリンだったが、ふと思ったようにミランダに聞いた。
「ねぇ、ミランダ。エリクは村ではどんな立場なの?」
突然のリンの問いかけにミランダは戸惑いの表情を浮かべた。
「たちば?えーっとえーとお……ミランダ、よく分からない」
「あ…そうよね……。うーんと、んじゃ、質問を変えるわね。ミランダは祭りでお歌を歌うわよね。」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、エリクは祭りで何をするの?」
「えっと、村長様の代わりをするの。エリクは今の村長様の次の村長様だから」
「エリクが時期村長……」
思いがけないミランダの声に、アンリもまた難しい顔をする。
「それは……意外ですね。時期村長が何故誘拐したラスフィンヌ領主のご息女を返しにきたのでしょうか?」
「そうなのよ。私もそれが引っかかっているの。エリクは何を考えているのかしら?」
「何か目的があるのでしょう。」
「アンリもそう思う?」
「ええ、可能であれば調べておいたほうがよいかと思います。それに…村の祭りも気になります。」
なにやら難しい話を始めたリンとアンリにミランダは痺れを切らしたように叱咤した。
「リンおねーちゃん!!早く行かないと、ミランダお祭りに間に合わないよぉ」
それを聞いて、リンはしばし神妙な顔をし、アンリを見つめて静かに言った。
「ひとつだけお願いがあるんだけどいい?」
「なあに?」
「この村から抜け出す方法を教えて頂戴。昨日この村に入るために結界を一時的に無効化したでしょ。ということは、村から出て行くためにも何らかの方法……たとえば呪文、みたいな言葉があるんじゃない?」
「うん、あるけど……おねえちゃん、一緒に行くんでしょ?」
ミランダの無邪気な問いかけに、リンは静かに首を振った。それを見て強い口調で言ったのはアンリだった。
「リン!あなたは、まさか一人で調査を進めるおつもりですか!?」
「ミランダは祭りには欠かせない存在よ。そのミランダがいないことに気づかれてしまったら、面倒なことになるわ……。それにね、犯人が村人達だということは、攫われたほかの子供たちもきっとこの村のどこかにいるはずよ。」
「村人が祭りを行っている間に、子供達を捜すつもりですか?」
「さすがアンリ。お見通しね。」
「でもリン、あなたの聖具はエリクに奪われてしまったのに、どうやって森を抜けるつもりですか!」
「ふふふ。これがあるわ!」
渋るアンリに対し、微笑を浮かべてリンが取り出したのは青い涙型の石だった。
「女神の……涙?」
「ええ。さっきの場所で拾ったまま、持ってきてしまったの。聖具ほどの力は無いかもしれないけど、丸腰ってわけじゃないし、これで十分よ。」
「まったく……貴女という人は……。」
そう小さくため息をつくと、アンリはそっとリンを抱きしめた。
「アンリ!?」
「無茶は……しないでください。貴女の振るう力は最強のものです。でも……貴女は生身の人間であることを、忘れないでください……。」
突然抱きしめられたことで、反射的にリンはアンリから逃れようとしたが、ささやくアンリの心配そうな声に、リンもそっとアンリを抱きしめた。
アンリの体温は低く、リンは心地よくなり静かに目を閉じていった。
「大丈夫。ふふふ、アンリは心配性ね。」
「それは……貴女のいつもの行動を見ていれば、心配にもなりますよ。」
「ひどいわ、アンリ!……でも、ありがとう。心配しないで。無茶はしないから。」
そういってアンリから体を離したリンは、にっこりと微笑んで言った。
「ミランダ……。助けてくれてありがとう。ユリヤさんのこと…ごめんね…。」
祭りはユリヤが人身御供となるために開かれるものだ。リンには到底受け入れられないことだったが、それをとめる権利は、自分にはないのかもしれない。
納得のいかない事実。だけどどうしようもできない歯がゆさを抱えながら、リンはミランダを抱きしめて言った。
「ううん……。リンお姉ちゃんが悪いんじゃないもん…。でも…でも…」
泣きそうな声で呟いたミランダであったが、そのまま言葉を紡ぐことができなかった。ただ嗚咽を殺し、俯いていた。
そんなミランダをアンリは抱き上げる。そう、自分たちには時間が無いのだ。間もなく夜が訪れる。それは祭りの始まりでもある。それまでにミランダは神木のある湖まで辿りつかなければならない。そして、リンもまた祭りが終わるまでに、しなくてはならないことがあるのだ。
「アンリ……ミランダのこと、頼んだわよ。」
「はい。ミランダを無事に送り届けたら、すぐに戻ります。それまでは、くれぐれも気をつけて。」
「リンお姉ちゃん、バイバイ!」
駆け出そうとしたアンリがふと思い付いたように、足を止め、振り返って言った言葉は意外なものであった。
「リン!!水に……気をつけてください。」
「水?」
突然のことで、一瞬何を言われたのか理解できず、リンは鸚鵡返しに聞いた。
「えぇ。この村に入ってから、ずっと気になっているのですが、水から何か嫌な気を感じます……。気のせいだと良いのですが……。」
「水……。うん、分かった。一応気をつけておくわ。」
リンが答えるとアンリは柔らかい笑みを浮かべて、駆けていった。リンはその後姿を見送ると、ポツリと呟いた。
「水……か。」
深遠なる水の中、誰かが赤い口元を歪めて笑っている、リンには何故かそんな気がした。
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「長かった…」
彼は吐息混じりに言った。
もう何年も、何百年もこの地に縛られ、この地を守り生きてきた。
古い契約の元、自由を奪われたこの状況を何度も呪った。
「ようやっとじゃ…。ようやっと、我が願い、叶おうぞ。」
沸き立つ思いを胸に秘め、彼はにやりと笑った。
その赤い唇から、真っ白い牙を滴らせて…。




