表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潜在人間(ジャックマン)①  作者: 竹橋 夢仁
4/38

4月6日(3)

 


 いつもと同じ電車に乗ったのだから、いつもと同じ時間のはずだ。分かっていながら、早歩きの新は携帯をチェックした。8時16分。なるほど、今日は始業式の移動もあるのか。考える間に、数字は17に変わった。


「走るか」


 駆け足を始めると、斜め後方から非難の声が飛んだ。


「ええっ、走んのかよ」


「走って損はないだろ」


 やっと早歩きを始めた康弥に向かって、新はさわやかに通告した。バックパックも、午前授業の重さならマラソンの邪魔にはならなかった。


「いや、損だって……」


 道なりにまっすぐ、信号三つと小さな橋一つを越えるまでに、コンビニと整体院が過ぎ、ラーメン屋とブティックホテル、駄菓子屋が過ぎ、音楽教室、魚屋、バス停、パン屋が過ぎた。三つ目の信号を右に曲がれば、校門はすぐそこだった。


 携帯を見る。8時22分。まずまずのタイムだった。信号の巡りも良く、あまり息は上がっていなかった。


「上出来……」


 満足げにひとりごちて顔を上げると、他の生徒たちの合間に、ひときわ目を惹く牝馬ひんばのしっぽがしなやかに揺れているのが見えた。新は吸い寄せられるようにして、透き通った栗色をしたポニーテールの彼女に近付いた。


「よう」


 何と声をかけるべきか、一瞬のためらいはあったものの、ちょっと気取っていて、さっぱりした、いつも通りの調子に収まった。数少ない経験から、余分なことを考えた時ほど碌なことにならないのは知っていた。


「え、わあ! びっくりしたあ」


 嘘か真か、仁科柚は、わざとらしくならない絶妙な塩梅で驚いてみせた。彼女は立ち止まり、すぐにイヤホンを外しながら、おはよ、と笑った。


「あれ、今日は寝坊しなかったんだ?」


「えっ。まあ、一応ね」


 即座に返された問いに新は少しどぎまぎして、揃えられた前髪の先に潤むその目を見ていられなくなり、無意味に背後の状況を確認した。


「今日も走ったけど」


 康弥の姿が先刻右折した交差点のあたりに見えた。なんだかんだで走ることにしたらしい。直線に入ってこちらを認めたのか、康弥は低く手を上げた。


「つらーっ。もうひとつ前の電車で来たらいいのに」


 うっすらと日に焼けた腕を伸ばして康弥に応えながら、柚は苦笑して言った。ピンクの唇を横に引いて、はにかむようにするのが彼女の笑い方だった。


「いやその数分の繰り上げがどんだけ難しいか、多分わかんないよ、柚には」


「えーなんで、分かるよー、分かるけど……」


「早く起きたらその分早く出れると思うでしょ? 出れないのが俺だから」


 威張って言うことではない。


「えー、うそ」


 柚が言葉を繋ぐ前に、康弥が追いついてしまった。


「あっつ!」


 鼻の下の汗を気にしながら、康弥は新を見遣った。


「こいつマジで酷いからね。荷物少ないからって」


 再び歩き始めながら、柚は楽しげに笑った。


「うわー、ひっどおー」


 8時25分。予鈴が鳴り、急ぎ出す生徒が増えた。3人も上履きに履き替えてそれぞれ新しい教室へ向かった。柚と康弥が4組、新は6組だった。扉が開きっぱなしになっている6組に入り全体を見回すと、クラスメイトの姿はまばらなかわりに、黒板にでかでかと書かれた「始業式」「出欠は体育館」の文字が目についた。


「おはよう、新ちゃん」


 2年目も同じクラスになった、前の前のさらに前の席の沼田だった。沼田もちょうど荷物を置いたところだったようだ。


「おはよう」


「急いだほうよくね。いくべ」


「だな、行くか」


「もっさんとエグチもいくべ!」


 沼田は教室を出る間際、教壇近くで雑談中のふたりにも声をかけた。沼田と江口はサッカー部の仲間だった。と、ここで江口の返事と同時に、8時30分を報せるチャイムが響いた。これを待っていたのか、森と江口も弾かれたように廊下へ出てきた。


「いやあ、今年も始まりましたよ皆さん、1年が」


 全校生徒約1000人が集う体育館へ急ぐ途中、集団からひとり歩み出て、沼田は仰々しく言った。この男には、朝の憂鬱という感覚がないらしい。


「おっ、一体何が始まるんだ?」


 新の背後から、江口の棒読みに近い期待の声が上がった。沼田は昨年度の生活で、言動が受ければ笑われ、すべっても笑われるという、おいしいポジションを確立していた。沼田の頼りない表情から、すべるほうだな、と新は直感した。


「いやいやいや、期待されても困るから。今日の俺は真面目にいくから」


 沼田はおどけた顔で息を吸って、廊下に響く張りのある声で叫んだ。


「楽しい楽しい高校生活! 老いてはかえらぬモラトリアム! 今年も~、ここから~」


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ