個体(1)
「集まってきた?」
「ガチで言ってんの? お疲れじゃん」
「うん」
「駿介来た」
「うん」
「速度制限マジうんこだわ」
「うっす」
「多分そろそろ兄貴も来るから切るわ。繭子によろしく。ああ、今度招集かけて行こうぜ、じゃ」
執行官、灰島新は初夏に続く潮の匂いの中でキリの悪い睡眠から目を覚ました。毛布の温もりで凝り固まった瞼をこすっていると、鼓膜が若い男の声を捉えた。
「駿介、63番倉庫ってここだけだよな?」
「じゃね? 譲さんたちが集まるときによく使うんでしょ。弟のお前が知らねえのかよ」
「『深入りしない』っていつも言ってんだろ。俺は兄貴の例を知ってるから、そういうことには首を突っ込まないで公務員にでもなりてえ」
沼田かと思ったが、そうではないようだ。どこかで聞いたような口調、上ずり気味の声。想像するに、倉庫前のふたりはどこにでもいる高校生男子といった様子である。沼田が半開きにしていった扉を彼らがさらに押したため、新は毛布を持ったまま倉庫の奥へ移動した。何者か分からない以上、警戒する必要はある。
「じゃあ今日はなんで」
「そうしろってうるさいんだよ。『家にいるとお前まで危ないから』つって。ほら、俺は兄貴のお陰で暮らせてるから強く言われたら逆らえねえ」
「やっぱ譲さんかっけえわ」
「だからバイク貸してくれて助かった、サンキュー」
「10倍返しな、はは」
「ん、兄貴来たかな。ひとりじゃないっぽいけど。とりあえず、駿介は皆のほう行ったら? 俺もできれば後から合流する」
「居たら邪魔?」
「いやむしろ助かる」
「じゃあ居るわ」
「はは」
「はは」
「ねえ! ここでよかったんだよね?」
新は、次第に大きくなる心音を聞いた。こう息を潜めていると、遠い昔に見た佐古田のシルエットがチカチカと蘇ってくる。倉庫前の人数はこれから増えるのだろうか。なんでよりにもよってこの倉庫なんだ。
「その人たちも兄貴の仲間?」
「……ああ、確かに『仲間』だなあ。いないほうが良かった『仲間』かもしんねえけど」
扉に遮られて視認できない位置から複数の乾いた笑いが生じた。「兄貴」が、さらに人を連れてきたようだ。
「まあなんだ、説明はするよ、今する。このまま楽しい夜にしようって訳にもいかねえしな」
ライターの音が鳴った。
「何から言ったらいいかな……。お前、駿介だっけ? 駿介も俺が人殺しで11年間パクられてたのは知ってるよな?」
「っす、知ってます」
「こいつらはそのときの共犯者なんだわ」
少年ふたりがぎょっとしたのを、新は目で見ずして感じ取った。しかし、その場にいる誰よりも、新こそが愕然としているのであった。
「直接関わったのは6人で、俺は3番目に出てきた。女共は先に出て姿くらましてたから、男の中では俺が最初だった。で、主犯扱いの蛭沢は無期懲役だから今も檻ん中なんだが、こいつらはどっちも去年になって出てきた。何年か俺とズレたのは、強姦暴行に関わったかどうかがデカいんじゃねえかな。アレは酷かったから。俺も大概クソだが、こいつらはクソ野郎だよ、本当に」
また笑い声が上がった。増えたのは男ふたりだと分かった。分からないのは、どうしてまたも殺人犯が目の前に現れたのかである。普段気付かないだけで、意外とその辺にいるものなのか? そんなまさか。ならば、たまたまか? そんなまさか。
「それでそう、なんでまたクソが寄って集ってここにいるのかなんだけど」
少しの間があった。
「実は1週間前、それぞれの家にこの紙が届いた。送り主と消印見てみ。な? 蛭沢から届いたことになってんのよ。で、消印がないってことはポストに直接入れられたかもってことだ。自業自得かもしれないが警察もまともに取り合ってくれねえ」
「それは手紙っすか?」
「パッと見は手紙だけど手書きではないな。内容は全部同じで、蛭沢以外の連絡先と住所、『6月4日の夜明け前に家にいると殺されますので可能な限り集合して自分からの連絡を待ってください』だ」
「ちょー怪しいっすね。あの、コンビニとかにある、なんつったっけ、あの、ギャグみてえなオカルトの」
「月刊Δ?」
「そう、それそれ、そういうのに載ってそうっすよね」
「まあ、住所とかがデタラメだったら笑い話で済むんだけどな、そうじゃないからこうして大袈裟に呼び出してるってわけ」
「じゃあ兄貴はこれからどうするつもりなの?」
「どうするもこうするもねえよ。とりあえず大人しく酒でも飲んで朝を待つ。もし何かあれば俺らで何とかする。それだけ。今回ばかりは正当防衛だろ多分」
「何かって?」
「わかんね。例えば……遺族がチーム組んで復讐しに来るとか? あとは賠償が済んでねえのに逃げた奴とか、責任を放棄した親のせいで調停不調になってる弁護士が殺し屋を送り込んでくるとか? さすがにそれは映画の観すぎか、ふは」
「いやでもそれ来たらマジやばいっすね! 俺、そしたらムービー撮っとくんで上げましょうよ! 炎上したら面白くないっすか?」
「俺らをまた刑務所入れる気かよ。ま、そういうわけで、今日はどうしても暇ちんなんだわ。駿介、お前のバイク、どこにあんの? 見せろよ」
「っす、でも正直あんま海に近付けたくないっていうかなんつーか……」
「いいから、もってこーい!」
「っす!」
「あとこれで何か酒とつまみその他買ってきて」
ひとりぶんの足音が駆けていった。
「はは、かわいそうに駿介」
「ちゃんと洗車代は出してやっから。最初、俺は倉庫の中に入れてると思ってたんだけど違ったな。でもなんで倉庫の電気を点けない?」
あっ。
「てかそもそもお前にここの鍵渡してたっけ?」
直感が叫んだ。聞きたくない!
「え? 兄貴が開けといたのかと思ったけど……」
恐れていた事実が、見知らぬ殺人犯の口から紫煙のごとく現れてしまった。照明は壊れてなどいないし、ここは沼田の親の倉庫でもない。新の気分は、呆気なく断崖を転げ落ちていった。
「てことは前の奴が忘れやがったな、くそ。まあいいや、とりあえず女でも呼んどくか」
そんな、まさか。
「兄貴周辺の女って皆俺を犬みたくかわいがろうとするから苦手なんだけど」
そんなはずは。
「ハッ、最高じゃん、今のうちに味わっとけよ。……あ? なんだこれ」
そんな。
「『通告』……『倉庫内の殺人犯1名を殺せば前科・賠償すべて白紙』」
あああ、ちくしょう!
「兄貴、今なんて言った?」
逃げられなかった。愚かにもまた嵌められた!
「今日の」
「今日の原因と結果、目的と手段がすぐそこにいるって、言ったんだよ。見ろ。一斉に自称『蛭沢』からトークが来て」
「……まさか、やるつもりじゃないよね」
「兄貴」
「兄貴」
「黙るなよ」
「おい」
「お前には関係ない問題だ。駿介と帰れ」
「何言ってんだよ……! 第一そんな提案のどこが信用できんだよ」
「嘘でもいいんだ。嘘だったら死人が棺桶に戻って、本当なら血の通った人間として甦る。それだけだ」
「嘘に決まってる! この倉庫だって、俺たちだけのときから人の気配なんてない!」
「そうか。良かった」
「じゃあ」
「じゃあ確かめよう」
悲鳴と共に扉が開かれた。第2の執行の幕が上がった。




