4月6日(2)
新は弾む呼吸を正しながら、4台並んだ改札機のひとつにICカードを押し当てた。軽快な電子音と共に、緑色のとおせんぼが勢いよく開いた。
毎日のように駅までの距離を急いでいるせいか、かつて部活動で培った体力はまだ活きているようだった。フットサル同好会とは名ばかりのゆるい集団に所属する今となっては、運動もする機会がなくなってしまっていた。
駅にホームはふたつあった。学校方面、すなわち街中へ向かう下り列車のホームは改札の反対側にあり、そのため下り線の乗客は連絡通路を渡る必要があった。対岸のホームに降り立った新は、電車の到着まであと数分あると知って、いつもの位置に並んでベルトを締め直し、衣服のずれを整えた。上りの電車が左から右へ通過していった。
(間もなく、2番線に、下り列車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側まで下がって、お待ち下さい)
アナウンスの声に紛れて、がちゃがちゃ、ばたばた、という騒々しい音が耳朶を打った。ソックスを気にしつつ新が顔を上げると、周囲よりも一回り大きな人影がこちらへ歩いてくるところだった。
「やべえ、あっつう!」
名織康弥は、野球部の練習着とグローブとで膨れあがったエナメルバッグをどすんと落とし、さらに繰り返した。
「あっつう!」
身長180センチ台、筋骨隆々、ソフトモヒカンという、いかにも体育会系らしい風貌の彼からは、意外にも柔軟剤のフローラルな香りがした。一方、新はにやにやしていた。
「危なかったな」
「セーフ、セーフっしょ。さすがに始業日遅刻はつらいって。寝坊しても諦めなかった俺を褒めたいね」
エナメルバッグを担ぎ上げながら康弥が弁明した。電車が構内に進入してきていた。
「俺もひとのこと言えないんだけどさ、康弥はあと2年で早起きのプロにならないと、さ。厳しいんでしょ、警察って多分」
ホームを吹き抜ける風に列が身じろぐのを待って、新も肩にバックパックを掛けた。
「なんじゃね。逆にそうじゃないと悲しいわ」
ふたりは車両に乗り込み、奥の閉じたドア近くにスペースを見つけた。朝8時過ぎの車内は、満員とまではいかずとも混雑していた。
「てか、その寝癖すごいな」
「え?」
発車のメロディが気になったのか、他所を向いていた康弥はこちらに耳を寄せて聞き返した。
「ごめん、もっかい」
「ね、ぐ、せ。後ろの」
新は指で示した。電車が動き出す。
「うそ、まじかよお」
後頭部をまさぐり、康弥は何か酸っぱいものでも食べたような顔をして呻いた。
「俺も朝風呂にしてみっかなあ」
「その分早く起きなくちゃいけないけどね」
引っ張れば目まで隠れようかという長さの前髪を払いつつ、新は笑った。
「冬は寒いし」
「そりゃそうだわ。あと授業始まる前に水道でばっしゃーってしよ」
ほんのりうるさい雑談は、3駅先まで続いた。