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潜在人間(ジャックマン)①  作者: 竹橋 夢仁
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交錯

 


 予報どおり、週末の空は快晴だった。その勿忘草わすれなぐさ色が浅葱あさぎを経て赤みを帯びる頃、仁科柚はアルバイト先のコーヒーチェーンを後にした。飲食店から漂うディナーの匂いと、路線バス・タクシー・乗用車が入り混じる往来の排気ガスを嗅ぎながら、市街中心部を貫くアーケード街を賑やかな方向へと歩く。客引きの黒服、制服姿の一団、香水臭い女、金属音を纏った男、手を繋ぐカップル、飲み屋探しのサラリーマン。その他大勢の横を過ぎ、先週末も足を運んだAELが基礎を下ろす駅西口に到着した。待ち合わせ場所のステンドグラス前にはいつものように十数人の人だかりがあり、その中に名織康弥の長身も立っていた。


「あれえ? 早いね!」


「おお、バイトお疲れ。楽しみにしてたから早く来すぎちゃった。ちょっとだけ早いけど飯行くか」


 大規模な改築の進む駅構内を東口へ抜け、大通りから一歩踏み入ったオレンジ色の灯りが似合う路地を行く。


「もうすぐ着くと思う」


「大丈夫だよ、急がなくて」


「あ、ここだ」


 週末の夜、外から見る店内は満席と思える賑わいだったが、康弥が名前を告げると、店員は上品な仕草でふたりを奥のテーブル席へ案内した。カウンターやその周辺にはリキュール等の色鮮やかな瓶が並んでいる。特にこの時間帯はバーとしての営業が主体の店のようだった。


「こういう店、よく来る?」


「ううん、あんまり」


 柚は嘘をついた。手慣れない様子の康弥が可愛かったからだ。平気な顔で連れ歩いてくれる人間は沢山いたが、康弥にそうあってほしいとも思わない。


「ワンドリンク制かあ。どうしよっかな」


「康弥ってお酒強いの? 確かこのあと飲み会だよね」


 せっかくだから、とふたりともアルコールをオーダーした。そしてカプレーゼとトリッパのトマト煮、パスタとデザート。デザートはひと皿にスプーンがふたつ。ほんのり紅潮した康弥の頬につられて、柚もまた食後はうすく濡れた首筋を夜風にさらした。


「おいしかった~。ごちそうさま、でも、ほんとにいいの?」


「いいの、意地くらい張らせてよ」


 のちのち繁華街へ向かう康弥の都合で西口側に戻ったふたりは、大して時間もないから、と高校生当時を再現するかのように駅直結のペデストリアンデッキで居座ることにした。巨大なバスプールを見下ろす位置に立てば、無数の人や車が絶えず動く街の在りようはある種の美しさを含んで広がった。ふたりは手頃な段差に並んで腰をかけた。


「今日はありがと、時間も合わせてもらっちゃったし」


「いくらでも合わせるよ。また行こう」


「うん、行きたい。でも私……じゃなくて、次はあれ食べたい、今日食べられなかったやつ」


「何か言いかけなかった?」


「なんでもなーい。てか康弥ってさ」


(――ve me forever……)


「どうかした?」


「あ、いや、うん。あのニュースが見えてさ」


 康弥の目線を追うと、商業施設の大型ビジョンでランキング形式に放映されているミュージックビデオの四角の上辺、時事的なニュースの一記事が見えた。


 ″――名の執行について丸井法務大臣が再度会見・日弁連は抗議″


「ごめん、こだわってるのは俺のほうかもなあ。この前も、『どうしようもないことより』なんて柚に言っておいて。今だって、画面の下を似たシルエットの人が歩いてたから『生きてたら』って考えちまった」


「生きてたら……」


 執行を知って以来、努めて考えないようにしていた問題がいやなタイミングで持ち上がってしまった。しかし核心を突く会話に安堵する自分もいるのであった。


「どうする、冤罪が証明されたら、柚は」


「……冤罪って分かっても、死んじゃってたら意味ないよ。家族と違って、私たちは生きている間にしか関われないんだから。最近ね、康弥と新と居た私だからできること、ある気がしてる。これまでをひっくり返すくらいのプラスにできるかは分からないけど、マイナスのままじゃ笑われちゃう。また話したいけど、それこそ『どうしようもない』しさ、『生きてたら』は」


「柚はさ、まだ好きなの? あー……」


 康弥は横顔に後悔の表情を浮かべた。


「好きっていうと語弊があるかもな」


 柚にとっては誤魔化しのない頭の中身を表現する絶好の機会でもあった。


「うん、初めて話した時から新がどこか特別で、もっと知りたかったのは康弥の言う通り。でも好きじゃなかったよ、好きになる人だったのかもしれないけど、そうならなかったでしょ? だから宙ぶらりんのまま。あの頃は確かに好きになろうとしてたはずなのに、もう思い出せないの。正体のわからない後悔に終わりを作れなくて、今はわざと先のことだけを考えようとしてる。康弥がいてくれるしね」


「俺? ああ、頑張るけど、嬉しいけど……そっか……うん……そっか!」


 康弥は立ち上がった。


「柚がこれから自分にできること、考えて頑張ってるなら俺ももっと頑張れる。キツいこと、新のことだけじゃなくて色々あるけど、また美味しい飯食べに行って戦うんだよ」


 柚は笑ってしまった。と同時に、大型ビジョンに映る現在時刻に目が向いた。


「もうそろそろ時間?」


「え? うーん、多少は」


「多少~? 気、遣わなくていいよ、今日はありがとね!」


「あー……そう? だよね、んじゃあ行こうかな」


 当然の気遣いとして言ったつもりが、康弥には解散希望に聞こえてしまったようだった。


「私はもうちょっとだけ話してたいけど……」


「まあ明日があるもんな。明日また電話しよ。飯も今度はお互いもっと時間のある休日狙って」


「そうだね、わかった」


「じゃあ……またね! 気をつけて帰って」


 康弥は何度かこちらを振り返りながら、しばらく白い歯と手のひらを見せ、デッキ下へおりる階段の先に見えなくなった。柚はふん、と鼻で息をついた。


「康弥も飲み過ぎないように気をつけて」


 もっと大人だったらよかったのにな。穏やかな気分の中、柚は久し振りに何かを言い忘れていた。


 

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