晩餐
そのさなか、佐古田和伸は幻想の中にあった。
カービンの弾丸はタリヤの胸骨を背面から砕いて貫通した。タリヤの半身は一度テーブルに突っ伏し、その反動で椅子ごと床へ仰向けに倒れた。卓上の詩集が血に染まった。シミュレーションした以上にあっけないものだった。
まず全裸になった。次に血を拭いた。続けてタリヤの服を脱がせた。そして、まず屍姦した。が、これからのことを思い中断した。次に左の内腿にかぶりついた。が、歯が通らずキッチンからナイフを持ち出した。続けて内腿の切り分けを試みた。が、トウモロコシのような脂肪ばかり溢れて要領を得ない。そこで、まず肉切りに適した刃物を調達した。次に重くなったタリヤをひいひい言いながらシャワールームへ運んだ。続けて切っ先を突き立てるうちに手の震えは止まり、赤身の肉を切り出すことができるようになった。まずは左の内腿と決めていた。次に右の尻、左の乳房。続けて切り分けていくと、用意した皿が全ていっぱいになった。まずいのは腐らせてしまうことである。次に取り組むべきは肉の保存だった。続けて味わうためには血抜きして冷蔵庫へ入れなくてはならない。まずそのままでは入らないだろう。次にバスタブで響いたのはタリヤの首が落ちる音だった。続けて四肢を無理やり解体し、ようやっと冷蔵庫にタリヤを詰め込んだ。黒く伸びた癖毛のもやし男が、鼻と片耳、下唇の削がれた首を髪で持ち、結露した鏡の前で叫んだ。
「That's CANIBAL(食人だ)!!」
佐古田は射精した。甘美なる夢想の沼から這い上がったのちは、禊のシャワーを浴びて聖餐を貪るのだ。佐古田にとって、ちょうど11年前に味わったタリヤには比肩しないものの、人肉は相変わらず「まったり」としていて、「イチジクのように」、「とてもおいしい」のである。
佐古田は、あの日読み上げさせていた詩のリズムにのせて、どの部位も大切に調理していった。食べ飽きてしまわないための様々な調理法は、タリヤのときに一通り試していた。今夜はレバーペーストを添えた尻肉と香草のオーブン焼きをメインに、パプリカのファルシ、舌と唇のマリネ、パセリソースとトマトを使った腿肉のガトー仕立てなど盛り沢山である。スープや、食後には脳ムースも待っている。筋の多い脛や腕はシチューにして煮込んでいるし、腹肉の一部は縛って燻製にしてある。毎年の楽しみである貴重な人肉を、無駄にするわけにはいかないのだ。
佐古田が皿を並べ終えて食卓についたとき、小さなダイニングにはJ.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲第10変奏」が、グールドによる1955年の演奏でもって芳しい香りと共に漂っていた。
「僕はいま、フィクションを超越しているのだ」
これまでの憤悶、とりわけ直近1年間の苦悩が全て報われるような、至高のひとときである。心なしか、水槽の魚たちも元気そうだ。
たん、たん、たらら、た、たらららら。
フルート型に注がれたシャンパンを口に含みながら、佐古田は食前の興奮に酔いしれた。例えるなら想い続けた女性とついに同衾せんとする気分なのだ。
「君の身体はとても綺麗だね。さすが体育大生だ。2年生だったよね……」
その女、野中真紀はあどけなく笑っていた。極上の対価を払ってくれるアゾラには感謝するばかりだ。数年前の児童連続殺傷事件や江藤一家惨殺事件など、猟奇事件発生の折にマスコミのおもちゃとなった自著や講演で存在に触れて布教・流布の一端を担ったとはいえ、度々の死体処理をしてやっているとはいえ。複数人の候補の中から僕に選ばれてくれた真紀ちゃんにも、感謝は尽きない。
「ご、ご覧よ。舌と舌が絡み合ってるんだ。ほら。なんて心地良い感触だろう」
最高だ。またこうして人肉を、しかも穏やかな生活の中で味わうことができるなんて。向こうで裁判にかけられたときには想像もつかなかった。僕にはサトゥルヌスがついている。
「見て、この小皿、とても綺麗でしょ? 頭蓋骨なんだよ、君の。ジェフも気に入ってる」
肉汁溢れるメインディッシュの差し向かいで、額に入った野中真紀が笑っている。近付く「執行官」と数時間後の断罪に頬を緩めているのかもしれなかったが、佐古田にはまだそれを知る手立てがなかった。




