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潜在人間(ジャックマン)①  作者: 竹橋 夢仁
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訪問

 


「3年前の事件、でありますか」


 半歩先を歩く下士官の男が律儀な声で言った。


「そう。地方の農家で、客人までぜーん員、殺されちゃった事件。君20代だろう。逮捕されたのが高校生だったんで、君らの世代では当時たいそう話題になったはずだよ」


「恥ずかしながら申し上げます。自分は身体的技能を以って保安隊に配属されたものでありまして、学業には学生時から縁遠く」


「政治事はインテリ組に任せてるって?」


 妹尾勤堂せのおごんどうはまたか、と苦笑した。これが適性検査の威力か。


「本当実直だよねえ、保安隊の人って。士官クラスの連中になってくると実直過ぎて怖いくらいだ」


「はっ、恐縮であります」


 ふたりは長い地下通路を進んでいた。通路と言っても規模は歩行者用のそれとは桁が違い、大型車両が楽にすれ違えるだけの幅と高さがあった。数十メートルおきに赤色灯の埋め込まれた路面とコンクリートの壁が途切れ、左右にくぼんだ空間と隔壁が現れる他は、ただただ直進するだけの無機質な風景である。


「そうか、知らないか。その逮捕された元少年の拘置が」


 勤堂はスーツの袖口から覗く腕時計を見た。オールバックに整えられた、父親譲りの暗いブロンドが文字盤を覆うガラスに反射した。


「あと2時間くらいで終わるんだ」


「釈放されるので?」


「逆さ。死刑になるんだよ。今日が執行の日なんだ」


 後ろからでも、聞こえた単語の刺激的な響きが男の好奇心を煽ったらしいことが見てとれた。


「今は未成年者も死刑になるのですね。それも以前より早く」


「勿論だとも。少年法は段階的に一般の刑法へ寄せているからね。まあ、あと10年、そうでなくとも、せめて先々代の総理の頃であれば、今回の元少年も死ぬことはなかったのかもしれないが、人殺しをしたということなら文句は言えないだろう。嫌なら殺さなければいい。そんな自制もできない欠陥人間は、組織としての日本には不要だ」


「世間の大勢は厳罰化に傾いているように感じられます。勉学を怠ってきた自分にもです。同時に、死刑廃止を求める声がいまだ根強くあるとも聞き及んでおりますが」


「刑罰の否定は犯罪の肯定に繋がりかねない危うさを持っている。こと殺人に関しては、生命を奪う性質から鑑みて線引きをして、同害報復的でよいというのが僕らの信仰でね。先生を通じて檜山元総理に引き立ててもらえたのも、その点での一致が大きかった」


「そうです、帥将すいしょう殿が組閣されてから日本は変わりました。我々や、妹尾様のような存在が内々に運用される一方で、官僚との癒着は薄れ、今や日本の政治は非常にクリアーであります。自分は、グレーゾーンを廃し、最低限秘するべきのみを秘する帥将殿の姿勢が、我が国の空気に漂う閉塞感を打破してゆくのを渇仰かつごうの思いで見てまいりました。自分のような末端のネジ1本にも御国みくにの為に出来ることがあるのだと、その喜びで、ここに立っているのであります」


 次第に男は饒舌に、得々たる調子で語った。その言説がでたらめでないことを勤堂は知っていたが、制服を着て耳触りの良い賛辞を並べる姿は目に安っぽく映じた。真に自前の頭から生まれた言葉なのか、分かったものではない。勤堂は心にもない拍手をした。


「素晴らしい男ぶりじゃないか。いや、日本男児ぶりと言うべきかな。だがひとつ、そう、君は『末端のネジ』と言ったが、違うだろう。この秘密基地を警備している隊員が末端などであるものかい、ノンキャリアいちの出世コースだ」


 しばらくして、地下通路が終わった。黒光りする隔壁が行く手を塞ぎ、中央に位置した両開きの扉の左右で保安隊員が門番をしている。扉も壁面と同様の質感で、目前に立った勤堂らをぼんやりと映していた。


「査察執行官協会会長、妹尾勤堂様、御到着!」


 敬礼を受けるというのは気分の悪いものでもなかったが、それが毎回ともなると多少の煩わしさがあった。


「君、名前は何と言ったっけ」


 扉に埋め込まれた装置へ右の掌を差し出しながら、勤堂は出迎えをしてくれた背後の隊員に尋ねた。指紋と静脈を感知して分厚い扉が静かに動き始める。


「はっ、向隆博むかいたかひろ軍曹であります」


「君の能力如何では、いずれテーブルを挟んで話すこともあるかもしれない。勉学はあまり怠らないことだね」


 扉の先へ歩み入った勤堂が隊員の答礼を見ることはなかった。客人の通過を確認した扉が早々に閉鎖したからである。頭上から順に照明が点灯した。


 勤堂の正面にはドーナツ状の巨大な円卓があった。当然ながら今は誰も座っていず、がらんとした室内に空調の音が響くばかりだ。内装は壁、床、天井、加えて円卓や革張りの椅子に至るまで基本的に黒一色であり、奥の壁に掲げられた日章旗と結社日輪にちりんの旗が異彩を放っている。少しの間を置いて、円卓の中心に吊られた全てのディスプレイに電源が入った。


(おはよう、妹尾君。随分と久しいじゃないか)


 画面に現れた朝間克也あさまかつや官房長官は、優しげな眼の奥に炯々けいけいとした光を湛えて言った。官房長官ではなく、日輪の代表としての言葉である。


「ご無沙汰しておりました。お分かりでしょうが、僕らのほうもあれやこれやと忙しくてですね。直近では、例の死刑囚ですか、あれは不本意な仕事でしたよ」


(ああ、今日が執行だったか。丸井君が言っていたよ、「くれぐれもよろしく」とね。君にだ)


 朝間は額をさする癖があった。縦に拡がった額は本来なら格好の悪いものだが、朝間には禿をそれと思わせない威厳があった。


「勿論です。とりわけ今回は法務大臣にはご尽力いただきました。後はお任せ下さい」


(檜山先生のお墨付きもあるから、査執協の内状にはあまり口を出さないでいるが、くれぐれも間違いのないように頼むよ。査察のほうが滞りなく進んでこその執行だ)


「そちらが本来の業務ですから、履き違えることはしませんよ。そう、そうです、那須川なすかわ総理からは了解をいただきましたが、僕が今日此処へやって来たのには本来の目的があります。このような時間なのも、他の方々とバッティングする面倒を避けるためです。ただ久闊きゅうかつじょするために遠路はるばる山奥まで来たりはしません」


(……当然承知している。今開けさせるよ。通路右側の4号だ)


 旗のかかった奥の壁の右端、勤堂のいる会議室の隅に無菌の光が差した。出入口の半分ほどの小ぶりな扉が開き、黒い床から続く白い通路が露になったのだった。


(私は反対なんだがね。総理が認めたのでは仕方あるまい)


 朝間は眉間に深い皺を寄せた。勤堂は口角を吊り上げた。


「それだけ『しょくの鍵』の存在は大きいということです。しかしこれで、僕らと日本は初めてフェアな関係になった」


 

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