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潜在人間(ジャックマン)①  作者: 竹橋 夢仁
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吊られた鐘が鳴る音は

 


 開くはずのない扉が開いた。


 黒い靴底が床をみ、白い煙が鼻を撫でつける。その香の先に金塗りの仏壇が光り、教誨師きょうかいしが傍らで経を上げている。


 三方のくびを括られ、為す術無く立ち尽くす男を何者かがわらう。死にたいのか、と冷たく笑う。


 違う。そんなはずはない。こんなものを自分の人生とは認めない。まだ何も始めていないのに――。


 あっ。瞬く間に暗闇が落ちた。暗く閉じるその前に、肉の砕ける音が火花になって瞼の裏で遊んだ。


 


 


 灰島新はいじましんの思考は明瞭だった。はっきりと、不明瞭なのだった。確実にわかっていることといえば、遠からずさっきのように死ぬこと、それくらいである。


 思い出したようにこめかみの辺りを掻きむしりながら、新は仰向けになった。なったものの、天井の赤い常夜灯が煩わしかった。3年同じ光を浴びていればいいかげん慣れもするが、絞首台に吊るされたあとは別だった。3、4畳ほどの小さな室内に充満した色が、いやに網膜を刺激する。


 逃げ場に選んだ窓の向こうに、星は見えなかった。空なのか雲なのかよくわからない未明の夜がのっぺりと広がり、あろうことか厚い強化ガラスに映り込んだ常夜灯が、ここにも余分な一色を投じている。


 右肩を下に、横臥の姿勢をとった。そのまま顔の右半分を布団に押し付けた状態が、最も寝入りやすいという自覚があった。冷房のない夏も、暖房のない冬も、そうして乗り切ってきた。幸い今は春だから、顔がやや便器に向くことを除けば申し分のない環境といえた。


 灰島新は、独居房の底で横たわっているのだ。ある地方の、ある都市の、ある拘置所の一角で、浅い眠りを重ねている。


 いまいち、意識が飛ばない。目を閉じてゆっくりと呼吸してみても、それは変わらなかった。


 諦めることにした新の視野では、脂っぽくれた雑誌と十数枚の便箋がめくれ上がって揺れていた。ところどころに黒く塗り潰された箇所も見えた。差出人は、見ず知らずの一般人、雑誌の記者、死刑廃止運動家、等々。ここ最近のうちに寄せられたものを、纏めて作業机の下に置いておいたのだが、布団の吐く息に煽られてしまったようだった。気にはなったが、直す気にはならなかった。


 相手や時間の限られた面会と、顔の見えない差し入れ、信書。厳罰化に際し規制が緩んだとはいえ、死刑囚にとって外との繋がりは貴重だ。しかし、そもそもの容疑を半年前の上告棄却まで否認し続けた新にとって、それらは宛て先を違えたラブレターでしかなく、まさしく自分に宛てられた届け物に比べれば取るに足らない存在だった。


 ″自分宛″の信書は、全て収納に保管してある。家庭用ファンヒーター程度の大きさの収納に、新は専用の引き出しを確保していた。家族、親しかった友人、担当してくれた弁護士、が、その差出人である。


 国選弁護人の織田は、再審請求の段取り以外でも積極的に外との橋渡しを買って出る情に厚い男だった。父の死と、母と妹の蒸発が分かってからは、前にも増して親身に世話を焼いてくれている。


 名織康弥なおりこうや仁科柚にしなゆずは高校の同級生で、今でも欠かさずに手紙をくれる。制限の厳しい面会に来ることもある。きっと、織田の手引きがあればこその実現なのだということは、新にも想像がついた。


 だが、想像がつくのはそれだけではなかった。康弥にも、柚にも、それぞれの生活がある。ふたりはあくまで優しいが、自分の存在がふたつの人生を汚していることは明白だった。思い上がりなどはないと思う。


 それでも、今日のように、面会の日はやってくるのだ。望むから、やってくるのだ。望まずとも訪れた、1121日前の春を苗床にして。


 ……小さく、意識が飛んだ。眠れそうだった。


 

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