第7話:イケメン死すべし慈悲はない
新年明けましておめでとうございます。
まぁ、昨日まで働いていたので新年という感じではございません。12月がようやく終わった安心感しかないという、季節感もへったくれもないといった有様。体中もイテーしどうしたもんか。そうだ、温泉に行こう。
今年も不定期更新でまったりやっていきますので、よろしくお願いします。
股の緩い男は死ね。
彼と彼女は階段を降りる。ダンジョンと呼ばれる場所。
最奥まで到達できれば幸せになれるとされるダンジョン。その第一階層に、今まさに挑もうとしていた。
「あのさ……リチャードくん、本当に大丈夫なの?」
「ははは、当然大丈夫に決まっているだろう。この俺は『シャンバラ』では東の勇しゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「リチャードくんっ!?」
彼は階段を転げ落ちた。
いつの間にか、彼が降りていた階段は音もなく折り畳まれ、坂道になっていたのだ。
アリアは坂と化した階段を二歩で下り、転げ落ちたリチャードの様子を見る。
「大丈夫?」
「大丈夫に決まっているだろう! 心配は無用! はっはっは! ところで酷く足首を捻ってしまったので回復を頼みたい!」
「……うーん」
アリアは首をひねった。この先が不安で仕方がなかった。
リチャード・キンブリー。アリアも名前は知っている『シャンバラ』の高名な勇者で、雷の魔法を駆使して海竜を打ち倒したという話を聞いたことがある。
金髪碧眼の美青年。彫像のような容姿は男すらも見惚れる。
身に付けているものは勇者の肩書きにふさわしい、様々な魔法効果の付与された白聖銀の軽鎧に精緻な細工の施された大盾。その盾は海竜を打ち倒した報奨として、とある国の姫から賜ったものとされているが、詳しいことはアリアも知らない。
もちろん、彼の『勇者』としての実力は本物だろう。剣の腕は間違いなくアリアより上だし、高等な奇跡も扱える一流の戦士である。
(確かに強いのかもしれないけど……なんていうか、こう)
チャラいし信用ならない。回復くらいは自分でして欲しい。
アリアの経験上、こういう男は調子が良い軟派男か、裏で腹黒いことを考えている野心家か、アリアを利用する気満々のゲス野郎である。
(利用されるのはいいんだけど、大抵後味悪く自滅して迷惑かけるからなぁ……)
アリアは息を吐いてリチャードを見つめる。
「さっきも言ったけど、油断は禁物だよ? この第一階層のフロアボスはとても弱い人だけど、トラップだけはものすごく優秀なんだから」
「確かに、さっきのトラップは子供だましながらも面食らったな。しかし、あの程度のトラップならばぎゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「リチャードくんっ!?」
突如尻を押さえて飛び上がったリチャードに駆け寄る。
鎧の隙間を縫うように、釘のようなものがリチャードの尻に突き刺さっていた。
「えっと……」
ちらりと釘が飛んできた方向を見つめると、一人のブラウニーがアリアとリチャードを見つめている。
ブラウニー。小さな妖精のお手伝い屋さんの総称である。大きめの服と帽子に身を包んだ可愛らしい小人で『シャンバラ』や『ワールド』ではほんわかした童話に登場し、仕事に似詰まった職人を助けたり、子供へのプレゼントを作ったりしている。
そんな彼女たちだが……そのブラウニーの様子は、少々違っていた。
赤い服を着たブラウニーは、親指を下に向けていた。
「えっと……」
アリアが声をかける前にブラウニーは姿を消した。
彼女たちは妖精であり姿隠しの法を先天的に習得している。ブラウニーと同じような妖精や小さい者でなくては追跡は困難を極めるだろう。
追跡を早々に諦め、アリアは釘を引き抜いた。
毒の可能性を考慮して解毒の魔術を使うが、特に毒物を使われた形跡はなかった。
「リチャードくん。本当に大丈夫?」
「大丈夫に決まっているだろう。アリアは俺を信用できないのか?」
「うん」
「そうだろうとも、なんせ俺は勇者だから……え? 今『うん』って言った?」
「うん」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 確かに第一階層に踏み込んでから二回ほどポカミスをやらかしちゃいるが、それを補い合ってこそのチームワークだろうっ!?」
「その二回のポカミスで十分なんだよね……ここのボスってそーゆー人だよ?」
「カイネ=ムツ。あの貧弱そうな男が考えそうな悪辣なトラップ群とは聞いたが」
「そうそう。カイネくんは可愛いけど性格悪いんだから、油断すると死んじゃうよ?」
「肝に銘じておこう。しかし、あんな男より俺の方が絶対に良いぞ?」
「男性の良し悪しはボクが決めるよ」
そう言いながら、アリアは歩みを進める。
「とにかく、注意して進んで。目に映らないくらいの糸を切ったり、ほんの少し色の違う床を踏んだりしただけで命に関わるんだから」
「感知能力を上げておけばいいんだろう? 安心しろ。俺の魔法はその辺の補助も万全に行える」
「……まぁ、いいけど」
安心しろと言われても不安が増すばかりだった。
今度こそ、ささやかではないハプニングはあったが第一階層に踏み込む。何度か来たことのある階層なのだが、今回は迷路になっているようだった。
慎重に壁を叩いてみるが、アリアには破壊できそうになかった。
(正攻法しかないかな?)
迷路を少しずつ踏破していくしかないだろう。カイネの作る迷宮は時間さえかければ突破できるようになっている。罠は凶悪だが気を付ければ回避できるし、宝箱の中にはこちらの傷を瞬時に回復してくれる『当たり』のような宝もある。
緩急付けてこそ宝箱のトラップは活きるのだと、カイネは語る。
(まぁ……カイネくんも性格は悪いよね)
勇者アリア。わりと人を見る目は厳しい女であった。
「ところで、アリア」
「んー?」
「お前はどんな願いを持ってこのダンジョンにやって来たんだ?」
「特に叶えたい願い事はないよ。なんとなく、だらだら旅を続けてたらここに辿り着いてたんだよね。今はアトラス師匠の所で腕試しって感じだね」
「なら、願い事は俺に譲っても構わないな?」
「構わないってことはないけど……リチャードくんは叶えたい願いとかあるの?」
「ああ。俺は俺の国が欲しい。もしも願いが叶うなら、アリアには望むものを全て与えよう。なんなら俺の第一王妃にしてやってもいい」
「あっはっはっはっはっはっは!」
「いや、爆笑するところじゃないからなっ!?」
「リチャードくん、似たようなことを『ワールド』の宿屋にいるメイドさんに言って、半殺しにされてたじゃん? 懲りないなぁと思って少し感心したよ」
「ぐっ……しかし、本心だ。俺は俺のために、俺の国を作るし女も囲う」
「ボクは囲われたくはないけど、頑張ってね」
国は作るのは簡単だけど、維持するのが一番難しいんだよね。
アリアはそんな風に思ったが口には出さなかった。夢を見るのは自由だし、願い事をどんな風に使おうとも自由だ。
(そういえば、ずっと独りで挑んできたから願い事に制限があるとか、そんな風に考えたことはなかったな……)
今度キィさんに聞いてみよう。そんな風に思っていると、不意に道が開けた。
複雑な迷路を抜けた先にあったのは、大きな部屋だった。
大きな部屋の中心に立っているのは見知った顔。第一階層のフロアボスである。
「やっほー、カイネくん。時間はかかったけどここまで突破できたよ」
「………………」
「カイネくん?」
「アリアちゃん。実は、謝らなきゃいけないことがある」
「へ?」
彼……カイネ=ムツはばつが悪そうに頬を掻きながら、目を逸らして言った。
「確信はあった。でも……アリアちゃんの今回の相方が『その通りの人物』だとは思わなかったから止めなかった。これほどまでとは思わなかったよ。うん、本当にね」
「なんの話?」
「この第一階層が挑戦者を『殺さねばならない』条件のお話だよ」
不意、だった。
アリアの背筋を寒気が走り抜ける。
分かっていたはずだ。どんなに情けなくても、性格が悪くても、愛嬌があっても、愛想を振りまいていても、目の前の少年は間違いなく、第一階層のフロアボスなのだ。
アリアに対しては罠を突破されてしまう……つまり『挑んでも面白くない』から甘くしているだけで、少しでも歯ごたえを感じたのなら自分のできる範囲でやれるだけやってしまう、そういうタイプの男なのだ。
そして、自分の心を侵す者は容赦なく殺す非情さも持っている。
「いくつかあるうちの条件の一つ……アリアちゃんの相方はそれを満たしてしまった。僕としてはアリアちゃんを巻き込むのは嫌なんだけど、今回ばっかりは『彼女たち』も我慢がならなかったみたいでね。これはもう仕方ないと思って欲しぎゃべっ!?」
「カイネくん!?」
目の前で奇妙な叫び声を上げたカイネは、その場に倒れ伏して動かなくなった。
その体からは黒煙が上がり、数秒経たずに燃え上がる。
「はっはっはっは! さすが俺。貧弱なフロアボスなど一撃で仕留めたぞ!」
「ちょ……なにしてくれてんのリチャードくん! 今、カイネくんはとてもとても重要なことを言っていたような気がするよ!? たぶんボクらの命に関わることだ!」
「フロアボスを倒せば第一階層は終わりなんだろ?」
「いや、確かにそうかもしれない……け……ど……」
アリアの言葉が尻すぼみになっていく。
冷や汗が流れる。見てはいけないものを見てしまったという後悔が押し寄せる。
燃え上がるカイネの背中に、二人の小人が立っていた。
炎の中にいて傷一つついていない。
一人は赤い服を着た少女のような小人。アリアたちを据わった目で睨みつけている。
一人は青い服を着た少女のような小人。アリアたちをにやにやと笑って見ていた。
赤い服を着た少女が、カイネの背中に針を突き刺した。
『延命措置開始。フロアボス死亡まであと三十五秒』
この時点でアリアは踵を返した。リチャードのことを慮っている余裕など欠片もない。一刻も早くこの場から逃げなければ、死んだ方がマシくらいのとんでもないことが起こると、全身全霊が絶叫していた。
リチャードは一拍遅れた。それが二人の明暗を分けた。
『バイオニックコンデンサ起動。ボスフロアを閉鎖開始。これより境界撹拌を行う』
ぎりぎり、本当にぎりぎり、地面からせり上がってきた壁に髪の毛が少し挟まって千切れてしまう程度のぎりぎりでアリアはボスフロアから脱出できた。
リチャードは閉じ込められた。
「ッ……くそっ! なんだこれは! なんなんだ!? おい、フロアボスを倒したらそれで終わりじゃないのか!? くそったれ、これはぶぎゅらべげやるぎょおおおっ!?」
後半は悲鳴にすらなっていなかった。部屋の中でなにが行われているのかはアリアには分からなかったが、ボスフロアでなにか悪いことが起こったのは確かなようだった。
悲鳴は一秒に満たず。轟音が三十秒。耳障りな、なにかを引っかく音が三十秒。
壁が開いたのはおおよそ一分後。部屋の中にはなにもなかった。
カイネの死体もなかったし、リチャードもいなかった。
しかし、部屋の中に入ろうとは到底思えない惨状で壁や地面の色が鮮やかな黄色と緑の混ざった気持ちの悪い色に変色しており、頭が割れそうなほどの刺激臭に満ちていた。
なにより、地面に残った二つの人型の染みがアリアの心を折るには十分過ぎた。
「……えっと、リタイアします」
あっさりと、アリアは撤退を決めた。
幾度となくダンジョンに挑み、その度に敗北してきた少女は、引き際だけは誰よりもきっちりと弁えていたのであった。
さて、事情を説明しよう。
部下の責任は上司である僕の責任なので、きっちりと説明しよう。
赤い服のブラウニーの名前を『マカロン』という。つり目で可愛らしい顔立ちの女の子で、身の丈は僕の肩に乗せても大丈夫な程度。ブラウニーの間では不評なこの第一階層の整備を買って出てくれる子で、つんけんしているがとても可愛らしい。
心と共に目つきも荒んでいるが、その辺はご愛嬌だろう。
ブラウニーという小さな妖精の職務は、お手伝いである。
可愛いものの作成や間に合わない仕事をほんの少し後押しすることである。
少なくともダンジョンを作成することではない。
そういうわけで、この第一階層はブラウニー達の間では大層不評である。具体的には下から二番目に当たる。ちなみに一番不評なのは第四階層。ザッハの居住区は龍の巣そのものといった有様なので、妖精の出番はないのである。
マカロンさんは、そんなクソみたいな労働環境の第一階層を買って出てくれている。仕事は真面目で勤勉実直。マカロンさんの相方と違って実に頼もしい。
そんな彼女は、イケメンが死ぬほど嫌いだ。
正確にはイケメンではなく『チャラ男』が嫌いなのだ。
容姿が整っていて、容易く女の子を口説けるような、軽い男が大嫌いなのである。
その辺は僕やマカロンさんの相方とも通じる部分なのだが、マカロンさんは嫌悪が過ぎる故にやり過ぎるところがある。
今回など、僕が死ぬまでの三十秒の間にトンデモ技術を使用してリチャードを屠っている。掃除も大変だし明らかにやり過ぎだ。
「今回は部下がどえれぇことをやらかしてしまって申し訳ない。ちゃんと部下には『めっ』と叱っておきましたので、ご安心ください」
「おおおおおおおおおおおぉぉぉぉい!? そんな子供に言い聞かせるような叱り方じゃ絶対に駄目だろうが!」
僕の誠意ある謝罪に対し、返ってきたのはツッコミだった。
リチャードが今いる場所は『ワールド』にある宿屋である。肉体的にはともかく精神的にちょっとメタメタだったので、僕はいいと言ったのだがアリアちゃんの強硬な主張で保養をすることになったのだ。
イケメンなんて放っておいても勝手に立ち直る生き物なのに、本当に面倒な話だ。
チャラ男のツッコミは完全にぶん投げて、手土産を渡す。
「今回はこれで手打ちってことでいいよね?」
「売店で売ってるパンじゃないか! もらわない方がまだ誠意を感じられるわ!」
「ハハハ、そりゃそうだ。この仕打ちで『ありがとうございます』と言える奴は聖人か真正のマゾヒストだけだろうさ。ちなみに僕はどっちも苦手だけどね」
「ぐっ……この男、相変わらず人を舐めた真似を……パンなぞ要らんし、そもそも敵からの施しは受けんわ!」
「あ、今は勤務時間外なので『敵』とかそういうの、やめてくれません? 公私混同は好きじゃないし、僕の中でのリチャードの扱いはアリアちゃんのオマケの雑魚だし」
「今すぐここで叩き切ってやろうかっ!」
嫌だ嫌だ。イケメンはともかくチャラ男は自己顕示欲が強いからすぐに他人を敵か味方か区別しようとするし、こうやって敵認定した途端に態度が変わる。
曖昧なグレーゾーンというのも、人間関係には必要なのだ。
まぁ、僕が煽り続けたのがそもそもの原因なんだけども。
「っていうかさ、忠告したよね? ダンジョン内で男女の話はご法度だし、最悪でも第一階層過ぎてからにしろって」
「……あそこまで酷いことになるなんて、普通想像できないだろうが」
「不意打ちで人を攻撃するからあんなことになるんだよ」
「お前にだけは言われたくないぞっ!? いや、ダンジョンに挑んだのは初めてだが、絶対にお前、普段から不意打ちとかしてるだろ!」
「うん」
「あっさり頷くな! 正々堂々戦え!」
「馬鹿を言うな。僕みたいなクソ雑魚が正々堂々戦ったら負けるだろ。こっちは慈善事業でボスやってるんじゃねーんだよ。ぶっちゃけ、今回だってアリアちゃんが口説かれそうだから許可出したようなもんだし」
「ははン? カイネ、お前……アリアのことが好きなのか?」
「好きは好きだし最高に可愛いと思ってるけど、それはそれとしてテメーみてぇな下半身で物事考えてそうな最高に頭軽そうな男にくれてやるのが死んでも嫌なだけだよ」
「お? やるか? この場でやるか?」
「やりたいのならどうぞ。二人まとめて腹を痛めるのがオチだと思うけどね」
「………………」
リチャードは露骨に顔をしかめて、舌打ちをしてから引き下がった。
腹を痛めるとは腹痛という意味ではない。パンチで腹筋と内臓を痛めるという意味である。この宿屋には二人のメイドがいるが、両方とも色々な意味でヤバい。特にいかにもといった感じのフリフリエプロンを着せられている方が最高にキレていて、神格者でもないくせに第五階層まで平然と突破して、転送装置を使わず第五階層から第一階層まで逆走して帰りやがった女である。
愛想は良いし基本的には可愛い女性なのだが、既に亭主がいる上に宿屋で騒ぐと容赦なく拳が腹に飛んでくる。
僕は自分が可愛いので、物理で内臓を痛めたくはないのである。
「や、僕だってリチャードが女の子に惚れ込んだら絶対に幸せにする感じの誠実な男ならこういう真似はしませんよ? でも、なんていうかこう、拭い去れない微妙なゲスさ加減がにじみ出ているというか、ぶっちゃけお前アリアちゃんのこと利用する気満々じゃねーか? って感じなんだよね」
「そんなことあるわけないだろう。俺は勇者だぞ?」
「『シャンバラ』じゃないんだから勇者って肩書きは説得力にならないし、アリアちゃんはそういう所はかなり鋭いから確実に見抜かれてると思うぞ」
「ああ、そうだな。利用していると言われればその通り。願いを叶えるためにアリアと組みたいと思っている。しかし、アリアを好きだという気持ち自体に嘘はない」
「…………ふぅん」
嘘ではないが、本当のコトも言ってねぇだろというツッコミは、引っ込めた。
僕も本当のコトは伏せている。奥の手を伏せていると表現すると、少しだけ格好良くなるが、やっていることはリチャードと大差ない。
まぁ、それはそれとして、僕はこの男とアリアちゃんとの交際は認めない。
「リチャード。女性と交際する上で一番大切なことを聞くから、答えてくれないか?」
「なんだ?」
「いくら持ってる?」
「一番大切なことって金の話かよっ!?」
「当たり前だろ。女性と長いお付き合いをする上でなにが一番大切か……そんなことは考えるまでもない。金だよ、金。金があればどんな女性とも付き合っていいんだ」
「俺は軽薄かもしれんが、お前の発想もかなり最低だぞ!」
「馬鹿言うな。金があれば大切なもの以外は全部手に入るんだぞ。人生において本当に大切じゃないものの割合は98パーセントくらいだし、残りの2パーセントも金があれば手に入りやすくなる。つまり金があれば欲しいものは大体全部手に入るんだよ」
「いや……そんなことはない。金で手に入るのならダンジョンになど来ない」
「ちなみに、なにが欲しいのさ?」
「貴様のような男には理解できないものさ」
「…………んー」
どうやら、人に言えない願い事らしい。
国が欲しいとも言っていたが、アレはアリアちゃんに対するリップサービスか、国がなければ果たせない願い事なのだろう。本音は別の所にある。
人に言えない願い事は、人に理解されない願い事……えろいことか恥ずかしいことだと相場が決まっているが、どんなことであっても『願望』があるのはいいことだ。
それが叶うかどうかはともかく、思うだけなら自由なのだから。
息を吐いて目を細めて、リチャードを見つめる。
「まぁ、どんな願い事でもいいんだけど、今後は女性とダンジョンに来るのは自重することだね。第一階層は罠解除スキル持ちかアリアちゃんみたいな天才が単独で挑むと楽になるように設計してあるから、その辺が狙い目」
「自分の階層の攻略法を教えるとか……アホか、お前」
「キツくなるのは第三階層からだしね。第一階層くらいはアスレチック感覚で乗り越えてもらわないと、願いを叶えることなんてできやしないよ」
「………………」
僕の言葉を聞いたリチャードは表情を曇らせた。
ダンジョンを突破しただけで願い事を叶えようというのだ。その程度のリスクは覚悟してもらわないと困る。
アリアちゃんみたいに何度も挑んで敗退してもらおう。
リチャードもこのダンジョンまで到達できる『外れた』存在なのだから。
と、僕が益体もないことを考えていると、不意に部屋の扉が開いた。
「やっほー、リチャードくん。元気してる?」
姿を見せたのはアリアちゃんである。バイト中なのかなぜかメイド服だった。
メイド服自体にこだわりはないけど、メイド服のアリアちゃんはとても可愛い。全世界的にもっと流行らそうぜ、メイド服。
僕は無言でリチャードの顔に膝を叩きこんだ。
「か、カイネくんっ!? いきなりなにしてんのっ!?」
「大丈夫だいじょーぶ。リチャードは勇者なんだろ? この程度の八つ当たりくらいはどうってことないって。へーきへーき」
「平気なわけあるかぁっ!」
さすが勇者というか、リチャードは僕の膝が顔に当たる寸前に両手で掴み全力で押し返していた。
仕方なく、足を引き、足を振り上げ、脳天に踵を落とす。
リチャードはそれを寸前でかわした。踵は枕に突き刺さる直前で止めた。
どうやら、体術でアリアちゃんより上というのは、本当らしい。
「いきなりなにをする! 殺す気ならやってやるぞ!?」
「はっはっは、リチャード。これが弱者のひがみというヤツだよ。金もないのにメイドに看病されるような男は死んで償えという、モテない男の率直な行動だ」
「えっと……つまり、殺して償わせるってことじゃないのか?」
「その通りだ、リチャード・キンブリー。メイド服のコスプレをしてくれる彼女がいるようなクソイケメンは、満足に実力も発揮できずここで朽ち果てろ」
「カイネくん。ボクはバイト終わりのついでに寄っただけだから。彼女じゃないから」
「痛い痛い痛い」
アリアちゃんに腕をつねられて、仕方なく僕は足を引いた。
アリアちゃんは溜息を吐いて、リチャードにビニール袋を手渡す。
「はい、リチャードくん。これはお土産。傷は全然これっぽっちも大したことないけど、ちゃんと養生しないと駄目だよ?」
「ああ、ありがとう、アリア。やっぱり君は優しい……な……」
リチャードの言葉が尻すぼみになる。僕は思わず目を逸らした。
ビニール袋には売店で売られているパンと牛乳が入っていた。しかも、どちらにも半額シールが貼られていて、下手するとこれ廃棄品じゃねぇのと思わせるほどに愛がない。
いや……うん……あのね? そんなつもりじゃなかったんスよ?
僕は顔が良くてコミュニケーション能力のあるチャラ男が妬ましいだけで、別にリチャード個人のことが嫌いってわけじゃない。手土産のパンも実はフェイクで、後からアイスとか渡すつもりだったし、アリアちゃんと手土産が被るようにしたわけでもない。
僕は精神攻撃を基本とした鬼畜なクソボスかもしれないが、病床の人間に廃棄寸前のパンを手渡すような、悪鬼のごとき所業はしない。
「あとね、廃棄寸前のプリンとかももらってきたから、よかったら食べてよ」
「ああ……はは……うん、ありがとう……はは……」
「カイネくんも食べる? ここの食堂のプリンはすっごく美味しいんだよ」
「ああ、あのロリ巨乳さんの作るプリンは滅茶苦茶料理上手いんだよな。んじゃ、そのプリンは僕とリチャードで食べるから、アリアちゃんには僕からの差し入れをあげよう」
「わぁ、ちょっと高いアイスだ! ありがとう、カイネくん!」
なにこの生き物超可愛い。今すぐ結婚したい。
アナさんやアトラスの旦那あたりを除き、素直に『ありがとう』と言ってくれない人たちと生活していると、そんな風に血迷ってしまうこともあるが、口には出さずなんとか自制した。
ふと、リチャードの方を見ると、彼は思い切り口元を引きつらせていた。
「なぁ……アリア」
「なに?」
「気のせいか、俺とその男では態度が違い過ぎる気がするのだが……」
「カイネくんはボクの婚約者だからね」
「はぁ!?」
「こらこら! アトラスの旦那が勝手に言ってることを真に受けて周囲に言いふらすんじゃないよ! 既成事実になっちゃうだろうが!」
「や、別にいいかなーと思って。カイネくん可愛いからボクもやぶさかじゃないし」
「待てアリア! 考え直せ! この男に絶対騙されてるぞ!」
「騙してねーよ! 僕は女の子を騙せるような容姿も話術も持ち合わせちゃいねぇ!」
「その言い方だと俺がアリアを騙しているみたいだろうが!」
「イケメンなんだから女の子の十人や二十人くらい騙してるに決まってんだろうが! なにが『その気はなかった』だ! 死んでしまえ!」
「む……向こうが勝手にその気になるんだから仕方ないだろう……」
「あ、これは言うまでもなくサイテーですね。僕がテキトーに言った最低男の条件に心当たりがあるって時点で最低ですわ。アリアちゃん、こういう男は貢がせるだけ貢がせてポイ捨てするタイプの最低男だから視界に入れちゃ駄目だよ」
「そう? リチャードくんは貢ぐだけ貢いで根に持つタイプだと思うけど? ちなみにカイネくんはこっそり貢いで『気づかれませんようにように』って祈るタイプ」
「ば……馬鹿を言うな! 僕がこっそり貢いでいるだと……勘違いも甚だしいな!」
バレてたチクショウ! 滅茶苦茶恥ずかしい!
ある程度上手くやっていたつもりだったことを、人に見透かされていた時ほど恥ずかしいことはない。
僕の表情を見て、アリアちゃんはにんまりと意地悪っぽく笑った。
「こんな風に、普段は斜に構えた感じだけど、からかうと意外に可愛いんだよ?」
「いや……俺にはさっぱり分からんが……」
「まぁ、ボクの趣味だから分からなくても仕方ないか……それはそれとして、さっきから恨み言の一つもないけど、ボクは勇者としてリチャードくんに侮られているのかな?」
「……なんのことだ?」
「ボクがリチャードくんを見捨てたことに対しての、恨み言だよ」
「あの判断は正しかった。俺の対応が遅かっただけでアリアに落ち度はない」
「ふぅん」
アリアちゃんは目を細めた。呑気な彼女にしては、珍しい表情だ。
いや……うん、ダンジョンにいる時から分かっちゃいたんだけど、アリアちゃんとリチャードはとことん相性が悪い。悪いどころじゃなく……絶対に噛み合わない。
その辺を、リチャードはまるで分かっていない。
簡単に言えば『勇者』としての価値感の相違である。
アリアちゃんは、ああ見えてわりと冷めているところがある。
生きるためにはなんでもするし、腹が減れば家畜を殺して食う。田舎育ちだからか、命のやり取りに抵抗がない。
それは、育って来た環境や文化、あるいは死生観の違いなのだろう。
しかし……彼女は、その上で『弱者が踏みにじられること』を心から嫌悪する。
これには理由などない。趣味としか言いようがない。心の底から湧き上がる『なにか』を否定できずに剣を取れる……それこそが『勇者』と呼ばれる者の資質なのだろう。
だからこそ、否定して欲しいのだ。
逃げてしまった自分を、心と言葉で、否定して欲しい。
だが、残念ながら人間という生き物は真っ向から否定しない。ある程度納得できる部分があれば、ごくりと呑み込んでしまう生き物である。
欲しいモノが得られない時、人は反発を覚える。反発が溜まりに溜まると爆発する。これは称賛でも罵倒でも同じだ。
人は、己の納得に従って生きる生き物なのである。
善悪も正邪も関係ない。納得こそが全てであり、それ以上でも以下でもない。
宿で喧嘩されるのも嫌なので、助け舟を出してやることにした。
「まぁ、二人とも『生き物』として正しいけど……『勇者』らしくはないよね」
「しかし、誰だってあの状況なら逃げるのは仕方がないと思うが?」
「普通なら逃げるね。僕だって逃げる。でもね、蘇生が約束されているダンジョンで、仮にも勇者を名乗る人間が、人の話を聞かずに不意打ちをしたり、仲間を見捨てて逃げるってのは、恥ずべきことだと僕は思うけどね」
「……うん、そうだね。ボクもそう思う」
僕の言葉に、アリアちゃんは目を逸らしながら、それでも頷いた。
生き物としては正しい。しかし……勇気ある者の行動ではない。頭で分かっていても、いざ命がかかっている時にそんなことができる奴は、ほとんどいない。
しかし、その『ほとんど』を踏破してこその、勇者だ。
ただし……それは、勇者を求める一般人の意見。
「ま、次でいいじゃん。また今度頑張ろうぜ」
僕はフロアボスなので、その意見をテキトーに一蹴した。
肩をすくめて、無責任に言い放ち、落ち込んで目を逸らしてしまったアリアちゃんの頭をくしゃりと撫でた。
このダンジョンはとても厳しい。厳しさしかないと言っても過言じゃない。
それでも、現実じゃ許されないことでも、ダンジョンなら許されることがある。
また今度頑張ろう。
それは先延ばしの言葉かもしれない。ただの気休めかもしれない。
けれど、気休めは重要だ。気休めという薄皮をほんの少しずつ重ねて、挫折と奮起を繰り返さなくては、本当に欲しいものに辿り着くことなんて不可能だ。
今は駄目だった。じゃあ、次はもう少し頑張ろう。
それを繰り返していけば、いずれ人間はどんなことでもできるようになるのだから。
それが駄目でも、膝を折ったという経験は、決して無駄にはならない。
僕の無責任な言葉に、リチャードはあからさまな不快感を示した。
「また今度とは……ずいぶんと、呑気な言葉だな」
「八つ当たるなよ、勇者。お前がその布団で寝転がっている理由は、主に人の話を聞かなかったというだけだろう。性急にコトを進めようとした結果だ」
「…………ッ」
「呑気に挑めない理由があるのなら、さっさと国へ帰れ。時間制限付きの願い事は叶わないっていうのは、いつの時代も、どこの世界でもお約束だぜ?」
「……カイネ=ムツ」
「ん?」
「俺にフルネームを呼ばせるとは大したヤツだよ、カイネ=ムツ……次は、次こそは必ず貴様を倒す」
「はいはい。肝に銘じておくよ」
苦笑いを浮かべて、僕はそれ以上はなにも言わずにリチャードの部屋を出た。
息を吐いて歩き出す。煽り過ぎたかもしれないが、そのことに悩まなきゃいけないほど僕も暇ではない。すぐに宿を出て、ダンジョン経由で『シャンバラ』に行って、師匠が注文している香水を買って来なきゃいけないのだ。
まぁ、今回ここに寄ったのは部下のやらかしたことの後始末と警告以上の意味はない。決して暇潰しとかメイドを見に来たとか、そんなことはない。
「カイネくん、恨まれちゃったね?」
「フロアボスは恨まれるのもお仕事の一環だからいいんだけど……アリアちゃん。一時的にとはいえ、相棒なんだから側にいてあげなくていいの?」
「いいの。ボク、リチャードくん苦手だし」
わりと酷いことを言いながら、なぜか僕と一緒に出てきたアリアちゃんは、自嘲気味に苦笑した。
並んで歩きながら、彼女はちらりと僕の目を見る。
「カイネくん。あのさ……もしかして、今まで手加減してた?」
「手加減?」
「いや……なんていうか、その……今回、第一階層も突破できなかったし……」
「上司より部下の方が優秀ってことだろうね。恥ずかしいことだけど」
肩をすくめて、僕は息を吐いた。
「手加減は一切してない。勘違いしてもらっちゃ困るけど、アリアちゃんは僕じゃ手に負えないから『ニーナさん』に丸投げしただけ。まさかアトラスの旦那が根負けしそうになるほどダンジョンに通い詰めることになると思わなかったけど」
僕の発想力じゃアリアちゃんは手に負えない。アナさんでは相性が悪い。
そして、本音を言えば……直情的なアトラスの旦那もアリアちゃんとは相性が悪い。
僕がアリアちゃんを第三階層に直行させるようにした本当の理由は、ニーナさんを警戒させるためである。
『性別が女性でかつ戦士職。さらに無傷で第三階層までやって来る挑戦者』に対して、ニーナさんは特別な警戒心を抱く。
まぁ……旦那が大好きな既婚女性特有の警戒心だ。多くは語るまい。
「僕はあんまり出来の良いフロアボスじゃないから、総合的にどこかで敗退させる方法を考えているだけ。あと……負けるのも嫌いだから、絶対に勝てない勝負はしない」
「やってみなきゃ分からないでしょ?」
「それが分かるんだよね。アリアちゃんが『ああ、これは勝てそうだな』って思う時くらいには」
「…………むぅ」
どんな人間にだってあるだろう。立ち会った時に『イケる』という感覚。
初見で勝てる。なんとなくやれそう。そういった感覚が、アリアちゃんは他人より鋭くて、僕は他人より鈍い。それだけのことだ。
実際はやってみなきゃ分からないけど、やる前からなんとなく分かることもある。
これは勝てないと思う時が、たくさんある。
「まぁ、リチャードと組むんだったら今後は素通りはなしかな。絶対に勝てなくても、放っておくと第五階層まで突破されそうなコンビを放置はできない。かすり傷一つでもなんでも負わせなきゃ」
「む……そういう凶悪な顔をしてる時のカイネくんは本気だね……仕方ない。それじゃあリチャードくんと組むのはやめるよ」
「あっさりしてんなぁ!」
「正直言うと、ここまで来たら独りで突破したいんだよね」
「これまた廃人じみた恐ろしい意見だな、おい。……第五階層まで突破してからアリアちゃんだけ引き返すって手もあるよ?」
「んー……でも、それじゃあ駄目な気がするなぁ」
「駄目?」
「二人で挑むとカイネくんの策略に引っ掛かってる気がするんだよね……」
「………………」
相変わらず、凄まじく良い勘してやがる。
こういう直感が冴え渡っているから、僕とアリアちゃんは相性が悪い。人としての相性は……たぶん、こう言っちゃなんだけどそこそこ良いのだが……ボスとしての僕と挑戦者としてのアリアちゃんは、心の底から相性が悪い。
浅知恵を働かせて色々考えているのに、それを一発でパーにされてしまうのだ。
僕が殺すつもりでトラップを組んだとしてもアリアちゃんとリチャードには突破されてしまうだろう。本気を出そうがどうしようが無駄だ。本気になった勇者は一般人の『認識』より速く動く。気が付いた時には斬られている。
しかし……それとは別に、アリアちゃんには黙っていることがある。
このクソ雑魚の僕にも、なるべくなら使いたくない……温存とか消耗とかそういう意味は含まずに、純粋に『使いたくない』タイプの『現象』がある。
僕がなにか隠していることは勘付かれているかもしれないが、それはそれとしてアリアちゃんがリチャードと組むのなら、必ず『それ』と対峙しなければならない。
「アリアちゃん。一つ聞いていいかな?」
「なに?」
だから、僕はあえて聞いた。
「第一階層で敗退するのと、第五階層まで突破して引き返すの、どっちがいい?」
僕の言葉に、アリアちゃんは沈黙で応えた。
返事に窮しているわけではない。少しだけきょとんとした表情を浮かべながらも、こちらの真意を計るように、僕の顔を見つめている。
そして……不意に、にやりと笑った。
「つまり、リチャードくんと挑めばカイネくんの本気が見られるってことだね?」
「んー……それは僕の本気っていうより」
『あたしの本性になるかな?』
「ッ!?」
不意に発せられた言葉。鈴の音のような女性の声。
アリアちゃんは目を見開いて、一足飛びで慌てて僕から距離を取った。
アリアちゃんがなにを感じ取ったのかは、僕には分からない。
勘が鋭過ぎるというのも考えモノだと、こういう時には痛感する。僕は鈍感だから分からないことでも、アリアちゃんにはよく分かってしまう。
なによりも鋭い生存本能で、察してしまう。
今、僕が発した『女性の声』は、まごうことなき自分達の天敵なのだと。
まぁ、僕がオカマにしか見えない絵面になってしまうので、こういう風に勘が鋭い相手以外にはあんまりやりたくはないのだが。
「と、いうわけでね。僕の奥の手は僕自身の力じゃないし……なにより、あんまり他人には見せたくない類のモノなんだ」
「……そ、そっか……うん、そうだね……なんかオカマさんみたいだしね」
「やっぱり唐突に見せるとそう思っちゃうよなぁ!」
「だけど、その程度でボクが引くと思ったら大間違いだ! ボクの戦いは、カイネくんを故郷に連れ帰って母さんに色々報告するまで続くんだからね!」
「おぉい! 明らかに囲う気満々じゃねーか! やめて差し上げろ!」
「ボクのために毎日ご飯を作って欲しい! いや、むしろ今すぐ作って欲しい!」
「お腹減ったの?」
「うん」
「……唐揚げでも作ろうか」
「わぁい! カイネくん、大好き!」
「………………」
大好きという言葉に敏感に反応する初心な単純馬鹿……何を隠そう、僕です。
しかしまぁ……引かねぇな、この子。勇者だからって引かないにも程度ってもんがあるだろう。
警戒心や勘の鋭さをかいくぐってくるような、悪い男に騙されなきゃいいけど。
そんなことを思っていると、アリアちゃんは不意に口元を緩めた。
「ねぇ、カイネくん」
「んー?」
「リチャードくんは国が欲しいって言ってたけど……カイナくんにも『欲しいもの』があったりするの?」
「そりゃあるよ。家と寝床と食事とお金が欲しいから、僕はここにいるんだ」
「……それだけでいいの?」
「いやいや、一般人にとってはゼータクなものですよ?」
本当に大切なものなんて、言われなくてもとっくの昔に分かっている。
それは『自分ではない誰か』だ。自分を認め、大切にしてくれる『誰か』こそが、一番大切なものだと、僕はとっくの昔に知っている。
知っているから話題を変えた。
「アリアちゃんは、唐揚げになにかつける?」
「え? 唐揚げってなにかつけるものなの?」
「……派閥争いがはかどるなぁ」
カンナさんはマヨネーズ派で、師匠はレモン派である。
とりあえず、調味料の類は全部揃えておこうと、心に誓った。
胸の奥で蠢く。
魂の底でなにかが呟く。
大切なものは手に入らない。望む限り絶対に手に入らない。
知っている。『あたし』はそれを知っている。全軍の総意として知っている。
知っているから、知らぬ存ぜぬを決め込んで『あたし』は睡眠に身を委ねた。
今回はいいや。だるい。次に機会があったら、その時は頑張ろう。
次こそは必ず――――この手で殺す。
●登場人物紹介&裏設定
・カイネ=ムツ
苦労性ではないダンジョン管理人。
唐揚げはゆず胡椒派。メイド好きに見えるが、こいつの場合は本当に『可愛ければなんでもいい』なので節操がないと表現した方が良い。
不意に発せられた女性ボイスは彼が持つ異形の一端であって、決してオカマではない。もちろんオネェでもない。
自覚のない悪い男である。なお、致命傷レベルで彼に引っかかっているのはアリアちゃんではなく、ブラウニーの青と赤。
フロアボスであるカイネの許可が必要ではあるが、絶対に逃がせない(殺さねばならない)挑戦者相手に出て来ることもある。
ブラウニーは本来家事手伝い等の仕事が本業で、本業からかけ離れたお仕事にはあからさまな嫌悪感を示す(なお、やらせると誰よりも上手くこなす模様)。
人気度は第五階層>第二階層>第三階層>第一階層>第四階層。第五階層と第二階層は生活感のある家の管理を任されるので人気が高い。第三階層はニーナさんがほとんどやってしまうので中間程度。第一階層はトラップ作りをやらされるので人気が低く、第四階層は仕事がなくドラゴンの巣そのものといった有様なので最下位。
その、人気が低い第一階層で、第一線で働くのが彼女達である。
特に仕事の取り合いになる居住区を無視して、第一階層の管理ばかりやっているのが赤い方と青い方で、ここまでやれるのはまぁラブの成せる業だよねとかそんな感じ。
カイネに奥の手を使わせるまでがこの物語のプロローグみたいなもんなのだが、その話を出すとシリアスっぽくなるので困ったもんだ。
次回からはシリアスパート削って、もっとコメディっぽくしなきゃいかんと思った。
・アリア
勇者アレン。ツンツン頭の少女。腹ペコキャラ。
色々なバイトをこなしつつ生活中。勇者という存在には色々思う所があるらしい。
なんとなくダンジョンに辿り着いて、なんとなく居着いて挑戦を続けている……ように見えて、彼女にもきちんと願望……というより、渇望が存在する。
ただ、彼女自身がそれを自覚できていないのだ。
悪い男ことカイネはその辺を的確に見抜いていて、彼女がそれを自覚できるまで挑戦を続けさせようとしている。その上で『最も挑戦回数が多くなる』ように仕向けている。第三階層にショートカットさせているのもその一環。
・リチャード・キンブリー
シャンバラにおける名誉称号である『勇者』の一人。屈強なモンスターを倒したり国の認可を受けられれば『勇者』を名乗れるので、わりと勇者の数は多い。
金髪碧眼に白銀の鎧と大盾を持つ男。アリアは辺境からの成り上がりだが、彼は東に存在する大国で海竜を倒した功績を評価され、勇者を名乗ることを許された。その際に爵位も賜っており鎧と盾はその証である。これほどの厚遇を受けられたのは、もちろん、彼がイケメンで姫のお気に入りだからに他ならない。
まぁ、噛ませ犬です。
作者は噛ませ犬的ポジションのキャラがメインキャラより好きなので、大切に噛ませていきたいと思います。
自分は唐揚げは美味けりゃなんでもいい派閥です。
さて、次回は……うん、また未定なんだ。すまない。キィさんの予定のはずがツンツン頭になっちゃったから、今度こそキィさんの予定。
本当はお正月スペシャル的なものも描きたいけど、時間が足りないねww