第16話:怒り狂う人龍(序)
邪悪な敵と、不可解な謎と、ちゃんとした世界観と、無双しない程度の主人公の成長物語が描ければ、受ける物語ができる。
そう言われて、大昔挑戦してみたことがあった。
できるかボケェ。難し過ぎるんじゃとキレたのも、良い思い出です。
本日、フロアボスの大半が不在のためダンジョンをお休みします。
「なんじゃそりゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「うわびっくりしたぁ!」
第一階層の自宅でまったりとくつろいでいた僕の部屋に飛び込んできたのは、黒髪黒目の邪悪な少女、藁葺火難ちゃんだった。
肩をいからせて怒っているようだったが、可愛い以外の感想は浮かばない。
「アホか! お休みってなんなのよ!? 準備も万端でこれから決戦だって時にダンジョンそのものが閉鎖されてるとか、アホの極みなの!?
「いや……だって、みんな今日は休みたいって言うし、僕も休みたいし」
「休みたいから休むってどんな環境でも通用しないでしょ!?」
「アリアちゃんたちががひっきりなしに来るから師匠まで『よし、休もうか』みたいなことを言いだしたんだよ。僕は雇われ管理人だからな。雇用主には逆らえないの」
「ダンジョンを開けないとあることないこと言いふらすわよっ!?」
「じゃあ、今日は第一階層から第五階層まで僕が担当しよう」
「それはやめて」
「………………」
一瞬で断られた。なんだかものすごく切ない気分になる。
それはそれとして、アスパーのせいで最近は第一階層がただの溜まり場と化している。ブラウニーさん達が毎日のようにセキュリティを強化してくれているにも関わらず、あのチート美少年は容易くロックを解除しやがる。
どういう魔法を使っているのかは分からないが、アスパークラスの高レベルシーフになると『ワールド』で買った錠すら容易く解除してしまうのだ。
切実にやめて欲しい。
「っていうかね……休みとか以前に、僕の自宅に無断侵入するのはやめてよ」
「は? あんたにそんなこと言う権利があると思ってるわけ?」
「いや、リチャードやアスパーなら別にいいけどさ、女の子が男の家に無断で侵入したらいかんでしょ。もしも襲われたらどうするのさ?」
「その時はアンタがこのダンジョンの雌豚どもに殺されるだけでしょ」
「よく分かっていらっしゃいますねぇ!」
確かに殺されそうだ。たぶん、カンナさんが真っ先に殺しに来ると思う。
あと、雌豚とか言っちゃうのはNG。紙耐久のくせにそういうことを平気で言うから、アナさんやニーナさんに執拗に狙われることになるのである。
と、不意に火難ちゃんは得意げな表情を浮かべ、胸を張った。
成長の余地のある、小さな胸を張った。
「まぁ、いいわ。出鼻をくじかれたけど、次回の挑戦から目にもの見せてくれるわ! 私たちにはダンジョン攻略の切り札があるんだから!」
「ドラゴンキラー持ちの辰也の加入は、結構ずるくない?」
「なんで情報が筒抜けなのよっ!?」
「や、辰也の方から挨拶に来たし、メイドさんからも情報がちらほら」
「身内に敵が多過ぎる! っていうかアンタ、メイドと会ってんのっ!?」
「最近、知らない間にご飯ができてたり、洗濯がしてあったり、メイドさんが勝手に自宅にいたりしたからねぇ……ストーカー被害に限りなく近いなにかだと思うけど」
「ウチのメイドが本当にごめんなさい!」
「まぁ、二人ともバラしていい情報しかバラさないし、情報をあえて撒いておいて、直前でオーダーを変えてこちらを混乱させるって手もあるわけだからねぇ」
「なんかアンタの『見透かしてますよ』みたいな態度が腹立つわ」
「ククク、甘いな。これは投了寸前の諦めに似たなにかなのだ。期末試験とかで『あ、やべぇ。終わった』みたいな時と同じ心境だね」
「やる前から終わる試験なんてあるわけないじゃない。馬鹿なの?」
「おいおい、それなら僕が第一階層から第五階層まで担当したダンジョンを突破してくれちゃってもいいんだぜ?」
「絶対嫌」
「………………」
ガチな嫌がり方だった。少々どころではなくものすごく凹んだ。
いや、確かにいやらしい仕様にはしているけど……五階層あったら一階層くらい挑戦者もろとも吹き飛ばしても構わないよなとか思ってるけど、ハリウッド映画とかじゃよくあることだし、許してくれるんじゃないだろうか?
「アンタの考えるダンジョンは、想像以上にキツいからやめなさい。そもそも、このダンジョンの第四階層あたりは手抜きにもほどがあるわ」
「余計な小細工は無用って感じで格好いいじゃん? 龍なんだしいいでしょ」
「……アンタさ、第四階層の小娘ドラゴンのこと、やたら甘やかしてるでしょ?」
「はっはっは……なぜバレたんだ」
「メイドの時もそうだけど、私の時とあっからさまに態度が違うのよねェ」
火難ちゃんの眉間に皺が寄っていく。
どうやら、僕の態度がお気に召さないらしい。なにをどうすればお気に召すのかは、僕には分からないけども。
分からないふりくらいは、しているけども。
「そーゆーのって、本当にどうかと思うわ。マジで腹立つんだけど」
「好みの女性に対して態度を変えるのが駄目なんて……そんな当たり前のこと禁止されたら、僕はこれから女の子を口説けなくなっちゃうよ!」
「いや、そーゆーツッコミ待ちの小馬鹿にした態度も含めて腹立つわ」
「あらら」
どうやら、思った以上にご立腹らしい。
火難ちゃんとのボケツッコミは結構楽しいので、僕としてはもう少しすっとぼけたお喋りをしていたいのだが、今日は少々虫の居所が悪いようだ。
「んー……つまり、火難ちゃんとしては小娘扱いされるのが気に食わないと?」
「それも含めて、アンタの態度が気に食わないのよ。私なら負けたら絶対に悔しいのに、全然気にしてない感じで飄々としてるし」
「……いや、かなり悔しいんスけど」
簡単に突破されたら悔しいから、改善やら嫌がらせを増やすわけで。
もちろん、行き過ぎた即死トラップを作るのは簡単だが、それでは『僕が面白くない』ので、工夫すれば突破できる程度のトラップに留めているのである。
負けたら悔しい。いっぱい考えたのに失敗したら悔しい。当然のことだ。
僕の返答には満足いただけなかったのか、火難ちゃんは不満そうに言った。
「もっとなんかこう、雑魚ボスっぽく、あからさまに悔しがって欲しいわね」
「えっと、じゃあこんな感じで……ふざけるなぁ! 僕が……僕が作った第一階層が、こんな奴らに突破されるはずはないんだぁ! お、お前ら、絶対にずるしたろ! でなきゃお前らみたいな下等勇者どもに僕の第一階層が突破されるはずないいいいぃぃぃぃぃ! ……って、感じ?」
「そう、それよそれ! やればできるじゃない!」
「却下ァ! 無茶言うな! こっちは短距離走じゃなくてマラソンやってんだよ! テンション高く悔しがる暇があるんなら、次の改善案とか考えるわ!」
「えー……今のすごく良かったのに。特に最後の悲痛な感じが完璧よ。何度でも叩き潰したくなる雑魚っぷりよね♪」
「………………」
第二階層に到着した直後にロックさんの音波で頭パーンした雑魚っぽい子が言っていいセリフじゃないと思ったけど、そこはまぁ我慢した。
火難ちゃんも色々溜まっているのだろう。主にストレスとか。
メイドさんの雇用主だからなぁ……。
僕のことを睨み付けて、火難ちゃんは鼻をふんと鳴らした。
「ま、いいわ。アンタから見たら私は小娘なんでしょうね。確かに世間知らずだし、友達にフォローしてもらわないとなんにもできないけど、侮られるのは気に食わないわ」
「……侮ったことはただの一度もないけどねぇ」
「嘘吐きなさいよ」
「いいや? 嘘じゃないし侮らない。そもそも……僕がこのダンジョンに来てから初めて『サブヒロイン戦鬼』を引きずり出した相手を侮るわけないでしょ」
目を細めて、彼女を見据える。
そう、彼女を侮ったことは一度もない。悪戯に邪悪で負けん気がやたら強く、弱いことが我慢できない彼女を……上から見たことなど、ただの一度もない。
徹底的にマークしているし、一番の天敵だと認識している。
「火難ちゃんが真っ先に狙われるのは、みんなに嫌われているからだけじゃない。それだけ警戒されてるってことだし、僕も真っ先に狙うように言い含めてある。リチャード達五人の中で、最も警戒すべきなのが君だ。能力はこの際関係ない。成長速度はアリアちゃんには及ばないけれど、裏技を容易く行使できるだけの柔軟性が君にはある」
「…………ッ」
「まぁ、世間知らずだとは思うよ。男の部屋に無断で侵入しちゃうあたりが特に」
「あ……アンタは、私に興味とかないでしょ?」
「あるからご忠告なさっているんですがねェ……」
「ッ!?」
「二つ勘違いをしているようだから訂正しておこう。一つ、僕は女性とのお付き合いを断じて禁じているだけで、なにも思わないわけじゃないし、ふとした拍子になにかしたくなることも多々ある」
例えば、今みたいに顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている、慌てふためく女の子の様子を『可愛い』と思って、なにかしたくなることもある。
パーソナルサークルを逸脱して、一歩踏み込んでみたりすることもある。
踏み込んで、壁に追い詰めて、顔を寄せたりすることも、ある。
「二つ、火難ちゃんは自分のことを可愛くないと思っているかもしれないけど、そういうはねっかえりやこまっしゃくれた部分を可愛いと表現する男もいる。なんでもかんでも貞淑なら良いというのは、盛大な勘違いだ」
「な……なに訳の分からないこと言ってんのよ! 大体さっきからアンタ、やたら近いんだけど!?」
「回りくどいかな? 僕は火難ちゃんのことを可愛いと言ってるんだけど?」
「ッ!!??」
目を白黒させて、火難ちゃんは容易くパニックに陥った。
頭から湯気が出そうなくらいに顔は真っ赤だし、虚勢を張る余裕がないくらいに慌てふためいている。
うん、やっぱり可愛い。
素直なひねくれ者で、実直に悪辣な、実に分かりやすくて愛らしい女の子だ。
出会った頃からそう思っていたし、今の今まで惑わすようなことを言ってはいけないだろうと思って、あえて公言するのは我慢してきたが……そろそろ僕の我慢も限界だ。
人は言われなければ分からない。
ぽんぽんと火難ちゃんの頭を軽く叩いて、僕は肩をすくめた。
「まぁ、普段は意識しないようにしてるけど、僕もこじらせた童貞だからいつ何時どんな気分になるか僕にも分からないからねぇ。……そういうわけで、僕の自宅に来る時は事前に連絡をするか、ちゃんと玄関のインターホンを鳴らして欲しいな」
「………………」
「火難ちゃん?」
「……せやぁっ!」
「ごふっ!?」
しっかりと腰の入った拳が僕の腹を打った。
かなり痛かったので思わず腹を抱えてうずくまると同時に、頭に衝撃が走る。
どうやら頭を踏みつけられたらしい。
「は……はんっ! 馬っ鹿じゃないの!? アンタの言うことを聞く義理なんてないし!? そもそも、私が可愛いなんて当然のことだし!? 分かり切ってたし! 友達から言われ慣れてるから全然平気だし!」
「平気ならボディブローからの踏みつけはやめろ。下手すると死ぬぞこれ」
「死んじゃえばーかばーか! 次の挑戦の時は目にもの見せてやるんだから!」
頭から足の裏の感触が消えると同時に、ドタバタと慌てて走り去る音が響いた。
ガチャンという玄関のドアが荒々しく閉じられる音が響いた後、僕はゆっくりと体を起こした。
ぽりぽりと頭を掻いて、息を吐く。
「……やり過ぎたかなぁ」
「やり過ぎの上に重ねてくそおばかですよ。これはもう修羅場待ったなしです。とうとうやったことのツケを支払う時が来たと思っていただきましょう。この最低野郎!」
「その言葉、そっくりそのままのしをつけてお返ししたいんだけどねぇ……」
押入れから顔を出したカンナさんを見て、僕は肩をすくめた。
休日ということは、こういうことである。
休みの前は誰だってはしゃぐ。僕もそうだしカンナさんも例外ではない。いつになくはしゃいでいた彼女は、強いお酒をがっつり飲み、僕の部屋で酔い潰れた。
もちろん、色っぽい話などこれっぽっちもない。マーライオンと化した彼女をトイレで介護するのは、さすがの僕でも少しばかり辛かった。
寝るスペースはあまりないので、酔い潰れたカンナさんは仕方なく押し入れに放り込んだのだが……要らぬ誤解を招かなくて本当に良かった。
「いえ、新たなる誤解は発生していますよ?」
「その四文字はアトラスの旦那みたいに実際に手を出してから言ってくれませんかねぇ……僕がやったのはただ『可愛い』って、言っただけだからね?」
「耐性がない人がそんな風に褒められたら誤解するに決まっているでしょうが」
「……そっスね」
思ったことをそのまま口にしただけなのだが、確かにカンナさんの言う通りである。
素直なのは素敵なことだが、思ったことをそのまま口に出すと大抵は酷いことになる。口は災いの門とは、よく言ったもんだ。
青ざめた顔のまま、カンナさんはふんと鼻を鳴らした。
「確かに、私とあなたがよからぬ関係だと誤解されるよりはましですけどね。そんなことになったら……まぁ、彼女を殺してあなたも殺す方向での解決を図りたいと思います」
「なんで僕が死んでるんだよ! そもそも、酔い潰れたカンナさんが悪いだろ!」
「あのお酒の口当たりの良さは酔い潰すためのものに決まっています」
「僕が調べた情報をもとに、勝手に作って勝手に酔っ払った人がなんか言ってるぞオイ。とりあえずウォッカベースはやめろって口を酸っぱくして言ったはずだよね?」
「酔っ払いにそのような戯言が…………うん、もういいです。寝ます」
「また唐突に電池が切れたみたいになるね……」
休日のカンナさんは、大体こんな感じである。
面倒と言われれば面倒だけど、今の状態のカンナさんを見放すような真似は、僕には絶対にできない。
押入れから頭だけ出したカンナさんの頭を撫でて、僕は口元を緩めた。
「なにか食べたいものはある?」
「…………パン」
「じゃ、買ってくるから大人しく待っててね」
「……ふふふ。大丈夫です。今日は調子が良いのです……そう、今ならイける!」
「絶対外出すんなよ?」
「あ……はい……いつになく強硬ですね」
そりゃ、調子が良い時や気分の良い時が『今なら逝ける!』みたいな気分になって一番危ないのだ。強硬にもなろうってもんである。
まぁ……カンナさんには闇霊が付いているので大丈夫だとは思うけど。
「あんまり当てにされても困りますよ? ロリコンさん」
「お? 壁から生えて来た分際でやたら嬉しそうだな花子。いじるネタが増えたと思って喜色満面か? 同じことをアトラスの旦那の前で言ってみろィ」
「無理です行ってらっしゃい。私の分のパンはローストビーフが挟まってるやつで!」
「はいはい」
カンナさんのことは闇霊さんに任せて、僕は自宅を出た。
さてさて、今日も一日が始まる。
とりあえず、飯を食おう。
『シャンバラ』の古都プティアで売られているパンは、カリカリしている。
ふわふわ派の方々にしてみれば異端そのものかもしれないが……個人的にはぜひ一度味わってもらいたいパンだ。
機械文明に慣れきった『ワールド』にはない、素朴で趣深い味わいがある。
細長く少し堅いパンで、基本的に日持ちしないため焼きたて熱々のものが売られている。フランスパンは昨今細分化が進んでいるが、その中でもバゲットと呼ばれるものに近い。焼きたてのため中身はもちろんふわふわで、バターをあまり使っていないせいか、素朴な味で食べていて飽きない。
しかし、この『素朴な味』というのが重要で、チーズやバターが滅茶苦茶合うし、ハムも合う。もちろんスクランブルエッグやポテトサラダ、レタスやトマトなんかを挟んでも超美味い。自分の思いのままに素材を合わせられ、その全てに合う。
口の中に入れれば香ばしい風味が鼻を抜け、噛みごたえ抜群のパンの間に挟まれた具材の美味さを引き立たせる。
しかし、パン屋に応じて当たり外れが大きいし、味や固さにもばらつきがある。
行きつけのパン屋でカンナさんと花子のぶんは買ってさっさとダンジョンに届けたのだが、ふと思いついて美味い露店のパン屋に足を運ぶことにした。
「ローストポークにも合うよね!」
「おじさん、私にはこっちの煮たカラムマリン付けてください」
「やめてェ! この辺じゃ柑橘系の果物は貴重なの! 僕のお財布が死んじゃう!」
そんなわけで、僕はダンジョンの挑戦者二人に昼食をたかられていた。
まぁ……アリアちゃんとアスパーなのだが。アリアちゃんは長袖のシャツによれよれズボンと外套という宿に泊まっている冒険者のようないでたちで、アスパーは日よけ用の帽子と丈夫そうな上着と半ズボンである。
「アスパー、僕があげたカチューシャはどうしたんだ? あれが一番似合ってたのに」
「あからさまな女物を私に押し付けるのはやめていただけませんかねぇ!? この国じゃ二十代の男がカチューシャを付けるのは常識とか嘘まで吐いて!」
「仕方ないんだ。ザッハ用に買ってきたのに要らんとか言われたから……これはもうアスパーに押し付けるしかないなと、そう確信しただけなんだ」
「ドラゴン幼女に断られた品を私に押し付けんなや。殺すぞ」
「愛……それは愛ゆえに仕方がないことなんだよ!」
「確実に八つ当たりなんですよねェ……」
大当たりである。アスパーは察しが良い。
このチート美少年には散々煮え湯を飲まされているので、多少は仕返しをさせてもらおうと、こうしてプライベートの時にネチネチとした嫌がらせを決行している。
こいつが来る前は、第一階層で足止め以上のダメージは与えられていたのに。
「ひゃいねひゅん。もぐもぐひはひんぐもぐ……」
「アリアちゃん。パンを食べながら喋るのはやめようか。マナー以前に全く聞き取れないから」
「カイネくん、どうして今日はダンジョンがお休みなの?」
「僕も含めてみんな疲れているから、お休み」
「……それってなんかずるくない?」
「うん。でもまぁ、お互いにお休みなんだから、今のうちにダンジョンの攻略方法をもう一度練り直すっていうのも手だと思うよ?」
「こっちはもう大体の方針は決まってて、あとは挑むだけなんだけどなぁ……」
「ちなみに、どんな方針?」
「さぁ?」
「………………」
僕としては『秘密だよ』といった返答を期待していたのに、とんでもねぇ爆弾が返ってきやがった!
恐る恐るアスパーの方を見ると、彼は肩をすくめて首を横に振った。
「リチャードのヤロウはイマイチよく分かっていなかったようですが……アリアにごちゃごちゃ面倒なこと考えさせるとロクなことにならないんですよ。だから、対アンタ用に調整をしています」
「は? いや、対サブヒロイン戦鬼なら辰也をぶつけるのが一番いいと思うけど……」
「そうやってサラッと弱点をバラしていくのがおっかないんですよねぇ……。でも、残念ながらその手には乗りません。どの階層にいようが、アリアをカイネにぶつけます」
「……なんのために?」
「時間稼ぎですよ。一人残って他を生かす。死に残りってやつですね」
「………………」
アスパーの言葉から嘘は感じられなかったが、言葉などいくらでも偽れるし、僕に情報を明かすのも策の一環なのだろう。
そして……なにより、これでアリアちゃんがさらに厄介になった。
見た目以上に複雑で、複雑な以上に単純な子なのだ。
なにをしたらいいか分からない時は集中力が散漫になるが……こうやって目的を絞ってやれば、能力を完全に発揮できるようになる。
さすが、元仲間だけあって、アリアちゃんの扱い方を完璧に把握してやがる。
「でも、その戦い方だと、アリアちゃんの願いが叶わないんじゃないか?」
「そうでしょうかね? 話を聞いた限りでは、アリアはアンタのサブヒロイン戦鬼とやらに『勝てる』と踏んでいますよ。まぁ……そう思ったのは私だけのようですが」
「……なるほどね。そりゃ、慧眼だ」
僕が言うのもなんだが、『サブヒロイン戦鬼』はかなりピーキーな性能の能力だ。弱点は腐るほどあるし、対応を間違えなければどうとでもなってしまう。
例えば、超遠距離からの狙撃。
僕が『悔恨』を感知できる範囲の外から、僕を殺すことができれば解決するのだ。
だからこそダンジョンに引きこもり、なるべく情報が漏れないように第一階層で雑魚ボスをやっているわけだ。切り札は切るべき時に切ってこそ、意味がある。
アスパーは僕の反応を見て、深々と溜息を吐いた。
「ったく……ここまで揺さぶってもブレないとか、やりづらい男ですよ」
「へ?」
「まぁ、カイネはそういう男だと、この数日でよーく分かりましたよ。だから、最後の布石を打つことにしましょう」
「布石?」
「私はこれから用事があるので、アリアと一緒に買い物をお願いします」
「はィ? え……あ、おい! ちょっと……アスパーさんっ!?」
止める間もなく、アスパーは人間が追いつけない俊敏さで、あっという間に走り去ってしまった。
あとに残されたのは、茫然とする僕と、パンを頬張っているアリアちゃんである。
「あの野郎……体よく押し付けやがったな?」
「用事があるのは本当みたいだよ? アスパー、酒場で知り合った女の子とデートができるって張り切ってたし」
「なんだ、そういうことなら僕が女の子受けする服を用意してやったのに」
「え? デートに服とか関係あるの?」
「………………」
さてさて、困った。非常に困った。今の心の動きをどう形容したもんだろうか?
僕としては今の場面では『カイネくんは間違いなく女の子用の服を用意するつもりだよね』というツッコミが欲しかったのだが……あまりにも突飛な返答が来てしまった。
デートに服は関係あるか? これは今更問うまでもない。
まぁ、これに関しては自分に見合った服を着て行けばなんでもいいと僕は思う。
なんでもかんでも豊かな『ワールド』を基準にして考えると、おかしくなる。はっきり言えば『シャンバラ』や『アビス』は魔法の力を借りてなお、織物や製糸といった分野では『ワールド』に遠く及ばない。
これは『魔法』が精密作業に向いていないことにも起因する。単に炎を出す、水を流すだけなら簡単にできるが『特定のものだけを燃やす』や『場所によって水流の勢いを変える』といったことをしようとすると、途端に難易度が跳ね上がる。
話を聞いた限りでは、闇属性や影属性が比較的簡単で、光属性が最も難しいらしい。
きちんとした服を何着も着られるのは成功した冒険者や王族くらいで、丈夫な服を着回したり繕ったりして、ずっと使い続けている方々の方が多い。服を自分で作ったり繕うのは当然のことで、豊かになる前の『ワールド』の僕の国も、恐らく同じことをしていたはずだ。
たとえ着ているものがぼろに見えても、それが今の自分に着られる最良の衣服ならば恥ずかしいことはなにもない。
とはいえ……好みの異性の前では、飾るだけ飾った方がいいのも事実だ。
初見は見た目が九割だし、なにより良く見せようとする努力が大切である。
少なくとも、『デートに服とか関係あるの?』というのは、よろしくない。僕は女の子がお洒落頑張ってる感じがものすごく好きなのだ。
「えっと……アリアちゃん。デートに服は関係ある。ものすごくある」
「そうなの? ボクの近所の兄ちゃんは、セシリアお姉ちゃんとデートをする時はいつも同じ服だったけど?」
「それはデートに着て行く服がないだけで、服以外のなにかでアプローチしていたはずだよ。花とか、歌とか、そのセシリアさんって人が好きそうな果物とか」
「んーん。特になにも用意してなかったし、ふられたよ」
「そのお兄ちゃんの参考にしていい点は『デートの時くらい格好つけないと一瞬でふられる』っていうことだけだ! 格好付け、贈り物、とても大事! 気持ちは形から!」
「そ、そうなの? 冒険者で女の子口説いてる人もいたけど、服に気を使っている人はいなかったけど……」
「冒険者を基準にしちゃいけません」
リチャードやアリアちゃんのような人は『一部の例外』であり、冒険者なんて生き物はあぶく銭を貯蓄することも知らないような、日雇いの何でも屋なのである。
もちろん、そのあぶく銭目当てに口説かれにくる商売の上手な女性もいる。
しかし……なんというか、僕が言っちゃいけないとは思うけど、アリアちゃんの育った環境というやつは少々偏っているらしい。
僕がなにか思うところがある程度には、偏っているらしい。
「んー……仕方ない。これは散財だな」
「へ?」
「というわけで、服を買いに行きます」
「…………へ?」
そういうわけで、ただの思い付きではない、個人的な自己満足のために。
状況が呑み込めていないアリアちゃんの手を取り、服を買いに行くことにした。
古都プティア。
古都というだけあって『大昔は首都だった』という経歴を持つ、田舎の都市である。
街並みは古くともわりとしっかりした造りの街である。政治が民衆にまで行き届いているためか、下水も整っているし道も馬車が走れる程度にはインフラ整備がされていて、民衆から王様への信望も厚いし、民の生活も安定している。
城だけはアホみたいに古いが、それも一つの趣なのだろう。
主な産業は製糸、織物、畜産、農業、そして鉱山から取れる魔力を秘めた石を加工したアクセサリ。『シャンバラ』に共通することではあるが、どこの都市も街も魔法に依存している面があるため、魔法に関わる道具は全て高値で取引されている。
なにより、『シャンバラ』の都市には珍しく教育に力が入っているようで上級学校に行ける人間は『ワールド』出身の僕が引くくらいの高等教育を受けているようだ。男女共に区別はなく、できる奴はやれという風潮である。
女性蔑視が滅茶苦茶繁栄している『シャンバラ』においては、珍しい国だ。
そんなわけで、プティアは財政も治安も安定している。
反面、輸入に頼るしかない物品に関しては妙に値が張るし、移民や難民の受け入れを一切行っておらず、わりと非道なことを繰り返して発展してきた経緯もあるので、かなり敵も多いようだ。
まぁ、僕も『敵』の一人ではあるのだが。
「というわけで、このお金でこの子に似合う服を一着よろしく」
「…………は?」
僕の要望に、彼女は滅茶苦茶口元を引きつらせていた。
彼女。白銀の髪のポニーテールと眼鏡とそばかすとエプロンが特徴的な、わりと派手な少女。年齢はアリアちゃんと同じくらい。体は痩せていて、胸は薄く、もっと色々バランス良く食え肉をつけろと言いたくなるような矮躯。
可愛い。とても可愛いが、周囲の人間から可愛くないと断言される女の子。
プティアの針。ガランド工房の至宝などと呼ばれている。
プティア王族付き縫製者……テナー=ガランド=ウィルズとは彼女のことである。
プティア王族分家のウィルズ家の次女。彼女曰はく『見目麗しくない貴族の私はひたすら家の中で糸と布をいじり続けた結果こんなんなったのよ』ということらしい。
たぶん、地獄でも見たのだろう。
僕の顔をまじまじと見て、彼女は吐き捨てるように言った。
「えっと……死んでくれない?」
「死ねとは失礼な。別に服を一着作ってくれってわけじゃなくて、彼女に似合いそうな服を一着見繕ってくれろと、そういう話をしているんだぞ?」
「えっとね? うん……クソ忙しいから死んでくれない?」
「前々から言ってるけど、ちゃんと自分ができる仕事の量だけ受注しろよ……甘いものを用意したからとりあえず食え」
「甘いものは嬉しいわ。……で、これでアンタの彼女の服を選ばせるつもり? いつも違う女連れてるけど、その子が本命ってことかしら?」
「いつも連れてるのは同僚だし、本命もへったくれもねぇし、甘いものはサービスだ」
「……ふぅん?」
テナーは目を細めて、困惑気味なアリアちゃんを上から下までじっと見つめる。
そして、深々と溜息を吐いた。
「ま、いいわ。そういうことなら……ちょっと、新作を着てもらおうかしら」
「新作? あんまり高いのだとお金は払えないぞ?」
「安心しなさい。彼女なら恐らく着れるはずだし、カイネの財布に致命的なダメージを与えられる程度の値段だから。せいぜい、今晩の夕飯に困るといいわ」
「ものすごく良い笑顔で死刑宣告をするのはやめろ。なんていうか……もう少し、生産性のあることに生きている価値ってのを見出した方がいい気がするんだ」
「服を作っているわ」
「それだけじゃなくて、恋人を作るとかさ」
「実家から見放された貴族の小娘に恋人なんてできるわけないでしょ?」
「なんでさ? テナーくらい可愛いかったら引く手あまただろ?」
「ッ……この男はホントにっ……まぁ、いいわ。三十分待ちなさい。多少は見栄えがするように化粧くらいはしてあげる」
頬を少し赤く染めて、テナーはアリアちゃんと一緒に奥の部屋に引っ込んだ。
もちろん、三十分で済むわけはない。三十分というのは永遠という意味であり、準備が済むまでという意味でもある。この時間が男にとって最も苦痛なのだが、それを受け入れるのもまた、男という種族に課せられた使命なのだろう。
化粧や衣服選びというものは、女性にとっての武装に他ならない。
戦に準備をかけるのは当然のことだ。
「……なっげぇ」
とはいえ、度が過ぎた時は愚痴を吐くくらいは、やっていい。
いやマジで長い。なにしてんだオイ。かれこれお茶を五杯はおかわりしてるし、工房の子と談笑するくらいの時間が経っちゃってるんだけど。ガランド工房に女性しかいないせいかは分からないけど、社交辞令じゃないデートに誘われて大層困ったんだけど。
仕方ないので、リチャードを紹介する約束をして、この場を逃れることにした。
「イケメンはいつの世も苦労すべきだな、うん」
「カイネくん、結構酷いことを平気な顔でするよね……」
「おや、アリアちゃん。お帰り」
いつの間にそこにいたのか、振り向くとそこに彼女がいた。
普段のツンツン頭は整髪料で柔らかく艶やかに濡れ、薄く差した口紅と化粧は普段の彼女からは考えられない色香を感じさせる。藍色を基調としたミニスカートと黒いタイツ。靴は精緻なデザインを施されながらも丈夫そうな黒革でこしらえてある。
額につけた金色のサークレットと、銀糸で刺繍の施された黒い外套がこの上なく似合ってはいるが……その二つから、僕のような素人でも分かるくらいの力の奔流を感じる。
一見地味に見えるけど、実は凄まじいお洒落で全身に隙がない。
お忍びで遊びに来た、貴族のお嬢様といった感じである。
思考を一回りさせて……思いついたことを素直に口に出した。
「いいね! すげぇ似合ってる! 可愛い!」
「……本当?」
「本当だしこんなところで嘘なんか吐かないよ。普段も十分に可愛いし『ワールド』の宿のメイド服も似合うけど、こういうのもすごく可愛い。やっぱりプロは発想が違うね」
安直に着飾ればいいというものではない。高貴さや気品というものは、色々な調和の整ったところからしか生まれないのだろう。
でもこの服……絶対にお高いよね?
ふと、そんなことが頭を掠める。当然の思考ではあるが、今この場面ではもちろん邪念である。女の子が可愛く着飾った。それだけで十二分過ぎるのに贅沢ってもんである。
と、その時。アリアちゃんの後ろでテナーがにやりと笑った。
「んじゃ、七億プティアゴルドいただきましょうか?」
「買えるかぁ! 億ってお前……人生七回くらい台無しにしないと払えねぇよ!」
「カイネが買わないと、この服は倉庫の奥で未来永劫眠ることになるのよ?」
「……なにをやらかした?」
「姫様の要望で色々と機能を付けた、とても素晴らしい一品よ。素晴らし過ぎて常時魔力を吸っちゃうもんだから、まともに着れる人がいないだけで」
「それ……失敗作っすよね?」
「……うん」
「少し値引きできない?」
「ガランド工房の者としては一銭もまけられないわね。だから……あんたの手持ちの全財産と、『ワールド』の甘いもの一年分で手を打ちましょう」
「完全に自分の趣味だよなぁ……」
「そうよ? 私はこの仕事を好きでやっている。自己満足以上の意味はないの」
テナーはそう言って、にやりといやらしい笑顔を浮かべた。
悪戯っぽく子供っぽい、誇りと自信に満ちた、楽しそうな大人の笑顔。
僕が一番好きな女性の顔だ。
「んじゃ、ありがたく買い取らせてもらおう。次はチーズケーキでもご馳走するよ」
「それは聞いたことのない品ね。楽しみだわ。実に楽しみだわ」
「ああ、楽しみにしておけ。そして……思い知れ。この国が存続できている理由は、僕が『ワールド』の甘いものを流入させないからだということを」
「そ……そこまでの品だというの!? いいわ……受けて立ちましょう!」
そんなわけで、次に店を訪れる時はテナーにチーズケーキを奢る約束をして、僕らはガランド工房を出た。
財布は軽く……というか、すっからかんになったが、気分は清々している。
もやもやは晴れない。服を買った程度で、悩んでいることは消えやしない。
悩んでいるのは僕ではなく、怒っているのも僕ではない。ただ、僕はその性質上、心残りや憤怒や悔恨を感じやすいだけで……それを発しているのは、彼女だけだ。
うつむいたまま、彼女は足を止めた。
「カイネくんは、なにがしたかったの?」
「服を買った。アリアちゃんに着せた。それで僕は大満足」
「それだけのためにあんな大金を出したの?」
「………………」
さて、そういうわけで間違いを正そう。
君が今まで培ってきた価値観に、一つだけ石を投げよう。
「それだけのために、服を買ったんだよ」
それだけだった。それだけでいいと思った。僕には珍しく、下心は一切ない。
ただ、そういう気分と、そういう感情があると教えたかった。
「裏はない。表しかない。僕の目的はアリアちゃんに服を着せた時点で達成している。なぜならただの『自己満足』だからだ。ぼったくられたのは仕方ない」
「自己満足って……」
「うん。本当にそれだけ」
己がやりたいことを、己の心に従って、なんとなく衝動的にやった。
着飾ることを知らないようだったから、着飾ってみたくなった。本当にそれだけだ。
僕は正面を向く。アリアちゃんの目を真っ直ぐに見据える。
「本当にそれだけだから、その服はアリアちゃんが好きにしていいんだ。気に入らなかったら売ったり捨てたりしてくれてもいいんだよ?」
「……これを売ったら、ボクの故郷じゃ豪邸が建っちゃうよ……」
「アリアちゃんの故郷って、クソド田舎なんだっけ?」
「うん……山と、川と、小さな村がぽつぽつとあるだけで、時折幼体のドラゴンが家畜を襲って、みんなでそれを狩って食べるのが一番の楽しみだった……かな」
アリアちゃんの表情は、今にも泣きそうだった。
追手がかかっている以上、故郷には戻れないとアリアちゃんは言っていた。
くしゃりと、彼女の頭を撫でて、僕は口元を緩めた。
「故郷に帰りたい?」
「帰りたいけど……みんなに迷惑がかかるから……」
「んじゃ、僕がなんとかしようか?」
「…………え」
「僕の『サブヒロイン戦鬼』で、共和国の国主に突っ込んで直談判。追手は取り下げるって約束を取り付けて、約束を破ったら国ごと滅ぼすの」
「カイネくん、時々ものすごく過激だよね……」
「国の平和を乱して故郷に帰る勇気!」
「その勇気は駄目だと思う!」
「まぁ、確かにやり過ぎだけど、もっと穏便な方法ならアスパーが考えてくれるだろうし頼めばリチャードや火難ちゃんだって力を貸してくれるよ。みんなに迷惑をかけても、みんなは迷惑には思わない。自己満足を満たす一番の方法は、人のためになにかをすることだし、故郷に戻れないとかそんな理不尽を許せる連中じゃないでしょ?」
「………………」
「君は、誰かの迷惑になってもいいんだ」
かつて言われた言葉を、言って欲しかった言葉を、アリアちゃんに言った。
勇者だからって誰かを慮ることばかりやってちゃいけない。自分のために戦い、自分のためになにかをしていい。誰かに迷惑をかけてもいいし、面倒を押し付けたっていい。
僕らは独りで生きていない。お互い様ってもんだ。
アリアちゃんは少しだけ首をひねって、柔らかく苦笑した。
「うん……ボクらがダンジョンを突破できたら、考えてみる」
「……近々突破されそうだなぁ」
「そうなの? ボクは最近作戦会議から外されて、アスパーから『とにかくあの馬鹿だけ徹底的に叩いてください。ああいう手合いは情に弱い』って言われてるけど」
「あの野郎……やたら的確じゃねーかくそったれ」
「そーだね。だから、今回もパーティの知恵袋の言うことは聞いておこうと思うんだ」
笑いながら、アリアちゃんはきっぱりと、僕の目を見て言い放つ。
「ボクがなにを願っているのか分からない。でも……願いはやっぱりある」
「だから、カイネくんを倒して、ダンジョンを突破するよ」
自分の願いを知るために、願いを叶えるダンジョンに挑む。
それは矛盾しているようにも聞こえるけど……きっと、正しいことだ。
人間は『やらずにはおれぬこと』をやるのだから。
「ダンジョンを突破したら……父さんと母さんに、カイネくんを紹介する!」
「待てェ! なんか話の趣旨が変わってんぞ!?」
「変わってないよ。ボクの故郷で女性に衣服を贈るのはそういう意味だし、近所のにーちゃんもしつこくアタックを続けて、セシリアお姉ちゃんを口説き落としたんだから」
「ば……馬鹿な! 近所のにーちゃんはふられたはず!?」
「ふっふっふ、ボクの故郷の人間はしつこくて一途で重いのさ。カイネくんはボクが心の中でこっそり選んだ男だ。逃げられるとは思わないことだね!」
「いつ好感度が上がったのか、さっぱり分からねぇ! っていうか、お付き合いは無理だから! 誰が相手でも、正面切って捨てる覚悟はあるつもりだぜ!」
「大丈夫。断られようがどうしようが、ボクは勝手に付きまとうだけだから。しつこくて一途で重いけど、今後ともよろしくね!」
「付きまとう前から既に重いじゃねーか! マジでやめてくれ!」
「知らないの? ……勇者からは逃げられない」
「それは魔王しか言っちゃ駄目なセリフだぞ!」
「んじゃ、そういうことだから……次からは、覚悟しといてね」
最後のセリフだけやたら重く鋭く刃のようだったが、それだけを言い残し、アリアちゃんはさっさと走り去ってしまった。
その足取りは確かに軽く早く……少しだけ浮足立っていたような気がする。
アリアちゃんの言葉が本心かどうか、今は考えないでおこう。
人の心はいつだって流れ動く。明日がどうなるか分かる神様はなにも言いやしない。
だから、いつも通りに、息を吸って、息を吐く。アリアちゃんの言葉が策だったとしても、本気だったとしても、僕のやることは変わらない。
僕が弱い人間で、情に対して脆くても……やることは、変わらない。
「それじゃあ……頑張って迎撃しますか」
戦おう。立ち向かおう。立ちはだかろう。
願いを阻む障害として、倒さねばならない敵として、いつも通りに何ら変わりなく。
僕は……一人の人間として、勇者の前に立つことにした。
●登場人物紹介&裏設定
・テナー=ガランド=ウィルズ
問題しかない服職人。古都プティアの経済の一翼を担う存在。
『シャンバラ』は男尊女卑が基本なのだが、女王の力が強いためかプティアは女性の権力がそこそこ強い。職業選択の自由も当然あるのだが、テナーが生まれたウィルズ家では男尊女卑や階級制度が『家庭内ルール』としてまかり通っており、彼女も家族に言われるがままの価値観を得て生きていた。
彼女の人生を変えたのは、下等と思っていた職人の糸紡ぎを見た、その時である。
繊細に、長く、細く、どこまでも。彼女はその行為に見惚れて、あっという間に人生を変えた。糸と関わるために貴族を辞め、布と関わるために全てを捨てた。忌み嫌われていた害虫と蜘蛛の糸を組み合わせ、頑丈で魔法効果の高い布を作り、布ではなく糸から祝福を施すことによってさらに効果を高める方法を開発し『魔法付与』の在り方を根底から覆した。その技法はプティアの極秘とされ、今なお研究が進んでいる。
間違いなく歴史に残る大人物なのだが、彼女自身は人間的に欠陥があることを大層気にしており、ガランド工房からあまり出たがらない。
そんな彼女の心の敵愾心に火を点けたのは、工房を見学に訪れたラスボスの心無い一言である。
「こういうファッションって、一年くらい前からなに流行らすか決めてるんでしょ?」
テナー=ガランド=ウィルズ。歴史に残る服職人。
彼女が人を全力でぶん殴ったのは、これが初めてのことだったという。
※メインキャラの紹介は次回に持ち越し。
君は怒っている。君自身はそれを知らないけれど。
君は悲しんでいる。君自身はそれを知らないけれど。
君は歪んでいる。君自身はそれを知らないけれど。
君は知らない。心を閉ざしても口は動く。作った仮面は正常に機能する。生きるために、敵を作らないように、なにかを犠牲にし続けて、君は死に続ける。
だから……これは、君にとって最も辛いことだと、僕は思う。
君は、自分がなにに怒っているのか、知らなければならない。
君は、自分がどんなことに涙するのか、知らなければならない。
君は、自分が歪んでいると知った上で、治らない歪みを見なければいけない。
限界だし、諦めよう。瀬戸際でぎりぎりだ。今なら間に合う。今だからできる。
今だからこそ、認めよう。君は――
次回、第17話『怒り狂う人龍(前)』
これは、勇気ある者になれなかった、一人の女の子の物語




