第14話:ようやく、君は、怒った
というわけで、アリア編開始。
なお、この物語はカイネ君がヒロインなので『○○編』とはいっても別にヒロイン攻略ルートとかそういったものではありません。
完成した剣は、黒龍の鱗を使用したためか、真っ黒に染まっていた。
抜刀して振り回す。程々に重くて重心も取れている。抜き打ちしやすい片刃の剣で、頑丈さは折り紙つきのようだ。
全力でダンジョンの壁に刀身を叩きつけるが、刀身には傷一つつかなかった。
「剣とはなにか? 剣の道を追求する人は常にその疑問を抱いている。剣とは道具でもあり魂でもある。たかが棒状のものを振るというだけ。切っ先を相手に当てるだけ……にも関わらず『たかが』では済まない技の競い合いと命のやり取りがそこにある」
彼のような彼女は語る。剣を振るうアリアを見つめて、苦笑した。
「まぁ、アリアちゃんにとっては『敵を斃す道具』にしか過ぎないんでしょうけどね」
「えっと……」
「それが悪いってことじゃないのよ? 問題は、剣でも農具でも、使い方によっては容易く壊れるってことよねぇ。壊れないようにはしてるけど、限度ってものがあるし」
苦笑を浮かべながら、彼女は核心を口にする。
「男の子は馬鹿だから、言わないと分からないものよ?」
「……なにを言えばいいの?」
「思い付いたことを、そのまま。あの馬鹿は聡い子だからね。言葉にしなかった思いをなんとなく悟っていても無視することもあるわ」
「………………」
アリアは首を捻った。
思い付いたことと言われても、思い当たる節がない。
胸に渦巻くものがあるのは分かる。ほんの少し、胸の奥がざわつくのも分かる。しかしそれを言葉にしようと思うと……なぜか出てこない。
心臓を鷲掴みにされたかのように、なにも出てこない。
「……分からない」
「え?」
「よく、分からない……です」
アリアは、思い付いたことをそのまま、口にした。
出てきたものが分からなかったから、茫洋として形にならなかったから、言葉としてだけじゃなくて思いすらもよく分からなかったから、それをそのまま口に出した。
シェーラは特に表情を変えなかった。苦笑したまま、言葉を続けた。
「それならそれでいいわ。でも、自分が『なにかを思った』ことだけは忘れないでね」
「……うん」
「それから、その剣の名前はちゃんと付けてあげてね?」
「名前?」
「無銘でもいいけど、お気に入りの道具には名前を付けた方が愛着がわくものだから」
「…………うーん」
「もちろん、言うまでもないことだけど、適当に振り回して簡単にへし折ったりしないようにと願いを込めてもいる」
「……気を付けます」
今まで折り続けてきた剣のことを思い出したのか、シェーラから思い切り目を逸らしながらも、アリアはこくりと頷いた。
かくて、彼女の旅はようやく始まる。
戦い、傷付き、裏切られ、それでも旅を続けてきた勇者は、この旅路の果てに知る。
今更、ようやく……自分の思いを、知ることになった。
「たのもー! たのもー!」
大声と共にドンドンという、情け容赦のない音が響く。
ちなみに今の時間は早朝の四時。仮にこの声の主が美少女だったとしても、許されざる時間帯である。
まぁ、そこは僕も男である。美少女なら許してやろうかと思ったが、肩に乗ったブラウニーさんに思い切り頬を引っ張られたので、やっぱり許さないことにした。
ガチャリとドアを開けると、そこには奇妙な奴が立っていた。
緑色の大きな目とぼさぼさの長髪。見た目は少年か少女か判別がつかないが、どこからどう見ても幼く見える。身なりを整えてやれば、そこそこ見栄えがするような気がしないでもないが、あまり治安の良い所に住んでいなさそうな風体をしている。
羽織っている外套はボロボロだし、匂いもアレだし、頬もこけていた。
さて、どうしたもんか?
「ふべっ!?」
考えたのは一秒未満。次の瞬間には、思い切りぐーでちびっ子の頭を殴っていた。
僕には少年趣味や少女趣味はない。当然の反応だった。
「な、なにをしやがるですか!? 痛いじゃないですか!」
「眠い時にうるせぇから殴ったんだけど……なにかご不満か?」
「な、殴ったことをさも当然のように!? あなた、さては相当な鬼畜ですね!?」
「鬼畜でもなんでもいいから帰れ。大体、ここまでどうやって来たんだ? ここは世界の果てのダンジョンの居住区で、おいそれと侵入できる……ような……」
そう、おいそれと侵入できる場所ではない。
第一階層には滅茶苦茶にトラップを仕込んであるし、そもそも居住区の入り口は完全に隠蔽してある。どんな能力を持った挑戦者だろうが、発見できるはずがない。
いや……はずがないというのは、僕の思い込みだ。
火難ちゃんが実践していたことをあっさりと忘れてどうする。理というものは、上位の理で容易く破られるということを。
「いや……やっぱり、考え過ぎか。こんな臭い妖精がいるわけないしな」
「酷過ぎます! 私だって好きでこんな格好をしているわけではなく、故郷から強行軍でここまでやって来たからこんな有様なだけです!」
「っていうか、お前って女なの? 男なの?」
「……見れば分かると思いますが?」
「そーだな」
見て分かるとのことなので、ボロボロのズボンを思い切りずり下ろした。
普通についていた。大きさについては体格相応とだけ言っておこう。
「よかった、男か。これ以上面倒くさい女の子が増えたらどうしようかと思った」
「あの……なんでズボンを下ろしたんですか?」
「見れば分かるって言ったから」
「見て分からないならそう言ってくださいよ! 女の子に間違われるのは、慣れてますよチクショウ!」
顔を真っ赤に染めながら慌ててズボンを履き直す汚い小僧は、涙目になっていた。
素直に『男です』と言えばこんな悲劇は起こらなかったのに……。
「とりあえず、『シャンバラ』方面の入り口にクッソド田舎の王城があるから、そこで下働きの仕事でもなんでも探して、風呂に入って服を着替えて定職について、同僚と結婚して子供でも育みながらゆったりと死ねばいいと思うよ」
「私はこのダンジョンに人を探しに来たのです! 簡単には帰りませんよ!」
「ああ、その人たぶん死んでるわ」
「あっからさまに面倒そうな態度で軽く言うのはやめていただけませんかね!? せめて名前くらい聞いて下さいよ!」
「で、そのアホの名前は?」
「勇者アレン。私の友達で、ツンツン頭の女の子なのですが……」
「ツンツン頭の女の子は知ってるけど、アレンって名前じゃないから、絶対に別人だね」
「なんで別人だって断言できるんですか……本名はアリアっていうんですが、それでも知りませんか?」
「友達の本名を軽く明かすようなチビにアリアちゃんの居場所は明かせないな」
「テメェ私のことからかって楽しんでるだろ。ブチ殺すぞヒューマン野郎」
「アッ、ハイ、すみません」
あまりの迫力に、思わず変な敬語になってしまった。
どうやら、この妙な少年もどきはアリアちゃんのことを大層気にかけているらしい。
彼の態度から察するに……暗殺者や追手ではなさそうだが、アリアちゃんがどういう経緯で国を出る羽目になったのか、その理由は知らなそうだ。
笑顔のまま他人を殺すことができる奴は、確かにいる。
しかし……そういう奴は少なからず殺した相手に恨まれているものだが、この少年もどきにはそんな気配は感じられない。
「アリアちゃんなら度々ダンジョンに挑んでるけど……ここはダンジョンの居住区だからねぇ。普段はバイトしながらお金稼いで、テキトーに宿を取ってる感じだし」
「そんなこったろーと思ってましたけどね……相変わらず、無頓着なんですから」
「君はアリアちゃんの友達って言ってたけど、どういう友達なの?」
「私はアスパー。人間からは森の人と呼ばれている種族です。基本的には森の中に住み、森の恵みを糧に生きていますが……まぁ、私のように旅をする者は少数派ですね」
「背の低いエルフみたいなもんか?」
「は? あんな高慢ちきな長耳どもと一緒にしないでくださいよ。あんな奴らと一緒にされるくらいなら、ドワーフと一緒に森に火を放ちますね」
「………………」
どうやら、エルフと彼ら森の人の仲は非常に悪いらしい。
どこの世界でも領地争いだのご近所トラブルだのは、根が深い。エルフとドワーフは仲が悪いとされているが、生活圏が被っていないのでまだましな方なのだろう。
「残念ながら、生き物というのは森以外で生きるにあらず。石も土も動物も木々も、重要な糧の一つなのです。それをあの連中はやたらめったらに植樹するわ、動物の狩猟を制限しちゃうわ、果樹を独占するわでロクな連中じゃありません」
「……こう言っちゃなんだけど、その言い方だと絶対に仕返しとかしてるよな」
「もちろんです。とりあえず川をせき止めてやりましたよ」
「どう考えてもお前らの方が悪いよね!?」
「バランスを重んじない連中が悪いのです。精霊がどうとか気味の悪いことばかり言いますし、そもそも一年に一回しか繁殖できない下等生物は黙ってろってことですよ」
「………………」
川をせき止める連中がバランスを語るとは、片腹痛い……が、おっかないので、僕はこれ以上この件に触れないことにした。
お互いに見下している者同士が争うと、最終的にぺんぺん草一本残さない焦土と化すのが関の山なのだが、温故知新を知らない方々の最終戦争に口を出すつもりはない。
歴史とは重要なのである。知的生命体は過去からしか学べないのだ。
まぁ……それはそれとして。
「アリアちゃんに会いに来たのなら、会わせてあげてもいいけどさ」
「おお! さすが話が分かりますね! 酒場で『あのダンジョンの第一階層にいるカイネという男は斜に構えてるけど真正のお人好しだからガンガン頼ると断れなくなるからオススメよ♪』という情報は本当だったのですね!」
「……ハハッ」
誰だそれを言いやがった馬鹿野郎は。ソフィアさんか? ふざけんな大体合ってるじゃねーかコノヤロー。
まぁ、それはそれとして……後で追及するとして、目の前の小僧を上から下までじっと見つめる。見れば見るほど小汚い。
「アスパー。一つ聞いていいかな?」
「なんでしょうか?」
「森の人は、そんな風にクッソ汚い身なりで過ごしているもんなのか?」
「そんなわけないでしょう。これは今までの旅路が熾烈だっただけです。共和国がキナ臭くなってから旅を始めて、ようやくここまで辿り着いたのです。聞くも涙語るも涙の冒険譚でお金を稼げてしまう程度には苦労してきたんですよ?」
「んじゃ、問題ないな」
「へ?」
「とりあえず、風呂と散髪。あとは飯だな。アリアちゃんに会わせるのはそれからだ」
「…………へ?」
手を掴む。僕は別に潔癖というわけではないが、我慢の限界がある。
それでは……とくと見るがよい。
僕のいた世界『ワールド』の、洗剤の性能とやらを。
「久しぶり、アスパー……えっと、その……き、綺麗になったね♪」
「……アリア、お久しぶりです。さっそくですが、今すぐこの男とは人間的に縁を切るべきです!」
翌日。
『シャンバラ』のダンジョン近くにあるド田舎の城下町の酒場……アトラスの旦那と飲む時にちょくちょく利用している場所で、アリアちゃんとアスパーを引き合わせた。
アリアちゃんが必死こいて目を逸らしていたのが、なんとも印象深い。
人間関係がわりとざっくりしている彼女にしては、気を使った方だろう。
大きなエメラルドグリーンの瞳。真っ白いフリフリのドレス。可愛さを引き立てるアクセサリの類は下品にならない程度に満載。もちろん下着にはガーターベルトとエロく見えるアレやコレを常備。香水は『アビス』側の楽園から仕入れた媚薬やら色々なモノが入ったすげぇ効果のあるやつを使用し、時の権力者がよだれを垂らして喜びそうな仕様に仕立て上げてみたが、もちろん僕に少年趣味はない。
あるのは、夜中に叩き起こされた恨みだけである。
「服まで用意してやったのに、その言い様は酷いと思うぞ?」
「うるせぇばか! こんな屈辱は生まれて初めてですよ!」
「……本当に生まれて初めてか?」
「村で男女問わず言い寄られたり、旅の道中で王様や王子様に滅茶苦茶言い寄られたりもしましたけど、それはともかく屈辱なのです!」
「そうでしょうね。倫理観のないファンタジーじみた世界じゃショタは大正義ですからね。よくもまぁ無事に逃げ切れたもんだと感服します」
「いきなり敬語はやめなさい! こっちはすごく気にしているんですからね!」
地団太を踏むアスパーの姿は……まぁ、そっちの趣味がなくても可愛かった。
ちらりとアリアちゃんを見ると、困ったように苦笑をしていた。
「まぁ……アスパーは森の人の中じゃものすごく容姿が整ってる方だからね」
「やっぱり美少年なのかよ……」
アスパーの方に視線を戻すと、頬を膨らませて拗ねていた。
だからそういう動作がいちいち可愛いんだろうがとかは言わずにおく。本人も大層気にしている部分だろう。
「私だって好きでこんな姿に産まれたわけじゃないのです……この容姿のせいで村を追い出されることになったわけですし」
「僕のいた世界『ワールド』じゃ、思わせぶりな態度を取った方が悪いらしいぞ?」
「取ってねーから! 確かに先頭に立ってエルフと色々やらかしたかもしれませんが、思わせぶりな態度は取ってません!」
「先頭に立って戦う美少年ってだけでモテる要素としては十分だと思うけど……」
「それはともかく!」
心当たりがあったのか、アスパーは無理矢理話題を変えた。
それはともかく。今の話題を徹底的に置き去りにして、新しい話題をブチ込めるという特性を持つ、実に便利な言葉である。
不意に真剣な表情になって、アスパーは口を開いた。
「アリア、どうして唐突に共和国を出て行っちゃったんですか?」
「まだちょっとやりたいことがあって」
「前も言ったと思いますけど、あからさまな嘘はやめてください。心音や呼吸を完璧に整えた程度でバレないと本気で思っているんですか?」
「………………」
「まぁ……いいです。アリアがそういう気質なのは分かっています。それならそれで、私が勝手に話すので、勝手に判断しちゃってください」
「裏切り、造反、内紛。そーゆーことに巻き込むのは感心しねーな」
「………………」
先回りするように僕が口に出した言葉に対し、アスパーは口元を引きつらせた。
肩をすくめて、僕は口元をつり上げる。
「ミルダリア共和国。建国して一年ちょい。国主はテッド=ミルダリア。前聖ミルダリア帝国を打倒して、共和国化した。聖ミルダリア帝国がかなりの圧政を敷いていたためか、現国王に対して民衆は好意的。しかし……問題も多々あらぁな。好意的ってのは期待の裏返しだ。期待に添えなきゃ即首を吊られるし、国が荒れれば余所の国も黙っちゃいない。周辺国のエルディア帝国は隙あらば即介入して、帝国に合併しちまうだろうな」
「……よくご存じですね」
「調べた。……で、その共和国でなにが起こっているのさ?」
「具体的には内紛です。仲間……元仲間が裏切って国王の命を狙っていました。今は勢力を削ぎ取ってやったので地下に潜っていますが、力を蓄えてまたやってくるでしょう」
「………………」
おっかねーな、この小僧。
勢力を削ぎ取って『やった』というあたりが、おっかない。アリアちゃんと同じく見た目にそぐわず、高レベルの冒険者だと思っておいた方がいいかもしれない。
肩をすくめて、アスパーは言葉を続ける。
「私にとっては共和国の進退は心底どうでもいいことですが、身内が危険に晒されているのは我慢がなりませんし、共和国が崩壊したなんて事態になったらアリアも心穏やかじゃないでしょう。アリアは後悔だけは得意中の得意ですからね」
「……アスパーさん、すみませんが年齢はおいくつですか?」
「なんでいきなり敬語を使ってるんですか……まぁ、八十四歳ですけども」
「達観してるなぁと思ってたけどジジィじゃねーか!」
「ジジィじゃねーよ! 森の人の寿命は人間の四倍くらいですからね!」
「その計算でも僕より年上なんだけど……まぁいいや。僕にとって重要なのは『シャンバラ』側のダンジョンの入り口である、この国……古都プティアが戦乱に巻き込まれるかどうかってところなんだ。古臭い田舎にある国だけど、顔見知りも多いんでね」
「その心配は杞憂でしょう。プティアに到達するまでに国を三つほど経由しなければなりませんからね」
「そりゃよかった」
戦乱が及ばなくて良かった。
それじゃあ……杞憂じゃない方を心配しよう
もちろん、僕の調査力などでは限界がある。ブラウニーさんは世界中のあちこちにいるので、街を経由した噂話ならものすごい速さで伝わってくるのだが、限界はある。
事実は分かるが詳細は分からない。
しかし……多少なりとも時間を共有したからこそ、分かることもある。
今まで散々先延ばしにしていたが、先延ばしにしてなんとかならねぇかなと希望的に考えていたけれど、どうやらここまでのようだ。
アスパーはアリアちゃんの方を真っ直ぐに見て、決定的な言葉を口にした。
「で、アリア。どうするんですか?」
「どうするって言われても……今は国には戻るつもりはないよ」
「なぜですか? 昔のアリアなら『そんなの絶対に放っておけないよ!』くらいは言ったと思いますけど」
「………………」
「アリア?」
「アスパーになんと言われようと、戻るつもりはないんだ」
「……アリア。だから、ちゃんと理由を言ってくれないと私だって納得できませんよ。共和国がゴタゴタしているとかはただの理由づけで、イライザの子供を見に来て欲しいっていうのが本音なんですから」
『そんなこと言って、どうせ裏切るんでしょ?』
僕が発した言葉に反応し、アリアちゃんとアスパーは目を見開いて僕を見つめた。
特に、アリアちゃんは愕然とした表情のまま、僕を見ていた。
「カイネ君……知ってたの?」
「知らないよ。人間は言葉にしなきゃなんにも分からないんだ。『大体こんなもんだろう』と思ってはいたけど、そんなことを口に出す必要はないでしょ」
「………………」
「おい、馬鹿面腐れ根性人間。どういうことですか?」
「それ僕のこと罵倒したいだけだろ!」
馬鹿面腐れ根性人間って、ただ言いたいだけの悪口じゃねぇか。
まったく、女装させただけだというのに、酷いショタ野郎である。
「勇者や英雄が国を去る理由なんて単純だろ。政治を執るのに興味がないか、近隣に脅威があるか、命を狙われたか、他にやりたいことがあるかのどれかだ」
「カイネの話って回るくどいって言われたことありませんか?」
「あるから追及はやめろ。……まぁ、今の状況を鑑みると『命を狙われた』一択だろうね。命を狙われて、逃げ出して、ここまで辿り着いた。そう考えるのが妥当かな?」
「命を狙われたって……そうなの? アリア」
「………………」
アリアちゃんは口を開かなかったし、頷きもしなかった。
だんまり。黙秘権。もちろん彼女の心の中でなにが起こっているのか、僕には分からないし彼女だけが分かっていればいいことの方が多い。
しかし……しかしだ。ここまでなのか。ここまで重症に至っているのか。
僕も『こんな風』だったのか。
頭を掻く。頭では分かっている。これ以上は言わない方がいい。
これ以上突っ込むと、関係が破綻する。この気持ちの良い関係が壊れてしまう。
これ以上突っ込んだら、彼女の柔らかい部分に踏み込むことになるだろう。
延々と長引かせ、先延ばしにし、ダンジョンに挑むことを諦めさせるか、自分で悟ってもらうつもりだったが……どうにもやっぱり、上手くはいかなかった。
まぁ、上手くいくはずがないと思っていたけれど。
人は言われないと分からない生き物だから。言葉にせずに伝わる思いなんて、クソ以下の独りよがりでしかないのだから。
そんな回りくどいことを考えていると、不意にアリアちゃんは口を開いた。
「……カイネ君」
「ん?」
「カイネ君なら、どうする?」
「国に帰る。そもそも襲われた時点で犯人を見つけ出して社会的に抹殺してやる」
「……カイネ君らしいね」
「もっとも、それは『心残り』があった時だけだけどね」
「え?」
「例えば、僕が今『元家族』に助けてくれと言われても、僕はそれを黙殺する。血の繋がりがあろうが、同じ釜の飯を食った仲だろうが、自分にとって気持ちの良いことをしてくれない人間との繋がりを保とうとは思わない」
「そうだね……その通りだね」
うつむいて、力なく拳を握りながら、アリアちゃんはなにかを堪えていた。
息を吐く。目を閉じる。少しだけ考えた。
考えたのは少しだけだった。
「もうやめちゃえば?」
「え?」
「勇者とか英雄とかダンジョンとか共和国だの帝国だの、そーゆー面倒なのはやめちゃって、プティアに永住しちゃえば? 職とかその辺は師匠経由で口利きできるし、アリアちゃんくらいの腕があれば士官もできるし、もうやめちゃったらいいよ」
「……それは、できない。だって、ボクにも叶えたい願いが……」
「じゃあ、どんな願い事なのさ?」
「それは……言えない。言えないけど、ダンジョンに挑む理由がボクにはあるんだ」
「そうだろうね。けれどそれは……ダンジョンじゃなくて自分自身に向かい合わなきゃ分からないものだと僕は思う」
「……どういうこと?」
「願い事は『ある』けど『分からない』んじゃないのか?」
「ッ!?」
それは、決定的な言葉だった。僕が口に出さず今まで黙ってきたことだった。
彼女には『形にしたい願い』が分からない。
本当にただ茫洋とここまでやって来て、難易度が高そうだからダンジョンに挑み続けただけだったのだ。
心の奥底から湧き出るものはある。確かにある。心の奥に秘めた願いが確かにある。でも、それがどんなものなのか……分からなくなってしまった。
だから、誤魔化し誤魔化し生きてきた。
それは悪いことじゃないけれど、今は立ち向かわなきゃいけない時だと思う。
今まで目を逸らしてきた自分と……向き合わなきゃいけないと、思う。
どんなに醜くみっともないことでも。
「まぁ、僕の言うことなんざテキトーだし、分からないままでいいならそれでもいいとは思う。それでも、アリアちゃんには色々な選択肢があるってことだけは覚えておいて欲しいんだ。進んでもいいし、止まってもいいし、やめたっていい。自由なんだからさ」
「………………さ」
「え?」
「……自由って、なにさ」
メキリという、軋む音が聞こえた。
それは、アリアちゃんが手を置いていたテーブルの悲鳴だった。
テーブルに指が食い込んでいる。渾身の力で本に指を立てた時と同じように、テーブルの表面が指の力だけでこそげ取られていた。アリアちゃんはなにも映さない無表情のまま……しかし、その目の奥に漆黒の炎を宿しながら、僕を見つめていた。
だから、言いたくなかったのだ。
言えば関係が終わる。そういう類の言葉がある。言えば本性を引き出せる。残酷な刃の言葉がある。
「カイネ君なんてなんにも知らないくせに……テキトー言うなァ!」
無表情が激昂に変じ、怒号が店を揺らす。
それは、彼女が見せた初めての、剥き出しの感情だった。
烈火のごとき……ではない。
燃える重油のような怒り。延々と燃え盛っていたそれが表面化しただけ。
なんのことはない。彼女はずっと怒っていたのだ。きっかけは僕だったけれど……なにかに向かって、怒り狂っていたのだ。
「戻れるわけないじゃないか! 命を狙われて、殺されそうになって、あんなに頑張ったのに国を追われて! 見捨てて逃げた? 見捨てたのはそっちじゃないか! あんな国なんてどうなったって、ボクは知らない! 滅ぶんなら滅んじゃえばいい!」
「………………」
「あいつもこいつもみんな裏切るんだ! カイネ君だって裏切ったじゃないか!」
「………………」
相手の心が分からないから、人は容易く裏切る。
自分のためならなんだってする。騙し、陥れ、誘い、背後から一撃する。
僕だってそうだ。例外はない。人を裏切ったことがないという奴は、ただの身の程知らずだ。人は裏切る。裏切ってしまう。良い意味でも、悪い意味でも。
僕がアリアちゃんの心を裏切ったというのなら……それは、きっとそうなのだろう。
だから、僕は聞いた。
「じゃあ、僕はどうすればいい?」
「どう……って」
「どうすればアリアちゃんは『裏切られた』と感じなくなるのかな?」
「……そんなの、ボクには分からないよ。頭の良いカイネ君は、どうせ全部知っているんでしょう? 見透かして、ボクのことを笑ってるんだ」
「見透かせてないし、笑えねーよ。僕は女の子が苦悩しているのを見てにやつけるような男じゃねぇ。僕が分かるのは、アリアちゃんが怒っていることだけだ」
むしろ笑ってくれたほうが、よっぽど心に優しい。どんなに情けなくても僕は『男』なのだ。可愛い女の子には、ぜひ笑っていて欲しい。
アリアちゃんは息を吐いて、席を立った。
「ボクは帰らないよ。……絶対に帰るもんか!」
それだけを言い捨てて、逃げるように酒場から出て行った。
酒場に沈黙が落ちる。昼間でよかった。夜だったらどえらいことになっていただろう。例えば、女の子を泣かせた罪で僕が袋叩きにあうとか、そんな感じで。
アリアちゃんは泣いてはいなかったけど、あれはどんな男でも『泣いている』と判断するレベルの憤怒である。そりゃ袋叩きにされても仕方ない。
沈黙を破ったのは、アスパーの溜息だった。
「おい、根性腐れ人間」
「カイネだっつってんだろうが。セクハラするぞ」
「あんた、アリアのなんなんですか?」
「友達だと、僕だけは思っているよ」
「……ダンジョンのフロアボスなのにトモダチなんですか?」
「僕だけはそう思ってるってだけだ。アリアちゃんがどう思っているかは、この際関係ない。男女だから思うところはあるし、欲情もしてるに決まっているんだけどさ」
「お前は変な奴です。カイネ」
「自覚はある。……で、アスパー。ここまで聞いたお前はどうするんだ?」
「私はアリアの味方ってほど味方でもないんですが……利害が一致した時は協力を惜しまない性質でしてね。ダンジョンを突破すると願いが叶うのでしょう?」
「アスパーはなにが欲しいんだ?」
「金、女、健康、そして……身長ですね!」
「君はそのままが一番可愛いよ」
「ぶっ殺しますよ!?」
「それはそうとアスパー。アリアちゃんって、昔はどんな勇者だったんだ?」
「私が身内の情報を簡単に吐くとでも思っているのですか?」
「今日の昼飯は好きなだけ奢ってやる」
「…………おねーさん、この店で一番高い酒と料理を上から五つずつ!」
「テメーも容赦ねぇな!」
わりと軽くて簡単なアスパーを懐柔しつつ、僕は彼女の物語を聞くことにした。
聞いて、考えることにした。
吐いた暴言のツケの支払い方を、いつも通り考えることにした。
私の名前を、富良野冥途という。
あまのめいどと読む。キラキラネームと呼ばれる今時の名前でも付けてくれればまだましな人生を歩めたはずの私は、その名前に引きずられる形で一つの道を歩んだ。
その道とは、思考放棄である。
とある家に仕え、主をおはようからおやすみまで小馬鹿にする。
そういう、腐れ仕事に従事している。
『いえいえ、この仕事は素晴らしいのですよ。なにせ、ご主人様とイチャ付き放題ですからね! おっと、彼氏のいない細め胸なし女には関係ない話でしたねケケケ!』
野郎ぶっ殺してやるァと、その後に喧嘩になったのは言うまでもない。
私と名前が思っクソ被っている後輩のクッソアホな巨乳はそんな風に語るが、アホの意見は参考にならない。
そもそも貴様の家のご主人様とやらは貴様の彼氏っていうか旦那ではないか。私の家なんてアレだぞ。アレにアレしてアレになったようなアレだぞ。
羨ま死ね。
「メイド、お茶のお代わりが欲しいんだけど?」
「はいはーい! ご主人様、そういうのは私がやります! だから散歩、散歩に行きましょう! 今私の中で散歩が最高にアツいんです!」
「キリエちゃん、待て」
「くぅ~ん」
中肉中背でメイド服の美少年だか美少女だかよく分からない風貌の『美少女』は、アレなご主人様の足にすり寄って『待て』をしている。実に見苦しい。
頭には犬耳と尻尾が生えている彼女は、ウェアウルフという種族らしい。
中学生の情操教育に大変よろしくない友人その1を見て、私は息を吐いた。
「ホント……もう人間っぽい生き物を拾ってくるのはやめましょうよ。火難様」
「人間っぽい生き物とは何事だ! メイドよ、貴様が四天王の一だからといって、それ以上の愚弄は容赦しない!」
「はい、ガム」
「……つ、次はないからな! 感謝しろ!」
大層な二つ名が付いているはずの天狼牙は、犬用のガムを見て尻尾をぶんぶんと振りまくっていた。実に情けないが本能には逆らえないのだろう。
そんな私たちを見て、我が主の藁葺火難は笑いながらティーカップを差し出した。
「はいはい、それはいいからお茶をちょうだい」
「……さっきからなにをしているんですか?」
「私を馬鹿にしくさった性根が最悪の男をとっちめる計画を立てているのよ」
「性根については火難様にどうこう言われたくはないと思いますが……」
「ぶっちゃけ、アンタが行けば一発で解決しそうな気がするのよね。私の友達の中で一番えげつないしさ……メイド、なんか願い事とかない?」
「金」
「いくら欲しいの?」
「兆」
「えげつないわよ! もう少し、節度とか考えた方がいいと思うわ。マジで」
人に願い事を聞いておいて、ドン引きする失礼なご主人様だった。
まぁ、言っていることは的を得ている。
節度など知ったことではないし、目的が達成できればなんでもいい。私は私のために生きている。その生存に邪魔になるものはことごとく排除するだけだ。
もっとも……なんでもかんでも排除してはいけないのだが。
節度は持たねばならない。どんなことがあっても。
「ご主人様、お客様です」
「誰?」
「勇者と名乗るツンツン頭の少女です。正直、お会いにならない方がいいと思います」
「通しなさい。私の客人よ」
「……はい」
扉を開けて、待たせていた客人を主の部屋に通す。
勇者と名乗る彼女の目は、据わっていた。
さすがの主も驚いたらしく、目を見開いていた。
「アリアさん? ずいぶんと形相が変わっちゃったけど……なにかあったの?」
「貸しを返してもらいに来たんだ」
勇者の言葉には全く迷いがない。
この迷いのなさこそが勇者の証であるように、彼女は断言した。
「ダンジョンを攻略する。力と情報をちょうだい」
「……貸しってどういうことかしら? 私は貴女に貸していたものはないはずよ?」
「ボクとリチャード君を騙して操ったでしょ?」
「…………っ」
「反応が分かりやすくて助かるよ。簡単に嘘に引っかかってくれるところもね」
「ふん……。ダンジョンを攻略するって言ったけど、本気なの?」
「うん。だから、火難ちゃんが持っている情報が欲しい。ボクが知っている中で第五階層に到達したことがあって、その先を見たのは火難ちゃんだけだからね。その時なにが起こって敗退することになったのか……その情報が知りたい」
「断ったら? 力づくで聞き出す?」
「そんなことはしないよ。何年かかっても、ボクが全階層突破すれば同じことだ」
「オッケー……分かったわ。そこまで啖呵を切られちゃ仕方ない。前回のこともあるし、今回は協力してあげる」
「……ありがとう」
「別にいいわ。アリアさんのためってわけでもないし……」
にやりと、悪魔のように笑って、主は言った。
「今回はあの男に嫌がらせができそうでなによりだわ♪」
私のご主人様は、アレである。
極度の負けず嫌いで、性格が悪くて、まるで腐ったザリガニのような女だ。
言い換えよう。
気になってしまったことにはとことん一途で、気になる相手に興味を持ってもらうために即行動をする、まるで恋する少女のような少女だ。
今回もロクなことにならねぇだろうなぁと思いながら、私は見守っていた。
見守るだけだ。
諌めるのは、現在の雇用契約の条件に含まれていないのであった。
こうして――彼女の戦いは、幕を開けた。
●登場人物紹介&裏設定
・カイネ=ムツ
ダンジョンの管理人。今回は自ら進んで苦労を背負い込むスタイル。
彼が今回口を出したのは自己投影のたまものである。勇者の背負っているなにかが、昔見た自分の苦悩によく似ていたから。あるいは今見ている誰かの苦悩によく似ているから手を差し伸べずにはいられなかったというのが本音。
それが最強の敵を作り出したことに薄々以上に勘付いているが、見て見ぬふりをしてやりたいことをやろうとしている。
こういうことをするから根性が悪いと評される原因になるのだ。
・アリア
勇者アレン。ツンツン頭の少女。腹ペコキャラ。
なにかを隠していた少女。怒っている少女。
彼女がなにに怒っているのか、旅路の果てになにを見るのか。
それが今回の物語のテーマである。
・アスパー
体格が小さな森の人。見た目は完全に美少年。
勇者アリア一行→解放軍切り込み隊長→ミルダリア共和国ギルド総括長という遍歴を持つ。国を解放した戦士がそのまま上役についてしまったために『戦士としては超有能だが上に立つ人間としてはクソ』という問題がミルダリア共和国内でもりもり発生しているのだが、その中で上手くやっている数少ない『有能な馬鹿』である。
『責任は私が取るから、好きにしていいですよ』
『ただし、金で迷惑をかけたら殺します』
計算はできないが計算高く、金でのゴタゴタだけは許さないというスタンス。
そんな彼の周囲は男女問わず重度の美少年愛好家の方々ばかりなのだが、彼自身は気づいていない。
典型的なシーフ。素早さが高く、クリティカル率が高く、魔法は一切使えず、開錠や罠解除もお手の物。第一階層および第三階層の天敵。
一対一という条件下なら、ミルダリア共和国最強の戦士である。
・富良野冥途
チョイ役。四天王の一。藁葺家に雇われているパートタイマーのメイド。
自分はメイド萌えではない。女性の私服の方が百倍ほど萌える。しかし、それはそれとしてキレているキャラを描写する際にすこぶる便利なのがこのメイドである。
作者的には忍者に匹敵する便利キャラである。
眼鏡で胸は薄く、男性に縁のない女性で背は少しだけ高い。
要するにメイド長。
・天狼牙キリエ
再登場したワールドからの刺客。実質的には藁葺家で飼われている犬である。
このように、普段の『彼女』は飼い犬のように生きて暮らしている。
趣味は散歩。彼女にとっては生涯飽きることのない、最高にアツい趣味である。
・藁葺火難
負けず嫌いの女子中学生。
彼女の悪辣さもここから始まる。
真に恐ろしいのは『不明』であり、明確にされた敵の情報はどのような強大さであろうともただの敵に成り下がる。
はい、そういうわけで前振りでした。
次回はこの続きか、続きを無視してコメディブチ込むことになります。
たぶんww
別の小説とか上げちゃったら『ああ、馬鹿なのだな』と生暖かい目で見過ごしてくださいませww




