第10話:戦鬼が赤鬼になった話
『強いボスどもの演出』に結構かけたので、もうゴールしてもいいよね?
そういうわけで、ここからが本編。
外装と精神を最強クラスまで育ててしまった少年の城壁を、無理矢理ガチャガチャいわせて恥をかかせる物語の、はじまりはじまり♪
はじまり、はじまり♪
あの襲撃から一日が経って、私ことカンナ=カンナはキィの元を訪れた。
我らがビッグ・ボスことキィ・No2は、自室で鍛錬をしていた。
天井に片足の握力だけで掴まり、腹筋をしている。
つくづく化け物だと思う。私やザッハは生まれながらに持っている能力でフロアボスをやっているが、彼女の実力は尋常ならざる鍛錬の上に成り立っている。
私を見て、キィは口元を緩めた。
「お、来たな。そろそろ来る頃だと思っていたが……しかし、今回は恥ずかしいところを見られてしまったな。やっぱり、カンナやザッハのようには上手くいかない」
「まぁ……そうですね。少なくとも私やザッハなら、あの三人に遅れを取ることはないでしょう。火難という子の奇妙な能力を除けば、ですが」
「……チッ。休日の度に男とイチャイチャしているくせに、面と向かって事実を指摘するとは生意気な。給料減らしたろか」
「いくらなんでも横暴過ぎるでしょう!? あと別にイチャイチャはしてません!」
もたれかかっているし、全力で支えてもらっているのは事実だけど、『ワールド』でいう『人』の字みたいになっているのは事実だけど、イチャイチャはしていない。
ツッコミは入れたものの、キィなりにわりと気にしているのか、少し傷付いたような、不貞腐れた顔をしていた。
私達の総大将は、意外と面倒くさい性格をしている。
キィは天井から足を離し、くるりと猫のように反転して、綺麗に着地した。
「で……わざわざ弟子がいないタイミングを計って来たということは、アレについて聞きたいんだろ?」
「……ええ……まぁ……参考までに」
「アレが弟子の切り札だ。挑戦者の周囲の評価で能力が決まる。面白いだろ?」
「面白くありません。経緯を見た感想としては、煽りと精神攻撃はやめて真面目に戦いなさいと、口を酸っぱくして言いたいものです」
「あれ? 言わなかったのか?」
「……………まぁ」
言わなかったというか……言えなかったというか。
言うに言えなかったというか。
「なにか言おうと思って口を開いたら、ものすごく怯えたような表情をされて、言い出せずに、結局拳骨で済ませるしかなかったというか……」
「はっはっは」
「笑い事じゃねェんですよ! 特に精神攻撃は明らかにやり過ぎです! 男なら拳で真っ当に戦いなさいよ!」
「その意見もかなり大雑把だと思うが……まぁ、確かにその言葉は本人に言ったら関係が破綻するかもしれんな。弟子も含めて、男のそういう所は本当に繊細で面倒くさい」
「男のそういう所はとか、なんかしたり顔で語ってますが……あなた、あの男くらいしか男の知り合いいないでしょうが……」
「知り合いはいるぞ、失礼な! 仕事上の付き合いだがな!」
「半ギレになりながらの自虐はやめていただけませんかね?」
「話を戻すが……まぁ、いいんじゃないか? 自分のやってきたことがそのまま返ってくるとか、少なくとも私よりはラスボスしているだろ?」
「暗くてネチネチしててなんか嫌です」
「気に入らないなら引きずり下ろせ。アレは少なくともお前の敵じゃないだろ?」
「…………ッ」
キィらしからぬ『引きずり下ろせ』という言葉に、少しだけ驚いた。
確かにあの『現象』は私の敵じゃない。視認できてしまえば、認識さえできてしまえば、アレを彼から引き剥がすことは容易だ。体を覆い隠し性別すら歪めるほどの『怨念』を極限まで薄めてしまえば無力化できる。
燃料切れさせてしまえば……私の敵じゃない……けど。
「そもそも、前々から思っていたしフロアボス全員に言えることだが……カンナ、お前には叶えたい願い事はないのか?」
「…………え」
「言う必要もないからあえてなにも言わなかったが、フロアボスだろうが、このダンジョンに挑んでも一向に構わないんだぞ?」
「願い事って言われましても……」
あるにはある。今の自分を変えたい。休日という二文字が出てくると全身に力が入らなくなる、あの現象をなんとかしたい。普通に……もたれかからずに生きたい。
確かに、そう言われれば、私には願望がある。
「例えば、痩せたいとか色々あるだろ?」
「だからデブじゃないって言ってるでしょうが! ぶっ殺しますよ、この貧乳!」
「私は貧乳じゃなくて筋肉質なだけだ! 貧乳はザッハだろ!」
「龍って人間のカテゴリーに当てはめちゃってもいいんですかね?」
「年齢相応の転化をすると聞いたことがある。ちなみにこのダンジョンで一番の巨乳はお前だが、スタイルが良いのはアナスタシアだ。あれはすごいぞ。戦慄するからな」
「知っています。……まぁ、話を戻しますが……願い事は、結構あります」
「叶えようとは思わないのか?」
「少しは思いますが……今はまだ保留ですね。安易に願いを叶えてしまうと後々破滅すると、物語から史実まであらゆることが教えてくれていますし」
「意外と慎重だな」
「あの男を見ていると、いやがおうでも慎重にならざるを得ないんですよ」
「やれやれ、とうとう弟子の悪影響が出たな。これからやりづらくなりそうだ」
「あの男を連れて来たのはあなたでしょうが……大体、そういうキィこそ、願い事とかないんですか?」
「そうだなぁ……腕も欲しいが、足も欲しい」
「足?」
「ここから外に出るための足……と、表現すればいいのかな? 旅というやつをしてみたいんだよ」
ある程度の自由はあるけど、ダンジョンに縛られている。
私にとって故郷など忌まわしい場所でしかないし、ダンジョンの外が良い所だとは思わないけど、それでも彼女にとっては魅力的に映るのだろう。
未だ知らぬ場所。ここ以外のどこか。退屈だけはない場所に自分の足で赴く。未知を踏破することに憧れる。たぶんそれは……ありきたりで、とても普通の感情だ。
まぁ……いいと思う。夢を見るのは自由だと思うし。
「旅に出るなら『ワールド』がオススメですね。なにより安全ですし」
「あれ? カンナはそこまで『ワールド』に詳しかったか?」
「以前、ちょっとダンジョンを留守にした時に、あの男と一緒にあっちこっち放浪していたんですよ……放浪というより、旅行でしたけど」
「……ほほぅ?」
「おい、なんですかその顔は。なにか失礼なことを考えましたね?」
「カンナ、えろーい♪」
「ぶっ殺しますね?」
「はっはっは、やってみろ。そして第五階層を継いで私を旅立たせてみせろ!」
「死んでも御免です! ……って、こら待て! 逃げるんじゃありません!」
視界内に入らないように、縦横無尽に飛び回るキィを追いかけて部屋を出る。
なにやら色々と誤魔化されてしまったような気はするけど、少しだけ愚痴れたおかげで溜飲も下がった。
第五階層も継ぐつもりはないし、願い事は叶った方がいいとは思う。
でも……今は、今やれることをやろうと思った。
やらずにはいられないことを、やろうと思った。
大きな角に真っ赤な目、お尻にはハ虫類系の尻尾。全身を真っ黒い鱗で覆われた彼女は黒龍ザッハークの『半龍態』である。
本当は龍、半龍、人という三つの形態にはそれぞれメリットがあるのだけれど、基本的に慢心しているザッハの半龍態は相手をおちょくる時にしか使わない。
そんな彼女は、ドラゴンの巣のように宝石と遺跡が散らかり過ぎているほどに散らかった第四階層でうつ伏せで倒れていた。
頭には分かりやすくたんこぶができている。僕と同じだが当然事情は異なる。
いや……あのね? 僕は嫌だって言ったんスよ? 他のフロアボスはともかくこいつだけは絶対にいちゃもんつけてくるだろうから今まで黙っていたわけだし。
「……ひっく……ひっく……うぅ……」
おまけにこの子、幼児みたいにうつ伏せになりながらガチ泣きしてるんスよ。
どうしよう……マジでどうしよう? 僕が悪いわけじゃないのに、なんだかものすごく悪いことをしたような気になってくる。
「あの……ザッハ? なんていうか、ちょっと言い訳を聞いて欲しいんだけど……」
「うぅ……絶対に嫌じゃ。こんな下等生物と結婚しとぅない……」
「誰が誰と結婚するってっ!?」
「だって……普通、雄は雌を屈服させて従属させるもんじゃろ?」
「違うから! 大体それ『アビス』の一部地域の常識だろうが! 『ワールド』の人間はもっと卑屈で穏やかだから力づくってのはNGなんだよ!」
「じゃあ、番になりたい雌がいたらどうするんじゃ?」
「さぁ? そういう対象がいたことはないから分からないけど……一般的には買い物や食事に誘って、長時間かけて仲良くなる感じかな?」
「なんじゃそれ、面倒くさい。酒を飲ませて口説いて押し倒せばいいじゃろ」
「無駄に男らしい発想はやめてくれないっ!?」
あるいは英雄らしいとも言える。どのみち僕の中では完全にNGである。
むくりと起き上がり、ザッハは眉間に皺を寄せて、僕を睨んだ。
「そもそも……我は別に負けてはおらんしな。今のはちょっと油断しただけじゃし、三回勝負の一つ目を落としただけで、まだ勝負は二回残っておるしな」
「……次の勝負内容は、じゃんけんとかでいい?」
「なんじゃその憐みの表情は! 大体、あの訳の分からん妙な形態が強いのは分かったが執拗に『お前が悪い』を繰り返すのはやめんか鬱陶しい! ヤバい時のカンナか!」
「ヤバい時のカンナとか言うなよ。なんか心が痛くなるだろ……あれは正確には僕が言ってるわけじゃなくて、ザッハを恨んでいる方々が一言物申したいって感じだからねぇ。全員の総意を一言で済ますとあんな感じになるんだよ」
「陰湿じゃのぅ。言いたいことがあるなら一人ずつ来るがよい」
「それをやると一人ずつ消し炭にするじゃねーか……」
強い奴相手に一人ずつ行ったら、一人ずつ消されるに決まっている。
弱い奴は徒党を組んで、なるべく責任の所在をはっきりさせないように安全圏から怒鳴り散らすのが精一杯なのである。
「まぁ、ザッハは僕に負けたわけじゃなくて、ザッハが虐げてきたもの全てに負けただけだから。今の勝負はノーカウントってことで」
「我の方から勝負を反故にするのは良いが、勝者である貴様の方から勝負を反故にされるのは、なんか温情をかけられたみたいで腹立つのぅ」
「この子、ホント面倒くせぇ!」
「弱点とか教えろ。そして殺す。殺して敗北をなかったことにする」
「弱点……まぁ、カンナさんの魔眼とかわりと天敵だけど」
「貴様が平気で口に出した時は、大抵対抗手段がある時じゃがな?」
「アホっぽいくせに意外と鋭いッスね、ドラゴン様……本当『アビス』出身の連中はどいつもこいつも闘争に関してだけは鋭いよね……」
「誰がアホじゃ! 我とて選ぶ権利はある。我の旦那様はもっと格好良くて我を一番大切にしてくれる人じゃなきゃ嫌じゃからな!」
「意外と夢見がちッスね、ドラゴン様!」
「ふふん、夢見がちとは弱者の言葉じゃな。我は最強で格好良いし究極に可愛いから、良い旦那を侍らすのは当然のことなのじゃぞ?」
その辺がアホっぽいと思うのだが、侍らすという表現を使っているあたり養う気満々のようだし、男よりよっぽど男らしいとも言える。
こういう風に開き直られると、いっそ清々しいんだけどなぁ。
「で……下等生物よ。さっきからこっちをネットリとした視線で見てる、第三階層の筋肉ダルマの女房は一体全体どういうことなのじゃ?」
「逆恨みも恨みの内だからねぇ……『サブヒロイン戦鬼』は、メインヒロイン……簡単に言えば『主人公の彼女』には滅法厳しいんだよ」
「質問が悪かったようじゃの……お前、ニーナになにをした?」
「説教をしただけ。フロアボスとして給料をもらっている以上、サボりは許さんと……雇用主からの依頼でね」
心底面倒だったけど、切り札を隠す必要もなくなったので、僕にお鉢が回ってきた。
火難ちゃんの侵攻に対し、他の階層のボスは気づかなかったわけだが、ニーナさんは見て見ぬふりをしていたというのも、大きな失点である。
まぁ、旦那を危険に晒したくないというのもまた、愛なのだろう。
「説教をした時にやむなく、仕方なく少々の強硬手段に及んだわけなんだけど……旦那やニーナさんへの怨念で変身すると、相当強化されるんだよね」
「なぜじゃ?」
「主に旦那がモテたからだろうねぇ。そのせいか、ニーナさんは旦那の昔の女性関係ってやつが気になるみたいなんだよね」
「相変わらず無駄なことに心を砕いておるのぅ……」
「まぁ、気になるのは仕方ないんじゃない? アトラスの旦那絡みでニーナさんを恨んでいる女性って、結構たくさんいるし」
「結構たくさんか……あの筋肉馬鹿、わりとサイテーなのではないか?」
「僕からはなんとも言えないなぁ」
しかし、ザッハの言う『格好良くて一番私を大切にしてくれる優しい男性』は、大抵の場合バイキング形式で全部食い散らかしてから一番を選んでいるような気がする。
要するに恋愛経験豊富ってことなのだが経験値にされた方はたまったもんじゃない。
まぁ……僕からはなにも言わない。
言うことがあるとしたら、今ここにいない旦那の許可を得てからになる。
そういうわけで、そこそこ口の堅い僕の口をなんとか割らせたいが、実力行使では不可能になってしまったのでこうやって物影から隙をうかがうニーナさんなのだった。
「大丈夫よ、カイネくん。人数だけちょこっとお姉さんに教えてくれればいいから」
「アンタの場合は人数で推察して、片っ端から叩き潰すでしょうが。失恋の痛手を癒してる人もいるんだからやめて差し上げろ。旦那にバレたらえらいことになるし」
「くくく、この私がだーりんにバレるような愚を犯すと思ったら大間違いよ!」
「だから教えられないんだってば……あれ? そういえば旦那は?」
「あー……うん、ちょっと里帰りしてる」
「……あっ」
「疾ッ! 偽・太陽針!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!?」
僕はなにも言わずに沈黙を守っただけなのに、いきなり宝貝を投げてきやがった。
偽・太陽針……太陽針という宝貝の劣化コピーだとニーナさんは語る。本物も偽物も効果は変わらず、赤い瓢箪を投げつけると同時に閃光を放ち、四十八本の針が射出される。本物との差は速度。本物は光速で放たれるが、こちらは『高速』程度に留まる。
とはいえ、狙いは正確無比。防げなければ失明が確定するし、ニーナさんが使う針の方には劇薬が泣いて土下座するレベルの毒が塗られているので、むしろ凶悪性は増しているかもしれない。
左腕だけを変化させて怨念を一点集中。飛来する針を左手で受け止め、即座に治癒。
「いきなりなにするんですかっ!? ツッコミで宝貝を使うのはやめろって前にも言ったでしょうが! ダンジョンじゃ蘇生するけど命は一つしかないんですよっ!?」
「ラブラブだからねっ!? 別にだーりんが実家に帰っちゃったとか、離婚とか……そういうことじゃないから無意味に察するのはやめてくれないっ!?」
「嫁姑問題って大変だなぁと思っただけですよ!? ちょっと反応が気に食わなかったからって当たったら即死するものを投げないでください!」
「ごめんね? 話を戻すけど、孫の顔を見せろってあんまりにうるさくて、今日は用事があるってことにしてもらったの。ホント、姑の方がうるさいったらないわ!」
「当たったら即死するようなもの投げて『ごめんね?』で済ますんだもんなぁ……」
あと、正直に言えばお姑さんの気持ちも分からなくもない。
「ニーナさん、仙人なんですからもうちょっと心の広い所を見せてくださいよ……」
「んー……普段はもーちょっと上手く立ち回れるんだけどね……だーりんが生きてる間はたぶん無理。殺戒って知らない? って、知らないよねぇ……」
「ああ……なるほど。だからダンジョンに引きこもっているわけですね」
「知ってるんだ……」
殺戒。簡単に言えば『仙人が人をぶっ殺したくなる衝動』である。
仙人とは『超越者』の総称である。修行により欲を捨て、寿命を捨て、自然を受け入れて超常を得た方々のことを指す。
仙人の成り方は一つではない。僕のいた『ワールド』では体内に特殊な『仙人骨』があることが前提条件だったし、ニーナさんのいた『アビス』では英雄が不死を返上するレベルの苦行を強いられる。修行方法も各地によって違う。共通しているのは仙人に至るためにはとんでもなく長い時間と修行が必要だということだ。
長い時間修行する。長い時間我慢する。その弊害が『殺戒』だと僕は思う。
我慢していれば爆発する。コーラを飲めばげっぷが出るのと同じように、絶対確実で間違いなく……仙人は一定周期(千五百年くらい)で人を殺したくなる。
もちろん殺人は禁じられている。禁を破れば仙人にはなれない。
僕が知っているのは殷の時代。殷の終焉から周の起こりに発生した、後に『封神演義』と呼ばれることになる戦いのこと。
そこで考えられたのが『擬似的に殺人を犯す方法』である。詳細は省くが、仙道になり損なった方々やら優秀な武将の『魂を封じる』ことによって解決していた。
ニーナさんにとっては、ダンジョンがその代替なのだろう。
「下等生物よ。さっかいってなんじゃ?」
「えっと……月イチくらいですっげぇゴテゴテしたラーメン食いたくなるじゃん? アレが毎日続く感じ」
「そうか……ニーナは大変じゃのぅ。ゴテゴテらーめんの誘惑に耐えてサラダとか桃ばっかり食っておるしな」
「カイネくん。オブラートに包み過ぎて訳分からなくなっちゃってるから」
ニーナさんはなぜか呆れ顔だった。ロリだけど、この辺は年上の女性っぽい。
「まぁ……表現としては的確っぽい? 昔は『アビス』でも絶対に逃れられない宿命みたいな位置づけだったけど、今はいい薬がたくさんあるし」
「我慢できなくもない程度のことを爆発させるほどの嫁姑戦争ってことですかね……」
「こればっかりはどうしようもないわ。女ってのは年齢問わず、自分の生活空間を守るために戦う生き物だからね。向こうにしてみれば、私は掠奪者みたいなもんだし。手塩にかけて育てた息子を、外から来た異物に持っていかれていい気分はしないでしょ?」
「………………」
やべぇ、否定できねぇ。
アトラスの旦那がいない時のニーナさんは、わりと現実主義なところがある。
相性は悪いが……なんだかんだで、第三階層の二人はお互いを必要としていて、好き合っている、理想のカップルなのだ。
だから……さっさと旦那に帰って来て欲しい。わりと切実に。こんなやさぐれ仙人の相手をするのは正直ごめんである。テンション高めの奥様の方が百倍ましだ。
そんなことを思っていると、不意に後ろから服の裾を引かれた。
「なぁ、下等生物よ」
「ん?」
「今ここでニーナと二人でお前を倒してしまうというのはありか?」
「ありだけど、やめた方がいいよ。『サブヒロイン戦鬼』は挑戦者の罪業の合算で強化されるから、ニーナさんと組むとさっきより強くなる」
「馬鹿め、かかったな! 宝貝持ちのニーナなら貴様を殺すことなど容易! 我がニーナを守りつつ貴様を殺せば万事解決じゃな!」
「ちょっ……ザッハちゃんっ!? いやいやいや、無理! 無理だから!」
「我には構うな! 奴を殺すことを考えよ!」
「……ノリノリだなぁ」
ニーナさんを抱えて距離を取るザッハの判断は、確かに正しい。
ただ、『サブヒロイン戦鬼』は一定以上の罪業を得ると自動蘇生がかかるし、ザッハとニーナさんのタッグだと数十回くらい倒さないと殺し切れないんだけども。
そういうわけで、勝負は五秒くらいで終わった。
二人とも、たんこぶを作って地面に突っ伏す羽目になった。
「ザッハちゃん……なんで私が殴られる羽目になったの?」
「このままでは、負けたままでは……このアホの嫁にされてしまうのじゃ……」
「だから『アビス』の一部地域のルールを採用するのはやめろって」
「我じゃ不満だとでも言うつもりか!」
「なんで逆ギレなんだよ……ご不満以前に、僕のこの力は借りものであって、僕自身はクソ雑魚なんだから、ザッハを嫁にもらう権利はないに決まってるだろ」
「アホか貴様。借りものでもなんでも勝った者が勝ちじゃろ」
「発想は本当に男らしいんだよなぁ……今の状況じゃ完全に墓穴なんだけどさ」
溜息を吐いて、ザッハに手を貸して立ち上がらせる。
本当に、無暗やたらに襲いかかって来るだろうと思っていたから黙っていたのだ。僕だって殺されるのは嫌だし、女の子をどつき倒すのも嫌だし、借り物の力で勝っても嬉しくもなんともないのも嫌だし、警戒されるのも嫌なのだ。
まぁ……それでも、ザッハみたいに真っ向から文句を言われた方が、いい。
ザッハに手を貸して彼女の体を起こし、髪の毛についた埃を、手で払った。
「ザッハの方が強いんだから、僕に挑む必要なんてねぇんだよ……ったく」
「我を二回も負かしておいてなにを言うか」
「借り物で勝っても嬉しくないんだって。……はいはい。白旗です。僕の負けです。今後はザッハになにをされようが、とりあえず『サブヒロイン戦鬼』は使わない」
「えー」
「新しいオモチャを取り上げられた子供みたいな顔はやめてくんないっ!?」
「我は最強の黒龍じゃぞ? 自分の過去程度、圧倒できて当然じゃろ」
「………………」
そんなセリフが出る時点で、既に圧倒している。
量じゃ負けているかもしれないけれど、質で圧倒的に勝っている。
借り物の力で、みんなで一斉に強い奴を棒で叩いても、上から目線に見せかけたドヤ顔で俺TUEEEEしたところで、そんなもん胸糞悪いだけの暴力でしかない。
はっきり言ってしまえば、その時その場でやり返さず、根に持った僕らが悪いのだ。
弱さこそが、邪悪なのだ。
強い者に挑み続ける意欲。強靭な体に折れない心。それは、僕が欲しくても得られなかった『強者の条件』で、一番欲しかったものでもある。
だからこそ、絶対に口には出さないけれど……僕はこの黒龍に憧れている。
「ふむ、良いことを思い付いた! 実はこの勝負は七回勝負だったのじゃ!」
「良いことじゃねぇよ! それ永遠に繰り返しになるじゃねぇか!」
「我が勝つまで続けるべきじゃろ」
「べきってなんだよ、べきって! 絶対に嫌だからな! なにが悲しくて好きな女の子を泣くまでどつかにゃならんのだ! 怨念は大喜びだけど僕は泣きてぇよ!」
「…………え」
ザッハの表情が、不意に凍る。
同時に背筋から汗がどっと噴き出る。今、勢いで……普段は絶対に言わないような、言っちゃいけないことを言った……ような。
好きな女の子とか、言っちゃったような……いや……恋愛的な意味じゃなくて、そういう意味もあったりなかったり友情とか距離感とか、ザッハは色々と心の微妙な位置にいるけど、普段なら絶対言わないのに、ついつい弾みで言ってしまった。
ザッハには嫌われているし、下等生物呼ばわりされているし、下僕扱いされているけど、僕はこの黒龍をわりと好いている。
そんなことを面と向かって言ってしまったのだ。
顔が真っ赤に染まる。やばい。言葉が出てこない。恥ずかしい。
完全に硬直していると、不意に腰を軽く叩かれた。
腰を叩いたのはニーナさんで、なんだかいたずらっ子っぽくニヤニヤと笑っていた。
「あらあら♪ カイネくんにしてはずいぶんと熱烈な告白じゃない?」
「……ち、違くて……えっと、その……」
「はいはい、分かってる分かってる。とりあえず、貸し一つね?」
ニヤニヤと笑いながら、僕の肩をポンと叩く。
その様子はまるで『手馴れている』ようで、頼りになるお姉さんみたいだった。
「ザッハちゃん。カイネくんはザッハちゃんが好きだから殴りたくないみたいよ?」
「む……い、いや……いきなりそんなこと言われても……我、困るし……」
「主君を仰いで好意を寄せてくれてるって、ザッハちゃんが主君として優れているってことでもあるよね?」
「あ……あぁ! そういう意味か! なんじゃびびらせおって! あはははは!」
ちょろい。ちょろいけどありがたい。心臓がリアルに痛いのだ。
笑顔も引きつっているし、愛想笑いができない。息を深く吸って深く吐く。こっそりとバレないように、一瞬でガタガタになった心の調子を取り戻す。
いつも通りでいい。パニクるな。冷静にはならなくてもいいけど、まずは呼吸だ。
「まったく……まったくじゃな、この下僕め! そういうことは、もっと普段から表に出していくがよい。いきなり言われたら誤解するじゃろうが!」
「まぁまぁ、ザッハちゃん。カイネくんの性格じゃそれは言えないよ。今のもポロッと口を滑らせちゃったみたいだしね?」
「まったく、困った下僕じゃな!」
「それはそうと、喉乾かない? 第三階層に甘い飲み物があるけど、飲む?」
「飲む飲む。ニーナの作るものは絶品じゃからな」
「カイネくんも……落ち着いたら来てね?」
ありがたい。本当にありがたい。さすがアトラスの旦那の嫁だ。性格は最悪だけど、立ち回りだけは本当に見事だ。
僕が大昔にやりたかったことを、平然とやってのけている。
ザッハとニーナさんの背中を見送り、姿が見えなくなったところで座り込む。
「……危なかった。今のは本当に……危なかった」
ようやく呼吸が整った。時間は少しかかったが、心臓の鼓動も元に戻った。
大きく息を吸い、吐き。そのまま第四階層の床に寝転がる。ドラゴンの巣というか宝石が山と積まれただけの廃墟なので寝心地は最悪だが、今は最悪くらいがありがたい。
『お前はそれを表に出してはいけない』
『お前はそれを人に見せてはいけない』
『お前はそれ以外全てを人に見せなくてはいけない』
『お前はそれを見せずに人に好かれる術を身につけなくてはいけない』
『お前は商品だ。お前以外の誰かに愛され、誰かを養うために作られた』
『お前は誰かのために生きて死ね。それを出さずに商品として消耗されて死ね』
『お前は……そのために作られた』
目を閉じて開く。呼吸は整った。心臓ももう暴れない。
下らない過去を思い出せば、心は少し落ち着いた。
落ち着いただけだ。震えは止まらないし、心の叫びも止まらない。恥ずかしさを過去の苦しさを思い出すことで、一時的に上塗りしただけ。夜寝る前あたりに思い出して、恥ずかしさで悶え苦しむことになるだろう。
それでもいい。今はそれで。今この関係が崩壊しないのなら、なんでもいい。
「……ニーナさんには、あとでお礼をしないとな」
貸しは借りたままに。それでもお礼だけはしておかなきゃいけない。
体を起こして、立ち上がる。口元を緩めて二人の後を追って第三階層に向かう。
「よし、行くぞ」
少しだけ覚悟を決めて、僕は歩き出した。
僕は、ザッハに憧れているし、好きだし可愛いと思う。
僕は、ニーナさんをすごいと思う。尊敬しているし旦那と仲良くして欲しい。
二つの本音を心の奥ですり握り潰し、僕は歩く。
認めて、諦めて、肩をすくめて……次からはもう少し上手くやれるように、願った。
願うだけだった。
●裏設定
・プロローグ終了。
そういうわけで、この後はいつも通り。
いつも通り、ファンタジーやコメディに見せかけて、主要人物には膝と心だけは折っていってもらう。
魂の望むまま、心の底から、本音だけは叫んでもらう。
強さに意味などない。勝利と敗北に意味などない。
魂の叫びにこそ、渇望から生まれた咆哮にこそ、意味もあれば納得もある。
やりたいことなどない。やらねばならぬこともほどんどない。
それでも、日常という戦争の中で見い出す『やらずにはおれぬこと』が、ある。
それでは、始めよう。
これは、格好付けを剥ぎ取った願望が互いに傷付け合うだけの。
酷く『みっともない』物語である。
見捨てられても、足掻け。その意志が続く限り。
うっかり間違って普段は絶対に言わない言葉をものの弾みで言っちゃって、顔真っ赤になる斜に構えた男の子とかに萌えます。
そういうわけで、続きは次回。しばらくはコメディ回になる予定ww




