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第9話:サブヒロイン戦鬼

・使用BGM

 艦隊これくしょん『MI作戦・ボス戦時BGM』

 Fate/Extra CCC『サクラメイキュウ』


※クッソ長くなったので、複数回に分けての閲覧を推奨します。

 知っています。分かっています。この上なく理解しています。

 あたし達は、思い通りにならなかったことを嘆くだけの、子供なのだと。





 藁葺火難。彼女の第一印象は『こまっしゃくれた年相応の小娘』である。

 主君だのなんだの言われていたので、どんな小娘かと思ったら、思った以上の小娘だった。いやまぁ僕も小僧と呼ばれてもおかしくない年齢なのだが。

 師匠は『邪悪』だと表現していたが、あれくらいは許容範囲だろう。少なくとも『シャンバラ』にいる王様の子供たちや『ワールド』の宿で時々見かける、妙に人懐っこい暗黒よりもさらに黒い少年よりはよっぽどいい。

「さて……どうすんべ」

 それはそれとして、第一階層の居住区でダンジョン全体を映している水晶を見る。

 第一階層はボス不在のまま突破されるに任せたが、既に第二階層は突破された。

 頼みの綱はニーナさんだけなのだが……まぁ、絶対に動いてはくれないだろう。あの人は旦那が絡まないと極端に動きが鈍くなる。期待はしないでおこう。

 師匠は恐らく負ける。三対一では分が悪過ぎる。

 あの人は一対一でこのダンジョンのフロアボス全員に優勢が取れるというだけで、決して最強ではない。師匠の速度に対応できる能力があれば、それだけで不利になってしまう一点特化型のボスなのだ。

 タイマンでは最強なので、三対一でなければ、どうとでもなるのだが。

「リチャードめ……さすがお股の緩い男は、女のことになると行動が早い」

 愚痴っても仕方がないのだが、愚痴りたくもなる。あの金髪としては願いを叶えるために手段など選んでいられないのだろうが、僕としては非常に困る。

 個人的に、リチャードを到達させたくない。

「で、なんで私が待機なのでしょうかね? ぶっ殺しますよ?」

「ホント、闘争になると生真面目だね……カンナさん」

 僕の隣で頬を膨らませているカンナさんは、見るからに不機嫌そうだった。

 が……その不機嫌さは、水晶を見ると同時に消えた。

「あなたは今の状況をどう思っているのですか?」

「どうって?」

「第五階層を突破される前提で話を進めていますが、三対一程度でアトラスとニーナが後れを取るとは思えませんし、ザッハが真正面から戦って負けるとも思えません」

「ところがどっこい、これが負ける。なぜなら相手が邪悪だからだ」

「邪悪って……キィも言っていましたが、あの女の子が邪悪なのですか?」

「邪悪だねぇ。とても邪悪だ。だから負ける。怪物は邪悪には勝てないし、勇者や英雄も邪悪には勝てない。邪悪に勝てるのは正義の味方ともう一つくらいだ。これは『ルール』に近い。じゃんけんのぐーちょきぱーみたいなもんさ」

「意味が分からない言葉でお茶を濁すのはやめなさい」

「意味はすぐに分かる……っていうかさ、そもそも最初から疑問に思っていたんだけど、どうして『ダンジョン』を突破するのにボスと戦う必要があるのさ?」

「…………え」

「今までこのダンジョンを突破した人はいる。彼らはどうやって望みを叶えたのさ? 最奥の扉を開いたんだろう? それならば……このダンジョンの攻略法は『師匠を倒して鍵を手に入れ、最奥の扉を開く』ってことになる。師匠以外のフロアボスと戦う必要はないんだよ」

 実に人間らしい発想だ。

 問題は、ブラウニーさんの管理するダンジョンの壁は尋常じゃない強度の上、要望によっては瞬間再生するということだ。それを破るのは容易ではない。

 しかし……どうだろう。考え方によっては、破るのは簡単だと思うのだ。

 ここのフロアボスどもは無頓着だが、恐らくニーナさんだけは気づいているだろうが、極めて単純な『正攻法』で破ることができる。

「まぁ、あとは簡単だ。ブラウニーさんのような適当な妖精を雇用して、第五階層までの抜け道を作ってもらうのが一番容易い。師匠に勝てる戦力さえ第五階層に持ち込むことができれば、それで十分なんだから」

「邪道過ぎます!」

「邪道は通される方が悪い。実際、迷宮化した第一階層に関しては普通に通過している。これは僕が第一階層を任せている二人のブラウニーさんの障壁を突破できなかったからだ。同じように第五階層も無理だろうね。師匠の階層は居心地が良い。……でも、他の階層は突破されるだろう。なぜなら、僕と師匠とカンナさん以外のフロアボスは、ブラウニーさん達の仕事にあまり関心がないからだ。人は共感こそを原動力とする。『君らの仕事のことはよく知らんが、金は払うからこういうことをやってくれ』では、お金を払ったぶんしか働いてくれねェのさ。本当のサービスってのは『仕事の苦労に対する共感』でしか買えないんだよ」

 苦労を分かち合えるから、あの人のためにならやってやろうという気になる。

 しかし、ブラウニーさん達の仕事は完璧だ。与えられた対価でこれ以上ない仕事をしているだけで、なんの罪もない。悪いのはむしろフロアボスの連中だろう。

 自分が普段どういうものに支えられているか、そういうことを意識していないから貯まったツケを支払うことになったのだろう。それは僕にも同じことが言える。

 管理人として、少しばかり怠け過ぎた。

 もっとも……僕個人としては、わざと手抜きをしている部分でもある。

「ところで……事前に分かっていたのなら、対策できたんじゃないですか?」

「対策はしてるよ。このまま第五階層を突破させて、門前で皆殺しにする。邪道を通す奴には『目的達成直前でなにもかも台無しにする』のが一番効果があるから」

「……誰が、それをするんですか?」

「僕がやる」

 怠け過ぎたツケは、今ここで支払おう。

 もっとも……ツケを支払うのは、僕ではなく邪悪な中学二年生だけど。

 カンナさんは、僕を睨みつけた。

「あなたにできるんですか?」

「できる。やらなきゃいけない。僕の意志だ。僕は僕のために、僕の趣味で彼女の願いを踏み潰す」

「どうやって? あなたにはなんの力もない。あなたはただの人間です」

「………………」

 なんとなく、微笑んだ。思わず口元が緩んだのは、嬉しかったからだろう。

 ただの人間と呼ばれて嬉しかった。

 僕は『ただの人間』で在りたかった。

 フロアボスに選ばれるような存在が『ただの』で済むはずがない。師匠は謙遜するけれど、あの人の『見る目』は本当に優れている。

 カンナさんを見つめて、僕は頬笑みを苦笑に変えた。

「さっきの話だけどね……邪悪を滅ぼすもう一つの勢力は『因果応報』なんだよ。独りで身勝手に好き勝手やった結果、誰も彼にも疎まれて滅ぼされる……まぁ、普通だよね」

「いきなりなんの話ですか? あなたの話はいつも唐突で……」

『あたしは、本来届かないはずの因果応報を体現するために作られた』

「…………え」

 呆然としたカンナさんの横を通り過ぎて、敵の元に向かう。

 カンナさんがなにを見たのかは分からない。今の僕がどんな姿なのかも知らない。

 一つだけ言えるのは、それ相応の『化け物』になっているということだけ。


『それじゃあ、行ってきます。買い物だけ済ませておいてくれると嬉しいな♪』


 ゆっくりと歩き出す。

 師匠が負けるまでに、少しだけ時間がある。その時間でアイスでも食べておこう。



 ああ、これは負けるなと久しぶりに思った。

 私の速度を封じるために、足元に走る雷撃結界。

 速度を限界まで高め、私に追随できる勇者二人。

 そして……なにより二人を無尽蔵に強化回復する、あの小娘が厄介極まりない。

「ふはははは! いける、いけるぞ! カナン、君の能力は素晴らしい!」

「きゃーん♪ リチャード様に褒めていただけるなんて、カナン嬉しい♪」

「……今日のご飯はなにかなぁ」

 いやまぁ相性はともかくこのパーティ、人間関係は最悪なのだが。

 女性の中には『可愛い女の子』を演じられる女というのがいる。この少女もそのタイプのようで、リチャードという金髪の勇者はあっさり騙されているようだった。

 臆病者の駄目男で、褒められると豚のように木に登り、木の上から熟していない柿の実を容赦なくぶん投げてくる男とは、弟子の言葉だが……まぁ、分からなくもない。

 一方、アリアというツンツン頭の勇者は、よく分からない。

 アトラスが直々に鍛えているというだけあって、実に勇者らしい、凄まじい実力を秘めているように見えるのだが……なんというか、イマイチやる気が見えない。

 アホ男とぶりっ子に囲まれて辟易しているのか、他に理由があるのか……気持ちは分からないでもないが、狙うなら彼女だろう。

「負けるにしても一人くらいは殺しておかないとな……」

 第五階層なので、本来なら私の後はない。ないはずなのだが……あの弟子はそんなもん知ったこっちゃねぇとばかりに、門の目の前で彼女達の邪魔をしにかかるだろう。

 それならば、師匠らしく手の内の一つや二つは暴いておかなければならない。

 特に……あの、藁葺火難と呼ばれた女の能力が、よく分からない。勇者二人を強化し傷を治療する能力だとは思うのだが、彼女から能力を使用する際の『なにか』を感じることができない。

『シャンバラ』でいう魔法を使えば魔力の流動が普通の人間にも分かるし、固有能力であってもそれ相応の暗示やモーションがある。

 しかし、火難にはそれがない。勇者二人の後ろで馬鹿っぽい媚びた少女を演じているだけだ。

 なにかを隠しているが、なにを隠しているかが分からない。

「まぁ……仕方ない」

 ここに至って足を止める。雷撃に焼かれた足の裏はズタズタだが、まだ『武器』としては運用ができるだろう。息を吸い、息を吐く。

「獲ったぞ、ダンジョンマスター!」

 その一呼吸の隙を突くように、リチャードが雷を纏った十字槍を繰り出す。


「まったく……あの弟子は本当に用意周到だな」


 その槍を『片手』で払いのけ、槍の間合いの内側に入る。

「なっ!?」

「リチャードくん、危ないっ!」

 放った『拳』は残念ながら、アリアが咄嗟に展開した魔法の盾によって阻まれた。

 さすが勇者だ。この盾の防御力だと、少しだけ届かない。

「ぐっ……がはっ!」

 魔法の盾を貫通し、リチャードの鎧に到達した拳だったが、残念ながら体を傷付けるには至らなかった。吹き飛ばし壁に叩きつけ、地面に転がした程度である。

 地面を這う雷撃結界高位魔法でさらに工夫が施されているようで、リチャードが味方と認識する者には作用しない。

 本当に残念だ。盾がなければ今の一撃で殺せたし、移動も楽になった。

 ダメージを負ったリチャードを横目に見つつ、アリアは口を開いた。

「キィさん、今のは……」

「おおむね弟子のおかげだな。対雷対魔法属性の両腕もそうだが……『ワールド』の武術を前々から覚えさせられた。……なんのためかと常々思っていたがな」

 いざという時のためだった。

 本来ならザッハやカンナに届かないはずの私が、機動力しか頼めるものがない私が、人間のカタチをしていない私の切り札が……人間らしい、小細工だった。

「では……行くぞ!」

「っ!?」

 一歩で五メートル開いていた間合いをゼロにし、アリアに肉薄する。

 アリアの胸に拳を添え、地面を蹴ると同時に全身の力を拳面に集約して叩きつける。

 ただの直突きではあるが、脚力しか頼みにできない私の全霊を込めた一撃である。普通の人間なら即死どころでは済まない。体に穴が開く。

 その一撃を、アリアはぎりぎりでかわした。

 化け物相手では体感できないはずのゼロ距離での一撃をかわされるとは思っていなかったが、相手は勇者だ。そういうこともあるだろう。

 しかし、二打目を放とうとして、体中に痛みが走った。

 体に雷撃の鞭が巻きついている。この手の魔法を使うのは金髪の男ことリチャードの十八番だが、魔法を使った気配があればさすがの私も察知できる。

「ぐっ……」

 振り返って、違和感を覚える。確かにリチャードは立ち上がってこちらに向かって魔法を放っているのだが、なんだか……ぐったりとしていた。

 体だけが自動的に動いて、魔法を使った様に見える。

 アリアの方に視線を戻すと、彼女は困惑したような表情を浮かべていた。

「なんで……あんなの避けられるはずないのに……」

 避けられるはずがない。

 つまり、そういうことだ。アリアは今の一撃を避けられなかったし、リチャードは魔法を放つことはできない。それができるということは……やはり、そういうことだ。

 私は息を吐いた。

「お前の勝ちだ、藁葺火難」

「あら? 勝ったのは勇者様達ですよ?」

「そこで『勝利』を否定しないあたり、お前はやっぱり邪悪だよ。……願い事に制限はない。一人につき一つ。私を最奥の扉に差し込んで、願い事と共に開けばいい」

「はいはい、そういうルールだったわね。改めて言われなくても知ってるわよ」

「ああ。そうそう……一つ、謝っておこう。負かせなくてすまなかった。私の力不足だった。次は恐らくないと思うが、今回のことは反省して次に生かしておくよ」

「は? なにそれ、負け惜しみ?」

「正しく、負け惜しみだな。ああ……本当に悪いことをした。私は、お前が一生モノになるであろう傷を負う事態を防ぐことはできなかった」

 体以上に心が痛む。私は負け惜しんでいる。

 だってそうだろう。彼女は邪悪だがその願いは間違いなく純粋無垢で――――しかし、その願いは絶対に届かない。幾億の犠牲を払おうとも、絶対に叶わない。

 ここで負かせてやれば、傷は少なくて済んだかもしれないのに。立ち上がる力を残したまま、自分の願いを諦めることができたかもしれないのに。

 弟子と出会わなくて済んだかもしれないのに。

 まぁ……『のに』を言い出すと愚痴になる。たらればを言い出したらきりがない。

 今回は、私のせいだと割り切っておこう。


「ああ……それでも、もがき、足掻き、傷付き、折れ、そして立ち上がれ」


 弟子曰くの『防御力が紙』である私の体を、雷撃が打ち抜く。

 こうして、今回の挑戦は成功し、私は負け、ダンジョンは突破された。



 少女の能力の名を『魂削する黒き命令(ブラック・ブラック・オーダー)』という。

 効果は単純。一言で言えば他人になんでも言うことを聞かせられる能力である。

 しかし、少女はその力を極端に嫌った。なぜかなど分からないが嫌悪した。自分の意志で思い通りになる力を持ちながら、その能力そのものを心底憎んだ。

『誰かに自分の気持ちを汲んで欲しい……君は本質的にそんなことを思っている。だからこそ、その『法』を選んだんだよ。無意識ではあるが、自分の意志でね』

 少女と対になる能力を持つ、歳の離れた従兄はそんな風に言った。

(そんなことはない! 私はそんなことは思っていない!)

 それは弱さだと断じた。少女は『弱い』ことをとことん嫌悪した。

 少女と二人の勇者は、キィ・No2が変化した鍵を手に、最後の扉に向かうための階段を下りていた。

 いや……正確には少女一人だけだ。勇者はもう不要なので意識は奪ってある。

 なんでも言うことを聞かせられる能力。自分が嫌悪した能力を、少女はなりふり構わずに使っていた。

 下らない願いだった。自分でも浅ましい願望だと思っていた。

 しかし……思ってしまったのだ。


 冷たくなった体に触れ、魂の抜け殻だと知り、少女は悔恨を残した。


 なぜ? どうして? もっと、もっとなにかできたはず、なのに。

 置いて行かれるのは当然だった。当たり前のことが当たり前のように訪れただけ。死の別離など珍しいことでもなんでもない。心の整理など既に済ませている。

 そう思い込んでいたのは自分だけで……結局、その時が訪れるまで、少女は『心の準備』などまるでできていないことに、さっぱり気付けなかった。

 火葬し、骨になり、土がかけられ、遺品の整理をするまで、分からなかった。

 それでも、少女はその想いを弱さだと断じた。軟弱だと、惰弱だと、脆弱だと、そう決め付けていつもの生活に戻った。

 誰かがいなくなっても日々は同じで、何も変わらなかった。

 一年が経って、願い事が叶うダンジョンの噂を聞いた。

 一年が経ったのだから、願いは別に叶っても叶わなくても良かった。しかし、友達が二人も敗走して、少しだけ興味が出てきた。

 そんなダンジョンは私が攻略してやろう。ふざけた裏技で嘲笑ってやろうと思った。

 真面目にやっている馬鹿を、真正面から不意打って笑ってやろうと思っていた。

 それなのに……少女は今、こうして必死になっている。

 見るからに善良そうな、勇者二人を騙して。内心では負けるかもしれないと手に汗握って。いつもなら負けようがどうしようが肩をすくめて誤魔化せるのに、さっきまでの自分は……絶対に負けたくないと、もう一度だけでもいいから会いたいと思っていた。

「……ッ……馬鹿、みたい」

 弱い自分が嫌で、強くなるための努力を欠かさずにしてきたのに、まだ弱い。

 それでも……自己嫌悪しながらも、この願いだけはどうしても叶えたくて……。

「そうだね、その願いは本当に切実だ。それでも諦めろ」

 階段を降りた先。ここが最終地点といわんばかりの清浄な雰囲気の大部屋。壁面と地面には精緻な細工の施されたクリスタルがあしらわれ、奥にある瑠璃色の門まで赤いカーペットが続いている。

 その門前に『それ』はいた。

 見た目は普通だった。友達二人を敗退させたとは思えないほどに凡庸で、なんの見栄えもなく、なんの脅威も感じない。その精神の異常性すらも少女にとっては『普通』としか思えなかった。

 人は自分のために生きる。そのために他者を排除する。

 弱肉強食は今もなお生き続けている。殺すことは少なくなったかもしれないが、決してなくなったわけでもない。いつの世も弱い者は搾取され、強い者が肥え太る。

「その通りだ。だからお前も諦めろ。願いは叶わない。祈りは届かない。お前の願いがどんなに切なるものであっても、尊いものだったとしても、その願いは届かない」

「……ふん。私の願いなんてどうでもいいでしょう? それより、私達はダンジョンマスターを倒した。これ以上の戦闘は無意味だし、私達には願いを叶える権利がある」

『え? なにそれ? そんなの関係あるわけじゃないじゃない? そもそも、そういうことは自分がルールを守ってから言ってくれない? 馬鹿じゃないの?』

 鈴の音のような声。男から発せられたとは思えない、綺麗でおぞましく背筋が凍る、害意を濃縮したような真っ黒な言葉。

『あたしは今ここで、このタイミングで、あなたの願い事を踏み潰すために来たのよ。だって……そうしないと辻褄が合わない。割に合わない。ツケを払わずに逃げ切ろうだなんて、そんなの絶対に許さない』

 どこかで聞いた言葉だった。いつだって聞いてきた言葉だった。

 それを弱さだと一蹴した。それは唾棄すべきものだと笑い飛ばしてきた。だって弱いのが悪い。屈するのが悪い。諦めるのが悪い。私の敵になったのが悪い。


『いいや、お前が全部悪い』


 少女のことを全否定した瞬間、光と共に彼は消えて『それ』が生まれた。

 階段を降りた先。門の前に『彼女』はいた。

 身に付けているのは、少女と全く同じだがくたびれていないブレザータイプの制服。

 黒髪で髪型はポニーテール。犬のような耳と尻尾。身長は少女と同じくらいで、百六十センチ程度だろう。腰には時代劇で少女が敵討に使いそうな短刀が差してある。

 目を凝らせば美少女に見えないこともない『なにか』が、願望を叶える扉の前で少女を待ち受けていた。

『自己紹介をしましょう』

 笑う。嘲笑う。お前を否定するためにここで待ち受けていたのだと言わんばかりに、彼女は目を見開き、泣きそうな顔で、口元を歪めて笑った。


『あたしはこのダンジョンの最後のボス。ガラクタ同然の合い鍵が見い出した化け物。このダンジョンの最後の守り手にして人生の総決算』


『過去より出でて足を引く者。対英雄・対ハーレム系主人公用決戦生物。見捨てられた者たちの総意。怨身演算加速システム』


『人呼んで、サブヒロイン戦鬼……魅知国(みちのく)悔根(かいね)


 大仰に、馬鹿らしく、しかし背筋が凍えるような怨念を込めて、彼女は名乗る。

 そして、まるで子供のように無邪気に笑った。



 藁葺火難。邪悪で強い彼女。弱さを認めたくない……そういう中二病。

 しかし、彼女の言葉を借りるなら『強いのが悪い』と、あたしは思う。強いだけじゃ駄目だし、優しいだけでも駄目だし、厳しいだけでも駄目なのだ。

 バランスを欠いているから、こうして足をすくわれる。弱者に譲る部分などないと驕っているから、こんなことになったのである。はっきり言えばアホだ。

 強いんだから、弱い奴に少しは譲れ。あたしの中の総意がそんな風に叫んでいる。

 あたしの名前は魅知国悔根。みちのくかいね。因果応報を体現する化け物。

 簡単に言えば、山姥という妖怪から派生した真正化生になる。ベースは人間で生活も人間なのだが、こうやって『恨み』を晴らす時には変身ヒロインよろしく、女の姿に化けることになるので、本性は『陸奥買値』という男性だ。

 原作版の天王星セーラー服美少女戦士だと思えばいいだろう。変身する時は女で元に戻ると男。いや、あそこまで耽美じゃないのだが、機能としては同じだろう。

「行きなさい、アリアさん! リチャード!」

『おいおい、女の子。男への見栄は最後まで貫いてなんぼだゾ? いきなり呼び捨てで敵にけしかけるのはどうなのサ?』

 猫を被るなら死ぬ時まで被れ。中途半端にするから、恨みが貯まる。可愛い女の子を装うのは自由だけど、疲れるなら最初からやらなければいい。『可愛い女の子』なんてモノは、無理がない自然体で容姿に優れた女がやらないと意味がないのだ。

 そもそも……子供の頃のようにいつでもちやほやされようだなんて、そんな無茶がまかり通るわけがない。

 だって、ほとんどの女は可愛くない。

 女の内面など魔女の鍋の底が可愛く思えるくらいに、浅ましく醜いものなのだ。

 あたしの本性はそんな風に『浅ましく醜い女性』こそ可愛らしく思うのだけれど、あたしの本性の趣味は悪いとよく言われてしまうので、これは除外してもいいだろう。

『処世術なのは分かるけどね。お父さんをメロメロにしていた子供の頃よりはずっと劣化しているんだから、そろそろ地に足を付けなさいよ』

 まぁ、これは戯言でしかない。あたしは彼女を全否定したいだけで、他のことは比較的どうでもいい。

 勇者二人がやって来る。意識がないのは好都合だ。この状態になったあたしへの対策などないが、わざわざ見せたくもない。

 あたしではなく僕も男の子だ。魔法少女とは似て非なるアホな変身後を見せたくはないのである。本音を言えば、カンナさんを始めとしてフロアボスにすら隠蔽したい。

 意識もない操り人形状態だし、今回は早々にご退場願おう。

『よっこい……しょ!』

 リチャードの十字槍をかわす。雷撃の余波で体が焼かれたけど、無視して顔面に拳を叩きつける。技巧などなにもない。ただ威力だけで頭がなくなった。

 アリアちゃんには諸事情で少しだけ手心を加える。手に握った針……恨みを棒針状に物質化した『怨針』を胸に無造作に突き刺して心臓にまで到達させた。心臓を潰した程度じゃ人間は即死しないけど、高密度の怨念は毒となって全身に回る。つまり即死する。

 これでおしまい。火難ちゃんが『命を圧縮しろ』と命令しようが死んでしまえばそれもできない。強化能力も治癒能力も命の前借りによって成し得ているが、今死んでしまえばそんなことは一切関係ないのだ。

 二人の亡骸を踏み越えて、あたしは前に進む。

『はい、そういうことで残るは火難ちゃんだけよ』

「知人をこんなに容易く殺せるとか……アンタ、本当に化け物なのね」

『あたしが化け物なら、アンタ達は馬鹿者よ。揃いも揃って妬まれ恨まれ蔑まれ、そういうことを見て見ぬふりをしてきたから、こうなった』

 少しだけ、ネタをバラしてやろう。

 もうどうにもならない過去に追いつかれた敗残者に、現実を見てもらおう。

『あたしの力は、ダンジョン挑戦者の『罪業』に比例する。なにが罪かどうかはあなたたちが迷惑をかけた周囲の人が決めている。詳細は省くけど……結果だけ言えば、今のあたしは全世界で一番強い』

 にっこりと笑って、挑発するように手招きをする。

『んじゃ、気の済むまでかかってらっしゃい。どうせ無駄だけどね』

「弱者らしい言葉だわ。……反吐が出る!」

 そう言って、火難ちゃんは真っ直ぐにあたしに飛びかかってきた。

 勇者二人を瞬殺したあたしに対して、無防備に向かってくる……恐らく、なにか策があるのだろう。

 例えば、二人がやられる直前で能力を奪って自分自身に上乗せした上で、あたしの能力を封じるとか。

 火難ちゃんの能力は『ルールの上書き』に近い。世界に存在する規則を一時的に上書きする能力者は、確かにいる。神の如き力。奇跡の力。魔の法。色々な言葉で呼ばれてはいるが……火難ちゃんははとんだ勘違いをしている。

 あたしに『ルール』なんてもんが通用するわけねーだろ。

 不意に、脈絡なく火難ちゃんが加速する。それにあえて対応はしない。

 火難ちゃんの手があたしの顔に触れると同時に、腕をへし折った。

「ぐっうぅ……ッ!」

 フェイントを入れようが緩急を付けようが、攻撃に入る前にぶっ壊してしまえばどうということはない。言葉にすれば簡単だし、今のあたしにはそれが実現できる。

 痛みに顔をしかめながら距離を取った火難ちゃん表情は、驚愕に満ちていた。

「どうして……私の能力が効かなかったことなんて、今までに一度もないのに……」

『それって、能力がないとなんにもできませんって告白したようなもんよねェ』

「ッ!?」

『自分の長所と思っていたモノが全く通用しない相手にブチ当たって手も足も出ずに負ける。普通の人ならとっくに経験していることなんだけど?』

 さて、ここからが本題。あたしの戦いはここから始まる。

 腕づくではなく、納得によって、彼女の繊細な心を容赦勘弁なく粉砕する。

『最強格好良いヒーローの私は、悲惨な過去に負けず、悪い敵を倒しちゃう♪ 別にそーゆーのが悪いとは言わない。でも……あなたは最強でも格好良くない。そもそも悪い敵なんてどこにもいない。あなたはあたしの友達二人を操り人形にして、私にけしかけて殺させた。だからお前が悪い。一から十まで、お前だけが悪い』

「そ……そんなの、殺したのはあんたでしょうっ!?」

『いいや、お前が悪い。あなたがやっつけた敵は、今も自分の部屋を出られない』

「……え?」

『小学校時代、弱者が許せないあなたはクラスで一番気に食わない女の子を敵と決め付けて、徹底的に阻害した。成長を妨げられた彼女は今も自分の部屋を出られない。自分の部屋から出たら立ち上がれなくなるほどのダメージを受けてしまうと、君との経験によって学んでまともなコミュニケーションが取れなくなった。彼女は今でも君を殺したい。君が死んだらいいのにと心の底から願っている』

「な……なんのこと? 一体何を言っているの?」

『スポーツクラブに少しだけどんくさい子がいた。弱者が許せないあなたはその子を足手まといだと決め付けて、徹底的にクラブから追い出そうと画策した。クラブから追い出された彼女は全ての運動を毛嫌いするようになった。彼女は今でも君を殺したい。君が死んでくれたらいいのにと心の底から願っている』

「だから、一体なにを言っているのよっ!?」

『恨みっていうのはね、時間が経つと減衰するものなのよ。恨みを持ち続けるのは、本当は難しいの。恨み続けるのは苦しいし辛い。だからどこかで気持ちの落とし所を見つけるの。そうしないと苦しいままだから。苦しいのは誰だって嫌だから』

 あの時は仕方がなかったという……言い訳。

 でも、言い訳こそが大事なのだ。諦めて妥協して言い訳して反省して……苦しいままじゃ嫌だから、弱くてもいいから気持ちの落とし所を見つけて、過去の自分を反省して気持を切り替えて生きて行く。

 この子は……藁葺火難という弱い女の子は、立ち上がる気力すら叩いて潰した。


『だから、お前が悪い。今なお恨まれ続けるお前が悪い』


 藁葺火難という少女は、結果として三人の人生を台無しにした。

 台無しにされた三人は『悪かった』のかもしれない。悪だったから、火難の前に立ち塞がってしまったのかもしれない。けれど、そんなことは関係ない。

 恨みは時間で減衰する……それはつまり、失った時間は取り戻せないということだ。

『お前が悪い。お前は《弱さを許さない》という自己満足を他人に押し付けた。強いくせに弱い奴に合わせることを嫌がった。本当にお前は独りよがりで身勝手で、我がままで口うるさいだけの小娘だ。だからお前の願いは叶わない』

「ッ……だからなによ? 弱い奴が粋がって、身の程知らずに私の前に立ち塞がったから倒した! それの何が悪いのよ!?」

『悪いからこうして因果が回ってきた。あなたがやっつけた敵の親や友達は、みんなあなたのことを恨んでいる。死んだらいいと思っている。だから、私が今こうして踏みにじりにやってきたのよ? 今ここで、最悪のタイミングで、虫を殺すように踏みに来た』

「…………ッ」

『それで、踏みにじられてどんな気分? あたし達もそんな気分だったわ』

 何回でも繰り返す。分かるまで何百回でも何億回でも繰り返す。

『お前が悪い』を繰り返す。

 目の前の少女が勝ち誇った時と同じように、あたしは醜悪な笑顔を浮かべる。

「じゃあ、選ぼうか? 諦めるか続けるか」

「…………っ」

「でも、絶対に無理だよ。今のあたしは世界で一番強い。あなたの能力はなんにも効かないし、誰を連れて来ても絶対に無駄。あなたの願いはもう叶わない」

「……うぅ……」

「ああ、でもね……一つだけ、あなたが私に勝てる可能性があるの」

 くすくすと笑う。まるで少女のように。

 いたずらを楽しむ女の子のように、あたしは藁葺火難という女の子を否定した。


「善良」


 あたしは、怨念を効率良く運用するためのシステム。因果応報の体現者。

 だから、あたしから燃料(おんねん)を奪ってしまえばいい。

 悔い改めて、人間関係が円滑になるような立ち振る舞い方を覚えて、人に頭を下げるという弱さを肯定して、普通に成り下がってしまえばいい。

 それを何年も積み重ねるだけで、慎ましい人になるだけで、あたしは倒せてしまう。

『あなたは見たことがあるでしょう? 弱くて小さくて儚くて可愛いだけの女の子が、なんの取り柄もない弱者が、あなたの初恋の男の子と手を繋いでいたのを』

「…………やめろ」

『認めたくなくて、いじめちゃったのよね? 自分が選ばれるべきだと思っていたのに、自分の方が強いのに、選ばれなかったから……いじめちゃった』

「……やめろ」

『でも、本当は最初から分かっていたでしょ? その子にできて、あなたにできなかったことを……本当は最初から分かっていた』

「……やめて」

『自分は優しくない。人を受け止める柔らかさがない。弱さと唾棄して置いてきた。自分は他人が怖いだけの、告白すらできない、本当の弱虫だったんだって』

「やめてえええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 発狂する。狂乱する。女の子はなりふり構わず、能力も使わず、虚飾を全部捨てて、あたしに殴りかかってきた。

 強くもなんともないけれど、どうしても我慢できない衝動を、あたしに叩きつけた。

 かわす。当然だ。痛いのは嫌だし最後の一矢なんてものは、大抵届かない。

 拳を紙一重でかわすと同時に、短刀で火難ちゃんの胸を貫いた。

「…………あ」

『あたしが悪い。あたしは彼に告白すらできなかった。あたしは強くて正しくて、誰からも尊敬されるような人になりたかった。誰かに認めて欲しかった。お願いです、あたしはここにいるんです。認めてください。今ここにいるあたしを……本当は弱いあたしを、どうしても自分が弱いことを認められないあたしを、誰か、どうか、認めて下さい』

「………………」

『あたしは、こんな私が嫌いです。死んだらいいと思っています』

「………………」

『あたしは、あたしが悪かったと、ずっと思っていました』

 いじめられようがどうしようが、なんの取り柄もない優しい女の子は、火難ちゃんを歯牙にもかけなかった。今も友達として付き合ってくれて、恨み言など一つもない。

 台無しにしたのは三人。小学校の頃に二人。傷は深いけど少しずつ治っている二人。

 そして……傷だらけで血を流し続けている自分自身。

『だから言ったでしょ? お前が悪いって』

 短刀を捻って抜き、血を払って鞘に収める。

 因果は回る。くるくる回る。他人の恨みでも自分への憎しみでも回るのだ。

 息を吐いてその場を去る。

 後に残されたのは、誰かに恨まれ続け、因果を果たされた三つの屍だけだった。



 まぁ、蘇生するんだけどね。

 僕は基本的にも応用的にもチキン野郎なので、結果オーライを重視する。

 リチャードとアリアちゃんの意識が飛んでなかったら惨殺するような真似はしていないし、蘇生がなかったらそもそもダンジョンに居ついていない。

 で……ここからが事後処理。

 蘇生が行われた挑戦者三人についてだが、リチャードは第一階層の居住区に運び、師匠を含めた女性陣は第五階層の居住区に運んでおいた。

 フロアボスの連中は後で説教予定。

 僕とてダンジョン管理人である。怒るべき所は、怒らなければならない。

 そんなわけで、第一階層の居住区にある居間で布団から体を起こしたリチャードは、腑に落ちない表情で眉間に皺を寄せていた。

「なんだか凄まじく酷い目に遭った気がするんだが……いつの間にか敗退しているし」

「火難ちゃんが踏んだら爆発するトラップを踏んで、全滅したんだよ」

「またか! また貴様か! 第一階層にいないと思ったら! そもそも、第五階層のボスを突破した後で罠が発動するのはおかしいだろ!」

「そんなルールはダンジョンにないし、油断したお前が悪いし、その爆弾を設置したのは師匠であって僕じゃねぇ」

「そんな馬鹿な……」

 がっくりとうなだれるリチャードを見ていると少しだけ気の毒になったが、なにも言わずに心の中で舌を出しておくに留めた。

 さらっと嘘を吐いたが、心は全く痛まない。因果応報である。

 そもそも、戦鬼化した際にこの男への当たりがキツかったのは、リチャードの罪業(カルマ)値が三人の中で一番高かったからだ。

 まぁ、それはもう仕方がない。そういう生き方をしてきたのだから、仕方がない。

 僕は『お前が悪い』とは言わない。それは彼女達の総意ではあるけど、僕の言葉じゃない。

 僕だって三人を殺したのだから、たぶん……いつか誰かに殺されるだろう。

 業が深い僕は『それはもう仕方ない』としか言えない。

 僕らは弱い。因果や運命は打ち破れないし、運命の人とは出会えない。前世の因縁なんてない。強く賢く努力できる人の恩恵を、ブヒブヒ言いながら食い散らかし、数の暴力で仕事を片付けるくらいしか能がない。

 いつだって『今この場所』で、ブタ同然の配役での勝負を強いられる。


 そうなったらそうなったで、仕方ない。

 だって――誰もが、今この場を、死に物狂いで頑張って生きている。

 そんな中で、理想通りに強く優しく生きる方が、よっぽど難しい。


「そういえば、アリアはどうした?」

「第五階層に運んでおいたよ。ここよりはよっぽど居心地が良いし、リチャードと女の子を一緒にするわけにはいかないからね」

「カイネ、お前はなにか勘違いをしていないか? 良い女なら抱くのは当然だろ?」

「僕の国では、責任を取らずに女を捨てたり、産ませた子供を立派に育て上げない奴はクズの烙印を押されて未来永劫責められ続けるんだよ」

「なんだそれは。酷い国だな」

「お前の発言の方が五百倍くらい酷いんですが……ケルトの英雄か」

 女性が上だったり男が下だったり、文化や風習の違いはあるけど、多分こればっかりは共通認識のような気がする。

 まぁ、リチャードのことは、今はどうでもいい。蘇生したとはいえ頭を吹っ飛ばしたことで『彼女達』の溜飲もそこそこ下がっている。

「んじゃ、僕は第五階層で三人の様子見てくるから、大人しく寝てろよ」

「ふふん……この隙にお前の弱点を掴んでやる」

「いや、今のは忠告じゃなくて善意で言ったんだけど……下手な動きをするとブラウニーさんがお前を殺しにやって来るからね?」

「なんでお前のところの妖精はそんなに凶暴なんだっ!? 『シャンバラ』にも家事手伝いを生業とする妖精や精霊はいたが、みんな温厚だったぞ!」

「さぁ? 詮索する男は嫌われるっていうし、僕は二人が元気ならそれでいいし」

「上司ならちゃんと管理しろよぉっ!?」

 涙目で言われようが、彼女達のプライベートまで詮索はしない。過去は過去、今は今。彼女達はよく働いてくれているし、とても良い子だ。それでいいじゃないか。

 そんなことを思いつつ、僕はリチャードを部屋に残して歩き出す。

「まったく……タイミングの良いことで」

 ぶつぶつと不満を口に出しながら、靴を履き、玄関を開けて、外に出る。

 玄関の前で、彼女は……藁葺火難は僕を待っていた。

 むっつりとした不機嫌顔で、その眼差しには敵意しか見えない。そんなに睨まれても僕としては肩をすくめるしかないのだが、僕がなにか言う前に彼女は口を開いた。

「ふん……この前見た時と同じで、冴えない顔ね」

「そりゃ仕方ない。その冴えない顔が僕だ。アイドルみたいにゃいかねぇよ」

「私はあんたに負けた。でも、次は絶対に勝つ」

「そりゃ違う。君は僕じゃなく『君を恨む全て』に負けたんだ。僕は依代でしかなく、OSの入ったハードディスクでしかない。そして、次もない。君がこのダンジョンに挑もうとする限り『魅知国悔恨』は何度でも君の前に立ち塞がる」

「……負け犬のくせに」

「犬は負けたら屈服するけど、人は屈服しない。だから僕みたいなのが生まれた」

「そんなの知らない。私は諦めない」

「………………」

 息を吸って、息を吐く。

 さてさて、それじゃあここからが本当の勝負だ。腕づくなど前哨戦にしか過ぎない。

 力づくで納得できる心など、どこにもない。

 もうここに至ってはオブラートは通用しない。それならば……事実という名の刃で、言葉と心で、胸焼けするほど重いモノを腑に落としてやる。

 しまっておいた封筒を、ポケットから取り出して、彼女に渡した。

「なによ、これ?」

「最初に言っておく、火難ちゃん。君は凄まじい幸運の持ち主だ」

「は?」

「火難ちゃんを心配して、火難ちゃんの代わりに、願いを叶えようとしてくれた友達がいた。ダンジョンを見つけ出して、偶然ダンジョンに挑んでいた勇者が二人いた。そして、アレに挑むことができた。君の努力は、君が望む形では叶わなかったかもしれない。それでも、君が尽力し努力した結果を……僕はこうして伝えようと思う。妬みと嫉みで君の心をへし折るために、僕は手段を選ばず、なりふり構わず君を倒そうと思う」

「ふん……つまり、挑戦状ってこと? いいわ、受けて立ってやる」

「これは『遺言状』だ」

「…………え」

「わざわざ君のために、愚かな君を止めるためにやって来た彼女の別れの言葉だ。人間が聞くことすら許されない最後の言葉だ。心して読んで、受け止めろ」

「………………」

 火難ちゃんは、封筒を見た。

 僕を睨みつけていた時とは真逆の、不安そうな表情。怯えた子供のような顔。

 震える指で封を開き、今にも泣きそうな顔のまま、手紙を開いた。


『私の飼い主へ。あるじさまの娘へ。私の娘へ。

 私がいなくなった後、あなた様は幸せでしょうか? 寒くはないでしょうか?

 散歩はしていますか? 今は楽しいですか? そればかり気になります。

 あなたはいつも不貞腐れた顔をしていました。楽しい散歩の時も、ままならぬ我が身を悔やむように、いつも悔しそうな顔をしていました。

 私は今でもそれが心配です。優しいあなたはいつもなにかに心を痛めています。

 最近はいつも私を見て、とても辛そうな顔をしています。

 あなたは精一杯私に付き添ってくれました。散歩も食事も決して時間を違えたことはありませんでした。私に人と寄り添うルールを教えてくれたのもあなたです。あなたのお母様であるあるじ様はとても尊敬できる人で彼女から様々なことを学びましたが、生きる上で本当に大切なことは全てあなたから学んだように思います。

 だから……悔いる必要はないのです。私は満足です。ここまで生きてきたのです。

 本当はもっと生きていたい。死にたくない。またあなたと散歩に行きたい。寄り添っていたい。ずっとずっと一緒にいたい。

 それでも……もう、いいのです。私は満足したまま逝けるのです。

 あなたは、最後まで生活を切り詰めて、死の間際の私の願いを叶えてくれた。

 本当にありがとうございます。こんなに温かい気持ちのまま逝けるだなんて、過去生の中で一度もありませんでした。私は……本当に幸せ者です。

 あなたと出会えて良かった。

 あなたの人生が幸せでありますように。心を豊かに温かく、散歩を欠かさず楽しく愉快に、誰かと側に寄り添い合って生きていけることを、心より願っています。

 それでは、先に逝きます。

 あなたはなるべくゆっくりと、こちらに来てください。

 我が最愛の娘へ――――藁葺リリィ』


 それは、彼女の最後の言葉だった。

 誰もが本当は聞きたいけれど聞けない、言葉が通じないはずの誰かの言葉だった。

 火難ちゃんの手がわなわなと震えていた。歯がかちかちと鳴っていた。

「……うそ、よ。こんなの……」

「君に悩みがある時は散歩コースを変えられるのが不満だったみたいだけどね」

「っ!?」

「サブヒロイン戦鬼の真骨頂は『魂の完全同調』だ。僕は人間だから彼女の想いを十全に言葉にできていないかもしれないけど……それでも、嘘なんか吐かねぇよ」

 火難ちゃんを止めるために、逝ってしまったものに心を留めさせないために、彼女は僕と共に火難ちゃんを阻んで、少しばかりの心残りを残して、逝った。

 制服や髪型は火難ちゃんを恨んでいたクラスメイトのものだが……犬耳と尻尾は、まごうことなき彼女の想いの具現化だ。

 正確に言えば、サブヒロイン戦鬼は恨みを晴らすものじゃない。

『心残り』を晴らす真正化生なのだ。

 火難ちゃんの手は震えていた。がくりと膝をついて、目に涙を溜めて僕を見た。

「……どうすればいいの?」

「ん?」

「だって……私……わたし、あの子になにも返せてない! ずっと一緒にいたのに! 学校から帰って来た時には、もう……っ!」

「彼女にとってはそれだけで十分だったんだよ」

「……え」

「ずっと一緒にいてくれたから」

 悪くない人生だった。不出来だけど一生懸命な娘と出会えた。死ぬのは怖くて怖くて仕方がないけれど、痛くて痛くてたまらないけれど、この温かさがあれば耐えられる。

 ちゃんと生きて死ぬことができる。それ以上の幸福なんて、望むべくもない。

「心残りは君だけだった。それでも、君は辛苦を堪えてここまで辿り着いた。誰でもできることじゃない。君にしかできなかった。だから……彼女は満足して逝った。ダンジョンの願い事でも、逝ってしまった存在は蘇らない」

「…………そんな」

「残された僕らにできるのはね、彼女たちがいなくなって寂しくて悲しくて辛いっていう気持ちを……自分の気持ちを、受け止めてあげることだけなんだ」

「………………」

 寂しい。悲しい。辛い。

 もっと……あなたと一緒にいたかった。

 そう思っている自分がいる。泣いている自分がいることを、素直に受け止める。

 意地を張らず、素直に、真っ直ぐに、自分のことを受け止める。

 しゃがんで、膝をついてしまった火難ちゃんの手を握った。

「まぁ……僕が言うのもなんだけど、泣いてもいいと思うよ?」

「ばかじゃっ……ないの? 泣くわけないでしょ……そんなの、弱虫じゃん」

「おや、知らんのか? 女の子は泣いて感情を整理するんだぜ? アレは撤退に見えて実のところは、次の攻撃の準備をしているんだぞ?」

「……知らないもん……ぐすっ……わたしは、そんなんじゃないもん……」

「そうだね」

 酷い奴だけど、身内にはクッソ甘そうな顔してるもんね……とは、言わない。

 さすがに既にボロ泣きしている女の子を前にして、そんなことは言わない。

 なにも言わず、泣き続ける火難ちゃんの手を握っていた。



 不意に、頬を柔らかい感触が撫でた。

 まるで動物の尻尾のような、柔らかい感触だった。

「行くんですか?」

『はい。あなたもお元気で。本当に……お世話になりました』

「大したことはしてませんよ。……最期に、一つだけいいですか?」

『なんでしょう?』

「死ぬの、怖くないですか?」

『怖いですが、死にたくないですが……もう、未練はありません』

 彼女は目を細めて、泣きじゃくる娘を優しげな眼差しで見つめ、きっぱりと言った。


『行って来ますと言って、学校に向かうこの子の背中を。

 未来へ走っていく、私の娘の背中を。

 心の底から、本当に頼もしいと思いました。

 私の役目は終わったのだと――その時、悟ったのです』


 それは、遺言にも描けない、彼女だけの納得。

 己の生を全うした、一人の女の魂の回答だった。

「ありがとうございます。……それじゃあ、気を付けて……行ってらっしゃい」

『はい、逝ってきます。……またいつかどこかで、会いましょう』

 気配が消える。魂がどこかに逝った。どこかは、生きている僕には分からない。

 ゆっくりと息を吐き、息を吸う。優しい誰かの死をほんの少しだけ悼んだ。



 さて、それじゃあ生きている僕は困り続けよう。魂に問い続けよう。

 とりあえず今は……泣いている女の子の泣き止ませる方法を、考えよう。





●登場人物紹介&裏設定(らくがき)


・キィ・No2

 今回のやられ役。防御は紙。タイマンではほぼ最強。

 今回のようにパーティで挑み、キィさんの機動力を削げる能力があれば、わりと楽に勝ててしまうのだが……それをやってしまうと門前で詰む。

 サブヒロイン戦鬼は『パーティ全員の罪業の合計値』で強化されるためである。


・リチャードくんとアリアちゃん

 今回の噛ませ役。

 二人で挑むと詰む。そのことに二人が気づくのは、まだだいぶ後のことである。


・藁葺火難

 こまっしゃくれた、年相応の、邪悪な小娘。十四歳。

 小娘という表現に眉をしかめる方もいそうだが、この物語は百歳を越える連中がゾコゾコ出ている……というか、フロアボスはカイネとカンナとアトラスを除いて大体百年以上生きているのでこのように表現した。ご容赦いただきたい。

 能力は支配者そのもの。相手の魂を支配してなんでも引っ張り出す。命から鍛え上げた技術まで、なんでもである。能力のモデルはブラック企業の社長。自分のためなら他人の魂を食い荒らしても平気の平左でいる人間がモデルである。

 努力家で強者主義。強さを他人にも押し付けるので、実生活でわりとリアルに嫌われるタイプ。本当の自分は大層繊細なくせにね。

 愛犬家。アホみたいに可愛がっていた犬が亡くなったので、蘇生させに来た。

 実際のところは『犬なんて別にどうでもいいけど』みたいな態度のくせに、その度に泣きそうな表情を浮かべるので、彼女に心酔しているアホ二人が代わりに願いを果たしてやろうとして、第一階層で敗退した。

 彼女としては『友達の仇打ち』という理由ができたので、好都合だったのだが。

 まぁ……うん、ツンデレっぽいね。知ってた。

 結果としてはあのようになった。心を粉砕され、手紙を大事に抱え、家に帰った。

 カイネ曰くの『近年稀に見る幸運の持ち主』である。

 きちんとした願望があり、ダンジョンとまともに立ち会わない発想力を持ち、第五階層だけ的確に叩ける戦力を調達できて、門前で敗北できた。

 どれか一つでも欠けていれば、悲惨な結末になった……らしい。


魅知国悔根(みちのくかいね)

 ダンジョン管理人……ではない。

 今作のラスボスの外装。ヒロインに変身する。ダンジョンを突破した者の元に現れる最後の絶叫。心残りを晴らすために現れる真正化生。

 罪業(カルマ)値に応じて能力が上昇する。

 以下のチート能力(ランクS+相当。上書き不可。コピー不可)を有する。


①怨嗟の集積(カーズ・コレクション)

 力なき怨嗟を集積し『呪詛』の域まで昇華させる能力。ダンジョン突破者の罪業の合計値が魅知国悔根の全能力に加算される。

 本来なら届かない呪いの声がある。ただの愚痴であるはずの言葉がある。

 この能力は集めてはいけないものを集め、本人に倍以上にして返すものである。

 誰にだって過去がある。誰かを責めて生きている。生存が闘争から逃れられない以上、生存のための犠牲は避けて通れない。強く賢く柔軟な者が生き残る。

 サブヒロイン戦鬼は、そういった『セオリー』に唾を吐きかけるためのモノである。

 お前のやってきたことは、絶対に許さない。幸せになどさせてたまるものか。

 この異能は、理不尽の極み。醜さの極地。嫉妬というモノの成れの果てである。


②傷口抉り(サーチ&キック)

 ダンジョン突破者の自責を通じ過去を洗いざらい知る能力。

 要するに度の過ぎた共感能力なのだが。この能力は過去に負った傷、弱点、真名、恥ずかしい過去等々、なるべく人前に出したくない秘密からあまりに辛過ぎて無意識に認識を遮断している秘密すら容赦なく引きずり出し、勝手に読み取ってしまう。

 人は傷から目を逸らす。血が流れていても真っ直ぐに見るのが辛過ぎるから。

 引きずり出した情報は精神攻撃から直接攻撃まであらゆる攻撃手段に使われる。

 見ないようにしているものを直視させる、あらゆる意味で残酷な異能である。


③あなたのことが好きなのに(フラグ・スタッブ)

 敵対者へ恨みを持つ魂を取り込み、同調する。

 魂の完全同調により以下の能力を得ると同時に外見が変容する。

 一人:ステータス異常無効。

 二人:加速&自然治癒。

 三人:同調人数×2回の任意蘇生。

 四人:魅知国悔根の各ステータス値をステータス値×同調人数に上書き。

 効果は高いが相当な恨みを抱いている人物じゃないと同調はできない。

 例えば、フラグをへし折った女性とか。

 向こうが勝手に好いてふられただけなんだから、俺には関係ないじゃん?

 知らねぇよ、そんなの。こっちは傷付いたんだ。責任はきっちり取ってもらう。

 サブヒロイン戦鬼は片思いという理不尽の体現者であり、彼女持ちのハーレム系主人公は特に絶対許さない。

 なお、能力の適用順序は①→③とする。


④かませ犬の遠吠え(ヒーロー・マスト・ダイ)

 運命力の削除。主人公補正の撤廃。神々の加護の一時的な除外を行う異能。

 物事のターニングポイントで作用する世界の助力。その人物が生まれながらに持ち合わせる特性。お気に入りの英雄を支援する女神様等の『運命』に作用する能力の一切を一時的に使用不可能にする。効果範囲は魅知国悔根より半径100メートル程度。

 地味だが凶悪無比。祈りは届かず願いは叶わず、逆転の秘策は思い付かない。

 本来なら仕事を妨害された神様なんかに恨まれて然るべき能力なのだが魅知国悔根の出身は『ワールド』の日本国。神様のバーゲンセールでありどんな神様だろうが『八百万の一柱』で片づけられてしまう。

 現実は非情である。誰かの助力なく、己の力だけで、己の過去を消し潰してみせろ。


 彼女は『心残りの群体』であり『強者』と呼ばれる者たちの天敵である。

 踏み台にしてきた者が、一斉に牙を剥く。踏み台が高ければ高いほど……周囲の人間に疎まれるほど、恨みが深いほど、彼女の力は際限なく増大していく。

 なお、彼女がよく口にする『お前が悪い』は自分を虐げた相手に『悪かった』と認めて欲しい……そういう懇願の発露である。

 あたしたちも悪かった。それは認めよう。謝りましょうごめんなさい。

 じゃあ、今度はお前の番だ。誠心誠意真心を込めて、土下座しろ。

 モデルは今は終わってしまった某漫画の某キャラがよく口にする『僕は悪くない』……ではなく、その漫画で最後の直前に出て来た某外道の口にした『俺も我慢するんだからお前達も我慢しろ』が発想の発端。


・カイネ=ムツ

 ダンジョンの管理人。苦労性ではないが苦労性。

 この物語のラスボス。

 本名は『陸奥買値』という。読んで字のごとくお買い得。生まれた時から見捨てられ、貸出品として育てられ、四人の女性を看取った結果、真正化生に至った男。

 素直で、普通で、あるがままの男。

 やり直せない。続けるしかない。一発逆転はない。想いは捨てられ、願いは届かず、辛くても泣きながら足掻くしかない……そういうことを受け止めた人間。

 見捨てられることを是とした者。サブヒロイン戦鬼は実力行使をなんとかするための鎧に過ぎない。彼を言い負かさなければ、納得させなければ願いは叶わない。

 故に、だからこそラスボスである。

くぅ~疲。真面目な話は文字数がかさむのでにんともかんとも。

自分は犬や子供や病人を酷い目に遭わせるお涙頂戴と、異世界で成功するタイプの話が結構苦手なのですが、今回の挑戦者にはその二つの要素を備えていただきました。心折設計は描いてて楽しかったですww


この話までがプロローグみたいなもんで、次回はコメディっぽくなる予定。

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