第八話 ファミレスの真相
「ちょっとチクッてすると思うけど我慢してね」
そう言うと先生はピンセットと消毒の為の脱脂綿みたいなのを手に私の横に立った。今日はようやく抜糸をしてもらえることになってこれで大きな絆創膏ともお別れが出来る。今日まで色々なイラストを描いてもらっていたからお名残り惜しい気持ちもちょっとあるにはあるけど、やっぱり無い方が気分的にもすっきりで嬉しいかな。
そう言えば今日まで描いてもらったイラスト……何故かどれもこれも目つきの悪いお巡りさんの格好をした動物達なんだけど、芽衣ちゃんコレクションとして改めて描いてくれた子達のコメントと共に小冊子にする予定なんだとか。これが皆からの快気祝いってやつみたい。
「ところで松岡さん」
「なんでしょう?」
視線だけを上げると先生がチラリとカーテンの向こう側の壁に視線を向けた。
「さっきから気になっているんだけど、そこの壁際で僕のことを睨んでいるのは誰かな?」
「えーとですね」
「保護者です」
「……だそうです」
「なるほど」
カーテンの隙間から先生のことを睨んでいるらしいのは壁際に立っている真田さん。真田さんの名誉の為に言っておくと、別に先生のことを睨んでいる訳じゃないと思う。ノンちゃんが最初に描いた目つきの悪いクマさんでも分かる通り、元々ちょっとだけ目つきが悪い感じなんだよ真田さんって。お巡りさんの顔をしている時は特にね。あ、だけど派出所でお婆ちゃん達とお話をしている時にはそんなこと言われてないから、その時はまた違うお巡りさんモードなのかな。もしかしたらお年寄り用とそうでない人用で使い分けていたりして。
「松岡さんのお父さんにしてはお若いね。ああ、親戚のお兄さんかな?」
「ただの保護者です」
「だそうです」
「そういうことにしておきますね。ああ、しみる?」
私がちょっとだけ顔をしかめたものだから先生が声をかけてくる。そしたら足音がこっちに近付いてきて真田さんが私の横に立ってこちらを心配そうな顔で覗き込んできた。
「芽衣さん、大丈夫?」
「大丈夫ですよ、最初の時の痛さに比べたらしみるぐらいどうってことないです。わあ、先生、消毒液が垂れてきた!!」
「ああ、ごめんごめん」
先生が慌てて乾いたガーゼで垂れてきた消毒液を拭き取ってくれる。
「あまりに怖い顔で睨まれたから手が滑っちゃったよ」
先生はアハハハと笑いながら新しいガーゼを取り出して傷口を拭いてくれている。
「真田さん、怖いんだって」
「別に睨んでなんかいないけどな」
うーん、私は慣れちてきちゃっているけど今の真田さんの目つき、人によっては睨まれているって感じるかもしれない。
「先生、あまり怖い怖い言うと真田さんが泣いちゃうらしいです」
「保護者さんを泣かせちゃったら困ったことになるね。じゃあ怖い顔は撤回。怖い目つきにしておこう」
先生、それ全然フォローになってないよ……。
そうこうしているうちに全部の糸が綺麗に取り除かれた。どんな感じになっているのか鏡を借りて見せてもらうと消毒液で変な色になっているけど取り敢えず傷は塞がっていた。そりゃまあ塞がっていなかったら抜糸なんてしないけど。それでも傷はまだまだ存在感をアピールしていて目立たなくなるまでには当分かかりそうな感じかな。
「先生、剃られちゃったところ、ちゃんと髪の毛、生えてくるよね?」
そして気になるのは傷口よりも剃られて禿げになっているところ。
「大丈夫だと思うよ。見ての通り、傷自体は生え際どまりだろ? 傷がこっちまで続いていたら傷のところは毛が生えてこないかもしれないけど、これなら直ぐに元に戻って分からなくなるよ」
「良かった~。禿のままだったらどうしようかと思ってたんだ~」
先生の言葉に一安心。
「取り敢えず、絆創膏は小さいのにするからもうちょっと貼っておくようにね」
「えー、まだ絆創膏必要?」
「外気にあてておく方が治りは早いとは思うけどねえ、痒くなったりしてうっかり掻きでもしたら傷になるから、もう少し我慢しようか。こんなところに変に傷跡が残りでもしたら困るでしょ、女の子なんだし」
そう言って先生が持ってきたのはさっきまで貼っていたのよりもずっと小さくて肌色の絆創膏。さすがにこれにはイラストは描けないかな。
「はい、これで終わり。もうシャンプーは自分でしても良いけれどあまり強くこすらないようにね」
「はーい」
ここしばらく美容室でシャンプーしてもらうのに慣れちゃったから、髪の毛が短くなって楽になってはいるけど自分で洗うのは何だか面倒だなって思っちゃう。あ、こんなこと言っていたら女子力が下がっちゃうからダメだよね、お年頃の女の子なんだからお洒落にはちゃんと気を遣わなくちゃ!!
+++++
「真田さん、わざわざ病院にまでついてこなくても良かったのに」
「芽衣さんの安全が第一って言ってるだろ?」
「じゃあ事故の真相は分かったの? やっぱり階段から突き落とされてた? 犯人は分かった?」
真田さんは私から矢継ぎ早に質問されてちょっと困った顔をした。
「守秘義務とか無いよね? だって突き落とされたなら私が当事者で被害者なわけだし? そろそろ捜査がどうなっているのか聞きたいかな」
「芽衣さん、これは遊びじゃないんだよ? 下手すればもっと酷い怪我をしていたかもしれないんだから」
「じゃあやっぱり事件だったの?!」
「まったく芽衣さん……」
私がキラキラした目で見上げたものだから真田さんは呆れたような顔をして溜め息をつく。
「先ずは真田さんのカノジョさんのアリバイは?」
「アリバイって刑事ドラマじゃないんだから。それにね、彼女はカノジョじゃなくて元カノジョ」
「どっちでも同じでしょ? で? で? カノジョさんとは話したの?」
「まったく困った子だね、芽衣さんは……」
やれやれと肩をすくめるとじゃあ何処かでお茶でもしながら話をしようか?と提案してきた。今日は真田さんは非番でお休みだから私服。だから気兼ねなく喫茶店でもファミレスでも入れるってわけ。そんな訳で病院近くの喫茶店に入ることにした。そこで窓際の席に座ると、好きなものを頼んでも良いよって言われたので遠慮なく美味しそうなレアチーズケーキと紅茶を注文した。
「それで?」
「あのさ、先ずは誤解を解いておきたいんだけど」
「誤解?」
首を傾げると真田さんは真面目な顔をして頷いた。
「芽衣さんが見たという彼女のことなんだけどね。彼女とはきちんと別れたんだよ。ちなみに先に言っておくと俺がフラれた方だから」
「え?! そうなの?」
ほら、以前にファミレスで見掛けた時に二人とも深刻な顔をしていたからてっきり別れ話とかそういうのがこじれちゃっていたんだと思ってたんだよね。それで睨み合っちゃったから虫の居所の悪かったカノジョさんに逆恨みされちゃったのかなって。そんな風に勝手に事件の概要を作ってた、カノジョさん御免なさい。
「大学の時に付き合いだしたんだけどね、それぞれ仕事についてなかなか会えないまま惰性で何となく関係が続いていたんだ。そのうちに彼女は今の仕事でキャリアを積むことに自分の夢を見出したんだよ。で、この際だからダラダラと続いていた付き合いをきちんと清算しようってことになったんだ」
「その話をしていたのが、あのファミレス?」
「うん。もうあの時には完全に恋人としての関係は切れていたんだけど、ちゃんとけじめは必要だろうってことで会って話をしたんだ」
「へえ……」
なんだか私には想像もつかない大人の世界だ……。
「あれ? でもカノジョさん、私のこと睨んだけどあれは?」
「だからカノジョじゃなくて元カノジョ。睨んだことに関して確認したんだけど、彼女は物凄い近眼でね、たまたま眼鏡を外している時だったから、俺が芽衣さんらしき人物、まあ芽衣さん本人だったわけだけど……その人物を見てギョッとしたのを見て、誰か知っている人でも?って振り返ったらしい。だから顔を見ようとして目つきの悪い顔をしていたと思うって言ってたよ」
「そうなんだ……」
そっか。じゃあ私が思わず睨み返しちゃったこともカノジョさんには分からなかったってことだよね。私が勝手に喧嘩を売り買いしたわけじゃなかったんだ、その点だけは安心した。
「じゃあカノジョさんのアリバイも?」
「だから芽衣さん……元だってば」
「じゃあ元カノさん」
「……その日は法廷に立っていたってさ」
「うわあ、真田さんのカノ、じゃなくて元カノさん、弁護士さんなんだ。すっごーい、かっこいいー!!」
そう言ってから、ん?と首を傾げる。弁護士さんじゃない可能性だってあるよね、検察官とか裁判官とか。
「あ、もしかして検察官さんか裁判官さん?」
「いや、弁護士であってるよ」
「すっごーい」
そこへ店員さんがケーキを持ってきてくれたのでお話は一時中断。見た目も美味しそうだけど一口食べて大感激、ここのレアチーズケーキすっごく美味しい! 文字通り怪我の功名で良いお店を見つけた!!
「美味しい?」
「うん、とっても!」
「良かった」
真田さんはカフェオレを頼んでいてそれを飲みながら私がケーキを食べているのを嬉しそうに眺めていた。
「じゃあ、やっぱり私が階段から落ちたのは単に足を滑らせただけってことじゃないかな。だって他に心当たりなんて無いもの」
ケーキを半分くらい食べたところで中断していた話を再開する。
「そりゃ芽衣さんが人から恨まれるような子じゃないのは俺も分かっているけどね。恨みや妬みっていうのは何処で買わされるか分からないからまだ単なる事故だったとは言い切れないよ」
一瞬だけ真田さんがお巡りさんの顔を浮かべた。
「じゃあ真相はまったく分かってないの?」
「残念ながらその通り」
「えー……」
「あのさ、その“えー”の後に“つまなーい”って言葉が続きそうなのは気のせいかな」
「え……」
どうして分かったのかな? 私の顔を見ていた真田さんがちょっとだけ怖い顔になった。
「芽衣さん、まさかとは思うけど自分で犯人を見つけようなんて考えてないよね?」
「ほら、おとり捜査なんていうのもあるわけで♪」
「芽衣さん」
あ、お巡りさんの顔で睨んでるよ……。
「そういう危ないことは絶対にしないように。大体おとり捜査なんていうのはドラマの中だけのことで実際はそんな捜査は日本では認められていないんだから。いいね?」
「えー」
「芽衣さん」
「でもー」
「……」
「分かりましたあ……」
つまりは真田さんはまだ事故じゃなくて事件だと考えているってことだよね。でもさ、真犯人は階段の剥がれかけた滑り止めでしたっていう線が濃厚になってきてない? 私が捜査したらその辺で解決マークを付けちゃいそうなんだけどなー。
「だけどいつまでも真田さんに送迎をしてもらうわけにもいかないでしょ? これから年末にかけては色々と騒々しくなるから派出所だってそれなりに忙しくなるし」
「そういうことは芽衣さんが心配することじゃないから」
「でも……」
「とにかく、もうしばらくは大人しく送迎されるように。勝手に一人で帰ってきたりしちゃ駄目だからな」
「えー……」
「えーじゃない。そんなに言うこと聞かないなら何か適当に理由を作って留置所に放り込むから」
「それこそドラマじゃないんだから」
「国家権力をなめたらダメだぞ、芽衣さん」
……やばい、真田さんてば本気の顔してる。これ以上ぐちゃぐちゃ言ったら本当に留置所に入れられちゃうかも。
「だったら早く解決して下さいよね、日本警察は優秀だって話なんだから」
そうブツブツ言いながら紅茶を飲む。
「分かっているよ。俺も真相が早く分かるよう努力するから芽衣さんも危ないことは絶対にしないように。分かった?」
「はーい……」
私の気のない返事に真田さんは困ったような面白がるような微妙な苦笑いを浮かべた。