第三十六話 お巡りさんの花嫁さん
週間天気予報では今日は梅雨の先触れかもしれない雨がやってくるなんて言われていたけど朝から雲一つない青空が広がっていた。これって私か康則さんが超晴れ人間なのかそれとも氏神様のお蔭なのかはちょっと分からない。とにかくそれぞれがそれぞれの事情で一週間前からヤキモキしていたんだけど、予定通りにお庭で披露宴が出来ることに一安心しながら皆は最後の準備をしている筈。
「芽衣……」
「ななな、何かな?! もしかしてきつくなってる?!」
私はと言えば結婚式当日だと言うのに頭の中は別の意味で不安がいっぱい。教会側が用意してくれた控室でメイクやら何やらを準備することになっていたから朝早くからこうやって集まったんだけど、呼ばれるたびにビクッとなってしまう。なんか世間一般の花嫁さんとはちょっと違う心境のような気が……。
「顔は浮腫んでないよね?! 指も大丈夫かな?! 指輪ちゃんとはまると思う?!」
「芽衣ちゃんや、気持ちは分かるけど落ち着こうか。今のところ大丈夫だから」
「ほ、ほんとに大丈夫?!」
「大丈夫大丈夫、私は嘘つかない」
ノンちゃんが笑いながら立ち上がりかけた私の肩を抑えた。
「こういう時って新郎の方が落ち着かなくて大変だって聞いていたけど芽衣に限っては当てはまらなかったみたいね。あ、楓さん、新郎さんの様子はどうでした?」
「落ち着いたものですよ、おにいさんは。落ち着かないのはおとーさんズの方かもしれないですね」
部屋を覗きに来た楓さんにノンちゃんが男性陣の様子を確認するとそんな答えが返ってきた。そっか、康則さんは落ち着いてるのか羨ましい。
「はいはい、そろそろジッとしてもらえるかな。口紅がはみ出て口裂け女みたいな口になったら困るでしょ?」
メイクをしてくれているのは真田さんのお友達の彼女さん。私の顔にあれこれと塗りたくりながら気が紛れるようにと普段からのお肌のお手入れ方法のコツとかメイクのコツをあれこれと教えてくれた。その気持ちは嬉しくてきっとそのうち実践することになるんだろうけど今は無理、ぜんっぜん頭に入ってこない。
「あ。あっちが落ち着いているって知ってるってことは楓さんはもう見たんですよね、新郎さんの正装姿」
そうなんだよね。結婚式の話が最初に出た時に、康則さんはどうするのかってことになって普通なら白いタキシードかなって皆が話していた時、私が警察官の制服にも正装があるらしいよって話をしたら是非ともそれを着てもらわなきゃということになっちゃったんだ。
式場に勤めている楓さんのお知り合いの話だと、普通の結婚式ではタキシードで式をして披露宴のお色直しの時に新婦と共に着替えて現れるってパターンが多いらしいんだけど、今回のガーデンウエディングではお色直しは無しということなので康則さんは最初から正装を着て結婚式に臨むことになっている。
で、初めて目の当たりにするお巡りさんの正装姿に皆が興味津々ってわけなのだ。
「えっと可能な限り目を逸らしてましたよ、おねーさんより先に見るのは申し訳ない気がして。だから落ち着いているっていうのも雰囲気だけで察したというかそんな感じです」
あ、だけどお父さん達の落ち着かないのはしっかり観察してきましたよと付け加えた。なんでもあまりに落ち着かないので「何で貴方達がそんなにソワソワしなきゃいけないの康則君を見習いなさい」ってお母さん達に叱られたらしい。
「芽衣がこんなに落ち着かないと分かっていたらこっちにお母さんを一人呼んでくるべきだったかしらね」
「だ、ダイジョウブだよ、ドレスさえ問題ないって分かったら少しは落ち着くから」
私の言葉にノンちゃんと楓さんが信じられませんという顔をした。
「既に着て問題ないと分かっているのに全然落ち着いてないじゃない」
「だってほら、指が浮腫んでいたらどうしようとか考えたら気になっちゃって……」
「はいはい、貧乏ゆすりをしない。せっかくセットした髪が崩れるでしょ。それとドレスにしわが寄るしシューズが汚れるからジッとしてなさい」
「はい……」
そう言われてブラブラさせていた足を止める。
「私、いつものエプロンしてないと落ち着かない」
「そんな恰好で結婚式が出来るわけないじゃない。そりゃ真田さんは芽衣がお嫁さんになってくれるなら何を着てても気にしないかもしれないけど、松柴署の署長さんとか来るのにそんな恰好したら真田さんが笑われちゃうでしょ?」
「そりゃそうなんだけど……」
皆が作ってくれたウエディングドレスもアクセサリーも靴もティアラも凄く素敵で一生の宝物にするって決めてはいるけど、やっはり私にはお店で働いている時の服にいつものエプロンをしている方が落ち着くし自分に合ってる気がするかな。
「ところで芽衣、新婚旅行はどうするか決めた?」
私が大人しくするのを確かめてからその場を離れたノンちゃんが質問してきた。
「うん。夏休みを利用して二人で旅行しようっていう話になってる。行先についてはまだ何も決めてないんだけどさ、定番のハワイも行ってみたいなって話してるんだ、私は一度も行ったことないし」
って言うか、私は今まで外国に行ったことないんだよね。だからパスポートも持ってない。初めて作るパスポートが真田芽衣だなんてちょっと嬉しいかも。あ、別に松岡芽衣って苗字と名前の組み合わせが嫌いなわけじゃなくて。
あ、そうそう。表札も昨日の夕方から真田姓になっている。康則さんとはお家のリフォームが終わってからずっと一緒に暮らしていたから周囲からは既に夫婦扱いされてはいたけど、やっぱり門柱の表札が変わると気持ちが違うかな。昨日は表札を付け替えてから康則さんと一緒にそれを眺めてニマニマしていたのは私達だけの秘密だ。
それから婚姻届に関しては、披露宴が終わってから夜にある両家揃ってのお食事会までに康則さんと一緒に役所に届ける予定になっている。だから表札は真田になったけど正確には今はまだ松岡芽衣なのだ。
「さて、じゃあ仕上げにティアラをのせるからじっとしていてね」
ノンちゃんが作ってくれた花冠のティアラ。白いバラやノイバラで造られた花冠はまるでネックレスとイヤリングと対になっているような出来栄え。もうその辺りの計画性とセンスはさすがとしか言いようがないよ、さすがノンちゃんだ。
「ノンちゃん、すっごく綺麗だよ、ありがとう!」
「いやいやそれほどでも。もっと褒めてくれても良いんだよ?」
嬉しそうにしながらエッヘンと得意げなところがノンちゃんらしい。
「これにて準備完了。ここまでお手伝いしてくれた皆さん、お疲れ様でした。以後は芽衣の結婚のお祝いムードに戻って楽しみましょう♪」
最後のピンでティアラを固定させるとノンちゃんがそう宣言して控室にいる皆が拍手をした。
「でもその前に、皆で記念写真を撮っておこうか。こんな風に皆で一致団結して結婚式の準備をするなんてことはそうそう無いだろうから」
そう言って何枚か写真を撮る。そうこうしている内に外の準備をしていた子達も準備が終わったことを報告しに部屋に戻ってきたので更に集合写真を何枚か。もちろんドレスを作った弥生ちゃんは後学のためにといろんな角度から私の写真を撮っていた。
「弥生ちゃん、ありがとね」
「芽衣も頑張ったね、太らず痩せずをここまで徹底させるとは思わなかったよ」
「努力しました」
正直言って大久保さんがベリータルトを持って来た時は駄目かもいれないと思ったんだ。だけどその後に康則さんが機動隊にいた時にしていたトレーニングを幾つか教えてくれてそれを実践することで何とか凌いだという感じ。もちろん筋肉がついちゃったらそれはそれで困った事態になるのでその辺の手加減が物凄く難しかったんだけど、そのお蔭か今では以前は運べなかったプランターを持ち上げることが出来る様になってしまった。まあそれはちょっとしたボーナスみたいなものかな、多分……。
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全ての準備が終わって教会には招待された人達が全員着席して式が始まるのを待っている。閉まっている扉の前に行くとモーニング姿のお父さんが待っていた。
「綺麗だよ、芽衣」
「えへ、皆のお蔭だよ」
「良い友達を持ったね」
「うん」
お父さんは少し黙り込んで私のことをジッと見詰めた。
「どうしたの?」
「本当にお嫁さんに行ってしまうんだなあと思ったらね、色々と思い出されちゃって。康則君には申し訳ないけどお父さんはもう少し芽衣と一緒に過ごしたかったというのが本音だよ」
まだ式も始まっていないのに半泣きになっちゃうお父さん。胸のポケットのハンカチをとるとウルウルになっちゃってる目を拭ってあげる。
「もう、今からお父さんがそんな風に泣いちゃってどうするの~」
「だって一人娘が嫁に行っちゃうって覚悟はしていたけど想像以上に寂しいもんなんだよ」
「困ったお父さんなんだからあ。いつでも遊びに来てくれたらいいんだからね? 康則さんだってもともとはお父さん達と一緒に暮らすつもりでいたからいつでもどうぞって言ってくれてたでしょ?」
「うんうん、本当に康則君は良い旦那さんだよ。芽衣も負けずに良い奥さんになって康則君のことをお父さんみたいに幸せにしてあげなさい」
「まっかせて! そういうことはお母さん譲りで得意だから!」
意気込んで頷くとお父さんが楽しそうに笑う。良かった、このまま扉の前で泣き崩れちゃうんじゃないかと心配したよ。ホッとしながらハンカチを胸ポケットに押し込むと進行役をしてくれるシスターが宜しいですか?と声をかけてきてからゆっくりと礼拝堂に続くドアを開けてくれた。
一生に一度の結婚式、しかもノンちゃん達が頑張って用意してくれたものだから何一つ見逃すまいと意気込んで式に臨んではみたものの、実のところお父さんと腕を組んで礼拝堂に入ってからは緊張やあれやこれやな感情がごちゃ混ぜになってそんな意気込みは頭から吹き飛んじゃっていた。
断片的に覚えているのは誓いの言葉を言った康則さんの力強い声と、お互いに指輪をはめた時に微かに震えていたそれぞれの手元のこと、それから誓いのキスをした時の温かい唇の感触、それだけだった。
そして我に返ったのは既に会場はお庭に移動していて皆でニコニコしながら写真を撮ってそれぞれの招待客の皆さんと挨拶をしていた時。
「大丈夫? 少し顔色が悪いみたいだけど」
隣に立っていた康則さんが心配そうな声で囁いてくる。
「うん、大丈夫だと思う。えっと今の人は誰だったかな」
「松柴署の小山田署長。親父を殴って問題になっていた時に俺のことをここに引っ張ってくれた人だよ」
「ってことは私達が出会うきっかけを作ってくれた人?」
「氏神様の悪戯を除けばまあそんなところかな」
「恩人さんなのに全然顔見てなかったよ……」
「だね、今の今まで完全に上の空だったから」
康則さんが可笑しそうに笑う。
「え、もしかして皆にバレてる?!」
「大丈夫だよ、皆は芽衣さんがニコニコして幸せそうだと信じて疑ってないから」
ところでと言葉を続ける康則さん。
「結婚式でよく見るブーケを投げるあれはどうするんだい?」
「あれは無し。ブーケトスに対する女子の意気込みって計り知れないものがあるから、ここで泥だらけの戦争になったら困るでしょ? だからこのブーケのお花を一輪ずつ使ったお礼のフラワーボックスを後ほど送りますってことにした」
「なるほど。それと……」
「なに?」
康則さんが指をさした方向に目をやるとそこには大久保さんが彼女さんらしき人と立っていた。
「仲直りはどうなのかと気にしている警察官が約一名いるんだけど」
「ドレスは大丈夫だったよ、太らない痩せない課題には弥生ちゃんからもお褒めの言葉を頂きました」
「ってことは仲直りできたってことで良いかな?」
「うん」
康則さんが私の返事を聞いてから大久保さんに片手でOKサインをしてみせると、大久保さんはホッとした様子で彼女と何か言葉を交わしてから私達に敬礼をしてきた。
「芽衣さんがやっと我に返ってくれたことだし今のうちに言っておくかな」
「?」
「今日の芽衣さんは特別綺麗だよ」
その言葉に顔が赤くなるのが分かった。
「ほらほら、ここでそんな顔をしない。二人っきりになれるのは当分先なんだから」
「そんな顔なんてしてないです、嬉しかっただけ!」
「はいはい、そういうことにしておくよ」
「しておくじゃなくて本当にそうなんだから!」
「芽衣さんがそう言うならそういうことにしておいてあげるよ」
「だからあ……」
その後はケーキカットがあって、それぞれの友達代表がお祝いの言葉を述べてくれた。春らしいお花で溢れ返ったお庭で美味しい食事をして皆で楽しくお喋りして。こんな楽しい結婚式ってなかなか無いよね。それぞれのお友達には本当に感謝!!
ところで余談ではあるけれど、その中で彼氏がいない私の友達と彼女がいない康則さんのお友達のカップリングが出来たらしいという話を聞いたのはそれからしばらく経ってからのこと。こういう幸せの連鎖が続くと嬉しいねと話を聞いた康則さんは楽しそうに笑っていた。




