第三十二話 小さな客さん達
私が危惧していたノンちゃん達のバレンタインもスルーされることなく無事に終わり、チョコを貰った世間の様々な世代の男の子達が間近に迫ったホワイトデーに何を返すべきかと悩んでいる頃、意外なお客さん達がお店にやって来た。
「ママ、早く早く!!」
とある学校の謝恩会会場に飾るお花の注文が入った直後で予算とお花の値段表を見比べながらどんな感じにしようかなって考えいていたら、賑やかな子供達の声がして親子連れにしては子供達の人数の方が圧倒的に多いお客さん一団が入って来た。子供達の後ろから入ってきたのはあの奥さん……えっと私のことを階段から突き飛ばしちゃった人。
「あ、いらっしゃいませ!」
ちょっと驚きながら声をかけると奥さんの方は物凄く気まずそうな顔をして会釈してくる。
「こんにちは!! 今日は私のお花じゃなくて先生にあげる花束をお願いに来ました!!」
私達の間で流れる微妙な空気のことなんてお構いなしにお子さんが元気な声でそう言ったので私もそちらに目を向けた。私のことを見上げている目が八つ。女の子ばかりでもしかして仲良し四人組って感じかな?
「先生にあげるお花?」
「私達のクラスの先生、今度結婚することになって学校を辞めちゃうの。で、皆でお別れ会をする時にお花をプレゼントすることになったの!」
先生が辞めちゃうって言う時に皆ちょっと悲しそうな顔になっていて、本心では先生に辞めて欲しくないって思っているのが伝わってきた。そう言えば私が小学校の時も担任だった先生が他の学校に行っちゃうことになった時は悲しかったなあって思い出す。
「すみません、娘達がどうしてもこちらでお願いすると言い張るもので……」
お子さん達の後ろで奥さんが申し訳なさそうに頭を下げている。そりゃお子さんは事情を知らないんだもの、仕方がないよね。だけど私は嬉しいかな、あんな事があったせいで二度とうちでお花を買って貰えないだろうなって諦めていたし。事実たまに立ち寄っていた旦那さんもあれからここにお花を買いに寄らなくなっちゃったものね。これを機会にまた立ち寄ってくれるようになったら良いんだけどな。
「いえいえ。うちのことを御贔屓にしてもらって有り難いです。ちなみにお別れ会はいつになるんですか? 終業式の日?」
「はい。終業式が終わってから学校の教室をお借りして父兄の皆さんも参加してということになってるんです」
日時とお花の予算はこれぐらいというのを教えてもらう。
「じゃあ皆で先生が喜びそうなお花を選んでみようか。好きな色とか分かる?」
そう尋ねた途端に四人が一斉にお喋りを開始した。
先生はピンク色が好きとか向日葵が好きだよとか。それから走るのがちょっと苦手なの!に始まり実は給食に出てくるレーズンパンが苦手らしいとか全く関係の無いことまで次から次へと飛び出してくる。そんな賑やかなお喋りの合間にこのお花はどう?こっちのお花はどう?って質問を投げかけるのはなかなか大変な作業だった。たった四人でこれだけ賑やかなお喋りになっちゃうだもの、クラス全員を一度に相手にする学校の先生って凄いよ、本当に尊敬しちゃう。
それから一時間近く子供達は資料としてお店に置いてあったお花の写真を見て悩むことになった。
「本当に御免なさい、まさかこんなに長居をすることになるとは思ってなくて……」
お店の奥に設置した丸いテーブルで子供達が写真を囲んでああでもないこうでもないと話し合いをしている横で奥さんが申し訳なさそうに頭を下げる。
「いえいえ。ここはもともと私が作業する場所として使っているテーブルだからこの時間は問題ないですよ」
長引きそうなので子供達にはジュースとクッキーを、奥さんには温かい紅茶を出した。
「あの……」
「はい?」
「頭の傷はもう大丈夫ですか?」
奥さんが私のおでこの辺りに視線をやりながら心配そうに尋ねてくる。
「はい、もう全然ですよ。剃られたところも元に戻りましたし。私もともと石頭なので。それより旦那さんとは仲直り出来たんですか?」
「え?」
「だってほら、ギクシャクしていたとか言ってたじゃないですか。旦那さんはそれでうちでお花を買っていったって」
「ああ、そのことですか」
奥さんは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「あの後きちんと話し合いました。娘は純粋に新しい曲を練習したりお友達と連弾したり一緒に演奏できるのを楽しんでいるのに、母親の私だけがいつのまにか他のお母さん達と競っているような気分になってしまっていたんです」
「お花も年々華やかになっていたのもそういうことがあったんですね?」
私の言葉に頷く奥さん。
「ええ。大事なのは親の自己満足じゃなくて娘の気持ちだろって主人には随分と叱られました」
「じゃあそちらのお宅も一件落着なんですね、良かった。あ、一件落着ついでに次のピアノ発表会のお花、またうちで手配してくれると嬉しいんですけど」
「良いんですか?」
「もちろん! お値段のサービスは出来ませんけどね」
そこで奥さんはやっと楽しそうに笑った。うん、奥さんはお花選びのセンスも素敵だし、こういうお得意さんはしっかり捕まえておかないとね!
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「昼間、子供さん達と一緒に店に来ていたのはあの時の奥さん?」
仕事が終わって帰ってきた康則さんがまず最初に口にしたのは案の定そのことだった。こっちを見ていた様子は無かったけどやっぱり気が付いていたのか。だけどもしもし、顔がちょっと怖いですよ?
「うん。娘さんの担任の先生が結婚するらしくって今年度で辞めちゃうんだって。で、そのお別れ会の時に先生に渡す花束を注文しに来てくれたの。四人はピアノ教室が一緒の仲良しさんなんだって」
「なるほど。しかしあの奥さん、よく顔を出す気になれたね」
少し呆れた口調で呟く。
「娘さんがどうしてもうちでお願いするんだって言い張ったみたいでね、奥さんも恐縮してた」
「だろうなあ……」
「康則さん、顔が怖いことになってる」
私に指摘されて康則さんは慌てて表情を緩めた。
「私は嬉しかったんだよ。ほら、もう二度と利用してもらえないんだろうなって思ってたから」
「そう言えばあの時もそんなこと言ってたね」
ピアノ教室の発表会に出すお花はもう注文してもらえないのかなって私が嘆いていた時の事を思い出したのか愉快そうに笑っている。
「これを機会にまたうちを御利用下さいってお願いしておいた」
「ええ?」
「ええってどういうこと? 大事な顧客さんなんだからね、次に奥さんが来てもこっちを監視するようなことはしないでよね。奥さん、派出所の方をチラチラ見ながら怖がってたし」
別に康則さんがそこで仁王立ちになってこちらを見ていた訳じゃないんだけど、派出所内に康則さんがいるのが分かった途端に明らかにギョッとなっていたし。
「別に後ろめたいことが無かったらビクつくこともないだろ?」
「後ろめたくなくてもお巡りさんがそこに立っていてこっちを見ているだけで怖いんだってば、特にそんな怖い顔して睨んでいたら」
「俺は真面目に仕事をしているだけなのに何たる言われよう」
やれやれと悲しそうな溜め息をつくと康則さんは着替える為に二階に上がっていった。
あ、そうそう。康則さんのお引っ越し作業はほぼ完了していて、後は部屋に残っている不要な物を大型ごみで処分してから室内のお掃除をして不動産屋さんに鍵を返却するだけになっていた。お掃除に関しては夜遅くに掃除機をかけるわけにもいかないので次のお休みの時に徹底的にする予定らしい。私もお掃除ぐらいならお手伝いに行くよって言ったんだけど、芽衣さんは学校とお店があるんだからって断られてしまった。
「康則さん、先にお風呂に入る~?」
「いや。夕飯の準備を手伝うよ」
下から声をかけたらそんな返事が返ってきた。
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「で、事の発端になったことに関しては旦那さんとちゃんと話し合ったって言ってた」
「そうか。やっぱり原因は娘さんのピアノ教室だったってことなんだな」
「お子さん達のあずかり知らぬところでなんだけどね」
着替えが終わって降りてきた康則さんと一緒に夕飯の準備をしながらお店で奥さんと話したことを報告する。
「初めてうちでお花を買ってくれた時と比べると年々歳々花束が大きく派手になっていくからどうしたのかなって内心は不思議に思ってたんだよね。まさか本当に競っていたとは思わなかったよ」
それでうちにクレームが来たとかとういうのは一度も無かったんだけど。
「知らないうちに親同士で競っていたってことなのか」
「親同士っていうかママ友さん同士でね」
「ママ友って怖いな。芽衣さんはそんなことにならないでくれよ?」
「大丈夫だと思うよ? 私、もともとそういう競争事って苦手だから。あ、だけどスルーするだけじゃきっと駄目なんだよね」
「どうして?」
「だってやられっぱなしだったら今度は子供が馬鹿にされちゃうかもしれないじゃない? 私は何言われても平気だけど子供までそんなことになったらやっぱり……ん? 変な顔してどうしたの?」
私の言葉にいやいやとか呟きながら変な笑いを浮かべている康則さんの様子に首を傾げた。
「俺と芽衣さんの子供だぞ? もしそんなことになっても大人しくやられっぱなしだと思う?」
「んー……」
ちょっと想像してみる。
「どう考えてもそんなこと無さそう、どちらかと言えばやられたら百倍ぐらいにして返しそう」
「だろ? だからうちの場合は子供達に手加減することを教育しなきゃいけないかもしれない」
「えー?」
思わず不満げな声をあげたら思いっ切り不審げな顔をされてしまった。
「その、えーってのはどういう意味? 手加減せずにコテンパンにのしちゃえってことなのか?」
「んー……お巡りさんの前で言うことじゃないけど、やるなら相手に反撃の隙を与えずに立ち上がれないぐらい徹底的に? ……出来たら合法的にだけど」
最後に取ってつけたように付け加えたら康則さんは芽衣さんときたらと苦笑いした。もちろん自分から喧嘩を売りつけるんじゃなくて相手が何かしてきたらってことだよ?
「合法的なら問題ないかなとか思うんだけど」
「なんだか俺達の息子か娘は恐ろしい性格になりそうな気がしてきたよ。出来るだけ温厚な大人になるように教育しなきゃいけないな」
康則さんは苦笑いしたままお皿に盛りつけたおかずをテーブルに運んでいった。




