第二十九話 ノンちゃんの結婚式計画 その①
「有り得ない有り得ない、有り得ないーっ!!」
「ちょっとノンちゃん、声が大きいよ」
真田さんちに挨拶に伺ってからしばらくして今日は婚約指輪が出来上がってくる日。この日に合わせてお休みをとった真田さんはきっと今頃あのお店で指輪を受け取っている筈。で、今日はいつもよりちょっとお洒落なお店で二人でお祝いしようって提案してくれて学校が終わったら迎えに来てくれる予定になっている。お店に関しては真田さんにお任せしているので今から行くのが凄く楽しみなのだ。
「芽衣、それって絶対に有り得ない」
で、さっきからノンちゃんが不満顔で有り得ないを連発しているのは婚約指輪と二人でのお祝いディナーのことじゃなくてもうちょっと先のこと、つまりは私達の結婚について。
「でも真田さんは私が二十歳になった時が良いって言ってるし私もそれで良いって思ってるんだよ。それにまったく何もしないって訳じゃなくて家族揃ってその日はお食事会にしようって。あ、お食事会だけじゃなくて皆でね、真田さんのお父さんのお知り合いがしているスタジオで記念の家族写真も撮ろうって話になってるの」
私の誕生日に役所で婚姻届を出して、写真を撮ってから夜は松岡家と真田家の皆で食事会をすることになっている。それは両家共々了承済みのことなんだけどな。
「結婚式をしないなんて有り得ない! 写真は撮るのに何で式は挙げない訳?!」
「でも今からじゃどう考えても五月に式を挙げるなんて無理だもの」
「真田さんの職場の人へのお披露目とか無いの?」
「うん、今のところ無いみたい」
「もう、有り得なーい!」
これで何回目かな、ノンちゃんの口から有り得ないの言葉が飛び出したの。
「とにかくさ、入籍の日じゃなくても良いから結婚式は挙げなよ。一生に一度のことだよ? 何もしないなんて芽衣はそれで良いの? ウエディングドレスは着たくないの?! 真田さんとそういう写真を残したくないの?」
「うーん……多少の憧れはあるけど特にどうしても着たいってほどじゃなくて……」
それにうちの改築費用も出したばかりだし松岡家としてはちょっとお財布事情も厳しいって言うか、色々と台所事情ってやつもあるわけで。そりゃ真田さんの御両親からは費用はうちで出させてもらうから是非とも結婚式をって話も出るには出たんだけど、結局のところは本人達の希望が最優先だろうってことで今の予定に落ち着いたし。
「いま何月?」
「えっと二月……」
「芽衣がいつもお花を納入している教会が山手にあるじゃない、あそこって広いお庭があったけど結婚式は取り扱ってくれるのかしら? ああ、それは私が聞いてくる。目標は芽衣の誕生日ね、よし、分かった」
「何が分かったなの」
急にやる気モードになったノンちゃん。既に私のことなんて忘れてない?
「美大生の底力を見せてあげる」
「ちょっと待って……」
「チョコレート作ってる場合じゃなくなってきたわね、頑張らなきゃ」
「ちょっとノンちゃん」
ほら、私のこと絶対に忘れてる、もしかしたら彼氏の武藤君のことも。チョコレートどころじゃないとか武藤君が聞いたら泣いちゃわない? せめてバレンタインのチョコは作ってあげた方が良いんじゃないかな。
「とにかく芽衣は私と常に連絡が取れるように携帯を手放さないでよね。あとはこっちでやるから」
「ノンちゃん……」
「せっかく仲良しグループの一人が結婚するのに何もしない訳にはいかないでしょ? 真田さんと芽衣がそれで良くても私達は良くないの。もしかしたら真田さんの職場の人だってそう思ってるかもしれないじゃない。あ、私達だけであれこれするのは不公平よね、真田さんのお知り合い、誰かこっちとの連絡係になってくれるように人いない?」
話がどんどん大きくなっていくよ……。
「ノンちゃーん……」
「だいたい真田さんだって絶対に芽衣のウエディングドレス姿が見たいに決まってるんだもの、私達がお膳立てをするって聞いて反対なんてするわけないじゃない?」
「ノンちゃんてばー、おーい……」
ノンちゃんてば猪突猛進過ぎて止めようとして前に立ったら地球の反対側まで吹き飛ばされちゃいそうだ。こんな時にノンちゃんをきちんと止められる武藤君って本当に凄いって改めて尊敬しちゃう。その尊敬する武藤君の為にもやっぱりチョコだけは作ってあげようよ……。
「芽衣、私は真田さんのお友達の連絡先を知りたい」
どうやらノンちゃんの辞書に「一旦停止」って言葉は無い模様。
「ねえ、それって本気で本気なの?」
「当然でしょ。芽衣が聞きにくいんだったら私が真田さんから聞き出すよ。今日、芽衣のこと迎えに来るんだよね? その時になんとしてでも聞き出す」
「……分かった。だけど真田さんが嫌がる素振りを見せたら無理に進めようとしないでね?」
「嫌がる訳ないから。絶対にノリノリだと思うけどな」
ノンちゃんてば何でそんなに自信満々なんだか。
そして迎えに来た真田さんもノンちゃんの話にノリノリってほどじゃなかったんだけど半ば押し切られる形で友達の連絡先を教えることになってしまった。しかもなんと相手は機動隊の人。何でもノンちゃんと同じように有り得ないを連呼して毎日のように電話で真田さんにお説教を続けていたらしい。
「もしかしてこれ幸いにってノンちゃんに押し付けたんじゃ?」
「まあそうとも言うかな」
「呆れたあ」
真田さん、呑気に笑っている場合じゃないと思うよ。ノンちゃんのあの勢いだと絶対に話が大きくなって大変なことになっちゃうと思うんだけど。
「それに芽衣さんのウエディングドレス姿を見たくないのかって聞かれたら見たいに決まってるって答えるしかないだろ?」
「だったら最初に皆で話し合った時に入籍を延ばすって選択肢もあった訳じゃない?」
「イヤだ」
「……」
実のところそれだけはイヤだと言い張ったのは真田さん。私が二十歳になるまでは待つけどそれ以上は絶対に待たないって。で、正則さんが「兄貴のことだからそれ以上のばしたら今度こそ出来ちゃった婚なるんじゃね?」の一言で芽衣さんがそれで良いならってことになったわけ。だから本人達の希望って言うより真田さんの希望?っていうのが正しいかも。とにかく忍耐の限界がどうやら私の誕生日までしかもたないだろうってことらしい。もちろん私はそれで納得済みなんだけどね。
「真田さん、笑ってるけど私もきっと忙しくなるからしばらくの間はデートしてる暇はなくなると思うよ」
「どうして?」
「どうしてって私も手伝うから。ノンちゃん達があれこれしてくれるのにじゃあ全部お任せしますじゃ済まないでしょ?」
「……」
真田さんは何とも言えない顔をして私のことを見下ろした。ううん、何とも言えない顔じゃなくてこれはデレた顔ってやつ。最近では何となく分かるようになったんだよね、真面目なお巡りさんの顔をしている時でもデレたりしている時ってやつが。デートが出来なくなるって話でどうしてデレちゃうのかちょっと理解できないけどとにかく今の真田さんは間違いなくデレている。
「なに?」
「いや、芽衣さんらしいなあと思って。もうブーケをどうしようとか頭にあるんだろ?」
むむっ、なんで分かったな?!
「そんなデレた顔しても駄目だからね」
「デレてなんかいないよ」
「ううん、今の顔は間違いなくデレてた。とにかく春休みは忙しくなるんだからデートはしばらくお預けだから」
とは言っても真田さんは最近じゃ殆どこっちの家で過ごしているんだから大して変わらないかもしれないけど。
「分かった。引っ越しの準備はちゃんと自分でするし荷物を運び込むのも芽衣さんの邪魔にならないようにするから心配ないよ」
そうそう、私達の新居は当然のことながら改築した私のお城であるお店裏の住居。
今はまだ松岡姓の表札だけど五月になったら真田姓になる予定で、三月末には真田さんも今のマンションを更新せずに引き払って荷物をこっちに全て運び込むことになっている。既にあれこれと簡単に運べるものはこっちに移動させていて、家の中にどんどん真田さんの物が増えていくのが何とも不思議な感じで、それを眺めてはいよいよなんだなって嬉しい気分に浸っていた。
「取り敢えず彼女の壮大な計画の話は横に置いておいて、今はこっちの話を戻さないか?」
そう言って手にした小さな手提げ袋を私の前で振って見せた。そうそう、突然の結婚式計画勃発のせいで忘れていたけど今夜のメインイベントはそれだよね。
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真田さんが連れてきてくれたのは小さなイタリアンのお店。真田さんのお友達が紹介してくれたお店で、料理は当然ことながらここで出してくれるワインが凄く美味しいって評判のお店らしい。
「私、まだ二十歳前なのに」
「分かってるけどお祝いだし一口だけならね」
「お巡りさんの言うセリフとは思えない」
「だから今夜のことは二人だけの秘密だ」
悪戯っぽい顔で笑うと指輪を取り出した。金色の小さなお花達がお店の照明でキラキラと光っている。
「綺麗だね、それに凄く可愛い」
「だね。二人で同じ指輪が気に入るとは思ってなかったから驚いたよ。俺の趣味もまんざらじゃないってことなのかな?」
「二人で選んだって感じで凄く嬉しいよね」
真田さんは私の手を取って指輪をそっとはめてくれた。
「芽衣さん、俺の人生に飛び込んできてくれてありがとう。今になって振り返るとかなり危ない飛び込み方ではあったけど」
「あの時は一瞬地獄に来ちゃったと思ったよ」
最初に真田さんの顔を見て私が口にした言葉を思い出しながら二人で笑ってしまった。こうやって今は笑っていられるけどあの時は本当にこの世とさよならしちゃったと思っていたんだから。すれ違いざまに暴走自転車から私のことを引き剥がしてくれた真田さんもあの時は無我夢中でどうやって自分が私のことを自転車から助け出したのかよく覚えていないらしいし、本当にラッキーだったとしか言いようがない出来事だった。
「あれからまだ半年かあ。俺達の人生、この半年で随分と様変わりしちゃったな」
「それも劇的な様変わり」
「後悔はしてないよね?」
そう言いながら少しだけ心配そうな顔をして私のことを見詰めてきた。
「うーん……後悔することがあるとすれば、なんで真田さんがあの派出所に赴任してきた時に知り合わなかったのかなってことかな、お向かいさんなのに」
私の言葉に真田さんは安心した様子だ。
「芽衣さんがあんな風に俺の腕の中に飛び込んでくるのが運命だったのかな、サバイバルな氏神様の御縁で。もう二度とあんなことは御免だけどね」
何年か先になって子供達にパパとママが出会ったきっかけは?って質問された時、ママの自転車が大暴走してパパのところの飛び込んできたんだよなんて話、ちょっと信じてもらえないかも。あ、でも私達の子供だったらママらしいねなんて言われちゃうのかな。
タイミングを見計らっていたのか会話が途切れると同時にお店の人がおめでとうございますと言ってワインとワイングラスを持ってきてくれた。何でも私が生まれた年のワインらしい。注いでもらったワイングラスを二人でカチンと合わせて一口。真田さんは美味しいって満足げだけど私にはちょっと酸っぱかったかな。
「あ!」
「ん?」
「デートは当分お預けだけど結婚指輪を選ぶのは絶対に一緒に行くから!」
「分かってるよ」
私の言葉に楽しそうに笑った。