第二十五話 お巡りさんのプロポーズ
大問題!!と言いつつも、だからと言って開店準備を放り出す訳にもいかなくて次の日から私の方はそちらに取り掛かった。今日は休講になったノンちゃんが急遽手伝いに来てくれていることになったから思いのほか作業がはかどっている。
もちろんそのことを全く棚上げにしたわけじゃなくて言われてから直ぐに調べて計算してみたんだよ、そのう、ほら、危険日とか安全日とかそういうの。私、そんなに日にちが大きく変動したりする方じゃないし、それで計算してみたら大丈夫なんじゃ?みたいな感じ。とは言っても100%大丈夫、なんてことはないよねと言いながら真田さんはその後はずっと寝るまで責任はとるからって言い続けていた。
何て言うかその気持ちは有り難いんだけどまだそうと決まった訳じゃないんだからって言い聞かせても全く効果が無かったんだよね。んで朝は朝で起きてからずっとドンヨリしてるし、とにかく悩んでいても仕方がないんだし今日も仕事なんだからって朝はここから送り出したんだけど大丈夫かな。だってまだ派出所に来てないんだよ、もしかしてショックでその辺で行き倒れてないか心配……。こういうのって普通、年下の私の方がショック受けて寝込んじゃうものじゃないの?
「だいたいどうして失敗したなんて思ったのかなあ……」
「え、なに?」
手伝いに来てくれていたノンちゃんの存在をすっかり忘れて呟いてしまった。
「何が失敗したって?」
「え? ああ、こっちの話……」
「何かリフォームで拙いところでも?」
ノンちゃんが職人さんみたいな顔になってお店の中をチェックし始めたので慌てて否定する。
「ううん、そんなんじゃないよ。……あのさ、ノンちゃん、聞きたいことがあるんだけど」
「なあに?」
「ノンちゃんとカレシの武藤君、その……失敗したことある?」
「はい?」
私が言っていることが理解できなかったのか変な顔をして首を傾げた。
「だから……そのう……エッチの時のさ、避妊……」
「え、もしかして失敗したの? 真田さん、つけるの忘れてたとか?」
「そ、そんなことないよ、ちゃんとしてたよ。だけど真田さんが失敗したかもって言って物凄く落ち込んでるんだよ。どうして失敗したと思ったのかなって……」
ノンちゃんは首を傾げたまま考え込んでる。
「してたんなら、そこにあるべきものが無かったとか?」
「どういう意味?」
「だからさ、コンドームの中に出した筈のものがなかったってこと」
「じゃあ何処に行っちゃったわけ、出たものは」
昼間からなんて会話をしているんだろう私達……。
「だから、それは芽衣のそこに」
そう言ってノンちゃんは私のお腹を指さした。
「ってことは漏れちゃったってこと?」
「穴があいてたり破裂したりしてない限りはそういうことになるね。なんならコンドームについて詳しく正志に聞いてあげようか?」
「いやいや、そんなこと聞かなくていい!!」
ポケットから携帯電話を取り出したので慌てて止める。ただでさえ武藤君には二人で芸術系の話をして盛り上がると宇宙人を見るような目で見られるのに、そんなこと聞いたら昼間からなんの話をしてるんだよって呆れられちゃうよ!!
「だけどさ、してた時に分からなかった?」
「そこまで意識してた訳じゃないし……」
「そういうことにまで気が回らないほど激しいのか真田さんって、いや、テクニシャンなのかな?」
そうかそうかとニヤニヤしながら一人で納得している。ちょっと待ってノンちゃん、変なイメージで色々と話を勝手に作り上げないで~!!
「それで真田さんは? 今日は派出所にいないよね、休みじゃないんでしょ?」
「うん。今日も普通に仕事の筈なんだけどさ。松柴署で昨日の空き巣のことで話を聞かれているのかもしれないんだけどそれにしても……あ、真田さん、来た」
話している途中で真田さんがオートバイに乗って派出所の前にやって来た。中にいた酒井さんが外に出てきて何か心配そうな表情をしながら真田さんの顔を覗き込んで話をしている。首を横に振った真田さんがチラリとこっちを見たような気がする。
「見るからに落ち込んでるね。こっちのことは私がしててあげるから行ってきたら?」
「行って何を話すの? 酒井さんだっているのに……」
二人が派出所の中に入ってからもチラチラと派出所の方を見ながらプランターを商店街側にある窓際に並べていると、しばらくして酒井さんが一人で出てくる。そして私のことを見てチラリと笑みを浮かべてからお店の入口の方へと回り込んできた。
「芽衣ちゃん、ちょっといいかな?」
「なんでしょう」
「開店準備で忙しいのは重々承知なんだけどさ、俺、これからパトロールに出るからその間に真田の話を聞いてやってくれない?」
「えっと……」
「ここは私に任せて行ってきていいよ。ややこしい事は殆ど終わってるし」
ノンちゃんが小さなプランターを棚に並べながら言ってくれたので私は頷いてその言葉に甘えさせてもらうことにした。そして酒井さんが自転車でパトロールに出発するのを見送ってから派出所の方に顔を向けると、真田さんがこっちを見ていた。あれ? なんか左目のところが変な色になってない?
「真田さん、なんか目のとこ変な色してるけどどうしたの?」
そう言いながら派出所の中に入る。うん、間違いなく赤くなってる。って言うか切れて腫れてる?
「……殴られた」
「え?! もしかして空き巣オジサンが暴れたの?」
「いや。親父に殴られた」
「……真田さんのお父さん? どうして?」
「未成年に手を出した愚か者ということで」
「……それって私のこと?」
真田さんは困ったような顔をしながら頷く。それよりその腫れているの何とかしないといけないんじゃ? 確か奥に冷蔵庫があったし冷凍室に氷もあったよね。いつものパイプ椅子に座る前に氷を取りに行ってポケットに入っていたハンカチに包む。
「真田さん、冷やしてた方が良いと思うよ」
そう言いながらハンカチを手渡した。それからパイプ椅子に座る。
「あのさ、私、十九才だから成人ではないけど未成年ではないと思うんだけど」
「それは分かってるよ。だけどうちの父親からすると違うらしい。で、昨日のことで親父に芽衣さんのことが伝わってわざわざ殴りに来やがった」
「真田さんのお父さんって警察官だよね?」
「ああ、警視庁にいる」
つまりは都内からわざわざ松柴署まで殴りにきたの?
「それで多分……芽衣さんのところにも現れると思うよ」
「え?! 私まで殴られちゃうの?!」
真田さんが避けきれずに殴られちゃうようなパンチを繰り出す人に殴られたら、私それこそ気絶して病院行きになっちゃうかも!
「違う違う、土下座しに」
「なんだ殴られるんじゃなくて土下座か……って土下座?!」
「不肖の息子がとんでもないことをしでかして申し訳なくというやつで……」
ハンカチで目のところを冷やしながら真田さんは溜め息をついた。
「あのさ、もしかして失敗しちゃったかもしれないってことも言ったの?」
「……」
その顔からして言っちゃったらしい。
「芽衣さん……」
「なに?」
「俺、色々と計画していたんだ。我慢できなくて芽衣さんに手を出したことでフライングしちゃったから結婚の申し込みはきちんと二十歳の誕生日の時にしようって。だけどこういう事態だから親父が乗り込んでくる前に言うよ。芽衣さん、俺と結婚してくれる?」
もうポカンとするしなかった。だって私の今の恰好、開店準備をしている最中だから汚れても構わない古いトレーナーにジーンズにお店のロゴマークが入ったエプロン姿なんだよ、しかも可愛げのない黒い長靴。真田さんは制服姿だから問題なくかっこいいけど片手で目を冷やしているし。お互いにこんな状態なのにプロポーズなんてありなの?
「あのさ、失敗したとは決まったわけじゃないんだよ真田さん。そんなに慌てなくても」
「だけど親父にあれこれ言われたからプロポーズしたなんて言われるのは嫌だ。俺は俺の意思で芽衣さんにプロポーズしたい」
「だけどそれだって避妊に失敗したと思っているからでしょ?」
あ、呻きながら机に突っ伏しちゃった。真田さん、ほら、もっとちゃんと冷やさなきゃ。
「もし赤ちゃんできてなかったらどするの?」
「そうしたら一日でも早く赤ん坊ができるように更に頑張る」
思いもしない言葉にちょっとビックリ。
「もしかして赤ちゃん、ほしいの?」
「当然だろ」
「そうなの……」
「芽衣さんは欲しくないのか?」
「そんなことないけどさ」
出会いからして普通じゃなかった私達、ドラマや小説とはちょっと違う展開だけどこういうのもありなのかな? 自分なりに想像していたプロポーズとはかなり違う気がするけど悪い気はしないかな。
「私、トレーナーに長靴なんだけどな……」
「芽衣さんらしいよ。それに何を着ていても芽衣さんは可愛いよ、もちろん何も着ていない方が俺としては嬉しいけどね」
机に突っ伏したままこちらを見詰める真田さん。
「学校行きながらでも赤ちゃん、育てられると思う? そうなったらしばらくはお母さんに来てもらわなきゃいけないけど。そういうのは嫌じゃない?」
「あそこは芽衣さんの家だろ? 俺は芽衣さんと一緒にいられるなら何処でも幸せだよ、芽衣さんのお母さんやお父さんのことだって好きだし」
「そう?」
「ああ」
ちょっと考えてみる。自分のお店と家が持てて更にそこに旦那さんが加わってもしかして赤ちゃんが加わるかもしれなくて。この年で自分のお城で自分だけの家族が持てるって素敵じゃない? そりゃあ色々と解決しなきゃいけない問題はあるけど大変なことより嬉しいことの方が断然多そう。
「だったらオッケーだよ、私、真田さんのお嫁さんになってあげる」
「本当に?」
「うん。でも……」
途端に真田さんが心配そうな顔をした。
「まさか昨日の今日でお父さんの言っていた言葉が本当になるなんて思わなかったかな~」
「どんな言葉?」
「昨日ね、娘をこんなに早く手放すことになるなんてって言ってたの。まさか翌日には実現しちゃうなんてもしかしたら寝込んじゃうかもしれない」
私の言葉に真田さんが可笑しそうに笑う。
「先ずはご両親に報告しに行かなきゃね。ああ、それより先にお店にいるノンちゃんに報告かな?」
体を起こした真田さんが派出所の外に目を向けてから微笑む。つられて振り返ると窓からノンちゃんが物凄い好奇心の塊みたいな顔をしてこっちを見ていた。
「あのさ、真田さん」
「ん?」
「どうして昨日は失敗したと思ったの?」
私の質問に真田さんは大笑いしながらイタタタタと顔をしかめた。
そしてその日の夕方、真田さんのお父さんと称する人がお店にやってきたんだけど、ノンちゃんが思わずヤクザが来た?!て呟いたぐらい怖い顔をしていたので本当にびっくりしちゃったよ。




