第二十三話 お城が完成しました
いよいよ今日は出来上がってきた看板を設置する日、つまりはリフォームの最終日。改めて出来上がった新居を見るとリフォームと言うより新築って言った方が良いんじゃないかってぐらい手をかけてしまった感じがする。それでも予算内で、しかも工期も短時間で収まったのは細々としたところで費用が掛かるデザイン料やその時間がノンちゃん達のお陰で圧縮できたからだと思う。それと設計事務所さんの御近所さんサービスのお陰もあるかな。
午後からの授業が無い日だったのでお昼前から設置作業が始まった。お店の前で設置するのを眺めていると真田さんと酒井さんが派出所から出てきて私の横に並んだ。
「看板、なかなか素敵だね」
「でしょ? ノンちゃんがデザインしてくれたの」
「ノンちゃんっていうとアメフトの彼氏がいる子?」
「そうそう」
流れるような書体で書かれた『espoir colline』、私が店名を話した時の真田さんと酒井さんの反応を愚痴っていたせいか、その下に最初には無かった筈の『エスポワール コリーヌ』というカタカナの文字がさり気無く付け加えられていた。目ざとくそれを見つけた二人がそこを指さしながら苦笑いをしている。
「芽衣さん、あのカタカナってもしかして俺達のせい?」
「もしかしなくても真田さん達のことを私がノンちゃんに愚痴ったせい。だけどフランス語だけだと正しく読めない人の方が多そうでしょ? だからカタカナ表記を加えるのは仕方がないねって話でね。その点も含めてデザインは考えてくれたんだよ」
だってノンちゃんの彼氏君もエスボイルって何?って言ったんだよ。分からないなりに頑張って読もうとしてくれたことに対しては評価するけどちょっと残念過ぎてノンちゃんはガックリしたらしい。けっして英語が不得手ではないノンちゃんの彼氏すらこれなんだもの、フランス語って英語ほどメジャーではないってことを改めて実感することになった出来事だった。
「なるほど」
設置が完了してから改めてお店前の広場の方へと視線を向ける。うん、駅の改札口から出てくると正面にお花屋さんのお花達が出迎えてくれるのってやっぱり想像していたよりいい感じだ。真田さんや酒井さんからしたら今まで向かい合っていたのが横に向いてしまったのでちょっと残念らしいから派出所に面している大きなガラス窓のところには綺麗なお花を並べておこうと思う。これで目の保養は確保されてるよね?
「それで今日は皆にお披露目?」
「そう。お花を入れてしまう前にね、広い店内の方でノンちゃん達も招待してちょっとしたパーティをするの。真田さんと酒井さんも仕事が終わってからくる? 御近所さん達が殆どだから多分そこそこ遅くまで皆でワイワイやってると思うよ」
私のお誘いに酒井さんが残念そうに首を横に振る。
「ご招待は嬉しいけど俺は今夜は娘の誕生日でね、遅くなったら娘に叱られちゃうよ。だから帰る前に芽衣ちゃんのご両親に挨拶だけして帰ることにさせてもらうよ」
「え、そうなの?! 酒井さん、そういうことは早く言ってくれなきゃ~! 何も用意できてないよ!!」
「いやいや、芽衣ちゃんにそんなことしてもらったら真田にどやされるから」
意味深な笑みを浮かべた酒井さんに指をさされて真田さんは顔をしかめた。
「俺、そこまで心が狭いことないですよ」
「いやいや、心が狭いとかじゃなくてお前さんの場合は芽衣さんに対する独占欲が強すぎるんだって」
「そんなことないですって」
「またまたご冗談を。こいつ、客にすら嫉妬するからね。残念ではあるけれど店の間口があっちに向いて良かったと思うよ、割とマジで」
「……そうなの?」
「そんなことないって」
私の問いかけに答える真田さんの横で酒井さんがいやいやと首を振っている。そう言われれば前もお店に来たお客さんを睨んでたことがあったっけ? あの時は私が怪我している時で頭が痛いのを心配してって言ってたけど実は違ったのかな。じゃああの時から真田さんは既に他の男の人に対して威嚇していたってこと?
「おや芽衣ちゃん、なんだか顔が赤いよ?」
酒井さんが愉快そうな顔をしてこっちを見ている。
「そんなことないですよ」
「あ、もしかして真田の規格外の独占欲が気に入っているとか? そりゃ失礼いたしました、おじさんの心配は要らないお世話だったんだな」
「違いますってば~~!」
酒井さんはそうかそうか御馳走様でしたと言いながら派出所の方へと戻っていく。
「酒井さん、帰る前に絶対にお店に寄って下さいね、娘さんへのプレゼント用意するから!」
ありがとさーんと言って酒井さんは派出所の中へと入っていった。そんな私の横で真田さんはそんなに独占欲強いかなあとぼやいていた。
「それで酒井さんの娘さんへのプレゼントはどうするつもり? 今から買いに?」
「何が好きとかそういうの分からないからフラワーボックスにする。それだったら飾れるし」
「フラワーボックス?」
「うん、花束の箱版だと思ってくれたら良いかな。酒井さんもバイクで本署に戻らなきゃいけないでしょ? 花束なんかにしたら持ち帰るの大変だしお花も可哀想だから箱詰めにするの」
確か酒井さんのお嬢さんって二人いたはず。小学校低学年と幼稚園ということなのでどっちの娘さんの誕生日でも良いように可愛らしいお花を選ぶことにした。こういう時に思うのよね、温室栽培や輸入が盛んになっている時代で良かったって。今のご時世、お客さんの要望があれ真冬にひまわりだって用意できるんだものね、本当に凄い時代になったものだとお母さんやお婆ちゃんはいつも感心している。
「俺でも手伝える?」
「真田さんは仕事中でしょ? 最後のリボンかけぐらいなら呼んであげるけど」
さすがに仕事中のお巡りさんをお店に呼ぶわけにもいかないしね。
「俺、その手の作業、まったく出来ない」
「そうなの?」
お巡りさんだら器用そうに見えるけど違うのかな? よくご近所のお年寄りが自宅で困っていると真田さん達が手助けをしているって話だったから、てっきり器用なんだとばかり思ってた。
「箱を一本のリボンで縛るなんて出来そうにないよ」
真田さんの言葉で私の頭の中に浮かんだのは怖い顔をした熊のお巡りさんが箱をグルグル巻きにしているシーンだった。どう考えても可愛いリボンかけって雰囲気じゃない。
「リボンかけなのに真田さんが言うと犯人を縛ってるみたいに聞こえる」
「そんなこと言われても。とにかく俺には出来そうにないから遠慮しておくよ。その方が平和な気がしてきた」
じゃあその代わりにメッセージカードを入れる時に連名にしておこうかな。あ、そうそう、最初の質問にまだ答えてもらってなかったっけ。
「えっと、それで真田さんはパーティの方はどうする?」
「そうだなあ、何事もなければ仕事が終わってから顔を出すよ、渡したいものもあるし。ああ、そういうのじゃないから安心して」
また何かとんでもない石関係を買ってきたんじゃないかって警戒したのが分かったのか、私の顔を見て可笑しそうに笑いながら言い足した。
「新居完成のお祝い。ちゃんと常識範囲内のものだから」
「だと良いんだけど。あ、そうだ。あのね、枕が昨日の夜に届いたよ」
私の報告に真田さんは意味深な笑みを口元に浮かべた。そうして私の方に体をかがめると耳元で囁いた。
「だったらさっそく使い心地を確かめないとね。今夜はこっちに御両親は泊まる予定?」
仕事中だから周囲に聞こえないようにヒソヒソ声にしたんだろうけどその体をかがめた態勢が逆に親密な感じになっちゃって逆に顔が赤くなってしまった。うーん、ありすぎる身長差ってのも考えものだ。そんな私の顔を見て真田さんもまんざらではなさそうだしこれってもしかして分かっててやってる?
「えっと、たぶん泊まらないと思う」
「なら決まり。じゃ、楽しみにしてるよ」
そう言って派出所の方に戻っていった。その背中を見送りながら気が付いた、真田さんがうちに来るのも泊まるのも初めてじゃ? 新しい歯ブラシとかあったよね、あと何か必要なものは無い?! えっとパジャマは? あ、着る必要ないの、かな……? いやいや!! それは私の平安の為にもやっぱり必要だよね?! フラワーボックスも用意しなきゃいけないし、真田さんがお泊りする為の用意もしなきゃだし、夕方まで忙しくなりそうだから急がなきゃ!!
++++++
「芽衣ちゃん、さっき酒井さんに渡したあれは?」
仕事が終わってからこっちに立ち寄った酒井さんにショーケースに入れておいたフラワーボックスを渡したところを見ていたお母さんが尋ねてきた。
「あれ? 酒井さんとこのお嬢さんの誕生日が今日だって聞いたからプレゼントのフラワーボックスを急遽作ったの。助かったよ、ショーケースだけでも先にこっちに入れておいて」
このショーケースはうちで前から使っていたものを、暖色系で統一した新しい店内に合わせて外装を木目調にしたもの。こういうのってなかなか手をかける機会が無いからって工務店のおじさんが張り切って作り直した自信作なのだ。職人さんっていうのは本当に凄い、一度その気になるととことんまで凝っちゃうみたいでお陰で新しいお店は予想以上に素敵な感じに仕上がっている。店内の装飾にあれこれと意見を出していたノンちゃんも大満足で、自分が手掛けたところを自慢げに彼氏君にあれこれ説明していた。
「明日は朝からお店の開店準備をしなきゃいけないだろうし、そろそろお開きにした方が良いかしらね」
食後のお茶を飲みながらそう言ったのは櫻花庵のおばちゃんだ。ノンちゃん達は明日も一時限目から講義があるので一時間ほど前に帰っていった。私はというと明日から松岡生花店を臨時休業にして三日後からエスポワールコリーヌとして営業を開始する準備をする予定。だから明日からはしばらく学校を休んでちょっと忙しく動く予定なのだ。
おばちゃんの一言でお披露目のパーティはお開きということになって、残っていた女性陣で片付けることになった。そんな女性陣に混じって真田さんはテキパキと手伝いをしてくれていて何だかそれがとっても自然な感じだった。
「真田さん、別に手伝わなくてもいいよ。こっちでお父さん達と一緒にノンビリしてくれていたら良いんだからね。ほら、お父さんも言ってあげてよ」
「このぐらい何てこと無いよ。それに手伝ったらそれだけお母さん達が早く終われてゆっくり出来るじゃないか」
真田さんは「きっといい旦那さんになるわね」と櫻花庵のおばちゃんや澄ママ達に褒められて……って言うかからかわれてちょっと恥ずかしそうに笑っている。そんな様子をお父さんが複雑な顔をして見ていて他のおじさん達に慰められていた。
「お父さん、目が死んでる……」
「そうかい?」
ほら、目が虚ろだよお父さん。
「お店を新しくしちゃったこと、嬉しくない?」
「そんなことないよ。ここが芽衣の店として生まれ変わって嬉しいさ」
それが小さい頃からの芽衣の夢だったからねと微かに微笑む。
「だけど目が死んでるよ」
「何て言うかね、こんなに早く娘を手放すとは思ってなかったからねえ……」
「手放すって、私、まだお嫁に行ったわけでもないのに」
「このままだと時間の問題だよねえ……」
はあああと溜め息をつくお父さんとそれを笑いながら慰めているらしいおじさん達。お父さんがあまりにも落ち込んでいるものだから真田さんもさすがに心配になったのか、もう遅いからお父さん達に泊まっていってもらえば?って言ってくれた。で、お父さんはじゃあそうさせてもらおうかなって頷こうとしていたんだけど、そこへすかさずお母さんがやって来て「私達もお婆ちゃんちでしなきゃいけないことがまだあるから帰らないと」とものっすごい微笑みをお父さんに向けた。うわあ、久し振りにお母さんの怖い微笑みを見てしまった……。
「えーと、それはだねえ……」
「ね、そうよね、お父さん?」
このお母さんの怖い笑顔を向けられたらお父さんも頷くことしか出来ない。片づけが終わると可哀想なぐらい情けない顔をしながらお母さんに引き摺られるようにして帰っていくことになった。
「さすが芽衣さんのお母さん……」
そんな二人の姿を見送りながら真田さんは感心したように呟いた。