第二十二話 お巡りさん、職質される
「んー……これ、かなあ」
ゴロンと寝っ転がって天井を眺めながら呟いてみる。今日は新しいベッドを選びに家具屋さんに来ている。最初はお母さんと一緒に来る筈だったのにいつの間にか買い物のお供が真田さんに変わっていて、さっきからベッドが展示販売されているところで寝っ転がっては寝心地をお試し中の私に嫌な顔もせずに付き合ってくれていた。
「どう? 今度のは気に入った?」
「うーん、さっきのと甲乙つけがたいって感じ。だけどこっちの方が床からの高さが低いからウッカリ落ちてもダメージが少なくて良いかも」
「芽衣さんってそんなに寝相が悪かったっけ?」
「そんなことないけど万が一ってやつ。だってほら……」
一人ならこれだけ幅があるクイーンサイズのベッドで落ちることは先ず無いとは思うんだけど、これからは一人じゃない時もある訳だしそういう時にもしかしたら落っこちる可能性だってあるかもしれないじゃない? 床はフローリングにするから落ちたらそれなりに痛い筈だし。
「真田さん、どっちが良いと思う?」
「俺は芽衣さんが気に入った方で構わないと思ってるんだけど」
「試しにさっきみたいに寝っ転がって感想聞かせてくれる?」
「……分かった」
そう言って真田さんが横に腰掛ける。そして直ぐに首を傾げながらウーンと唸った。
「芽衣さん、これ、寝心地以前に俺には低すぎるかもしれない」
「座った感じが?」
「椅子代わりに使う訳じゃないから問題ないって言えば問題ないんだけどね」
確かに足の曲げ具合からして窮屈そう。
「だったらさっきのにする。あっちはそんなことなかったし」
「ごめん。もし芽衣さんがこっちの方が良いんだったら俺のことは気にしなくても構わないんだよ、これはあくまでも芽衣さんのベッドなんだから」
「どっちにしようか決められなくて真田さんに寝っ転がって寝心地を確認してもらうつもりでいたんだもん、だからあっちで問題ないよ。だけど背が高いのも大変だね、私は自分にもう少し身長があったら良いなって思っている方だけどさ」
あと実は今度の家のトイレも前の時のより便座に座った感じが高いんだ。別に私のお尻が便座に嵌っちゃうとかそういうのじゃないから構わないけど、古いのと新しいのではこんなにもサイズが違うんだと変なところで感心しちゃってお母さん達が真田さんの身長のことをちゃんと設計事務所の人に伝えておいてよかったと改めて思った次第。
「あとは枕だけかな。それは適当に決めちゃう?」
「枕の高さ調節もいたしますよ。奥様と御主人様とでは体格の違いもありますから、その分お高くはなりますが同じものよりそれぞれに合わせた方がよろしいかと」
一緒に回ってくれていた店員さんがさりげなく提案してきてくれる。なるほど、枕が違うと寝つきが悪かったりするものね。マイ枕ぐらい自分にピッタリの物を買った方が良いかもしれない。そういう訳で二人で枕の高さ調節という初めての体験をさせてもらうことにした。
「奥様と御主人様だって」
何だかくすぐったいねと笑いながら店員さんの後ろをついていく。
「俺は悪い気はしないけどね」
真田さんはちょっとだけ満足げな笑みを浮かべていた。それから二人に合った枕を作ってもらってベッドと共に来週中に届けてもらう手配をして今日のメインイベントは終了。
「でもさ、意外と枕の高さ調節って細かい作業なんだね。あんな風にタオル一枚分の高さの違いなんて寝ていて自覚できるものなのかな」
「俺もちょっとビックリしたよ。あの枕を使うのが楽しみだ」
「私も。タオル一枚を低くした成果を早く体感したいな~」
私、枕の高さなんてもっとざっくりと決めるものだと思っていたんだよね。そしたらある程度の高さを決めて終わりってわけじゃなくて、その高さに何枚も重ねたタオルを一枚ずつ外していくっていう細かい作業が待っていた。店員さんが言うには自分に合う高さの枕だと肩凝りとか全然違うんですよってことらしい。訪問販売で同じこと言われたら胡散臭いから断っちゃいそうなことなんだけど今回の体験は意外と面白かった。ここしばらく肩凝りが辛いって言っていたお婆ちゃんももしかして枕が合わなかったりするのかな、だとしたら次の敬老の日のプレゼント、お婆ちゃん専用の枕にするのも良いかも。
「ところで芽衣さん、まだ時間の方は問題ない?」
「んー? お店のことなら大丈夫だよ、今日はお婆ちゃんが手伝いに来てくれているから」
ここしばらくプチリフォームに備えて片付けを優先していたお婆ちゃんなんだけど今日は久し振りにお店の手伝いに来てくれている筈。まあ本当のところはこっちの家がどんな感じなのか気になって見に来たかったっていうのが本音らしいんだ。きっと今頃はお店のことほったらかしで工事中の家の中を探検しているに違いない。大工さん達の邪魔にならなければ良いんだけど……。
「じゃあさ、今度は俺が行きたいところに付き合って。芽衣さんに選ぶの手伝ってもらいたいんだ」
「私で分かるものだといいけど」
「大丈夫、大丈夫。芽衣さんでないと駄目なものだから」
「そうなの?」
「ああ」
私でないと駄目ってことは何処かに飾る観葉植物でも選ぶつもりなのかなって呑気に考えていたら連れて来られたのは有名なジュエリー関係のお店だった。雑誌では見たことあるけど中に入ったことのない私にとっては異世界のお店!!
「……真田さん、ここメチャクチャ有名だけどメチャクチャお高いとこじゃ……?」
「メチャクチャ有名なのは同意するけどメチャクチャお高いとは言えないと思う。友達に聞いたところによると商品に対しては妥当な価格だって話だったよ」
「でもでもでも! こんなお店で選ぶのなんて無理だよ、私、こういうのさっぱりだし、高価なお花ならともかく石関係は無理ぃ……」
妥当って誰基準での話ってやつでとても宝飾品の選択には責任持てないよと尻込みしてしまう。
「でも芽衣さんでないと駄目なんだよ、芽衣さんに身に着けてもらいたい物を買うんだから」
……え、今なんて?
「芽衣さん、生きてる?」
「イキテル」
「これはあくまでも俺の我がままで芽衣さんが俺のカノジョだっていう証みたいなものを身に着けてほしいわけ。クリスマスに何も渡せてなかったし本当ならこっそり用意しようかとも考えたんだけどこの手の俺のセンスって本当に当てにならなくてね。だから芽衣さん自身に選んでもらいたいんだ」
だからそんな堅苦しいことじゃないんだよって言われても慰めにならない……。
「真田さん、私、そこまで高価なものじゃなくても。ほら、花束とかそういうのでも嬉しいから」
「花は芽衣さんの方が詳しいから太刀打ちできないじゃないか。だからこっち」
そういう問題じゃないよと尻込みする私と何とかお店に連れて入ろうとする真田さんの間でちょっとした攻防戦が勃発。何だかんだとお互いにお喋りに夢中になっていたから後ろから人が近付いてきたことに全く気が付かなった。
「あー、もしもし、そこの人。こちらの店から外で女性が不審な男に絡まれているという通報があったんですけどね、もしかしてお宅さん達かな?」
咳ばらいが聞こえたと思ったらそんな声が背後から飛んできた。振り向けばお巡りさん。しかも背がめちゃくちゃ高い、もしかして真田さんより高いかも?
「だっ、まっ」
そのお巡りさんに目を向けた真田さんが変な声を出して黙り込んだ。ダマ?
「真田さんのお知り合い?」
「……」
「だまってなんだ、だまって。もしかして黙れって言おうとしたのかな、警察官相手に。あ、それとも実家の飼い猫とでも思ったとか?」
それはダマではなくタマでは?と密かに突っ込みを入れながら真田さんと突然現れたお巡りさんを見比べる。あ、路肩にパトカーまで止まってる……ってことは本当に私達は通報されちゃったの?
「何しに来た」
「だから通報が」
「嘘をつけ嘘を! ここに来て五分も経ってないぞ!」
「警ら中に怪しいオーラに導かれて」
「そっちの方がよっぽど怪しいわ!!」
真田さんがいつもの怖い顔をしているのに相手のお巡りさんは平然としている。そりゃそうだね、お巡りさんだもん、怖い顔をした相手に睨まれたぐらいで簡単には怯む筈がない。だけどこのお巡りさん、平然としているって言うより何となくだけどニヤニヤしてない? ほら、目の辺りだけが。それに気が付いたのか真田さんはますます怖い顔になっちゃってる。
「あの真田さん、もしかしなくてもお友達?」
「……こんなヤツ、友達なものか」
そのお巡りさんが私の方に目を向けた。一瞬だけ怖い目つきになったような気がしたのは気のせいかな?
「ああ、ご挨拶が遅れまして。ここにいる目つきの悪い男の弟です」
「……お、弟さん?!」
「あれ? もしかして俺の存在は無いことになってましたか?」
その問いかけに慌てて首を横に振る。
「そんなことないです、お父さんも弟さんも警察官だってことは聞いてました」
「そうなんですよ。ですから警ら中で今ここにいるわけです。で、現在は職質中ということですね、この目つきの悪い男に対して。えーとそこの不審なお兄さん、お名前は? 身分証明書は何かお持ちですか?」
「何が職質だ、いきなり現れやがって」
「こちらのオネーサンが嫌がっているのに無理やり連れ込もうとするからだ」
「人聞きの悪い言い方をするな」
「どこがだ、事実だろ」
嫌がっているわけじゃなくて尻込みしているだけなんだけどな。ほらここ、週刊誌で噂になった芸能人がペアでしている指輪のメーカーとかでよく出ているお店なんだもん、真田さんの気持ちは凄く嬉しいけど何だか私には似合わないって言うか私が不釣り合いって言うか……。そんなことをボソボソ呟いていたらいつの間にか二人がこっちを見下ろしていた。さすが兄弟、ちょっと強面な感じも良く似ていて揃って見詰められると二倍で怖い……ううん二乗かな。
「兄にとってそれだけの価値がオネーサンにはあるってことでしょう」
「芽衣さんと石を一緒にするな」
「また訳の分からん理屈を……。職質再開するぞ」
目の前で仕事中のお巡りさんと仕事中でないお巡りさんが言い合いを始めてしまった。
「あ、あの、真田さん?」
「「はい」」
そうだ、二人とも真田さんだった……。
「お巡りさん同士仲良くしましょう……」
「ですよねえ。ほら、一般市民にこんなことを言われて恥ずかしくないのか、兄貴」
「お前が言うな、お前が」
誰か止めてあげて……。
+++++
「ねえ、真田さん」
「んー?」
真田さんは私が首からさげているペンダントを弄りながらご満悦だ。結局あの後なんだかんだと言いくるめられて気が付いたらお店の中にいた。一旦お店に入ってしまうと尻込みしている暇なんてなくて、美人で感じのいい店員さんがあれこれ楽しいお喋りをしながら私の気に入りそうなペンダントトップを並べてくれていた。お客さんとの何気ない会話の中からその人の好みを正確に汲み取っていく接客術はさすが一流のお店と言われるだけのことはあるって感心しちゃった。こういうところは私も見習わなきゃいけないなって思う。
「弟さんって幾つなの?」
「俺より二つ下だから今年二十四歳になるかな」
「ってことはお巡りさんになってまだ一年?!」
そりゃ真田さんの弟さんなんだからそうなんだろうけど、とてもお巡りさんになってから一年とは思えないベテラン臭が漂っていた。ちょっと驚きだ。そんな感想を口にすると真田さんはそれはねと種明かしをしてくれた。
「あいつは高校を卒業して警察官になったからね。警察官としては俺の先輩なんだよ」
なんでも弟の正則さんは高校卒業後に一年ほどバックパッカーをして世界中を歩き回ってから警察官になったんだとか。出発する前に何でそんなことを?って尋ねたら日本の治安の有難味を知りたいからだって答えたらしくて、身を以て体験するのは結構なことだけど考えてみたら無謀すぎるよねと真田さんは苦笑いした。
「そうなんだ。じゃあパトロール中に怪しいオーラに導かれることって本当にあるのかも」
「それは絶対に無いから」
だったら私達の前に弟さんが現れたのは単なる偶然だったの?って話よね、すっごく怪しいと思えるのは私だけ?




