第一話 恋の予感は暴走自転車と共に
「わわわわわわ!!」
超ヤバい、物凄いヤバい、これはかなり本気でマジにヤバいっ!! 私の人生、まだ十九年と三ヶ月と十日なのに今日ここで終わっちゃうかも!!
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「バイト代のため~なら、え~んやこ~ら~」
力一杯自転車のペダルをこいでいるから古臭い歌に妙なこぶしがきいてちょっとした演歌歌手の気分だ。それもこれも全てがこのだらだらと続く坂道のせい。
私がバイトしているお店の松岡生花店は希望が駅の駅前に位置している。つまり希望が丘駅前商店街の南端ってことね。んで、配達を頼んでくるお花の教室の先生や奥さん達はそことは反対側の北側の山の手にある住宅地に住んでいる人が多くて、そのお宅に続く道は何処をどう通ってもずーっとだらだらと続く坂道なのだ、しかも上り坂の。その坂道の先は希望が丘の地名通り丘のてっぺんで、そこには小学校から大学院まである光陵学園とその大学附属病院の建物が建ち並んでいる。
最近は駅から病院までのシャトルバスが運行されるようになったから楽になったらしいけど、昔はここを学生さん達がひーひー言いながら通学していたらしい。だけど私が今から行くのはバス停なんて存在しない住宅地のど真ん中。
とにかく、私が言いたいのはこの坂道は自転車で配達するには向いてないってこと。取り敢えず免許もあることだしそろそろ配達用の原付バイクを買ってもらわなきゃいけないと思う。
「こんにちはー、松岡生花店ですー」
そして二十分後に何とか目的地のお宅に到着。自転車を止めると籠に入れていたお花を抱えて純和風な佇まいの門をくぐる。今日の配達先はここ、綾部さん。お婆ちゃんが元華道のお師匠様で教えるのをやめてからもこうやって自宅に飾る為のお花を時々注文してくれているのだ。
「いらっしゃい、たいした量じゃないのに御免なさいね」
「いえいえ、こちらこそいつも有り難うございます。今回のご注文は桔梗と撫子で良かったんですよね」
「ええ。お庭に女郎花も咲き始めたから秋の七草で玄関を飾ろうと思って」
ここの中庭を一度見せてもらったことがあるんだけどそれはそれは素晴らしいお庭だ。同じようにお花を届ける葛木さんのお宅の中庭も苔が敷き詰められていて綺麗だけど、綾部さんのお宅はとにかく華道の先生らしく四季折々のお花が咲いていていわゆる日本風のイングリッシュガーデンなのよね。
「だったらススキは良かったんですか? 最盛期ではないですけど入荷は始まってますよ?」
「ススキはお月見まで待とうかなと思ってるの」
「なるほど」
お花を渡してお代金をいただいてから出ようとするとお婆ちゃんに呼び止められた。上り坂は大変だったろうからお茶でも飲んで休んでいきなさいってことで櫻花庵さんの黒蜜団子をご馳走になることに。こういうのが配達の役得ってやつよね。
坂道は大変だったけど綾部のお婆ちゃんの嬉しそうな笑顔と美味しいお菓子で御機嫌な私は、綾部さんのお宅を出ると鼻歌を歌いながら坂道を下った。あの黒蜜団子、美味しかったな。お土産に買って帰るのも良いかも。しばらく下っていきながらちょっとスピードが出過ぎかなって思ってブレーキをかけようと手に力を入れた。いつもだとそこで直ぐに減速するのに何故か今日は握った感触もスカスカでスピードが落ちる気配が無い。
「え……あれ?」
なんど握っても反応は同じでスカスカってなるだけ。こ、これはもしかして自転車のブレーキワイヤーが切れたとか?! こ、これはヤバイかも!!
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とにかくダラダラ坂だと思って私はこの坂道を嘗めてた。ブレーキがまともに効かないまま走り続けた自転車はあれよあれよという間に加速がついていて、既に両足で地面を踏ん張って止められるスピードじゃなくなっている。
「わわわわわわ!!」
超ヤバい、物凄いヤバい、これはかなり本気でマジにヤバいっ!! 私の人生、まだ十九年と三ヶ月と十日なのに今日ここで終わっちゃうかも!! ……松岡芽衣、十九年三ヶ月と十日の短い人生でした!!
だけどちょっと待ってと日頃から楽天的な私の脳の一部が何やら突然にピコーンと思いつく。もしかしたら坂道が終わるまで転ばずに走り続けてそのまま商店街に突っ込めば、あそこは平たい道だしそのまま着陸した飛行機みたいに減速できるかも! 後から考えたら馬鹿なの死ぬの事故りたいのと言われそうなことなんだけど、その時は結構自分でも良い解決策が浮かんだって思ったのよね。だから何とかそのまま横転だけはしないようにとハンドルを握り続けたわけ。
だけど世の中そう思うように行かないもので、何故かこういう時に限ってやたらと人とすれ違う。もちろん相手の方がこっちの迫力に気圧されて避けてはくれているんだけど、私としては下手にハンドルを切るとそのまま横転しちゃうから直進しかできないし生きた心地がしなかった。だって自転車がぶつかって亡くなる人だっているのよ? このスピードじゃ絶対に大事故だもの。
とにかく商店街まで辿り着ければ……。
「わわわわわわわわっ?! ちょ、ちょっとそこの人、どいてぇぇぇぇ!!」
かなり先にある横の通りから自転車に乗ったお巡りさんが出てきたのが見えた。自転車でお巡りさん跳ねたりしたら私ってば逮捕されちゃうんじゃ?! いやいやいや、逮捕される前に二人して空中分解かも!! 自転車事故でスプラッターなんてちょっとイヤだぁ!!
そんな私の思いを知ってか知らずかお巡りさんはこっちを見て驚いた顔をしている。驚いても良いからそんなところで立ち止まらないでぇ!! しかも自転車から降りたし!! どいてったらあ!!
「どいてったらぁぁぁ、こっちは止まれないんだからあぁぁぁぁぁ!!」
もうこれは新聞の一面に載っちゃうかもしれない、さようならこの世さん、楽しい事まだまだ色々と経験したかったけどね!なんて思いながら思わず目を閉じた。こういう時って本当に走馬灯のように今までの人生の出来事が頭の中を駆け抜けていくんだなって変なところで冷静な自分がいた。数秒が数十分みたいな感じで時間がのびるっていうのかな? 後からこの時のことを改めて思い起こしてみると本当に不思議な体験だった。
ガクンと体に衝撃が入ってガシャーンと物凄い音が少し離れた場所でした。もしかして私、既に魂が体から抜け出ちゃっている幽体離脱状態とか? まあ痛くなかったから良かったけど。
「君、大丈夫?」
あの世からのお迎えなんて信じてなかったけど実際はこうやってお出迎えしてくれるんだ。しかも大丈夫?なんて気遣ってくれさえするなんて御先祖様だか何だか知らないけれどあの世の住人さんって優しいのね。死人なんだからもう痛いとかそういうの関係ないのに。
「よく人にも電柱にもぶつからずにここまで来れたね。まあ自転車はあの通りグチャグチャだけど」
「……?」
あの世の人なのにやけに自転車のことを気にしている。
「人にぶつからなくて良かった。もう目を開けても大丈夫だよ」
「???」
そう言われてギュっと目を閉じていたことを思い出した。なので言われた通りにそろそろと目を開けてみる。先ずは右目だけ。なんとなく視界がいつもより高い気がするのは魂がフワフワ浮いているからとか? あ、でも足はあるみたい。そんなことを思いつつ何気に上の方から視線を感じたのでそちらに目を向けると何だか怖い顔がこっちを睨んでいる。
「……ヤバい、地獄に来たっぽい」
「なに言ってるの、君、死んでないから」
少し呆れた口調でそう言うとお巡りさんは抱き上げていた私のことをそっと下ろして立たせてくれた。良かった、足があるのは気のせいじゃない。私、生きてる!! そう思った途端にヘニャヘニャと足から力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「良かったあ……死ぬかと思ったよぉ……」
「だから死んでないって言っただろ? 立てる?」
「無理ぃ……」
「仕方ないな、ほら、自転車の後ろに乗せてあげるから少しだけ頑張って」
お巡りさんは私のことを引っ張り上げると、体を支えながら自分が止めていた自転車の方へと連れて行ってくれる。二人乗りはダメなんじゃ?と呟けば貴方が歩けないんだから緊急避難的措置ですという素っ気ない返事が返ってきた。