第十八話 芽衣さんとお巡りさんの大晦日
大晦日。
月読神社に向かう人で混雑している改札口を出ると真田さんは約束のとおり派出所の横に立っていた。そこに立っているせいか非番で私服なのに道を尋ねる人に何度も声をかけられている。やっぱり根っからのお巡りさんだってのは雰囲気で分かるのかな。
「真田さん、お待たせ~!」
高校生ぐらいの男女二人に道案内を終えて軽く溜め息をついたところで声をかけるとあからさまにホッとした表情をしたのが何だか面白い。
「早かったね」
「そう? でもお蕎麦、早く食べたいでしょ?」
そう言いながら手にした紙袋を持ち上げると真田さんは持つよと言ってそれを私の手から取り上げた。紙袋が思っていたよりも重かったみたいでちょっと驚いた顔をしながら中を覗き込んでいる。
「これ、かなり重たいけど何が入ってるんだ?」
「お蕎麦だけじゃ寂しいだろうからって天ぷらにする為のお野菜と海老とかを持たせてくれたの。野菜はね、お婆ちゃんちの畑で獲れたものも入ってて凄く美味しいから。あ、真田さんち、天ぷら鍋ある?」
「大丈夫。男ばかりの職場でよく皆で集まっては夕飯を食べていたから大抵のものは揃っている筈だよ。ああ、でも天ぷら粉が無いかもな」
「じゃあ途中にあるスーパーで買っていけば良いよね」
実は今日は真田さんちにお呼ばれしているのだ。お家で夜ご飯を食べて紅白でも見て、それから初詣に行こうってことになっている。お泊りは……どうなのかな、お母さんは別に構わないわよってお父さんに聞こえないようにこっそり言ってくれたけど真田さんがどういうつもりでいるのか全然分からないんだもの。前に言ってたみたいに二十歳になってからとかそういうのに拘っているんだったら初詣が終わったらお婆ちゃんちに送ってくれるつもりでいるのかもしれない。
「どうした?」
「え? うーん、結局、自力で真田さんちを探し出すことが出来なかったなあって」
「今から頑張ってみる?」
「そんなことしていたら寒くてお腹空いちゃって倒れちゃうから手っ取り早く連れてってもらう方が良いな」
「分かった。じゃあ天ぷら粉を買ってさっさと行こうか。芽衣さんが夕飯を準備している途中で空腹で倒れたら困るし」
二人でスーパーに向かいながらそう言えばと思いつく。
「そう言えば真田さん、実家って何処?」
「都内だよ」
しかもお父さんもお爺さんも警察官で更には弟さんもお巡りさんなんだって。つまりは警察官一家ってやつ。それって凄いことじゃない?
「お正月は帰らなくても良いの?」
「俺が実家に帰ったら芽衣さんと年越し出来ないじゃないか。今年は彼女と年越しするからそっちには年が明けたらどこかで顔を出すって言ってあるよ、だから心配しなくても大丈夫」
「なら良いんだけど」
彼女と年越しだって。彼女って私のことだよね? 改めて言われるとなんだかこそばゆい感じ。
「あ、そうだ。だったらさ、明日はお婆ちゃんちに来る? お雑煮とお節、たくさん作ってるから一人ぐらい増えても大丈夫だよ」
「そっちだって親戚が集まるんじゃ?」
「それはそうなんだけど」
だけど元旦はやっぱりお雑煮とお節を食べないとお正月って感じがしないし、どうかなって思ったんだけとな。
「別にイトコ達にお年玉渡せなんて話にはならないから大丈夫だよ」
「まあその時になってから考えようか。先ずは年越ししないと。来年のことを言うと鬼が笑うて言うだろ?」
「来年って言っても明日じゃない」
しかもあと数時間だよ、幾らなんでも鬼さんだって笑わないんじゃ? そう言い返してみたけど真田さんはまあまあそんなこと言わずにとか何とか言っちゃって相手にしてくれなかった。ちょっとムカついても良いかな。
それから立ち寄ったスーパーで天ぷら粉と何となく美味しそうって思えてたアイスクリームとミカンを買って真田さんちに向かうことにした。真田さんちは中央広場を横切る道を桜川の方へと歩いて行った先にある三階建てのこじんまりしたマンション。普段はここから先ずは所轄の警察署にバイクで行ってそっちで制服に着替えて点呼をしてから自転車でこっちの派出所に戻ってくるんだって。規則とは言え面倒臭いんだね、お巡りさんって。
「真田さんは前からここに住んでたの? えっと、機動隊にいる時から」
「あっちにいた時は職場近くの独身寮にいたんだ。ここには異動した時に引っ越してきた」
松柴署の近くにも単身者用の寮があるらしいんだけど時期外れの異動だったから空き室が無くてここにしたらしい。
「へえ……お邪魔します~」
男の人が一人暮らししている部屋に入るの初めてだから色々と興味津々。漫画とかで出てくるみたいにもっとゴチャゴチャして雑然とした部屋を想像していたから、思っていたより綺麗に片付いていてちょっと拍子抜けかな。そんな感想を口にしたら芽衣さんが来るって分かってたから急いで片付けたんだよって真田さんが笑いながら言った。着てきたコートを脱ぐとハンガーを持ってきた真田さんが自分の部屋にあるラックにかけてくれる。そこにあるのは背の高い真田さんにピッタリの大きなベッド。幅も私の部屋にあるのより1.5倍ぐらいあるんじゃないかな。
「ん? どうかした?」
「ううん。あのさ、エプロンとかないよね?」
「エプロン? ああ、揚げ物をするんだもんな。多分あると思うよ」
「え、あるの?!」
持ってこれば良かったなと思いつつ駄目モトで聞いてみたんだけど意外な答えに驚いちゃった。だって真田さんがエプロンしているところなんて想像つかないんだもん。想像してみても何だか微妙な感じだし?
「もしかして元カノが使っていたやつとか思ってる?」
私が意外そうな声を上げたものだから可笑しそうに笑った。……うん、一瞬だけあの元カノさんが使っていたものかなとか考えたんだけど違うのかな?
「残念ながら俺が使ってたものだよ」
引き出しの中から出てきたのは想像していたようなヒラヒラしたフリルが付いているのとか可愛いアップリケがあるよあなものじゃなくて極々普通のあっさり系のエプロン。ガッカリしたのが半分、ホッとしたのが半分、かな。
「まあ最近はわざわざ出して使うのが面倒だから引き出しにしまいっぱなしだったんだけどね。俺も手伝うから何をすれば良いのか指示してくれる?」
「殆ど下ごしらえは終わってるから私一人でも大丈夫だけど」
「だからって芽衣さんにさせて俺だけノンビリって訳にもしかないだろ? じゃあ紙袋から全部出してみてどう分担できるか考えようか」
そう言って真田さんはテーブルの上に紙袋の中身を並べ始めた。そこからは何だかんだと言いながら主導権を握っていたのは何故か真田さん。そりゃ初めて訪問したお宅なんだから勝手が分からないのは仕方がないけど、そこはやっぱり女子としてのプライドもあるわけで、せっかくエプロンを出してもらったんだから天ぷらを揚げるのだけは死守することにした。だけどそれもご不満みたいなのよね、目の前にいるお巡りさんは。
「芽衣さんはお客さんなんだから、ミカンでも食べながら俺にあれこれ指示を飛ばせば良いじゃないか」
「そんなわけにはいかないでしょ。真田さんがお台所にいるのに私だけミカン食べながら見物してるなんて出来ないよ。だから天ぷらは私が揚げる」
かき揚げにする野菜と貝柱が入ったボウルをしっかりと抱えた。だって油断していたら何だかんだ言いながら取り上げられそうなんだもん。そんな訳でお互いにやる事の取り合いをしながら年越し蕎麦の用意をした。これって何だかあれだよね、ちょっとした新婚夫婦の真似事みたいな感じ?
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「昌胤寺さんの鐘つき、行けば良かったかな」
紅白が終わってテレビを消して窓を開けると昌胤寺さんの鐘の音が聞こえてきた。
「一年間の煩悩を落とすために?」
「うん」
私の後ろから窓の外を覗いていた真田さんは首を傾げる。
「俺は今年の煩悩は落としたくないかなあ……」
「そうなの?」
「だって今年の煩悩の殆どは芽衣さん絡みだからね」
勿体無くて落としたくないかなだって。真田さんって普段は真面目なお巡りさんなのに二人っきりになるとホント、急にこっちが聞いてて恥ずかしくなっちゃうようなことをサラリと言ってくるから油断がならないんだよね。まあ私が免疫無いだけなのかもしれないけどさ。
「でも一年の締め括りだし」
「俺だったら一年の締め括りには芽衣さんとキスをして、一年の始まりも芽衣さんとのキスで始めたいかな。もちろんそれ以上のことをさせてくれるなら大歓迎だけど」
真田さんってば新年を前にして急にエロモードに入った? どうしちゃたの、天ぷら粉に変なものでも入ってたかな?! それとも野菜に変なものでも紛れ込んでた?! お婆ちゃん、毒キノコとか入ってなかったよね?! 真田さんの変貌についていけなくてアタフタしながら窓から離れてコタツに入ると無意味にテーブルの上のミカンをピラミッド型に積み上げてみる。
「えーとえーと……それ以上ってやっぱりそういうこと?」
「そうなったら煩悩をはらうどころか煩悩てんこ盛りだけど」
ニッコリ笑顔を作ってこっちを見下ろしている真田さん、口元は笑ってるけど目だけがマジなのは何故……。
「二十歳からとか言ってなかった?」
「だから芽衣さんが二十歳になる年からって解釈することにした。あと数分でその年だけどさ」
既にフライングしちゃったからねと目がマジなままのニッコリ笑顔を継続中。えーとえーと、こういう時ってどうしたら? しまった、彼氏がいるノンちゃんに聞いておけば良かったかも! 今から携帯に連絡入れてみる? いやいや、それってものすっごいお邪魔虫になる可能性もあるよね。女は度胸? これで行くしかない? なんか言い方が間違っている気がしないでもないけどそれで行ってみる?
「えっとね、お母さんはお泊りしてきても良いよって言ってくれたけど……」
「そうなの?」
「うん。たださ、お母さんのことだから真田さんが考えているようなことじゃなくて、年越しゲームとか年越し映画とか、わっ」
真田さんは窓をピシャリと閉めるといきなり手をのばしてきて私のことを自分の方へと引き寄せた。
「お母さん公認なら心強いかな」
「いやほら、徹夜でゲームとか……」
「先ずは除夜の鐘ならぬ除夜のキスしても良いかな?」
良いかな?なんていうのは口だけで私の返事なんて聞く気も無いくせに。だって返事をする前に口を塞がれちゃったらどうやって返事をすれば良いのよって話よね、どうせ聞いてはくれないんだろうけど。しかも長い……まさか新年になるまでこの状態を続けるつもりじゃないよね? そんなことを思いながら真田さんの肩の辺りを両手でバンバン叩いて抗議した。
「ごめん、苦しかった?」
私の抗議に気が付いた真田さんは顔を上げてこっちを少しだけ心配そうに見下ろした
「そうじゃなくて……」
「そう、良かった」
ってなわけで真田さんはニッコリ笑って除夜のキスを再開。私に反論をする隙を全く与えてくれなかった。……もしかしてこれって毎年恒例の行事になったりしちゃう? それはそれで困ったことかもしれないよね、うん。