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第十話 side - お巡りさん

「お向かいさんのお嬢さん、いつ見ても元気だよなあ」


 その言葉に書いていた業務日誌から顔を上げて外を見る。視線の先、松岡生花店の前ではおでこに絆創膏を貼った芽衣さんが元気に花を買いにきた客と話をしていた。客は男性だ。最近は男でも花を買いに来るのかとそんなところで関心する。


「頑張りすぎるとまだ頭痛がするとか言っているのに何をしているのやら」


 客の男に愛想よくしている彼女にちょっとムッとしながら呟くと、その口調に何か感じたのか隣でお茶をすすっていた酒井さんが楽しそうに笑う。


「おや、妬いているのか?」

「誰がですか」

「お前さんが」

「まさか。彼女のお母さんから聞いているから心配しているんですよ」


 芽衣さんの母親は俺が彼女を暴走自転車から助け出した後、娘には内緒よと笑いながら何かと差し入れを持って派出所に顔を出していた。お母さんなりの娘を助たことへのお礼らしい。それが自分達の仕事なんだから気にしないで欲しいと何度も言うのだが、それでは気がすまないからと中々聞き入れてもらえない。いま酒井さんが食べている羊羹も芽衣さんのお母さんが差し入れてくれたものだ。そのうち芽衣さんのお母さんの差し入れでここに勤務している全員が太ってしまうかもしれない。


「それでお前さんの心配の種さんを階段から突き落とした犯人の目星はついたのか?」

「まったく。っていうか種さんって何ですか、種さんって」

「だって心配の種なんだろ、あのお嬢さんはお前さんの。それで心当たりが多すぎてまったくなのかその逆なのかどっちなんだ」

「まったく無いんですよ」


 商店街やその周辺を巡回しながらお年寄りや奥さん連中と何気ない世間話をして気が付いたのは、芽衣さんの怪我のことが思いの外この周辺に住む人々に知れ渡っていたことだ、しかもかなり詳細に。だからなのか警察官の自分の顔を見かけると、こちらが何も言わないうちからあれこれと話してくれる……しかも各々の推理付きで。そして今まで聞いた話を総合すると、芽衣さんはたまに無茶はするけど他人様の恨みを買うような子ではないということだった。


「駅ビルの店員が見た客が薄情な人だったのか客から知らせを受けた店員が忘れっぽかったのか。本当に芽衣さんが言うように単に階段で何かに躓いたのかもしれませんね」

「だけどお前さんはそうは思ってないんだろ?」

「確証がある訳じゃなくて勘みたいなものなんですが」

「勘、ねえ……」

「なんですか」


 その口調に引っ掛かりを感じて顔をしかめた。あ、しまった、外を歩いている子供と目が合ってしまった。今、絶対に怖いお巡りさんだと思われたぞ。


「いや、こうやって非番になると花を買いに行くぐらいだからさ、それ以外の何かがあるのかなあと」


 酒井さんの指の先には芽衣さんが作った花瓶と俺が買った花。そろそろ萎れてきたな、新しい花を買いに行かないと。


「何かってなんですか」

「ほら、吊り橋効果的な何かとか」


 つまり酒井さんは暴走自転車の件で俺と芽衣さんの間に何かが芽生えたのではないかと言いたいらしい。


「それって本当なんですか? 芽衣さん、そんな素振り全く見せませんよ」


 ドラマや小説ではそういう出会いから恋愛に発展するなんていうのは吊り橋効果の典型的なパターンだ。しかし芽衣さんには全くその効果は無いようで、あれ以来、親しく話すようになりはしたものの、そのあっけらかんとした態度にそういう成分は全く含まれていないように見える。いや、見えるじゃなくて微塵も含まれていない。しかし……。


「あの客、なんであんなに長居するんですかね。芽衣さん、ちょっと辛そうにしているのに」


 にこにこと花の説明をしていた彼女がたまにこめかみに手をやっていることに気が付いていないのか、あの客は。あれは医者じゃなくても分かる頭痛が始まったというサインだろうに。お客様は神様ですから!と芽衣さんは言うが神様でも少しぐらい気を遣うべきだ。相手は女性だぞ?


「痛くなったら直ぐに薬を飲めと言われているのに芽衣さんときたら」


 いくら客商売でも限度というものがあるだろう。仕方がない、お向かいさんのよしみで出動するとするか。日誌をパタンと閉じると椅子から立ち上がった。


「なんだ、やっぱり妬いているんじゃないか」


 派出所を出る俺の後ろから酒井さんの愉快そうな声が聞こえてきた。違いますよと顔をしかめながら反論したが信じてもらえたかどうだか。


「吊り橋効果は別に女だけに効くわけじゃないんだけどねえ……」


 芽衣さんに気を取られていた俺にはそんな酒井さんの呟きは耳に入っていなかった。



+++



「こんにちは、芽衣さん」


 いつものように声をかけると芽衣さんがこちら顔を向けてにっこりと笑った。だがその笑みが目まで届いていないのは頭痛が酷くなってきているからだ。


「今日はお母さんはいないの?」

「今お買い物に行ってますよ。お母さんに何か用でも?」

「んー……大人しくしていない娘さんのことについて色々と何点か」

「え、私?」

「そう、芽衣さんについて」


 客の男性はいきなり現れた制服姿のこちらを見てギョッとした様子だ。まあ自分で言うのも何だか身長百八十越えの目付きの悪い警察官に見下ろされたら誰だってギョッとなるだろう。だがそんなこと知ったことか。心にやましいことが無ければ警察官に睨まれようが職質されようが気にならないだろう。違うのか? ん?


「あの、真田さん、その人、お客さんなんですけど」

「そうみたいだね」

「いえ、だから、そんな怖い顔して睨んじゃ駄目ですよ。お客さんが逃げちゃったらどうするんですか」

「その時はお詫びに花を買うよ、非番の時に」


 俺がジッと見詰めている中、その客は芽衣さんから花束を受け取り代金を払うとそそくさと立ち去った。立ち去る背中に向けてありがとうございました~と声をかけた芽衣さんが溜め息をつきながら見上げてきた。


「もう、絶対に逃げてました!! って、ちょっと真田さん!!」


 彼女の両方の肩を掴むとクルリと店の方へと向かせて押していく。そして店内に入ったところで店先の引き戸を閉め、更に彼女を奥へと押していく。店の奥にあるテーブルには何やら色々な色のリボンやら金色のモールやらが蔦のような植物と共に散らばっていた。


「芽衣さん、カボチャが終わった途端に今度は何を作ろうとしてるんだ?」

「あ、これですか? これはクリスマス用のリースです。附属病院と近くの教会から頼まれているので先ずは試作してみようと思って。夏の花をドライフラワーにして使うのも面白いかなって色々と準備してたんです……っていうか真田さん、押さないで~!」

「文句言わずに先ずは大人しく座りなさい」


 ちょっと命令口調で支持すると芽衣さんはブツブツ言いながら椅子に座った。


「薬は?」

「薬?」

「あたまが痛くなった時に飲む薬。病院からもらったのがまだあるだろ、あれのこと」

「それはそこのカゴの中にあるけど……」


 大きなテーブルの隅っこに置かれている赤と白のチェック柄の布で飾られている籠の中から薬袋がチョロリと顔を出している。


「飲める水は? もしかして奥の台所?」

「水は無いけどお茶なら後ろの小さな冷蔵庫に入ってますけど……」

「ここ?」

「うん」


 芽衣さんが座っている後ろにある簡易的なシンクの横にある小さな冷蔵庫を開けるとお茶の入ったガラス製のポット。もしかしてこれも芽衣さんが作ったとか言わないよな? さすがにこれは既製品か?などと思いながらそれを取り出す。ふと視線を横にずらすとそこに食べかけのドーナツが入っていたのでそれも取り出した。


「何も食べないで薬を飲むと胃に悪いから先ずはこれを食べてから。で、麦茶みたいだから薬をこれで飲んでも問題ないだろ」


 そう言いながらドーナツの皿を芽衣さんの前に置き、シンクの水切りに置かれていたグラスにお茶を注いだ。考えてみれば警察官がここまであれこれ世話を焼くなんて破格の待遇だよな。あ、このグラスもまさか芽衣さんが?


「真田さんが飲むんじゃないの?」


 グラスを差し出すと芽衣さんが戸惑った顔をしてこちらを見上げてきた。


「何で俺が?」

「え、だって……」

「頭が痛くなってきてたんだろ? だったら薬を飲むのは芽衣さんに決まってるじゃないか。まさか俺に誰かが齧ったドーナツを食べる趣味があるとでも?」

「そこまで切羽詰ってたのかなーって……」

「どうしても薬が必要なら派出所に置いてあるよ。ここまでわざわざ来て飲むこともないだろ? はい、ドーナツ、一口でもいいからお腹にいれて薬を飲む。本格的に痛くなる前に飲んだ方が効き目があるんだから」

「なんだかお母さんが二人いるみたい……っていうか、お母さんより怖い……」


 芽衣さんはそれで思い出したと呟いて今度は俺のことを軽く睨んできた。だからその前に薬を飲めというのにまったく……。


「芽衣さん、薬」

「薬より真田さん! あんな風にお客さんを睨んじゃ駄目です! 松岡生花店に行くとお巡りさんに睨まれるなんて噂になっちゃったらどうするんですか! うち、商売あがったりですよ!!」

「芽衣さんが辛そうにしているのにヘラヘラと笑っている客の方も気が利かないと思うけどね。それに俺は睨んでない、普通に呆れてお客さんのことを見ていただけだよ」

「嘘だ、絶対に睨んでた」

「それよりドーナツ齧って薬飲む。俺が睨んでいたかどうかの論議はその後」


 ドーナツを指さしてその場で腕組みをして芽衣さんを見下ろす。


「ほら、睨んでる……」

「こういう顔なのは元から。ほら、齧ったら薬」


 ブウブウ言う芽衣さんを無視して今度は薬袋を指さす。文句を言いながらも言われるがままにドーナツを齧って薬に袋に手をのばしたのは本当に頭が痛いからだろう。だから早く飲めと言ったのに。


「これでご満足?」

「芽衣さんの頭痛が収まったらね」


 そう言って向かい側の椅子に座った。


「じゃあ続きをどうぞ」


 薬が効いてくるまではここにいようと思い、芽衣さんがさっきから文句を言っていることに対して話を聞こうと聞く態勢に入った。すると途端に彼女の方が困った顔をした。


「そんな改まって聞く態勢に入られたら喋りにくい……」

「何だよ、ちゃんと聞くって言ってるのに。せっかく芽衣さんの話を聞こうとしているんだから話してくれないと解決できないだろ?」

「あ、ほら、また睨んだ」

「だから、これは元からの顔なの。これが睨んでいるなら本気で怒っている時なんてどんなこと言われるのかな、俺」

「本気で怒った……時?」


 ここに来る前からの知り合いには随分と穏やかな顔つきになったよなって言われているのに、それでも睨んでいるとか言われるんだからな。以前のままの俺だったら一体どんなことを言われるやら。


「だから、俺が本気で怒らないように芽衣さんは無理をせずにちゃんと薬を飲むこと。良いね?」

「……分かりました」


 何て言うか……これはこれでショックだぞ。そんなに俺の顔って怖いのか?


 それから芽衣さんのお母さんが買い物から戻ってくるまで、芽衣さんを監視するという名目の元、作りかけのリースの話を聞かせてもらった。クリスマスのリースなんて柊や松ぼっくりで作るものだけだと思っていたんだが、芽衣さんはそれこそ紫陽花やら小さな向日葵やらを使ったちょっと変わり種のリースを作ろうとしているらしかった。彼女としてはドライフラワーではなく生花で作りたいらしいのだが、そうなると原価が馬鹿高くなるらしく泣く泣く諦めたそうだ。


「芽衣さん、もしかして花屋を継ぐつもりでいるのかい?」


 色々な話を聞いていてふと思ったことを尋ねてみた。


「両親は別に継がなくても良いって言ってるけど美術系の学校に進学したのもお花屋さんで役立つことがあるかなって思ったからだし、絵を描いたりするのと同じぐらい花屋が好きだから」


 それもあって学生の間に色々なことを試しながら顧客の新規開拓中なんだと言って笑った。うん、今の笑いはちゃんとした笑顔だ。どうやら薬が効いてきたらしい。ちょうどそのタイミングで芽衣さんのお母さんが帰ってきた。俺が店で芽衣さんと話し込んでいるのを見て驚いたようだが直ぐに子守りも大変でしょと笑った。


「じゃあ、お母さんも帰って来たことだし、俺は巡回パトロールの時間だからこれで。芽衣さん、あまり無理はしないように。俺の本気で怒った顔なんて見たくないだろ?」


 そう言い残して店を出た。


「……ま、これで大人しくするような芽衣さんじゃないよな」


 勤務中に堂々とデートするとはいい根性してるじゃないかという酒井さんのからかいを受けながら自転車に乗っていつもの巡回パトロールに出た。さて、今日はどんな推理を聞かせてもらえるやら。

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