プロローグ ~『アレ』と私の出会い!~
プロローグ『アレ』と私の出会い!
私の名前は山崎紫乃16歳、身長は152cm、体重42kg。顔は童顔の為、高校生にもなって、今だに小学生に間違われる。髪は天然パーマで途中まで波打って毛先は縦ロール長さは膝裏近くまである。友達からは某テニス漫画のキャラ『蝶々夫人』みたいと言われるぐらいだ。一時期、転校先の中学校の校則で髪の毛は肩にかかるといけない、『髪を切るまで登校禁止』というもので泣く泣く長かった髪をバッサリと切ってしまったけど、2週間後にまた転校……。
そんなことなら切らなきゃよかった!と、思った。天然パーマなので短いとアッチコッチに髪が跳ねて朝が大変だったので、もう絶対短くしないと誓った程!
またある時は、高校に進学し部活の演劇部で、『トム・ソーヤーの冒険』のトム・ソーヤーの弟役に抜擢されたが先輩より
「男の子役だから髪の毛を切ったら?」
と言われたけれど、大泣きして抵抗。先輩が困ってしまった程。代替え案として髪をアップにして帽子の中に全部入れる、ということに……。頭が小さいので(本当に子供の帽子サイズしか被れないんです、笑えるでしょ♪)先輩に借りた帽子でぴったりでした。
普段、学校では髪をおろしたままかポニーテールかぐらい。休みの時はアップで1つにまとめてた。
私の住んでる所には『陶芸の森』という美術館がある。
『陶芸の森』と言うだけあって、陶芸しか展示されていない。
私は陶芸が好きっていう訳ではなく、美術品全般を観てるだけが好きな女の子。
夏休みのある日、私は大好きな色の1つ濃い青のワンピース。大好きな色は青系統と緑系統の2つ♪どうしてその色が大好きかと言うと海が好きだから!私が生まれて育ったのが、四国の徳島県の徳島市内。小さい頃はよく海に連れてってもらったから、どうしても忘れられない場所だからかも……。
髪の毛はアップで1つにして、たまたま暇だったのでその美術館に入った。
そう、たまたまだ。
『ミレー展』だとか『ルノワール展』等、興味がある展示物ではなく、ただ単に退屈を紛らわす為だけに入った。なのにこんな事が起きるなんて、誰が想像できるだろうか?いや、できないだろう!
美術館内は夏休みというのに人が少なく、左右の壁にそってガラスケースに展示品が入れられ、通路の真ん中はポツン・ポツンとガラスケースがあり、そこにも1つずつ展示されていた。
私はゆっくりと色んな展示品を観てまわる事にした。
展示品の内容は『土遇みたいな物』、『縄文式土器に似ている壺』はたまた『ギリシャ時代をモチーフにした壺』等、時代や地域等お構い無く展示されていた。
フッと、何気なく通路中央にある作品に眼がいった。
「…………………ブフッ」
思わず笑ってしまったのだ!
私は思わず口を塞ぎ、笑うのをこらえるのがやっとだった。
何故なら、ソレはどう見てもかの有名な『ハクション大魔王の壺』にそっくりだったのだ!
この展示品は全体的に薄いピンク色で、模様と形が『アレ』に瓜二つで、他の人も気になるのか遠巻きにヒソヒソと指を指しながら観ている人もちらほらいた。
とっ、とりあえず、他の作品も観なくちゃね。
と、思いながらその場を後にした。
だけども、色々な展示品を観てまわっても『アレ』ほど心に残る作品はなく、どうしても『アレ』をもう一度観たい!と、思ってしまう程心奪われてしまったのだ。
最後まで観終わった私は、すぐさま引き返し『アレ』の前まできた。
と、その時どうしてこんなタイミングで出たのか解らないけど
「ゲップッ………」
と、声が出たと思ったら、私の目の前がまぶしく光ったと思ったら、気付いたら砂漠のど真ん中に立っていた!
足元にはあの『ハクション大魔王』の壺に似た『アレ』が横たわっていた。
周りを見ても青い空と砂ばかり!
少し唖然としてた私だったが、足元にある『アレ』を手に取りしげしげと見た。
私は『アレ』の穴を覗きこんだり、逆さにしてフリフリと振ってみたり、しまいには指を突っ込んでみたりもした。
「指は突っ込まなくても良いだろ…………!」
と、一人突っ込みしたりしていたが、何の進展もないので、さすがにここでずっと居るのも何だかなぁ……。と、いうことで、まぁ、適当に歩きだすか!
行くども行くども青い空に砂漠が延々と続いている。
独りで歩いていると、何だか昔の事を色々思い出しちゃった!
一種の死ぬ直前、走馬灯が…………。っていう感じになってきた。
今まで色々あったなぁと思い返してみる。
1つは私はちょっとドンクサイところがある。どうしてかと言うと、何もない所でコケていたり。多分、ボケっとしながら時々歩いてるからかも(笑)体育の授業の成績は良くなかったです。はい。だけど、中学時代は喧嘩には負けた事はありません。小さい時に少しの間、合気道と少林寺拳法を習ったお陰かもしれません。
中学生時代は転校ばかりしていました。母が離婚した為何度も引っ越しする事になったの。最初に入学した学校は2週間。その次の学校は1年半。次は確か半年位だったかなぁ。この間は徳島県内ですね。
で、今度は四国の愛媛県松山市、ここは私の母が生まれ育った場所です。ここの中学校に通う前1~2週間ずっとアパートに居てました。で、さぁ学校に通うぞという時に、例の『髪の毛を肩上までにしないと通学を認めない』って、それはないだろ?と、思いつつもこの学校にずっと通うなら仕方がないので切ったというのに、また2週間位で転校。それなら、断固拒否して不登校のままでも良かったんじゃない?と、思いました。
で、今度はまた舞い戻って徳島県にまた2週間位、その時にできたクラスメイトの女子が、
「私の友達の18歳の高校生のお兄さんが、彼女を募集しているから逢うだけで良いから逢ってみない?」
と、いう話になり別に好きな人もいないし「OK」した。なのに不運にもまた引っ越しする事が決まり、残念ながら1度だけのデートをする事に……。初めての恋人に初デート、色々考えながらの服選び。デートは海に車でドライブ。冬休み前だったので寒かった。二人で車の後部座席に、彼の膝の上に座りとりとめない会話。で、彼にギュッと抱きしめられていたら、何だか段々ウトウトしだしてきた。
彼が
「あまりにも信頼しすぎるのはいけないよ!」
と、苦笑いしながら私に言ったけど、いまだに意味がわからないままでいる。今、思い出してもかなり格好良いお兄さんだったなぁ。でも、あんなに格好良いのに彼女がいないってどうしてだろう?それに彼はどうしてあんなに簡単に信頼しすぎるなって言ったんだろ?????
で、いよいよ滋賀県の大津市に引っ越す事に……。そう、あれは電車で大津市に着いた時には夜10時頃、雪がいっぱい積もっててビックリした。1mはあったのかな?私はそれまでこんなに雪が積もってるところを見たことがなかった。徳島では雪が降ってもうっすらと積もるぐらいで、あとはすぐにグチョグチョになって黒い雪になってしまう。まずはじめに向かった先は婦人相談所。ここは離婚等で夫から身を隠したりするためのシェルター。一晩だけ母と一緒に泊まり翌日からは弟と二人で児童相談所に送られた。ここでは私達の他に10人ぐらい、(詳しく覚えてないけど)年はバラバラで私と同じぐらいの女の子も1人いたな。その子は
「ここから抜け出したい。いつまでも居たくない」
って、口癖のように言ってたっけ。私は
「そんな簡単に抜け出せないよ!廊下に監視カメラ付いてるし、窓の外見てごらんよ、センサーが付いてるでしょっ!」
って言ったら、納得してくれてたな。それで私に
「アンタならどうやってここ出る?」
と聞かれたから
「廊下とかにある天井見てみ!あそこ四角く板がなってるところを開けて天井裏から出るね!でも私は体力ないから、ぶら下がったり出来ないからやらないけど……!」
って言ったら
「アンタ賢いな!」
って、やたらと感心してたな。そんなに賢くないけど……。あの女の子は今頃どうしてるだろう…………。
児童相談所の暮らしもまた2週間で母の迎えで終わった。
そして滋賀県に来て初めての中学校、転校先の制服はブレザーだった。今まで四国の中学校ではセーラー服だったのにちょっと困った。残り1年制服を買うのがもったいないからね。今までだと学校によって、セーラー服の縁にある線(夏は白に黒線、冬は黒に近い濃紺に白線)の数を変えたり、リボンの色が違うだけなので買う必要なかったのに……。とりあえず制服を手に入れるまで、セーラー服だったので目立つこと目立つこと、しまいにガラの悪い同校の生徒(大津市内悪い中学校NO.1だったっけ)に放課後12~3人ぐらいだったかな、待ち伏せされたっけ!まぁなんのことはない、全員私にまけたわよ!その後、みんなから
「トップになって欲しい」
と頼まれたけど、私は面倒くさがりだから面倒くさくて
「今まで通りにしたら?何かあったら私が出るから、それまで貴女達でやりなさいよ!」
って返したのよね。それから毎日朝夕の送り迎え付き、鞄も持つって言い出すし。それだけは丁重にお断りしたなぁ。
振り返ってみても波瀾万丈な人生だったな!
はぁ~。それよりも、どうして信楽の方に来たんだろ。暇潰しなんだから近場の『滋賀県立美術館』にしとけば良かった!隣は図書館だし!こんな事にもならなかったのに…………。後の祭りってこう言う事をいうのかも知れないよね。
あぁ、もう歩けない!
喉も渇いたし、何だかお腹も空いてきた。ペットボトルやおやつとか持ってたら良かったけど、持っているのはお財布と携帯ぐらい。
ん?携帯?助け求められるかも!なんで早く気付かないのよ!私!
……………………………。
ガ~~~ン!
圏外っ!
あぁ、もうダメ!
もう人生終わった!
ここで私死んじゃうのかな?死ぬまでに結婚したかったな…………。
段々、目眩がしてきて目の前が真っ暗になったと思ったと同時に意識も無くなっていた。
もしも、このお話が書籍化された場合、文章内で出てくる元滋賀県婦人相談所所長さんに、今までお世話になったお礼と、そしてご冥福を祈り御前に捧げたいと思います。
没2014年4月12日 享年74歳
名前は今はふせますが、書籍化されたらわかりませんが、この方がいなければ私達家族は今、暮らしていけてなかったと思います。くしくも、私の下の弟の同じ誕生日に亡くなられました。
安らかにお眠り下さい!
『小説家になろう』のサイトにて、始めるに辺り右往左往してこんなにドンクサイ私を親身に優しく導いて下さったシクヴァル様、ありがとうございます、感謝します。そして、『小説家になろう』にてずっとメール交換してもらいいろんな話をし、または軽く私の背中を押し投稿を決意するよう薦めてくれた友人夏目 みや様、ありがとうございます、感謝します。この御二人がなければ、この話も世に出ない可能性もあったかも知れません。
話は変わりますが舞台である、滋賀県の信楽には『陶芸の森』という場所があり、実際に『ハクション大魔王』の壺に似た展示品を観て、思いついた物語です。
主人公は作者の高校生時代をモデル+αになってます。
家族には、「読める作品が出来るのか?」と、言われながらも書きました。
皆様に楽しんで頂けたら、これ幸いです。
今後とも、よろしくお願いします!