黄金の右腕
人々が自らに死を与え、黒死人と呼ばれる異形の者へと変貌させる黒い雨とそれを降らせる漆黒の雲を畏怖している世界。
その世界にあるアレド村で17歳を迎えた少年トールは、初めての狩りに出かけそこで一人の女性を助けた。
女性の名はミリアス。
黒い雨による黒痕を右手に宿した彼女は、この世界の大国であるドーナ王国の王都パルオンへの旅の途中にトールに助けられたのだと語る。
ミリアスが目を覚ました次の日、2人の立つアレド村に迫り来る漆黒の雲。
2人は村人達を駐屯兵のいる詰め所と教会に避難をさせ、自分達も教会へ避難をするが、突如詰め所から悲鳴と破壊音が聞こえる。
ミリアスは雨に濡れぬよう体中を布で包み、教会から外に飛び出した。
——バチャッ !!——
ミリアスは縄をつたい無事に地面に着地した。着地の衝撃で水たまりとなった『黒い雨』が跳ねたが、足首にも厳重に布を巻いておいた。
(急がないと…)
少なくとも教会の周りに『黒死人』がいる気配はまだ無い。ミリアスは腰を落とし、姿勢を低くして教会の正面口から迂回して詰め所の方向へ走った。
黒死人全員が詰め所の方へ行っているのだろうか。
教会から30メートルほど離れると、黒い雨で視界が悪くなっていても近づいた詰め所をはっきりと確認することができた。
そしてその周りで蠢く、大勢の黒死人も確認できた。
(やっぱり黒死人に気付かれたんだ…)
ミリアスは詰め所の正面に回り込んだ。そこでは何人もの黒死人が我先にと詰め所の中に入ろうと蠢いていた。
不意に、その黒死人の群れが割れてそこから一人の男が詰め所の外に飛び出した。ミリアスの見たことの無い男だった。
「うわぁぁぁぁ! やめろぉ、来るなぁ」
絶叫をしながら、必死な形相の男が黒死人から逃げようと走るが、ぬかるんだ地面に足をとられ、その場にうつ伏せに倒れ込んだ。
男に黒い雨が降り注いだ。
黒い雨は露出している男の手や首の後ろの肌に染み込むと、そこに黒い染みを作った。
「う、うぐっ!? うううがあぁぁぁぁ!!」
男は痛みに苦しむような悲鳴を上げながら、地に伏せたままのたうち回った。
動けば動くほど、まだ染みの無い肌に黒い雨が降り注ぎ、男の体中にはあっという間に黒い染みが広がった。黒い染みの部分は火傷をしたように膨れ上がっているようだった。
黒い染みと染みはお互いに繋がり合い、さらに大きな染みとなって衣服の下にまで広がっていった。
「あ、あ、あぁアアアァァ…」
黒い染みが広がるにつれ、徐々に男の動きが大人しくなり、悲鳴の声も小さくなっていく。
「・・・」
一瞬、男の動きが完全に止まったかと思うと、黒く染まり切り、爛れた体が再びゆっくりと起き上がった。
膨れた瞼が開き、眼球がむき出しになる。急速に充血するかのように、あっという間に他の黒死人と同様にその眼球が赤く染まった。
黒死人が誕生したのである。
先ほどまで生きていた黒死人は、他の黒死人の群れと同様、生命感を失い詰め所に入ろうと蠢き始めた。
(まだ中に人がいる…)
なおも詰め所から離れようとしない黒死人の群れを見て、ミリアスはそう感じた。
生き残りがいるのなら助けなくてはならない。彼女はそのために教会を飛び出したのだ。
ミリアスは下に落ちていた石ころを拾い上げ、それをその集団に向かって投げつけた。
「グッ!? グウゥゥゥゥ?」
石が後頭部に命中した1人の黒死人が振り返るのにつられ、他の黒死人もミリアスの側へ振り返りその赤い眼球で彼女を捉えた。
「こっちよ! こっちへ来なさい!」
ミリアスは布で防がれた口元から大声で叫んだ。くぐもった声だったが、黒死人の集団の耳に届いたのだろう。黒死人達は一様にミリアスに向けて歩き始めた。
ミリアスの目的は黒死人の囮となり、教会にいる村人達さらには詰め所に残っていると思われる生き残りから黒死人を遠ざけることだった。
全ての黒死人が自分に向かって歩き始めたことを確認し、ミリアスは教会とは逆の方向へ走り始めた。丘の斜面に立っていた教会と詰め所周辺の足場は悪く、さらに着膨れしているミリアスの足は丘の斜面を横断するように、もつれながらもなんとか黒死人を詰め所から引き離し始めた。
(もっと詰め所と教会から引き離さないと。)
黒死人の足は遅いが、今の状況でのミリアスの足も早くは無い。
「あっ!」
ミリアスは必死に足を動かしていたのだが、黒い雨のせいで見通しが悪いために、目の前に急に現れた斜面に気が付かず足を踏み外してしまった。
「うっ! っ!!」
ミリアスは体のあちこちを地面にぶつけながら、激しく斜面を転がり落ちる。
——ズシャァァ——
やがてミリアスの体は、斜面の緩くなったところでようやくその落下を止めた。
「うっ、うぅぅぅぅ・・・」
体を包む布がクッションになったのか、幸い怪我をした感じは無い。
やや痛む体に耐え、うつ伏せになった体をなんとか起こそうとした時、目前で——バシャッ——と雨に濡れた地を何者かが踏む音が聞こえた。
「グウゥゥゥ…」
ミリアスが顔を上げると、1人の黒死人が獣のような呻き声を上げながら立っていた。
「ぐっ!!」
ミリアスは目の前に立たった黒死人に首を鷲掴みにされた。黒死人の異常な腕力は、ミリアスの体を起こしてさらに地面から浮かせた。強烈な力でぎりぎりと布の上から首を鷲掴みにされ、呼吸を止められたミリアスは掠れた呻き声を上げることしかできない。
「かっっ! かっ・・・!」
なんとか呼吸をしようとするが、気道を完全に塞がれている。
ミリアスは震える手で、自分の首を掴んでいる黒死人の右手首をか弱い力で握った。
(・・・死ねない)
黒死人の手首を握るミリアスの右手の力が、僅かに強くなった。
「ググ?」
黒死人に感情があるのかは不明だが、ミリアスの首を掴む黒死人が自分の手首にかかる力に違和感を感じたように首を傾げた。
ミリアスの右手の力は徐々に強まり、その力はやがて黒死人の右手首を圧迫し始め、彼女の首を掴んでいる力を弱めさせ始めた。
「まだ…」
さらに力が強まる。
「死ねない!」
ミリアスの叫びに応じるかのように、ついに彼女の手は黒死人の手首を握りつぶした。
と同時に、彼女の右手にくるまれていた布が内部から爆発したようにブチブチと一気に千切れ飛んだ。右手に巻かれていた包帯も同時にはじけ飛び、ミリアスの右手が露になったのだが…その右腕全体は強い金色の輝きを放っている。
「グオォォォ!!」
痛みを感じるのか、黒死人は強烈な力で握りつぶされた右手首をミリアスの首から離し、かばうように後ずさった。
「かはあぁっ…はぁっ、はぁっ、はぁっ」
ミリアスはなんとか地面に足を着き、前屈みになって確保された気道から酸素を取り入れ呼吸を整えた。
顔を上げ、ミリアスは真っ直ぐに黒死人を睨みつけた。
防ぐ布を失ったミリアスの『黄金の右腕』に黒い雨があたるが、雨粒は腕が放つ光に触れて——ジュウ——という音とともに直に腕に触れる前に蒸発しているようだ。
ミリアスはその右腕で、顔と体、下半身に巻き付けていた布を鷲掴みにし、力任せに千切り捨てた。
布を巻き付ける前の軽装に戻りミリアスの白い肌も露になったが、右腕の金色の輝きはミリアスの体全身を包んでおり、右腕以外の箇所でも黒い雨はやはりその肌に浸食することなく、触れる前に蒸発した。
「あ、あぁぁぁっ!」
ミリアスが苦しさを滲ませた叫びを上げ右腕を天にかざすと、右腕は色だけでなくその形も変貌させていく。
柔らかさが感じられた皮膚は、まるで黄金の鉄のような固さと重厚感、しかしどこか生命感を感じさせるどちらかと言えば甲羅ようなものへと変貌した。そのシルエットも、先ほどまで包帯がまかれていた凹凸の無い華奢な腕ではなく、屈強な男の腕のようにゴツゴツとした逞しさが滲み出てきた。
さらに肘から手首にかけた箇所がむくむくと起こりあがり、複数の花弁のような形状となって肘に向かって伸びた。
黄金の右腕はその形を仰々しいガンドレットを装着した男の腕のように変貌した。
「ふっ!」
ミリアスはその右腕を引き、強く大地を蹴った。
「だあぁぁぁっ!!」
加速をつけ、目の前の怯んだ黒死人の胸元を殴りつける。
ミリアスの右腕は——ドゴッ!——という鈍い音を響かせ、殴りつけた黒死人の体を大きく吹き飛ばした。
「グゥエエエ!」
黒死人の体は爛れた皮膚から黒い液体をまき散らしながら吹き飛び、黒い雨に濡れた地面を滑りながら地面にひれ伏した。
「・・・」
吹き飛ばされた黒死人はぴくりともせず、ミリアスの右腕の強烈な一撃によりその活動を完全に停止したようだった。
「ガアァァァッ!」
「!」
——ギイィィィィイン!——
いつの間にか背後に迫っていた別の黒死人が手に持った斧をミリアスに振り下ろしたが、ミリアスは素早く振り返り右腕で受け止めた。
黒死人の強化された腕力で放たれた強烈な一撃なのだが、右腕はまるで鉄の盾のような衝撃音を響かせ、難なくそれを受け止めている。
「!」
黄金の右腕と斧をせめぎ合わせている黒死人の、爛れた肌にまとわりついている衣服にミリアスは見覚えがあった。
(ラディッツ…さん?)
つい先ほど、軽い冗談を交わしたラディッツのものだった。
「ググウゥゥゥ」
ラディッツだったらしき黒死人は、ミリアスへの殺意を露にしてさらに斧に力を込めるが、ミリアスの右腕は微動だにしない。
「ごめんなさい。」
ミリアスは一言そう言うと、右腕と競り合っている黒死人の剣を強烈に振り払い、再び右腕を引き拳を作る。
——ブシュウウウウウ——
ミリアスがギリッと拳を強く握ると、肘に向かってのびている花弁と花弁の隙間から強烈な金色の風が吹き出した。
ミリアスが体勢を崩したラディッツに向かい拳を放つ。
——ドゴンッ!——
金色の風に加速された、先ほどよりも強烈な拳の衝撃がラディッツのみぞおち辺りを貫通する。
ラディッツの体は一瞬宙に浮き、口と爛れた体から黒い液体がミリアスに向かって飛び散ってきたが、黒い雨と同じく彼女の皮膚に触れる前に右腕が放つ光により蒸発した。
一瞬、グググと呻き声を上げ、ラディッツの体はミリアスの体にもたれかかるように倒れた。
ミリアスは黄金の右腕でその体を抱きとめると、ゆっくりとそれを地に下ろした。
「・・・」
黒い雨が降りしきる中、さらに大量の黒死人が続々とミリアスを囲み始めた。
やがて『漆黒の雲』がアレド村から去り、黒い雨が止んだ。
空はあっさりと青空に戻り、朝と同様に太陽の強烈な日差しが大地に降り注いだ。
トールは教会から飛び出し、地面でまだ水たまりを作っている黒い雨を飛び散らせ、しかし皮膚に触れないよう注意しながら足早に詰め所へ向かった。
詰め所の様子はひどいものだった。
封鎖されていた様子の入り口の扉は無惨に破壊され、入り口に入ってすぐにある広間もひどく荒らされていた。が、死体は一体も無く、黒いペンキを付けたような手形や足あと、なにかを拭ったような跡があちこちについていた。
広間の奥にある、兵士達のベッドがある寝室へ向かった。寝室の扉の直前まで黒い足あとが続いていたが、その直前で足あとが引き返しているのが分かる。
トールは「雨が止んだ」「もう大丈夫だ」と叫びながら扉を必死に叩いた。しばらく扉を叩き続けると、向こう側からガラガラと何かをどかす音が聞こえ、その扉が開いた。
「トール!」
「黒死人はどうなったんだ!?」
扉の向こうには、ミリアスの手当をした老医師とアレド村の村長が立っており、部屋の隅でトールよりも幼い子ども達が数名うずくまっていた。
トールは老医師達の問いには答えず、遅れて教会から到着した者達に彼らを任せ、ミリアスを探すために再び詰め所から外へ飛び出した。
「ミリアスさん! ミリアスさーん!」
あの教会の窓から飛び出す時、ミリアスは何かを決意しているようだった。
おそらくだが、ミリアスは囮になって教会にいる人間だけでなく詰め所にいる人間も助けようとしたのではないか。
「ミリアスさーん、ミリアスさーん!」
ミリアスはもう死んでいるのかもしれない。黒死人になったのかもしれない。
黒死人が黒い雨の下でだけで活動するのであれば、黒死人となったミリアスは漆黒の雲とともに去ったのかもしれない。
だがもしかしたら生きているのかもしれない彼女を、村人達を助けるために囮となってくれた(と思われる)彼女を、あっさりと諦めるわけにはいかなかった。
「!」
ミリアスは詰め所から少し離れ坂の下で、呆然と立ち尽くしていた。
彼女の周りには多数の黒いグチョリとした固まりが転がっており、その固まりは太陽の日差しを浴びて蒸発するように煙を上げていた。
「ミリアスさん!」
トールは慌てた足取りで坂を下り、ミリアスに近づきながら彼女の右腕の包帯が外れていることに気が付いた。
その腕は黄金の輝きなど放っておらず、昨日トールが見た時と変わらず無数の『黒痕』が痛々しく烙印されていた。
表現の誤り、誤字脱字等ありましたら
ご助言とあわせてご連絡いただけると幸いです。